裏切り者の帰還[22]
 帝王は話が終わると、
「それではまたな」
 姿を消された。閉じられた瞳が開いた時、そこに世に言う”銀狂”は存在していなかった。その容姿と戦いぶりに”銀色の狂気”と言われた皇帝。
 その片鱗 ―― 簡単に表現してはいけない存在かもしれないが……俺は帝王の銀の狂気に僅かだが触れた。
「はなし、終わった?」
「終わりました。ありがとうございます。カーサーは話の内容は分からないのですか?」
「興味ない」
「そうでしたか」
 エヴェドリット、或いはリスカートーフォンは戦闘以外には興味を持たないと言われていますが、まさにその通りの御方。
 女性と二人きりは出来るだけ避けたほうが良いらしいが、まったく話をしないで切り上げるのも失礼だろう。
「一つお聞きしたいのですが”カーサー”という呼び名は、なにか特別なものなのですか?」
「うん」
「そうなんですか。だからヒュリアネデキュア公爵もその名で呼ぶのですね」
「うん。操縦席で生まれたから」
「そうでしたか」
 ”操縦席で生まれた”
 たしかに”操縦席(カーサー)”だが……
「ゾローデさん。これ以上お話していると、グレスさまの嫉妬で宇宙大戦が起こっちゃいますよぅ」
「そ、それは大変だ。教えてくれてありがとう、キャス」
 ノックせずにジベルボート伯爵とヨルハ公爵が飛び込んできた。
 会話の内容はあまり聞かれたくなかったので、扉には鍵をかけたのだが、ヨルハ公爵には紙のような物だったらしく、腕が扉を突き抜けている。扉の蝶番は破壊され掲げられ、腕と共に回されている状態。
 戦艦の扉なので結構な厚さと強度を誇るのだが、戦う為に生きていると言われる一族で、戦闘の天才が多く生まれるとして名高い公爵家の若き当主はにとっては紙状態。
「いえいえ。グレスさまのキャスですから。カーサー、お菓子作ろう! グレスさまやエゼンジェリスタにプレゼントしようよ」
 理由を聞こうと思ったのだが、そんな時間の余裕はなかった。
「わかった。ゾローデ、グレスのことたのむ」
 アイボリー色のレースで作られたトレーンをひるがえし去る最強騎士を見送った。
「はい」
 後をついてゆくヨルハ公爵が、扉で室内や廊下を削ってゆく音が遠ざかり……そしてヒュリアネデキュア公爵の怒鳴り声が。

