裏切り者の帰還[30]
「ん〜」
 目覚めたエゼンジェリスタは、慣れたベッドの上で両手を頭上に伸ばしていた。
「目覚めましたか」
「はい」
 エゼンジェリスタはベッドから降りて返事をする。
「ゲルディバーダ公爵殿下から連絡があった。話をしたいとのことだ」
 連絡があったことを告げられる。
 一緒に手渡された一枚の紙には、三時間ほど前に連絡が来たことが記されていた。

「お世話になりました」

 エゼンジェリスタは事務室へと向かい、長距離専用通信機の使用許可申請書類に記入しようとしたところ、顔見知りの事務員に声をかけられた。
「シュルティグランチ公爵、総長が部屋のほうでお待ちです」
 総長とは上級士官学校の総責任者で、基本皇太子が就く役職。
「そうかえ」
 現総長も皇太子で、エゼンジェリスタの正式な夫でもある人物。
 事務室の奥にある総長室へ、エゼンジェリスタは急いだ。
 学内にいる間は、長距離通信機の使用は許可申請が必要で、書類を記入し提出、数名の職員と総長のサインが必要となる。
「シュルティグランチで御座います」
 扉を自ら開き、中へと入ると皇太子が書類から視線を上げて、近付くように手招きをする。エゼンジェリスタは一礼してから近付き、渡された万年筆と皇太子のサインが書かれた申請書を目の前に出された。
「ここにサインを」
「はい」
 エゼンジェリスタが丁寧に署名している最中に皇太子は立ち上がり、
「少々席を外す。通信機はこの部屋にあるものを使いなさい」
「はい」
「戻って来るまで、しばらく時間がかかる。申請書なしで通信しても問題はない」
「……」
 部下を連れて部屋を出る。一人残されたエゼンジェリスタは、記入した申請書を両手で持ち逡巡するも、頭を大きく振って、
「そんな考えは駄目なのじゃ!」
 総長の大きな机に申請書を叩き付けるようにして乗せ、隣室の通信室へと飛び込んだ。

 そこには帝国軍との通信用コードが、皇太子によって書かれたメモが置かれている。
 皇太子が帝国軍の状況に注意を払うのは普通のこと。
「リディッシュの直通……」
 皇太子と仲の良かったイズカニディ伯爵の直通コードがあるのもおかしくはない。
 エゼンジェリスタは先程と同じく頭を振り、
「通信局。ケシュマリスタ王太子に急いで繋ぐのじゃ!」
 誘惑を打ち払った。
 彼女は遠征に従ったイズカニディ伯爵のことを心配しているが、通信は一切入れていない。学校にいる間は夫である総長に許可申請する必要があり、休みに大宮殿に戻った時には皇帝に遠慮してやはり連絡を取ることができないでいた。

