裏切り者の帰還[31]
「それのう……じゃが行かぬわけにも」
 エゼンジェリスタにはテルロバールノル王が遣わしてくれた側近が一名いる。デーケゼン公爵ヒルグブレディネという二十三歳の女性。
 若くして家督を継ぎ、周囲に頼れる者がいなかった彼女のことを、テルロバールノル王はしっかりと守ってやった。
 もとより軍人が多い家系であったので、王は士官学校に入ることを命じ、彼女はその期待に応えて「王国」の上級士官学校に十二歳で入学を果たす。
 十八歳で卒業後、二年ほど王の元で経験を積み、皇太子妃の側近として帝星へと派遣された。
『正直、どうするの?』
 エゼンジェリスタは王より遣わされた九つ年上の貴族女性に、すぐに懐きはしなかった。デーケゼン公爵家というのはテルロバールノルの名門貴族の一つなのだが ―― ローグ公爵家は別格 ―― 三十一番目の終わりの時には僭主側付いた過去があり、また平定後まもなく簒奪を企てたこともあったので、エゼンジェリスタは心を許すことができなかった。
 皇太子やイズカニディ伯爵、王の妹であるエリザベーデルニ王女などが、ローグ公女らしい彼女の態度を褒めながら、間を取り持った。もともと性格は悪くないエゼンジェリスタは、ヒルグブレディネの人となりを理解し、徐々に仲を深めてゆき、三年経った現在では主従として成り立っている。
「まだ死んだわけではないからな! 今度こそは」
『今回死んだら、イディスケイドル王子と婚約だっけ?』
 エゼンジェリスタには及ばぬものの、名門貴族の当主であるヒルグブレディネはいまだ独身。

 独身の理由は”婚約者に死なれる”というもの

 名門貴族の跡継ぎらしく、彼女が生まれる前に親が三歳年上の貴族と婚約を結んだが、その少年は彼女が生まれると前後して事故死。
 まだこれは一人目であったので、誰もなにも感じなかったのだが……十人目の婚約者が戦死した辺りで「ヒルグブレディネと婚約すると死ぬ」という噂が立った。
 だが十人中八人が軍人で戦死したものであり、戦死を彼女の責任にするのはおかしかろうと。そのような噂が立ったこともあり、十一人目は文官が選ばれた ―― 選ばれた翌日、彼は突然変異致死という人造人間特有の病を発症し、三日後にはヒルグブレディネの元婚約者として、死者リストに名を連ねた。
 十一人目の青年が死んだのはヒルグブレディネが十六歳の頃。
 彼女自身恐怖を感じ、結婚を諦めることにした。
 そして結婚を諦めるということは、貴族としての責務も果たせない。よって家督も遠縁の女性に譲ることをテルロバールノル王に頼んだ。
 十二人目となると尻込みする男も多く、だがデーケゼン公爵家を潰すのも忍びないと王は許可を出した。
 ヒルグブレディネからデーケゼン公爵家を託された女性は二十八歳で、夫との間に五人の子供がいたのだが、翌年、デーケゼン公爵家はヒルグブレディネの元へと戻って来た。
「死に絶えた。デーケゼン公爵家はお前以外を当主とは認めぬようじゃ」
 王に呼び出されたヒルグブレディネは昨年手放した爵位を、再度受け取ることとなる。彼女は自分の代でデーケゼン公爵家を終わらせようと考え、また彼女と釣り合いが取れる貴族も息子を婿に出すことを拒否する。
 それを狙い目だと考えた者たちがいた。
 名門というほどではないが家名持ち貴族の家督を継げない息子。うまく婿の座に収まれたら勝者。死んでも失うものはなにもない ――
 テルロバールノル王は釣り合い取れぬ、勇気があるのか? 無謀なのか? 恐らく後者であろう貴族の子弟たちに「確りと一年半の婚約期間をおくこと」を条件として許可を与えた。

