グィネヴィア[36]
 悪意は排除できても、善意は排除できない。
 ……だが面倒なので、
「なんだが分からんが、黙れ!」
 イルギ公爵はイズカニディ伯爵を殴り怒鳴った。
 混沌の主を弾き飛ばし、同時にまとわりついている三人をも吹っ飛ばし ―― 黙って殴りとばされる数少ないエヴェドリット。それがイズカニディ伯爵。
 飛ばされたリディッシュと三名は、そのまま壁に激突し、そこに飾られていた名画に突っ込んだ。この手の大貴族の部屋に飾られる名画ゆえ、ある程度の強度を持った額縁が使われているのだが、
「割れてしもうたのう」
 「こんなもの」が「こんなもの」に飛ばされ激突しようものなら、額縁もろともキャンバスも破壊されてしまって当然のこと。
「うん。でも大丈夫。オランベルセなら直せる」
 どう見ても割った原因はイルギ公爵なのだが、直すのはイズカニディ伯爵。
「あのフィダ城を描いたのは……そうじゃな」
「直す」
 名画を描いたのはイズカニディ伯爵の祖先。
 一族の者が作製したものならば、この指先が器用な男は修復可能。
「カーサー。服着て!」
 実行犯とも言えるイルギ公爵は、強くて金は持っているが、器用や繊細や修復などという言葉とは縁遠いどころか、そんなもの持ち合わせていない。
 今もこの善意の混沌を収めるべく、拳を振り上げて王子と皇太子妃と伯爵二名に殴りかかる。イルギ公爵ノルドディアク=ベルトエバイセン。問題ごとは破壊して解決! が信条。
「分かった…………」
 オーランドリス伯爵は隣に立っている、艶やかな栗毛が見事なイルトリヒーティー大公を見つめる。
「なんじゃ?」
 身を盾にして皇太子妃と馬鹿王子を守っているイズカニディ伯爵を眺めていたイルトリヒーティー大公は視線を感じて、その主であるオーランドリス伯爵に問い返した。
 イルトリヒーティー大公は決して喋るほうではないのだが、
「…………」
「言わねば分からぬのじゃ。儂は主の眼差しから考えをくみ取ることなど出来ぬのじゃよ」
 自分よりも無口であることを知っている相手には、必死に話しかける。
「服、選んで、くれる?」
「そういうことか! それならば儂の得意じゃ。ほれ、衣装室はどこじゃ? ゆくぞ」

 心優しいイズカニディ伯爵を残してイルトリヒーティー大公は主役の手首を握り、彼女が案内するがまま衣装部屋へと消えて――

「イルギィィィ!」
 怒りの形相で部屋を飛び出して来た。
「な、なんだ?」
 グレイナドアの髪をわしづかみにし、振り下ろそうとしている拳をイズカニディ伯爵に抑えられていたイルギ公爵は、テルロバールノル特有の憤怒に眉を顰めた。
「貴様! エキリュコルメイの服がないではないか! まさか貴様等、ドレスを着せて見合いさせるつもりじゃったのか! ふざけるなあ! 帝国の正装はじゃなあ!」
 あれほどこの空間から去りたいと願っていたはずの彼が、戻って来た理由。それは正統な洋服が一着もなかったこと。
(ノルドディアク……どうするんだ?)
 いままで黙って殴られていたイズカニディ伯爵は、怒りもなにもなく、こころより心配して尋ねる。正装がどこかにある――などという楽観的なことは考えていない。
(……あの男が言ってる正装って、どれ?)
 いまの今まで殴っておきながら、悪びれもせずに頼るよう小声で尋ねる。
 殴った、殴られたを引きずらないのがエヴェドリット――庇われていたグレイナドアとエゼンジェリスタは恐怖でまだ引きつったままであるが。
(準一級のことをさしているはずだ。公式の立ち会い人がいないから)
(え、準一級なら部屋の隅のほうにあったはず。見逃したのか?)
(そんな間違いはしないだろう。……)
「ゴーベルジェルンスタの服はどうした!」
 エゼンジェリスタとグレイナドアを抱きしめているイズカニディ伯爵は、まさに虚を突かれたかのような表情となり、イルギ公爵も同じく。
 ケシュマリスタの面々も ―― マニーシュラカはイズカニディ伯爵を盾にして、イルギ公爵の猛攻から逃れていた ―― 顔を見合わせる。
「貴様等、なにを呆けておるのじゃ! ゴーベルジェルンスタ大公服は二等灰色の袖折り返しに金の星紋が二十三個刺繍された上衣にじゃな! なに貴様等、驚いておるのじゃ」
「……なんで、カーサーがその格好を?」
 貴族は着衣でその身分が分かる。
 ゴーベルジェルンスタ大公位を表す着衣は、大公服のなかでもかなり目立つ作りで、ほぼ白と言ってもいいであろう白生地のマントは、両面に星の刺繍がびっしりと施されて完全に金色となる。あそこまで刺繍するのなら生地は黒でも変わりないのではないか? と言われるくらいにびっしりと。
「イルギィィィ! 貴様、なにをほざいておるのじゃ! エキリュコルメイはゴーベルジェルンスタ大公じゃろうが!」
「あ……」
 義姉であるイルギ公爵はすっかりと忘れていた……というより、覚えていなかった。彼女はオーランドリス伯爵がエキリュコルメイ子爵であることも忘れがちである。
「あ……」
 イズカニディ伯爵も綺麗さっぱり忘れていた。その大公名で呼ばれることが無いに等しいので。
「あ……」
 エゼンジェリスタは皇王族の爵位については若干”弱い”ので、オーランドリス伯爵が所有している皇王族爵位がすっぽりと抜けて――羞恥で顔を赤らめる。
「……」
 ゴーベルジェルンスタ大公ことオーランドリス伯爵はと言うと、
―― そっか。軍人じゃない人と見合いをするから、正式な格好はゴーベルジェルンスタ大公になるんだ
 忘れてはいなかった。
 喋ることなく、流されるままになっているようなオーランドリス伯爵だが、頭は悪くない。

