グィネヴィア[35]
 その女は美しい。
 清浄なる空気をまとっている。それははっきりと見えるものではないが、彼女の周囲を取り囲んでいると――誰もが納得する。
 彼女は限りなく透明であり清浄であり、繊細である。
 触れれば折れてしまうに違いないと思わせる、たおやかな腕。それはいつも長袖に隠されているが、ふと手首がのぞく時がある。
 ひとはその細く頼りなく、守りたくなる腕に目を奪われる。それは儚げ。

 その女は美しい。
 紫色を帯びている黒髪はとくに目をひく。
 癖がなく濡れているように見える、まっすぐな黒髪。それは日の光の下では黒が鮮やかで、夜の星の明かりの下では、紫が際立つ。
 その暗紫は闇夜よりも黒く、そして鮮やか。
 漆黒に染まることなく、闇に立ち向かうかの如し。

 その少女は美しい。
 高き山の頂上に降り積もった雪が陽光に照らされ輝いているのにも似た白銀の髪。
 肌は甘やかな褐色で肌理が整い、触れると吸いつくかのような滑らかさを持っている。瞳は大きく紺色。
 華やかな容姿だが、まだ少女の面差しを残しているので、表情や仕草には花がほころびるような瑞々しさが表れる。
 永久に散らぬ美しき花。散るために開いた美しい花弁。
 桜色の小さな唇が美しい声で紡ぐ ――

「M字開脚」

 裸にされた(イルギ公爵が部屋を出る前は、確かに服を着ていた)オーランドリス伯爵は”M字開脚”の号令にあわせて足を開いた。
「カーサー。なにしてるの?!」
 それは間違いなくM字開脚なのだが、
「さすがリスカートーフォン。筋力があるから、美しく決まるな!」
 大貴族の姫君が、他の大貴族の前でする行動ではない。
「なに感心しておるのじゃ、フィラメンティアングス。エキリュコルメイ、はしたない! 服を着るのじゃ!」
「…………」
 イルトリヒーティー大公にそのように言われたオーランドリス伯爵(エキリュコルメイ子爵)は、表情を変えずに”M字開脚”と発言した少女を指さした。
 指をさされた少女はにっこりと笑い ―― その笑みには悪意は感じられないが、悪意以外存在していないであろうことは、イルトリヒーティー大公は良く解っていた。
「大体どうして貴様等がおるのじゃ? ウリピネノルフォルダル、ディウスにベルティーア」
「私は王子の側近ですもの。ねえ? 王子」
「あ、うん。まあ……うん」
 ”M字開脚”と美しい声で呟いた少女の名はウリピネノルフォルダル公爵ミーリミディア。ケシュマリスタの名門公爵家の当主で”少女体”という、ある一定の年齢から見た目の容姿が成長しなくなる体質の持ち主。
 これは見た目だけで、内臓器官は成長するため、繁殖は可能である。
「M字開脚とはなんだ!」
「見て分からないのかな、大公さまは」
 あからさまに挑発的な態度で答えたのは、黒紫の髪が人々を圧倒するディウス伯爵マニーシュラカ。
「それは分かる……わい!」
 清く正しくまっすぐに生きて来た十七歳の貴公子は、M字開脚など知らない。だが、馬鹿にされたら知らないと言えない性格なので、知っていると言い返す。
 もちろんマニーシュラカのほうは知らないのを知っているので、その華やかな顔を彩る美しい嘲笑を浮かべて見つめる。
「カーサーの婿選びの方法をグレスさまに聞いてきたから、僕たちがやり方を教えてあげたんだよ」
 清浄な空気をまとった儚げな美女ベルティーア男爵ルキレンティアアトは、その空気と雰囲気を保ったまま、いかにも楽しげに答えた。
「うん」
 オーランドリス伯爵は見合いの席にやってきた男たちと寝て、子供が出来たら、その相手を夫にするとゲルディバーダ公爵に語っており ―― それを聞いた彼女たちは、面白そうだからとやってきたのだ。
「いいから服を着るのじゃ! エキリュコルメイ」
「でも……」
 彼女たちにしてみれば、グレイナドアとイルトリヒーティー大公がやってきたのは予想外の出来事。

―― こやつら二人がフィラメンティアングスの周囲にいないことを喜んだ儂は……くっ……

 昨日から今朝にかけて、側近なのに彼女たちが居なかったことに安堵していたイルトリヒーティー大公は、己の浅慮を恨んだ。
「カーサー! こいつは着衣プレイが好きなんだ! 最初から脱いでる女は駄目なんだ!」
「……」
「訳が分からぬことをほざくな! フィラメンティアングス!」
 イルトリヒーティー大公は理性的な男なので、握り拳は作ってもグレイナドアを殴りはせず、首に青筋を浮かべて耐える。
「カーサーや」
 まとまりを欠くというよりは、まとまる要素が皆無な空間に、皇太子妃エゼンジェリスタがやってきた。
「エゼンジェリスタ」
 先日聞いた”上記”のオーランドリス伯爵の見合い方法がどうしても気になり、もしも本気で遂行しようとしていたら阻止しようと、総長でもあり夫でもある皇太子に事情を説明して休暇を取り、こうしてやってきたのだ ―― 本日の授業は幸い……というのはおかしいが、エゼンジェリスタの身体能力で授業を受けたところで追試は必須なので、休むことにためらいはなかった。
「カーサー。お主なぜ裸なのじゃ? 着換えの途中かえ?」
―― いいや、違う。見合い相手と寝るなら、最初から服を着ない方が効率がいいとミーリミディアたちが教えてくれた。今日は全裸で、こうやってM字開脚をするんだ。あ、うん。だから着換え途中じゃない。着換え終わったって言ったほうが正しい ―― と言うべきところを、
「……M字開脚」
 実演し、技の名前を言うに留めた。
「何をしているのじゃあ! カーサーや。なんという破廉恥な格好を。…………貴様か! 貴様じゃなあ! フィラメンティアングス。貴様が元凶じゃなあ! この破廉恥めぇ!」
「私ではない……とも言えんか。直接的な原因とでも……いや、だが……教えたのは私ではない! 私ならばもっと違うポーズを教える。全裸開脚だがな!」
「自信満々に言うなあ! カーサー止めるのじゃあ! 主は……ちゃんとお見合いしなければ、駄目なのじゃあ!」
 エゼンジェリスタが全身で声を張り上げて、全裸のカーサーの両肩を掴んで説得する。
「……う、ん」
 握力は然程ではないが、必死な彼女を前に、戦闘以外のことに関しては無頓着なオーランドリス伯爵は、勢いに負けて頷いた。