 そしてヒルグブレディネが卒業したとき、十九人目の婚約者が死んだ。

 ここまでくると、さすがのテルロバールノル王もデーケゼン公爵家を取り潰すしかないのか? と考えるに至った。
 そして十九人目と二十人目の間の「知られていない」婚約者が死亡する。
 十八歳になったばかりの女性の婚約者が十九人も死んでいる。それも人には分からぬ力で ―― 不可思議な力を信じない帝国宰相が「ならば最も堅牢な場所で守られている、全てのテルロバールノル貴族を従わせた存在で試してみよう」と、帝星で前テルロバールノル王と婚約を勝手に、だが正式に成立させた。

 長きにわたり帝国宰相の座についている彼の権力を持ってすれば、このような悪趣味な悪戯も可能であった。

 現テルロバールノル王は先代王を幽閉しただけで殺害はしておらず、他にも無能故に幽閉したイディスケイドル王子やディディンフェル王子と連絡を取れぬよう、徹底した警備の元、生かしていた。
 そして先代王は死ぬ。
 十一年間も幽閉されていたので”偶然”と見るべきなのだろうが、
「俺を婚約者候補にしないでくれよ」
「誰が貴様なぞ。このことはヒルグブレディネには言うでないぞ、帝国宰相。それと、貴様が嫌いな相手と勝手に婚約を結ばせるでないぞ」
 テルロバールノル王は伏せることにした。
 先代王の死に関しては哀しみなどはなかったが、当人が悪くないのに次々と婚約者に先立たれるヒルグブレディネが可哀想で仕方なかった。

 だが何もしてやることはできない。

「それには触れんでくれい……」
 それから五年で九人の婚約者が死亡した。死因は戦死が三名に事故死が二名。病死が一名で、原因不明の変死が三名。
 上記九名はうまく大貴族の夫の座に収まろうと考えていた打算的な者たちではなく ―― 全員ヒルグブレディネを救おうという使命に燃えての立候補者。
 王が大事なローグ公女の側近として送るのだから、彼女は有能で性格も善い。愛していたわけではないものの、婚約者に死なれ過ぎて笑顔はほとんどないが表情は穏やか。
 見た目は繊細で、系統としてはジベルボート伯爵のような線が細い美女。
 儚く微笑むような仕草が男の庇護欲をかき立てる ―― 本人は見た目とは違い、かなり確りとした女性だが。
 テルロバールノル王もこれ以上彼女の名誉を傷つけるわけにはいかないと、三十人目に自分のどうしようもない弟王子二人のうち、まだマシなイディスケイドル王子との婚約させることにした。
 王子が死んでもテルロバールノル王は彼女と王子の結婚式を執り行い、結婚したことにすると決めたのだ。
 こうすることでデーケゼン公爵家を王家に吸収すると。

 エゼンジェリスタは解決策は思い浮かばないのだが、ヒルグブレディネがこれ以上不幸になるのは嫌であった。
 ヒルグブレディネの婚約者は、婚約後誰一人として前線から戻って来たことはない。
 二十九人目の婚約者、ユセトラカーが帰って来ることを、イズカニディ伯爵の無事と同じくらい……いやさすがにイズカニディ伯爵にむける気持ちには劣るが、エゼンジェリスタは祈っていた。

『分かった。時間取らせたね。追試がんば――』
「グレスや」
『なに?』
「儂はローグ公爵家を継ぐものではないが、ローグ公爵家の一員として主ら夫妻を影ながら支えて行く故に……頼ってもらえるよう、これからより一層勉学に励む。だから一人で抱え込むようなことはするでないぞ。儂は主の義理姉さまじゃからな」
『ありがと、エゼンジェリスタ。僕、君みたいな子、大好き』
「儂も好きじゃよ」
『ねえ、エゼンジェリスタ』
「なんじゃ?」
『君が悪人になる必要はないんだよ。彼が決断を下したっていいんだ。そうしない彼が悪いんだよ。じゃあね!』
 通信が切られ画面が消える。
 静まりかえった部屋と右手に触れたメモ。皇太子が”イズカニディ伯爵に連絡を取りなさいと”置いていったメモ。
「……」
 エゼンジェリスタはメモを持ち、まだ誰も帰ってきていない執務室へとゆき、申請許可書に記入した万年筆を手に取り、