「お前たち、忘れてたのか? 私は忘れていないぞ」

 そしてもう一人、忘れていない人物がグレイナドア。
「主が忘れていようがいまいが、些細なことじゃ。それで、貴様等、エキリュコルメイの大公服はどうしたのじゃ? 用意しておらぬのか?」
 彼の場合は忘れていないが、見合いの席でその格好をすることなど、思いつきもしない。彼は見合いなどしないので、そのような無駄な知識は一切必要としないためだ。
「ドレスでいいかな……って」
「ふざけるな! イルギ。ドレスは奴隷皇后にして軍人王后の正装であって、皇帝の血を引き皇位継承権を持つ、エヴェドリット王族にして帝国軍元帥がして良い格好ではないわい! 全く! 貴様等は。通信機を寄越せ」
 被服、こと正装に関して怒り狂っているテルロバールノル系の者に触れるほど、ケシュマリスタ女たちは馬鹿ではない。
 消えてなくなりそうな儚さを感じさせる笑みを浮かべながら、楽しげに眺めていた。

**********


 イルトリヒーティー大公が旧知である儀典省長官に連絡を入れ、ゴーベルジェルンスタ大公服を融通してもらい――
「前のゴーベルジェルンスタ大公って大柄だったんだねえ」
 前に大公位を拝していた人物が、用意させたものの袖を通さずに他界したために倉庫に残されていたものを着用したのだが、ちょっとやっそっとの直しでは利かないほど、サイズが合っていなかった。
 オーランドリス伯爵は百七十半ばの身長に対し、先代は二百三センチメートル。ケシュマリスタの雰囲気のある厚みのない体に対し(胸はあるが)先代は三メートルを優に超える胸囲。
 前述の通り体の作りがケシュマリスタ寄りな ―― その為、肉弾戦では特化した体型の者たちに劣る ―― オーランドリス伯爵に対し、先代はエヴェドリットの特徴である腕の長さをも所持しており、
「袖、見えなくて、残念」
 先代の肘のあたりがオーランドリス伯爵の手となり、そこから先はそのまま”だらーん”と下がっている。
「そうじゃのう。じゃが、似合っておるぞ。ケシュマリスタ容姿は大きい服を着ると、より可憐になるぞ」
 エゼンジェリスタにそう言われたオーランドリス伯爵は、隠れている手で少し額を撫でるように掻いた。可愛いと言われて、ちょっとばかり照れていた。
―― エゼンジェリスタのほうが可愛いけど
 ふっくらとした頬とくるくると変わる表情と、裏表のない性格。

 オーランドリス伯爵も裏表のない性格なのだが、エゼンジェリスタのそれとは少々種類が異なる。

 エゼンジェリスタは格好に無頓着なオーランドリス伯爵を心配し、公式の場で使用でき、様々なシチュエーションに対応できる長めの真珠のネックレスを持参していた。
「首はこれで飾ると同時に締めようではないか」
 先代は首回りが七十センチメートル近くあったもよう。オーランドリス伯爵は胴回りが五十センチメートルそこそこ。
 余裕ありすぎて「すぽんっ!」と脱げてしまいそうな首の部分を、エゼンジェリスタはネックレスを巻き付けて絞った襟のようにする――
「エゼンジェリスタ。カーサーの首が絞まっている。一回り少なくても平気だ」
 首もとから胸が見えてはいけないと、丁寧に回し過ぎ首を絞めている状態になっていることをイズカニディ伯爵に指摘され、
「す、すまんのじゃ」
 慌てて緩めて謝る。
「へいき。死なない」