「本当にエゼンジェリスタって可愛いよね」
「本当。あの子がヅミニア副王になったら、可愛がってあげようねー。ミーリミディア」
「もちろんだよ。君も一緒に可愛がるだろう? マニーシュラカ」
「ああ。全力を持ってお相手させていただくよ。可愛い可愛いエゼンジェリスタだからねえ」

 いつの間にかイルトリヒーティー大公とグレイナドアは両手を恋人握りにして、女たちが居る空間を戦々恐々と見つめる。
 言葉そのものは大したことはないが、声の調子や抑揚、そして表情が、怖ろしくて仕方なかったのだ。

「わ、儂は。儂は頑張って……」
「頑張ってねえ皇太子妃殿下」
「そうよ。頑張って頂戴ね。シュルティグランチ公爵殿下」
「イズカニディ伯爵妃は……身分低すぎだなあ」
「儂は、そんなこと、そんな……」
 顔をまっ赤にして両手を振り回す十四歳の少女。それはあまりにも絶望的であった。
 その時全裸のオーランドリス伯爵は、
「……」
 いつもと変わらず無言であった。喋るのが苦手な彼女は、自分がなにか言ったところで、事態が好転するなど、楽観的に考えたりはしていない。
 その時彼女の脳裏にあったのは ―― ケシュマリスタ女の会話を聞いてると、怒張したペニスが一気に萎える ―― というクレスタークと、彼女の兄サロゼリスの会話。前者は注意したところで、どうすることも出来ない存在だが、後者は一応は彼女の兄。もう少し場所を選び、周囲を気遣うべきであろうが、彼女の兄は、やはり彼女の兄なのだ。 
「……」
 むろんオーランドリス伯爵は全く気にしてはいない。過去の兄の台詞も、現在の、のっぴきならない状況も。
 どのように事態を収拾させるべきか?
 誰も答えを見いだせないでいるとき、更なる混乱の主がやってきた。それは完全に善意のみなのだが、善意は時として混乱、いや、混沌を招く。
「おい、カーサー……あっ」
 婿リストからは除外されたが、オーランドリス伯爵のことは気にしている”リディッシュ”こと、イズカニディ伯爵。
 元婚約者と、人妻でありながら自分と淡い恋を育んでいる少女と、自分に言い寄ってくる王子。
 グレイナドアと指を絡めてケシュマリスタの怖ろしさに耐えていたイルトリヒーティー大公は、
―― 何故来たのじゃ! 何故……もはや、これまでかっ!
 善意の破壊者の登場、に全てが終わったと諦めの境地に踏み込んだ。
「オランベルセェェ!」
 恐怖に震えていた指を解し、イズカニディ伯爵に抱きつくグレイナドア。抱きとめるつもりはなかったのだが、抱きとめなければグレイナドアの身が危ない状況 ―― 戦闘能力ではイズカニディ伯爵を凌駕するウリピネノルフォルダル公爵が拳を作ったので、王子の盾になるべく庇うようにした。
「王子。なぜ、ここへ」
「ん? ……ジアノール?」
「ジアノール……ですか?」
 汚れない瞳のように見せかけて、ぎらついた性欲を含んだ瞳から目を逸らし、イズカニディ伯爵は周囲を見回す。いつ、いかなる時もオーランドリス伯爵の近くにいる、元僭主の姿が見えないことに気付き、
「ミーリミディア……もしかして……」
「なによ。やだ、邪推しないでよ、オランベルセ」
 ジアノールの祖先と因縁があるウリピネノルフォルダル公爵を凝視する。”消したのか”という眼差しで。
「相変わらず、ひどい男だなあ」
 そう言いながらイズカニディ伯爵を背後から抱きしめたのは、元婚約者のマニーシュラカ。
「相変わらずって、お前……エゼンジェリスタ、学校は?」
 前と後ろから体を固定されているイズカニディ伯爵は、必死の思いで体をずらし、居るとは思っていなかったエゼンジェリスタに声をかける。
「あ、あの。カーサーの見合いに立ち会おうと」
「俺もだ。同じだな」
「そ、そうなのかえ! 同じ考えというのは、なんか嬉しいのう」
 イルトリヒーティー大公は額に手を当てて、溜息をつきながら首を振る。彼にはこの事態を収拾させる手段は思いつかなかった。

―― 見合いしないと駄目なんじゃないかなあ

 部屋の主にして、危険人物を一堂に会させてしまったオーランドリス伯爵は、自分の見合いの心配をしつつも、裸のままイズカニディ伯爵に手を振った。

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