―― リディッシュによろしく伝えておいてください ――

 記入しメモを残して部屋を出た。
 事務室を出て、廊下の窓から外を眺める。美しい黄昏に眩しくはないのだが眼を細め、寮へ戻ろうと歩きだすと、
「セイニー。夕食の用意に行こう」
 同級生が駆け寄って来た。
「あ! わざわざ呼びに来てくれたのかえ? ロメレス。済まんのう」
「済まないなど必要ありません! さあ! 行きましょう。私達の夕飯のために!」

**********


「久しぶりだな、オランベルセ」
「お久しぶりです、クレスターク」
 イズカニディ伯爵がクレスタークの元を訪れたのは、戦闘終了となってからすぐの事。また異星人が引き返してこないかどうか? 警戒態勢が敷かれた状態の最中。
「どうした? そんな深刻な面持ちで」
 このような時期に面会を希望するようなイズカニディ伯爵ではない。だがこうして申し込んできた。余程の事情があるのだろうと、クレスタークは第八格納庫調整室ですぐに会うと連絡を入れて、搭乗用スーツを着用したまま待っていたのだ。
「折り入ってお話が」
「なんだ? エゼンジェリスタを妊娠でもさせたか?」
「そんなことしておりませんって……」
 ”はいはい、言われると思っていましたがね”という内心がだだ漏れしてくる、半眼半口(牙がのぞいている)状態のイズカニディ伯爵に、
「分かってるって。お前がそんなこと出来る性格じゃないってことは、俺もハンヴェルもよく分かってる」
 座れと眼で合図して、クレスタークは腰を降ろして、すぐにその長い脚を組む。
「あ、はい。それで話というのはエゼンジェリスタのことではなく、アーシュのことです」
 イズカニディ伯爵は指示に従って腰を降ろす。
「ラスカティアがどうした?」
「クレスタークはラスカティアのことを”当人以上に”ご存じですよね?」
「さあ? お前のことを性的に気に入ってるのは知っているが。そっち方面の話か?」
「はい」
「遂に裸で迫られでもしたか?」
「いえ、そうではなくて……クレスタークはやはり、アーシュが抱かれる側であることはご存じで?」
「まあ、そりゃあなあ。どう見てもアレはなあ。それで、自覚無しだったラスカティアが、やっと自覚したのか?」
「いいえ。自覚はしていないのですが、アーシュに気に入った相手ができました」
「そりゃあ目出度いな。でもその相手が問題なんだな? ゾローデじゃあないんだろ?」
「ゾローデのことも結構気に入っていますが、その上を行く相手が。もちろんアーシュは気付いていません」
「ほう。誰だ?」
「ウエルダ・マローネクス少尉です」
 ”クレスターク卿でも驚くのだなあ”
 イズカニディ伯爵はいつも飄々としている、どんなことがあろうとも驚くことなどないとばかり思っていた相手が、確かに”驚いている”のを見て、事態の深刻さを更に実感した。
「…………そりゃ、諦めてもらうしかないな。どんな手を使っても。それに関しては俺がどうにかしておくから、後は心配するな。どうしても心配なら少尉にラスカティアも避けるような女をあてがえ」
「キャスに負けず、アーシュに腕力で勝てる女性ですか? 存在しないとは言いませんが、ウエルダの精神にも負担が」
 その両方を兼ね備えて性格が良い女性など”いない”と、イズカニディ伯爵は力強く断言できる。
「お前の元婚約者はどうだ」
「アーシュに襲われたほうがマシです」
 クレスタークの笑いに首を振って、必死に否定する。元婚約者マニーシュラカの才能と美しさは認めるが、それを他人に勧めるなどイズカニディ伯爵にはできない。
「だなあ。……少尉のことは心配するな、俺とハンヴェルでなんとかする。それで、お前エゼンジェリスタとはどうなった?」
「なにも」
「そうかい。ところで、エゼンジェリスタが皇太子妃の座を降りたら、お前結婚する気あるのか?」
 口元は笑っているが真剣な眼差しを前にして、イズカニディ伯爵は普段は見せない「口を開く」
「あります」
「逃げたりしない?」
「しません」
「そうか。信頼してるぜ、オランベルセ」

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