 ちなみにこれほど大柄な先代だが、エヴェドリット系ではなくテルロバールノル系皇王族。だからこそ、正装を頻繁に作らせ、袖を通さなかった正装が儀典省に残っていたのだ。残されていたのが良いことなのかどうかは不明だが。

 応急処置で星飾りのついているピンで上衣を詰めるも限度があるので ―― 皇帝のマントばりに長い上衣を引きずりながら、オーランドリス伯爵とお供の一行は見合い場所へと向かっっていると、
「リディッシュ先輩! 逃げてください」
 到着する前に、帝国軍大佐が二人、恐怖にまみれた表情でイズカニディ伯爵の元へ突進するように駆けてきた。
「どうした? ファンレンにオルザード」
 ボールセルディク侯爵クレイゴルディフ(ファンレン)と、
「リディッシュ先輩。逃げろ! これは敵前逃亡ではない! 尊厳を守るための撤退だ!」
 マディウィフ子爵セディキュアンヴェレイ(オルザード)。

 ゾローデが出征する時、グレイナドアを抑えて……失敗した、ゾローデの同級生たちである。

「最強騎士の見合い会場に行くつもりだろう!」
「ヤメロ! ヤメルンダ! 会場には、ケシュマリスタ系の女皇族……って、きゃあああああ!」
「なんでケシュマリスタ! 三人もいる! 三人だけなんて言わない! ケシュマリスタ女、三人いたら終わりだああ!」
「ケシュマリスタ系女皇族対ケシュマリスタ上級女貴族! 一体なにが起こるんだ!」

 ケシュマリスタ系皇王族の二人は、悲痛な叫びを上げながらも、先輩を見捨てたりはしない。両腕を取り、
「逃げよう! 逃げたって誰も責めはしない」
「責められるわけがない」
「帝国宰相、逃げてるし」
「大皇陛下も避けていらっしゃる」
 命が惜しかったら共に去ろうと――
「あ、ありがたいが……」
 この二人が怖がっている相手が誰か? イズカニディ伯爵も予想がつき、できたら逃げたいが、
「その男は頑張るつもりらしいわよ」
「皇太子妃に良いところを見せたいようだなあ」
「ふふ。間抜けな男よねえ」
 一緒に来たケシュマリスタ貴族たちが逃がしてくれるはずもない。

「そうか。だから貴族王が居なかったんだな! あいつですら逃げるとは、恐るべき性悪皇族だな! 伯父上も席を外したのだな!」
 グレイナドアの発言に、
「……」
 選ぶまでは関わっていた二人が、その場に居ない理由を誰もが理解した。

 嫌がらせをしにやってきたのは、ナイトヒュスカ大皇と皇位を争ったケルレネス親王大公とクラバリアス親王大公。と、彼女の血を引く者たち。

 彼女たちはいまだナイトヒュスカのことを嫌っており、その血に連なるものたちをも嫌っている。だが直系の孫であるゲルディバーダ公爵には、さすがに手を出し倦ねている。当人が王たち守られていることもあるが、それ以上にゲルディバーダ公爵の性格が自分たちと同系統で、彼女たちを権力も所持しているので簡単には手が出せない。
 オーランドリス伯爵も前線基地から滅多に出てくることはないし、二度とやってこないかもしれないので、これは念入りにいたぶらねばと ―― ナイトヒュスカ大皇の実妹唯一の孫が標的に選ばれた。

「グレスに直接嫌がらせできないから、カーサーにきたのか。全く度し難い陰険だな」
 イルギ公爵が握り拳をつくり手首を回す。
 彼女は相手が親王大公だろうが容赦はしない。

 彼女たちは物事の良い面ではなく、悪い面を見つめて詰るのが好きなのだ。本人たちにとって楽しい生き方なので、他人がとやかく言えないし、悪い面を発見して嬲ってこそケシュマリスタ女

 一応カーサーの祖父は、ケルレネス親王大公たちの父の従弟にあたるのだが、そちらの血筋は考慮されない。


(先代ゴーベルジェルンスタ大公は、カーサーの母親ではない。諸事情で大公領域変更があり、縁もゆかりもない……わけではないが、近親ではない人物の大公位と変更になった。カーサーの母親はごっつくない。手足は長かったが)

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