裏切り者の帰還[29]
 ノーツはティスレーネとの付き合いは長いので、どのような返答を求めているのかも分かっている。
 他者を困らせることを得意とし、また好むティスレーネだが、困らせる相手は選ぶ。
 ティスレーネが純粋に困らせるのは権力を所持している相手。例を挙げるとすると大皇ナイトヒュスカやロヴィニアのギディスタイルプフ公爵など。ティスレーネがどれ程責めても、生命の危機に瀕することなどない強権の持ち主のみ。
 権力を持たぬ相手を困らせるようなことはしない。殺すことはあるが ――
「答えになるかどうかは分かりませんが、わたくしの立場からすると嫌です」
 殺害することを決めている場合はノーツに尋ねたりはしない。有り触れた道徳心を持つノーツが困惑することを知っているからだ。
「やっぱり駄目?」
 わざわざノーツに聞きに来た。それが意味するのは、
「王太子殿下は殺す側。わたくしは殺される側。殺される側からしますと、嫌ですね。侯ヴィオーヴ殿下がわたくしに嫉妬しないとも限りませんので。ご婚約が決まって以来、日々戦々恐々として過ごしているわたくしには、侯ヴィオーヴ殿下の過去の女性の気持ちがよく分かるのです」
 殺さないほうがいいと、言って欲しいため。
「そっかー。じゃあプーに一任しちゃおう」
「ギディスタイルプフ公爵殿下でしたら、それなりに処理してくださることでしょう」
 ノーツは現ロヴィニア王の子の中で、最も優れた王子であるギディスタイルプフ公爵のことを良く知っている。ティスレーネの夫は彼以外はないだろうと ―― 誰もが本命は彼であると思っていた。
 ただ一つの問題を上げるとしたら、ロヴィニア王があまり乗り気ではないこと。
 ロヴィニア伝統の容姿 ―― 高山に降った新雪が、冷たい太陽の光を浴びて輝いたかのような白銀の髪。整い鋭さが顕著ながらも、どこか人に好意を抱かせる顔つき ―― を持ち、才能溢れ冷静で「冷徹」なこの息子を気に入っていた。
 エヴェドリット王とは違い、最後から二番目の息子を王に添えようとは考えてはいないが、国外に婿にくれてやるのは惜しいと。前述のエヴェドリット王には第二子にして第一王女を、テルロバールノル王には第五子にして第三王子を送ったが、この息子は手元に置きたいと常々考えていた。
 長男であり王太子である第一王子は、優れた弟を持つ兄としては当然の警戒を持っている。”自分を排除して王の座を狙うのではないか”
 だからといってケシュマリスタ王太子の婿になることを切望していたか? というと、そうではない。自分の地位を脅かす相手の実力は理解している。即ち、どこか他の国に属したら大変なことになる。
 帝国で出世し、ロヴィニアから出ていかない ―― それが王や兄王太子の希望。ゾローデとティスレーネの結婚は”ロヴィニアの希望”にかなり近かった。

 当のギディスタイルプフ公爵の意志はどうなのか? 

