裏切り者の帰還[21]
 俺に語りかけてくる過去 ――
 過去の記憶が甦る人は帝国では稀なのだそうだ。過去を生きた誰かの記憶を見ることが出来るのは、ごく限られた人だけ。
 そして記憶を消去できる人も存在しており「記憶を持った人物」と「記憶を消せる人物」が婚姻を結ぶと、過去が全てではないが消えてしまう。
 再生と消去を繰り返して帝国は現在まで続いてきた。
 断片的なことは分かったが、それをつなぎ合わせるには、少々情報が足りない。
 ヒュリアネデキュア公爵に聞いてみようと思ったのだが、なかなか時間が取れず。確かに俺も本気で会おうとはしていない。問題先送りというか……良い御方なのだが、面会するとなると覚悟が必要な御方でもある。
 なにより、とても忙しそうなので。
 お忙しい理由は、前線基地から帝星へと向かう一行のお目付。
 みなさん、俺とゲルディバーダ公爵殿下の結婚式典に参加してくださる。前線基地からこれ程の数の帝国騎士が離れることは稀。
 なにせ最強騎士まで前線を離れてお祝いしてくださるのだ。
 もっとも最強騎士はご自身の婿選びも兼ねているとのこと。良い方が見つかるといいな。前線を離れた帝国騎士は、最強騎士の他に、
「シア。このお洋服可愛い」
「新調したんだ! キャスもそのネックレス可愛い。ちょっと大人びてて、いまのキャスにとっても似合ってる」
 ヨルハ公爵。そのヨルハ公爵の対であり敵であるイルギ公爵。
「お前等二人並んでると、正に美少女とゾンビだな」
「見たまんまじゃないですかあ、ノルドディアク」
「詩的にならんし」
 イルギ公爵ノルドディアク殿は俺と同い年。夫はネストロア子爵。子爵は侯爵同様、妻から逃げているとか。豊かな黒髪を大雑把に頭頂部に近い位置でまとめている、ガウ=ライに似た美女だ。もちろんというか帝国騎士でエヴァイルシェストのNo.9。体は大柄で、知らないとまず男性に。顔は美女だが男性というのは、帝国では珍しくないから……相反する表現が並ぶこともある。
 最強騎士とイルギ公爵はシセレード公爵家の代表として。ヨルハ公爵は単独でありバーローズ公爵家の一員として。お祝いにはバーローズ公爵閣下も来てくださるのだそうだ……。いやありがたいんだけどね……。
 この三人と元帥殿下、そしてジベルボート伯爵にクレンベルセルス伯爵が混ざると大変な状態に。
 ヒュリアネデキュア公爵が「貴様等、戦艦を沈めるつもりか!」と日夜怒っていらっしゃる。本当は俺が注意しなければならないような、でも司令官自ら全力で遊んでいるので、配下として中々言えない。
「気にすんな。貴族王さまは、この為に同行してんだ。任せておいて、お前は式典のリハーサルに専念してろ」
「はあ。ですがこの式典リハーサルの資料によりますと、俺に儀礼を教えてくださるのはヒュリアネデキュア公爵と」
 俺のために同行してくださっていると思うのですよ。
 なにせ帝国にはヒュリアネデキュア公爵と仲がよろしくないローグ公爵がお出でに。式典にはお二人とも出席してくださるそうですが……。
「ゾローデ、貴族王さまに習いたいのか?」
「いえ、あの……」
 進んで習いたいかと言われたら、まあ……正直な気持ちとしては避けたいよな。
 礼儀作法は学校、それも寮で習った程度。寮で習うだけでも充分だ ―― 軍人である限りは。でも王族としてヒュリアネデキュア公爵に今まで習ったことを見せるというのは……。
「でも、完璧を期すにはやはりヒュリアネデキュア公爵のお力が必要かと」
「そうだな。呼び出してやるけど、厳しくても泣くなよ。ゾローデ」
「泣きませんよ、アーシュ」
「まあなあ。でも一応注意を。泣くと後々面倒になる。ファティオラ様が”僕のゾローデ泣かせた”と。そうなることを知っていても、貴族王さまは妥協しない。理由は分かるな?」
「テルロバールノル王が命じたから?」
「その通り。本気で教えてくるだろうから、まあ覚悟しろ」

 ヒュリアネデキュア公爵はとても良い御方です。俺が恥をかかないよう、徹底的に指導してくださいましたとも ―― 出来ることなら、二度と礼儀作法のご指導は仰ぎたくないが。