 注意できなくて済みません。でも、あまりにヨルハ公爵が楽しそうだったもので。もちろん恐怖もありましたよ。

「カーサーが操縦席で生まれたことについて? ああ、あいつのことだ”操縦席 生まれた”くらいしか言わなかったんだろう」
 俺は侯爵の元へと行き、書類最終チェックの仕事にとりかかった。
 今回の戦闘の被害総額だとか、戦死者の数だとか……あまり触れたくはない書類なのだが、そうも言ってはいられない。
 これらの数値は重要なので誰か一人に任せっきりにすることはなく一チーム二十人で、合計十チームで計算させる。専用の機械でも計算させるが、どこまでも人の手を離れ、誤魔化しができないように作ろうとも、最終的には人が関わるので、人間が計算するよりも間違いが大きいこともある。人間相手よりも機械相手のほうが騙しやすい ――
「よく分かりましたね、侯爵」
 最終チェックを終えて、二人でコーヒーを飲みながら、話をしているときに、軽い話題のつもりで聞いてみた。
「まあなあ。カーサーが操縦席と呼ばれている理由はその通りだ。そもそも、名前が無くてな。カーサーの祖父が正式名を付けるまで、カーサーと呼んでいたから……ちょっと長くなるが聞くか?」
 触りを聞いただけで、俺の本能が”止めておけ”と叫んでいる。
「興味本位で聞くような内容ではない?」
「さあなあ。だが知っておいて悪いことはないだろう。前線基地の常識みたいなもんだからな」
 嫌な予感がする。あまり幸せではない結末を聞くことになると分かっていながら、
「はい。お願いします」
 また前線に赴き、その背を見ることになるのだから ――
「カーサーの母親が先代の”前線”だったのは知ってるな?」
 帝国の”前線”は軍帝の実妹の血が存在する場所とされている。皇妹は大宮殿に住居を構えており、前線基地に足を運ぶことはなかったが、その娘はシセレード公爵と結婚し、前線基地に滞在した。そして前線基地で生まれたオーランドリス伯爵は、前線としてずっと生きている――
「はい」
「カーサーの母親、妊娠したタイミングが悪く、臨月がオルドファダン襲来第三期に該当する」
 オルドファダン大会戦は帝国の暦で1161日間に及ぶ戦闘。この1161日間、一度たりとも攻撃が止んだことはなかったとされる。
 死と向き合った1161日間の中でも、特に攻撃が激しい時期があった。それらを二十に区切り、一つ一つに「期」を付けて表す。
 第一期から第五期までは言葉は悪いがやられっぱなし状態。
 第一期に敵の超攻撃が始まり、第二期の中期に上級士官学校の三年から六年が前線に借り出され、第三期には戦争経験豊かな帝国騎士が次々に死亡する。第四期はゲルディバーダ公爵殿下のご両親が前線に向かう途中に大軍もろとも消失で補給が叶わなくなり、第五期には一時期防衛線がサフォント帝が勝利するよりも前くらまで下がった。
 第六期から第八期あたりになると、帝国が勢いを取り戻すのだが……。
「第三期に亡くなられたのですよね。たしか夫であるシセレード公爵ロスタリオール卿と同時期に亡くなったと」
「戦死時期で見るとそうだが、カーサーを基準に見ると、ロスタリオールは妊娠二ヶ月の時でミロレヴァロッツァは出産時だから随分と間は空いている。それで出産時、あの基地は攻め込まれてたから、機動装甲の操縦席に篭もったんだ。それで生まれそうになったんだが、どうも上手く生まれてこない。ミロレヴァロッツァは最初、腹を自分でかっさばいて取りだそうとしたが、取り出したあとが問題だ。周囲は異星人が作った生物兵器だらけ。助けは望めない。自分が生き残るか、娘を助けるか? 考えてカーサーを助けることにした。腹から羊水を取り出し、バラーザダル液の成分をカーサー用に調整して注入する。ミロレヴァロッツァが自ら注入した、娘を助ける為の毒で死ぬとカーサーは生まれてきた。筋肉が緩んだことと、外組織が溶けたことが原因だろう。カーサーはその液で漂う。自我などないはずなのに、敵に気付かれぬよう泣くことなく黙ったまま、何も見えていない筈のなに、随分と冷静な瞳がモニターを見ている姿が、操縦室内の映像に残っている」
 冷静な瞳、泣くことなく黙ったまま ―― もしかして、それは帝王が意識を支配して守ったのでは?
「アーシュ、その映像は俺も観ることできますか?」
「構わんが、見た目あまりいいものじゃないぞ。俺たちは何とも思わないが、ミロレヴァロッツァが半分溶けた状態がずっと映し出される」
「え……」
「近親者だとバラーザダル液の成分が似る。親子は特に似るもんだから、死には至ったが溶けきることはなかった。水死体のほうがマシな感じ……らしいぞ。俺はなにも感じないが」
「あ……ちょっと考えさせてください」
 水死体には軽くトラウマが。
 実家にいた頃、湖畔のキャンプ場の雑役をしていた際に遭遇した水死体が。それ以外なら耐えられる自身はあるんだが……水死体はきつい。
「生まれたばかりの冷静なカーサーを見たいだけってなら、映像処理指定しろ」
「はい、そうさせていただきます」
「それで助け出したのはサロゼリスと兄貴だ。機動装甲の操縦室から出された時、娘は産声を上げる。こうして帝国最強騎士は、機動装甲から生まれた。だからカーサー」
「だからヒュリアネデキュア公爵もカーサーと呼ぶのですね?」
「らしい。カーサーは愛称じゃない。だが名でもない。あれは機動装甲そのものだ」
 侯爵の表情が穏やかで……今までもっとも怖ろしかった。静かな狂気というのだろうか、死を望む人の表情。戦ってみたいというのが、容易に分かる。
 負けると分かっていても戦ってみたいという欲求。それは静かだった。
 だが銀狂のそれとはまた違う。
「ゾローデ」
「はい」
「機動装甲はどんな感じだ」
 最強の兵器に乗り戦ってみたかったのだろうなあ ――
「戦闘らしい戦闘を経験していないので、よく解りません」
「そうか……」