「そうだよね。ねえ、ねえ、ノーツ」
 ノーツには分からなかった。年に二度ほど大量の土産を持参し、ティスレーネの元を訪れる王子。話などをしたことはない。
「はい」
「一緒に帝星に行こう! 僕とゾローデの結婚式典があるからさ」
「ですが……」
「行くの! ネロの代わりってことで」
「わたくしには、シラルーロ子爵閣下の代理役など務まりません」
「誰でも務まらないから気にしなくていいよ。僕が連れて行くって決めたんだよ」
「拒否するのではなく……その、痴がましいのですが、シラルーロ子爵閣下の代理というのだけは……」
「嘘に決まってるじゃない。君は君として連れて行くんだよ。ゾローデにも紹介したいしさ。みんなにゾローデには言わないようにって命じたから、ゾローデはノーツのこと知らないんだ。きっとびっくりするよ」
「然様ですか。ではそれ用の挨拶を考えておきます」
「うん。ノーツは帝星に行くの初めてだよね」
「はい。物心つく前に王星ソイシカに来てから、一度も離れたことはありません」
 ノーツは生まれはテルロバールノル王国だが、当人が言う通り物心つく前にケシュマリスタ主星に連れて来られ、以来ずっとここに居る。
 奴隷としては珍しいことではないが、彼の主人はテルロバールノル王領に連れ戻されたことがあった。その時彼は同行しなかった。テルロバールノル王から直々にティスレーネの側にいることを命じられたために。
 ノーツにとって主人はやはりシラルーロ子爵だが、ティスレーネもまた主人であった。
「そーなんだ。じゃあ僕の新婚旅行に同行させてあげるね」
「わたくしは外に出たことがないので、あまりお役に立てないと思いますが」
「気にする必要ないよ。ゾローデの側近にナジュがいるから」
「ナジュ……フィラメンティアングス公爵グレイナドア殿下ですか?」
 ギディスタイルプフ公爵に”ナジュ”と愛称を付けられて、それなりに可愛がられている弟グレイナドア。彼の並外れた行動はノーツも聞いている。
 情報源は目の前で楽しそうに話しているティスレーネ。
 ケシュマリスタ王はティスレーネが事故に遭遇することを病的なまでに恐れ、その結果ティスレーネは行動を極端に制限されている。
 そんなティスレーネのために、お気に入りの部下であるジベルボート伯爵や他のケシュマリスタ貴族などが、様々な情報を仕入れ報告し、会話に花を咲かせる。主にそれはゴシップだが、ケシュマリスタ女たちはそれらが大好きであった。
 情報を持ち寄る者たちの中でフィラメンティアングス公爵関係の話題を得意とするのは、エダ公爵家の姫マニーシュラカ。
 なにせ元婚約者に強烈に言い寄る王子 ――
 婚約破棄の経緯が特殊で、それに少々の罪悪感を覚えているイズカニディ伯爵は、元婚約者であるマニーシュラカに「グレスさまが新しいお話を希望しているのだよ」言われると、フィラメンティアングス公爵の尊厳を損なわない程度には教える。
 その”損なわない程度”なのだが、イズカニディ伯爵は慣れで麻痺してきており、初めて聞いた相手が「え?」となるようなことも漏らすようになっている。
 女だけが集まって、噂話に花を咲かせるその場所。
 給仕が当然必要になるのだが、普通の給仕では務まらない。よってティスレーネのお気に入りであり、ケシュマリスタ王も信頼しているノーツが選ばれた。
 噂話の為の会場を幾つも用意し、客室の手配や伴ってきた部下たちの為の召使いを手配し、好みの飲み物から菓子。軽食用の花の準備。気象状況の確認に、かつては「自然現象」と呼ばれた虹、ダイヤモンドダスト、オーロラ、グリーンフラッシュ等も「出せ」といわれたらすぐさま見せられるように材料を用意すること、全てノーツに任せられていた。
 