 分かっているのですヒュリアネデキュア公爵。そのようにしなくてはならないこと、よく分かっているのです。
 ですが……
「行進を覚えたばかりの子供のようじゃぞ。足を出す角度も、腕を差し出すタイミングもよい。じゃがマントの扱いが悪い。マントというのはこのように親指と人差し指、そして中指でつまむ。つまむ場所は脇を62°肘は153°に曲げる。腕そのものは肩を軸にして26.4°に。つまむ指先が作る円形はベルシニアの涙という宝石の形で……」
 式典礼儀の本にそのように書かれてました、書かれてましたとも。まさかそれを、軽々しく実践できる御方が目の前にいて、教えられるとは……軽々しくできるようになるまで、並々ならぬ努力をなさったのでしょうけれども。
「優雅さが足りぬ。マントの扱いが下品じゃ。もっと優雅に、風を上手く作れ」
 同じようにマントを動かしているつもりなのだが、本当に優雅さというものがね……これはもう、持って生まれた優雅さの量の違いだよ。

「ゾローデ。生きてるか」
 ヒュリアネデキュア公爵と入れ違いに戻ってこられた侯爵が、マント捌きの練習で緊張しきった腕をマッサージしながら、笑って言われた。
「はい……優雅さがどうにも足りないようで」
「あればかりはな。あいつから見て優雅さが充分な相手なんぞ、女傑様とロガ侯爵くらいしかいない」
 それは、この先習っても、ずっと注意されるということですね。
 ですが、命令とは言えわざわざ教えて下さっているのですから、ここは必死に食いついていこう。
 翌日は歩き方――
「足音が下品じゃ」
「(下品な足音……でも、たしかにヒュリアネデキュア公爵の足音は、大きいけど綺麗だ。なにが違うんだ……)」
 靴の素材からデザインまで、全部同じなんだけどなあ。履いている人間が違うからなんだろうなあ。