 俺のような凡人は、危険な兵器に乗る能力などないほうが良いと思うのだが、侯爵はそうではないのだろう。

**********


 一人になってから、最強騎士が誕生する際の映像を観ることにした。もちろん亡くなられた母君の映像は消すように指示して。
 しばらくは無人の操縦室が映し出され、そして徐々に最強騎士が現れる。
 映像処理をすると、まさに機動装甲の操縦室に現れた、操縦するための存在にも見えてくる。
 生まれたての最強騎士は人間の赤ん坊とは違い、生まれた瞬間から綺麗だ。人間の赤ん坊は可愛いとは言うが、チアノーゼだったり肌色が悪かったり、血や体液がこびり付いていたりする。だが最強騎士は生まれた瞬間から……映像処理が母親の体液を消去していることも影響しているのだろうが、本当に天使のようだ。
「は? 天使?」
 なんで天使と? いま俺、天使って言ったよな。
 天使って目つき鋭く凶暴な生き物だろう? 生まれたての可愛らしい赤ん坊に使う言葉ではないだろうが。
「……」
 内心でどれほど焦ろうともどうしようもない。
 俺は再度画面を見つめる。最強騎士の口元が今にも泣き出しそうに動く。小さな唇は息を吸い込もうとした ―― 生まれてすぐの赤ん坊とは思えぬ勢いで目蓋が力強く開く。その瞳にはたしかに意志があった。
―― ララシュアラファークフの末よ
 最強騎士は外部モニターを観る体勢となる。俺も記録されている外部モニターの映像を隣の画面に映し出すと、そこにはあの生物兵器《イフトベッケル》が大量に、床が見えなくなるほど押し寄せていた。
 イフトベッケルは聴覚で敵を見つける、俺たちの感覚では昆虫に近い形をしている生物兵器だ。
 おそらくあの時点で産声を上げたら、見つかって殺されただろう。装甲は厚く頑丈だが、壊れないわけではない。二日程度で操縦室に到達してしまう。記録では救出されたのは一週間後。
 早送りしながら画面を食い入るように観ている。俺もそうだが、生まれたばかりの最強騎士も。イフトベッケルはここに生存者がいることは気付いてるようで、離れようとしない。最強騎士の僅かな呼吸音を聞き取っているようであった。
 観ていると探し出すために、機動装甲を攻撃し始めた。敵はどこに帝国騎士が搭乗しているかは知っているので、操縦席を的確に狙ってくる。絶望的な外装の剥がれる音、
「え……」
 それらを消し去るような轟音が上がる。
 何ごとかと外部モニターを確認すると、他の機動装甲が次々と倒れ出していた。イフトベッケルが格納用フレームを破壊したのか? 確認の為に見直すが、そんな気配はない。あいつらは、操縦室だけを攻撃していて他の部分には一切攻撃を加えていない。
 突如機動装甲が倒れ出したのだ。それも全てが最強騎士の居る機動装甲に向かって。イフトベッケルの耳障りな叫び声、操縦室にも届いているのだが、最強騎士は動かない。
 そして最強騎士が居る機動装甲は他の機動装甲の下敷きとなった。モニターにはイフトベッケルの姿は映らず、ただ声だけが聞こえてくる。意思の伝達のための叫びか、無意味な咆吼か? 判断はつかない。
 他の機動装甲に守られるようになったそこで、最強騎士は目を開けたまま操縦席を漂う。その瞳は最強騎士のものではなく、眠らぬ皇帝のそれだった。そして ――
『諦めろ、もう死んでる』
『煩い! クレスカ!』
『煩えのは手前だ、ザノン』
 声が聞こえてきた。クレスターク卿とネストロア子爵の声が。クレスターク卿は二人は死んだものと、ネストロア子爵は……子爵も死んでいるとは思っているようだが、それでも死体を見つけたいという感じだ。
 二人はイフトベッケルを次々と倒し、
『あつら、この先に用事があったようだな……生きてるのか!』
『ラクレイティス! ラクレイティス! 生きているのなら、返事をしてくれ』
 やつらが最強騎士の元へと向かおうと、破壊していた場所を見つけて、ついに辿り着く。
『おい、生きてるのか? ミロレヴァロッツァ』
『ラクレイティス!』
 二人が操縦席を次々と引き剥がしてゆく。一週間眠ることなく起きていた最強騎士《帝王》は、クレスターク卿の声に反応していた。
《……そうか。元気……というのはおかしいのだが、ロランデルベイは二人とも元気であったか?》
 帝王が俺に皇兄のことを聞いた時に見せた表情が、その瞳の中に見える。
 最後の扉が開き、最強騎士と俺には見えない状態となっているミロレヴァロッツァ様が床に落ちてゆく。
 そして映像は途切れた ――

―― ゾローデ、真実を知ろうよ。私がいるから大丈夫だよ……多分ね ――

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