 本心では頻繁に近況を聞きたいのだが ――

「お待たせしたのう」
 王太子を映し出すには少々小さめの画面に現れた《皇帝》の容姿を持つケシュマリスタ王族を見て笑顔が零れる。
『すっごい待った。もう!』
 イズカニディ伯爵のことは「大好き」だがゲルディバーダ公爵のこともかなり大好きであった。我が儘気ままで、少々性格はよろしくないが、何とも言えぬ魅力があった。
『仕方ないのじゃよ。儂はまた実技試験で死にかけておったのじゃあ』
 帝星と王星は基本時間の流れは同じ。
 ゲルディバーダ公爵は授業が終わる時間に合わせて連絡を入れたのだが、取り次いでもらえず、側近たちに八つ当たりしながら菓子を暴食していた。
「大丈夫なの?」
 取り次いでもらえなかったのは、エゼンジェリスタが怪我で意識を失い医務室に運び込まれたため。
 エゼンジェリスタは実技では怪我をすることが多く、寮のベッドと同程度、医務室のベッドにお世話になっている。
「おう。ただ単位は……」
 医務室に運ばれた時点で、本日の授業から脱落。単位は得られない。
『追試受けないと駄目なんでしょ! こんなところで話してていい……の?』
 そのような生徒のために、日々追試を行っており、その日のうちに落とした単位をフォローするのが”基本”でもある。
「話していいに決まっておるじゃろうが。どうしたのじゃ? グレス」
 単位取得計画を脳裏に描いたエゼンジェリスタは、少々泣きそうになったが”できるのじゃ!”と自分に言い聞かせ、ゲルディバーダ公爵に理由を尋ねた。
『別に大したことじゃないんだよ! 結婚式典が終わったら話をしたいなって。イグニアやカーサーも一緒に。二人の予定を合わせるのは簡単だけど、君は学生だからさあ。君に合わせてあげようかなと』
「そういう事ならば。学校が休みの日ならいつでもよいぞ」
『追試は?』
 休日も追試は行われている。
「……だ、大丈夫じゃ! が、頑張る故に、儂の追試についてなぞ、心配する必要はないぞ! 主の心眼はもっと大きな世界を見るべきじゃ!」
 休日に実技関係の追試を大量にこなす必要があるのだが、
『じゃあ気にせずに呼び出すからねー。覚悟しておいてよ』
 ゲルディバーダ公爵に会うことのほうが大事だと、普通授業で合格できるよう、今以上に努力せねばと決意を新たにする。
「おう!」
 むろん普段も手抜きなど一切していないのだが、実技は彼女にとって強敵であった。
『あのさ、エゼンジェリスタ』
「なんじゃ?」
『君のパパ、僕のゾローデの後見人養父になったの知ってる?』
「知らんが。父上さまがのう……儂は侯ヴィオーヴの便宜上、姉ということかえ?」
 後見人養父の実子は優先されるべき存在なので、年長者を重んじる帝国においては、年齢は関係無く「姉」あるいは「兄」とされる。
『うん』
 ゾローデは知らぬ間に年下の姉を二人も持ち、皇太子の義理の弟 ―― クレスタークと同じ立場 ―― になっていた。
「そ、そうか。ということは、主の姉でもあるということか!」
『うん。君って年上の妹ばっかりだね』
 皇太子には妹が一人おり、年齢はエゼンジェリスタよりも十歳年上で二十四歳を数える。
「そうじゃのう」
『ねえねえ、それでさ』
「なんじゃい?」
『カーサーの婿リストにオランベルセ見つけたんだけど、どういうこと?』
「知らぬのじゃ」
 出来ればそれは忘れたい ―― 思っていただけなので、指摘されて悪態をつくような真似などはしないが、会えない日々と相俟ってエゼンジェリスタの心に重くのし掛かってくる。
『オランベルセは除外してって、ちゃんとカーサーに言うんだよ』
「いや、それは……」
―― 皇太子妃としては言えぬのじゃ……
 小さな呟きを漏らす。
『君は教えてあげないと、変な我慢するからねー。君に連絡入れる前に、カーサーに僕のゾローデを守るように連絡入れたんだ。その際にねえ、カーサーにリストからどうやって一人選ぶの? って聞いたら、なんて言ったと思う?』
「分からん」
『答えて! ほら、ほら。答えて!』
「分かった。カーサーが言いそうなことじゃろう……”自分よりも強い相手を拳で選ぶ”かえ?」
『いかにもエヴェドリットらしいけれど、カーサーらしくはないよね。あとさ、その条件で選ぶとオランベルセがリストのトップに躍り出るよ』
「あああ!」
『なに打ち拉がれてるんだよ、エゼンジェリスタ』
 本決まりでもないのに彼女は机に俯せになり”いやいや”とばかりに頭を振る。
「気にせんでくれ……」
 ”情けない顔を晒すことになるな”思いながら面を上げて、連絡してくれたゲルディバーダ公爵に答える。
『他には思い付かない?』
 正面から”言わなきゃ駄目だよ”といってくれるのはゲルディバーダ公爵だけ。普通では不倫を唆しているようなものなので、言わないほうが当然のこと。エゼンジェリスタも良く解っている。
 だがゲルディバーダ公爵だけは別であった。―― 暫定皇太子の策略だと思って聞けばいいんだよ ―― 皇太子妃に不倫を勧めていることになるのじゃぞとエゼンジェリスタが諭した時、ゲルディバーダ公爵はそのように言ってきた。