 他の人が用意して失敗があった場合は、死ぬより酷い目に遭うためだ ――

 ノーツは有能で失敗したこともない。一般的には大きな失敗をしたことは何度もあったが、ティスレーネが「それ、失敗じゃない」と言ったので、彼は一度も失敗をしていないことになっている。
「そうだよ。頭良い馬鹿だけど、旅行の手はずとかは得意だから。それにジャセルセルセも居るし」
 幸いというべきか、当然というべきか、ノーツは彼女たちの接客をしているが女性嫌いではない。それというのも彼は自分が属する階級の女性と、王太子に面会がかなう女性たちは別ものだとはっきり理解しているので、拒否感が生まれることはなかった。
 ただ悪いことに、子供の頃から美しい人たちばかりを見てきたせいで、どのような女性を見ても美しいと感じることはない。
 男性に関しても同じこと。なにを見ても驚くということはない ―― ソイシカ星においては。
「それでしたら」
「楽しみだなあ。ゾローデの故郷」
「侯ヴィオーヴ殿下の故郷はどちらで?」
 王太子の婿のことは当然知っておくべきだが、それらに関する情報がまだ届いていないので彼は待っていた。
「ルド星だって」
「どちら……ですか?」
「皇帝領の端っこで、普通の爵位貴族が支配してた区域」
 帝国には三種類の貴族が存在する。
 一つは家名持ち爵位貴族。一般的には上級貴族といわれ、開祖が各国の王に直接仕えていた者たちの子孫。ケシュマリスタ王国は人造人間であることも必須条件。
 二つ目が家名を持たない爵位貴族。上記貴族の配下の配下近辺にいた者たちに与えられた爵位。
 ケシュマリスタの場合は人造人間ではないが、彼らの配下として働いた人間たちに与えられた。
 三つめに該当するのが下級貴族。ゾローデの父親の地位で、爵位は所持しておらず、貴族というよりは平民に近いような存在。
「ああ。家名を持たぬ貴族に任せた領地ですか」
 家奴は上級貴族に仕える奴隷で、上級貴族以外は貴族と見なさないので、それらの領地を知らなくても問題はない。
 帝国で確実に記憶しているのは、クレスタークに「貴族王」とからかわれていたヒュリアネデキュア公爵くらいのもの。
 彼にとって貴族はテルロバールノル貴族だけで、後は「貴族と名乗っている輩」程度扱い。家名持ちの上級も家名無しの爵位貴族も大差はない。選民意識の持ち主は、選民であるための努力を惜しまない。ある意味、本当の選民と言えよう。
「うん。僭主の末裔だから、そっちに逃げるよね」
「僭主の末裔でいらっしゃったのですか」
「そうなの! 凄いでしょ!」
「ええ。あの、どちらの末裔かお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ララシュアラファークフ」
「それはそれは。とてもお美しい方の子孫なのですね……ということは、ローグ公爵家とも縁続きに?」
 普通「僭主」は皇統から見た系譜で表される。ララシュアラファークフは「皇室からすると」ケシュマリスタ王の子孫として数えられる。もちろんこれが正式なものだが、各国には彼ら独自の系譜が存在する。
 ヒュリアネデキュア公爵が語った通り、ゾローデと公爵は古い血で繋がっている。
 ノーツはテルロバールノル貴族の家奴。
 テルロバールノル貴族といえばローグ公爵。彼の記憶にない故郷だが、系譜はしっかりと覚えていた。
「…………」
 言われたティスレーネは頬を膨らませ、目を見開く。
「ど、どうなさいました?」
「あーそっかー。気付いてなかった。だからゾローデの後見人としてエゼンジェリスタのパパが選ばれたのか」
 ケシュマリスタ僭主として数えられるララシュアラファークフ。
 ケシュマリスタ王太子のティスレーネは自分の側からしか見ておらず、後見人の名を見て不思議に思ったものの、
「お聞きになればよろしかったのに」
「次期ローグ公爵の座を確実なものにするための人選だろうと思ったの」
 帝国の現状を確りと見ている彼女は、理由に簡単に辿り着いたので、誰かに尋ねることはなかった。
 現ローグ公爵と一人息子であるヒュリアネデキュア公爵は不仲。彼以外の者にローグ公爵家を継がせたいと当主は考えているが、ヒュリアネデキュア公爵はテルロバールノル王の覚えが良く、殺すには遠い場所で強くもあるので手が出せない状態。
 唯一他国がローグ公爵家の問題に首を突っ込んでこないことが救いだったのだが、千五百年の時を経て後ろ盾を持たぬ「親戚」が王太子の婿に選ばれ、ケシュマリスタ王婿と強固な繋がりを持つこととなった。
 帝国誕生以前より貴族であり、当時の血縁をも優遇するローグ公爵家にとって千五百年は”最近”だが、確実に血の繋がりがあることも否定できない。
「名門だからだから、特に疑問に感じなかった。他の貴族が王太子婿の後見人であり養父なんて立場に選出されたらびっくりするけど、エゼンジェリスタのパパだったらねえ」
「ヅミニア伯爵閣下に対しての配慮もあるのでしょうか」
 ヒュリアネデキュア公爵の妻はケシュマリスタの名門ヅミニア伯爵。
 子供が二人出来て以来、戦争を理由にされて公爵とは会えないでいるヅミニア伯爵だが、彼女は公爵と離婚するつもりはない。
「そうだね。これでヅミニアはエゼンジェリスタのパパと離婚させられることはないって、安心できただろうね。良かった、良かった」
 だが離婚するつもりがなくとも、離婚させられてしまうのが貴族。だから彼女は強力な契約を欲しがった。彼と別れない為の”なにか”を。
 後見人には幾つか種類があり、そのうちの一つが養父と養母。
 確認された血の源流に最も近いローグ公爵家が選ばれるのは当然だが、ローグ公爵ではなくヒュリアネデキュア公爵が選ばれたのは、養母がケシュマリスタ貴族であったことが大きい。
 後見人としての養父は結婚しており、実子がいることも条件となる。
「テルロバールノル王が命じたのでしょうか?」
「自分から僭主の末裔の後見人になりたいって言うような人に見える?」
「見たことはありませんが、言わないと思います」
 王が命じた以上、ローグ公爵もヒュリアネデキュア公爵も離婚話を表立ってすることはできず、離婚を望まないヅミニア伯爵は次のケシュマリスタ王に忠誠を誓う。
「そっか、見たことないんだ。帝星に行ったら、見せてあげるね。エゼンジェリスタのパパ。テルロバールノルの家奴なら一度は会っておくべきだよね!」
「あ……はい」

 ノーツはその日から、帝星に到着するその日まで、ローグ公爵家の歴史を学ぶことに没頭した。

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