 ……というわけで、これ以上ヒュリアネデキュア公爵のお時間を取るのは心苦しいので、別の方に聞いてみることにした。

「オーランドリス伯爵」
 王を小柄にしたような少女。
 二人きりで話すのは、ゲルディバーダ公爵殿下が嫉妬するとのことで、あまり良くないのだが、少しだけ時間をつくってもらった。
「カーサーでいい」
 細身だが腰にはくびれ、胸も僅かながら膨らみを帯びている。容姿がケシュマリスタ特有なので、くびれや膨らみがあると、当然のことなのに不思議に思えてくる。
「ではカーサーと呼ばせていただきます」
 最強騎士は軍服を着ることはほとんどない。いつも贅をこらしたドレスを着用している。首筋から鎖骨にかけてが美しく、それを見せる襟元のデザインが多い。詰め襟の軍服を着用している軍人が多数いる艦内で、彼女のドレス姿は確かに目立つ。
「なに」
「お話したいことが」
「うん」
 Aラインという形のドレスで、群青地に銀色の刺繍が肩から手首まで、裾は膝下あたりからぐるりと。首もとを飾るのは真紅のネックレス。
 向かい側に腰を下ろして、俺は本題に入らせてもらった。
 長時間二人きりで話をするのは、避けたほうが良いそうなので。女性だけではなく、男性相手でも。
「クレスターク卿とヒュリアネデキュア公爵から、カーサーの内側に帝王がいると聞いたのですが」
「いる」
「お二方のように、帝王を出すことはできますか?」
「できる。会いたい?」
「会ってみたいとは思いますが」
 帝王ザロナティオン。銀狂陛下ともいわれる、帝国最大の内乱を終わらせた皇帝。本当かどうかは分からないが、喋ることができなかったとも言われている謎多き人物。
 だが帝国を再統一したのは事実で、次の皇位を渡したビシュミエラ帝のことを愛していていたとも言われている。
 ”言われている”とされるのは、ビシュミエラ帝を皇后に迎えなかったためだ。
 別の王女を皇后に添えて親王大公を儲けたのだが……ビシュミエラ帝はケシュマリスタの血が濃かったので、もしかしたら子供が生まれないことが理由だったのかもしれない。
 現在のヒドリク朝で唯一「ヒドリクの末裔」ではないビシュミエラ帝。帝王の実子に跡を継がせた彼女は、当然ながら独身。
 五十九代続いた帝国で唯一の独身皇帝で、神聖皇帝とも称される ――
「待って。ザロナティオン…………私に何用だ? ララシュアラファークフの末よ」
 こう言っては失礼だが表情が乏しく、声の調子も淡々としている最強騎士とは違う人物が現れた。だからと言って騒がしいわけではない。迫って来る圧力は、クレスターク卿や卿の内側にいるとされる皇兄をも上回る。
 喋れなかったといわれる皇帝だが、
「あ……あの帝王……その、ちょっとお知恵を拝借したいと」
 紛うことなく皇帝だ。大皇陛下をも上回る《なにか》が皇帝だと俺に告げてくれる。
 理由は分からないが声も違っている。これが帝王の声なのかどうかは、判断つかないが、先程まで言葉少なに語っていた最強騎士の物ではない。
 小首を傾げて、息を漏らすかのように笑われる。表情や仕草は大きく目立つものではないのだが、男性であることがはっきりと感じ取れる。クレスターク卿やヒュリアネデキュア公爵は内側に潜む人と性別が同じであったこともあり、それ程の違いは感じなかったが、帝王と最強騎士は違いが明かだ。
「私は賢くはない。この本体、賢いには賢いが、かつて私に言葉を教えてくれたセゼナードには遠く及ばぬ。それでも良いか?」
「はい。前置きは抜きで、本題に入らせていただきます。過去の自分のものではない記憶が話しかけてくる、というのは珍しいことなのでしょうか?」
「珍しいな。過去の記憶は一方的に見せられるものだ。そこに記憶の持ち主の精神は介在しない……それが原則だ。私やロランデルベイ、ラードルストルバイアのことだが、私は食い殺した兄弟たちの記憶が、食料としていたバオフォウラーの肉体により留まることとなった」
 バオフォウラー? ……バオフォウラー。たしか帝王はロヴィニア語以外は喋れなかったとも言われているから、それを帝国語に変換すると……
「バオフォウラー……ビシュミエラ帝のことですね?」
「そうだ。ケシュマリスタの肉体は、記憶をつなぐのに必要な成分を多く含んでいる。その為、大量に摂取すると、記憶に人格が宿ることもあると、私は考えている。それで、誰が残っているのだ? この話題を持ちかけたのだから、思い当たる節があるのだろう? ラヒネか? それとも昔の私か? まさかジーヴィンゲルン? 私の父のことだ」
 ジーヴィンゲルン……皇父バクティノイビアも殺害後、食べたのか。帝王といえば射撃が有名で、殺害後死体を食べたという記述はなかったのだが。これはクレンベルセルス伯爵に聞く必要があるな。
 もしかして俺が覚えている歴史って、帝国上層部からすると全部……
「あ、いえ。帝王や近親者ではなく……俺の血統の祖先ララシュアラファークフの祖父に該当する人物が」
 帝王の表情が変わった。
「なんだと?」
 本当に驚かれたようで、立ち上が俺に顔を近づけて瞳を覗き込んでくる。
「こちらから声をかけても反応はなく、眠っている時だけしか」
 帝王はしばし瞳を覗き込んだあと、ドレスの裾を少々たくし上げたまま腰を下ろした。よく見ると、足を大きく開いて座られている。帝王は男性だったので、仕方ないといえば仕方ないのだが、軍靴ではなくコサージュと宝石で飾られた、ヒールが低い薄ピンク色の可愛らしいパンプスを履いた脚でその座り方は。軍服着ていたら気にならないのですが……かといって、手を伸ばして裾を元に戻すのも違うよな。
「奇怪だな……正直に言おう」
「はい」
「誰に聞いても、理由も原因も解決策も分かるまい。私たちのことですら初めてことので、情報が足りず、セゼナードが情報を集め、推測して実験してくれたお陰でやっと判明したようなもの。あの歴史上稀に見る天才は、この負の遺産についても調べてくれたのだが、全てを詳らかにする前に早世してしまった。今の時代のあれほどの天才がいるかどうか? 前線基地にいることが多い私には分からない。また存在したとしても、内側にこのように古い意識が残っていなければ、到底辿り着けぬであろう」
 帝王が手放しで褒めてる。凄い御方だとは知っていたが、同じ時代を共に生きた人はより一層……生きてないか?
「帝王の兄上も、大天才だとおっしゃってました」
「……そうか。元気……というのはおかしいのだが、ロランデルベイは二人とも元気であったか?」
「はい。とてもお元気……でした」

 死んでる人なのだが、元気そうだった。それにしても、俺なんかに聞かなくても基地内で何時も会っているのでは? 表に出てこないと分からないのかな?

 それはともかく、俺に語りかけてくる記憶は、帝王が自分と同じタイプではないと言うのだから……どうしたものか。
 腰布……じゃなくて、俺の祖先の祖父ゾフィアーネ大公とは何者なのか?
「落ち込むな。お前にならきっとできる」
「帝王」
「千五百年以上の間潜んできた”それ”が、お前ならば真実に辿り着けると見込んで出てきたのだ」
「そうですね」
「ところで、何が見えるのだ? ララシュアラファークフの末よ」
「かつてのガニュメデイーロです」

 帝王が”それは分からんなあ”といった表情になったので、現在のガニュメデイーロの映像を見せたところ、慈悲深い微笑みを浮かべられ、
「強く生きるがいい」
 そう言われ……帝王が生きていた時代は混乱期だったので、ガニュメデイーロは居なかったんでしょうね。そして一度戻って来てセゼナード公爵の内側で生きた頃は皇帝じゃなかったから、会うこともなかったに違いない。

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