「カーサーらしくないかえ……では”機動装甲で良い勝負が出来る相手”ではどうじゃ?」
 ゲルディバーダ公爵が皇太子を追い落とそうとしていないことは分かっているが、誰かが皇太子を排除しようとした時、彼を守るために真先に動くのがゲルディバーダ公爵であることをエゼンジェリスタは感じ取っていた。
 確かめたわけではなく、はっきりと言葉を貰ったわけでもないが ――
『リストに帝国騎士いないし、それだと君のパパが候補に挙がっちゃうよ』
「あああ!」
 皇太子の執務室の一つでそんな感情に浸っていたエゼンジェリスタを、ゲルディバーダ公爵は楽しそうにからかう。
『もう、面白いなあ。君は』
「お、教えてくれい」
『いいよ! あのさ、リストの男と寝て妊娠する。その胎児の父親と結婚するんだって! カーサーらしいよね』
 子孫を作ることを最優先にする貴族らしい選び方とも言えるが、
「た、確かにカーサーらしいが……それでいいのかえ?」
 初恋と責任感の狭間で揺れる大貴族の姫君は、効率良いとは解っていても、友人には取って欲しくない行動であった。
『わかんないけど、カーサーの意志がそれだから。しっかりと”オランベルセは除外してほしい”ことを言わないと、大変なことになるよ』
「う……」
 告げれば「わかった」と無理じいなどしないことは、エゼンジェリスタも分かっている。
『選考方法を聞いたジャセルセルセは”除外お願いします!”って頼んできたよ』
「…………」
『ちゃんと言わなきゃ駄目だよ。会戦始まる前に教えてあげたんだから。覚悟決めて、しっかりと言うんだよ』
「教えてくれてありがとう……なのじゃ」
『覚悟を決めた君は逃げないもんね。信用してるよ』
「おう! あのな、グレスや」
『なあに?』
「お主のところに、テルロバールノルの家奴おるじゃろう? キャスがいつも言っておる給仕の」
『ノーツのこと?』
「そうじゃ」
『僕のお供をさせるんだ! 見る?』
「会いたいのう。それでな、儂から主への結婚祝いの一つとして、その家奴の嫁を用意してやりたいのじゃが」
『……ああ! そっか。ノーツもそういうお年頃だったね』
「我が家に十九歳になるカイがおる。トートフカイという家奴でのう。中々に気の利く、さっぱりとした気性の家奴なのじゃ」
 ”カイ”とは家奴の始祖ともいえる奴隷の名で、テルロバールノル王と親交があった奴隷の子孫で、ローグ公爵に預けられた。
 親交があった奴隷は”ロレン”といい、三十七代皇帝のたった一人の后、皇后ロガと仲がよかった少年。それが数百年の時を経てローグ公爵に引き取られた結果、
『……』
 他国の家奴とは一線を画する家奴となった。
 家奴は生まれながら家奴ではない。カイの子孫たちも同じで、家奴教育を施され試験に合格し家奴になって初めて「生来の名」に「カイ」を付けられ認められる。
 トートフカイは元は「トートフ」という名で、試験に合格して「トートフカイ」となった。
 奴隷は苗字を持たぬし、名を繋ぐのはエヴェドリット貴族の血を引いているものに限るため、単純に名に「カイ」を足す形となっている。
「どうしたのじゃ?」
『すっごい嬉しいんだけどさあ……』
 奴隷はそれが財産の一つなので他国にくれてやることは滅多にない。それが家奴のカイであれば尚更のこと。ノーツは元はテルロバールノルの奴隷なので、それらの障壁は低い。
「無理にとは言わぬよ。ノーツはお気に入りなのじゃなあ」
 ほとんどの我が儘を即座に叶えることができるゲルディバーダ公爵でも、容易に手に入れることができない家奴を”くれる”と。エゼンジェリスタの性格が良いことも、準備された家奴も本当に問題がないことも分かっているが、
『ご、ごめん……カイをお嫁さんにできたら、ノーツにも良いことなんだけど……僕、ノーツのこと好きだとかじゃなくてさ……』
 なんとなく嫌であった。
 エゼンジェリスタはゲルディバーダ公爵の表情を見て”王が贈り物としてノーツの嫁を用意しなかったのは、こういうことか。さすが王じゃ”疑問が氷解した。
 ジベルボート伯爵からノーツの周囲には女性がいないと聞き、また王の元には年の頃もあう女性のカイが数名存在していたので ―― 自分が気付くことは王も気付き、熟考した上で止めたのだと。
「分かるわい。嫉妬とはそういうものじゃ」
 奴隷は繁殖も必要だが、主の気分を損ねないことが何よりも重要。ここで正論で押し、結果ノーツが不興を買うのはエゼンジェリスタの本意ではない。
『ほ、本当にありがとうね! そのトートフには飛びっきりの家奴を用意してやってね』
「主のノーツほどの家奴かえ? それは約束できぬなあ。王が褒める程の家奴じゃからして」
『じゃあ、ノーツほどじゃなくていいよ』
「分かった。儂らの王に頼んでみる」
『ねえねえ、エゼンジェリスタ。話は変わるけれど”二十九人目の婚約者候補”になったらどうするの?』

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