帰還準備が整うまで色々とあった。
　初めて機動装甲で戦ったのが、遠い昔のことに思える程に　――
　結局クレスターク卿に、あれから質問することもしなかった。卿の人となりを知るために行動を共にしたが、あまり分からず。
　他の人たちにも聞いて回ったが、ほぼ全員口を揃えて”つかみ所がない”クレスターク卿をそのように評した。
　俺も同じ意見だ。
　ただ一人クレスターク卿のことを語った御方がいた。
「クレスタークはヴァレドシーアと精神感応、考えが読めることじゃよ」
　ヒュリアネデキュア公爵だ。
　公爵は俺が卿から聞いたことを話すと、若干どころではなく険しい表情をされ「そこまで言ったのか」と漏らした。
　俺が聞かされたことは真実であることは間違いない。今の俺にはそれを判断する術がないのも事実だ。
「条件については知りたくば調べさせろ。隠していることではない。七歳のクレスタークはケスヴァーンターンに約束したのだそうじゃ。”困ったことがあったら助けてあげる”とな。才能溢れ万能感に包まれていたクレスタークらしい言葉じゃ。だがそれは守られなかった。ケスヴァーンターンが初めて”困った”時、クレスタークは前線から離れることが叶わず。ケスヴァーンターンと再会したのは、ケスヴァーンターンが王になってから二年近くが経過してからじゃった。クレスタークの右顎から眉にかけて鞭をふり、言っておったわ”嘘つき”と。クレスタークが変わったのは、その頃じゃな」
「変わったとは？」
「ケスヴァーンターンに対して、感情を持ったことじゃよ。愛情などではなく、だが殺意でもない。クレスタークのあれがなんなのか、儂には分からぬ。ただ……それはクレスタークを今まで以上に強くした。もとより肉体的にも精神的にも強かった男じゃから、どこが変わったのかは言えぬが、確かに変わった……儂が勝手にそう感じただけかもしれぬがな」

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　帰途につく二日前、眠りに落ちた俺は、とんでもない過去を見た。最近俺は夢を見ない。眠っている間はほとんど過去を見ている。
　眠っていた記憶たちが、次から次へと沸き上がり、記録もなにもかも失われてしまった過去を見せてくれる。幸いといって良いのか解らないが、僭主ララシュアラファークフの記憶はほとんどない。
　これは疑問だったのだが、クレスターク卿が言っていた「黄金の林檎」を食べてから代が下ったため、記憶を継承する物質が減ったためだと俺は推測している。
　実際「黄金の林檎」というものがあるのかどうか分からないので、クレスターク卿に聞くことは避けた。これらに関しては帝星に戻ってからクレンベルセルス伯爵と共に調べるつもりだ。
　俺の記憶のほとんどは、当時のガニュメデイーロであるゾフィアーネ大公のもの。彼の記憶が主体になっている。
　簡単にゾフィアーネ大公の経歴を調べたのだが、見事なものだった。
　血筋は皇王族。大公を名乗っているところからも明かだが、父親は二十二代皇帝の弟で、母親は二十一代皇帝の姪。
　帝国上級士官学校を次席で卒業。
　妃に該当するエシュゼオーン大公も血筋は似たようなもので、父親はテルロバールノル王の実弟、母親は二十二代皇帝の妹。
　どちらも輝かしい血筋の持ち主だ。
　ただエシュゼオーン大公の記憶はほとんど見えない。
　これについてクレンベルセルス伯爵に尋ねたところ『ゾローデの血はケシュマリスタ寄りだから。記憶継承物質もケシュマリスタに由来するものが多いから、そうなったんじゃないのかな？』とのこと。確定ではないが、言われると納得できる。
　彼の記憶を見ることができるのは嬉しい。何せ彼の記憶の場合、ガニュメデイーロを見る必要がないからだ。とても美しい涼しげな男性、ただし脱ぐと筋肉結構ついている彼が、腰布一枚で乱舞する姿を見るのは……。
　ガニュメデイーロはジャスィドバニオンだけで充分だよ。
　ただ不思議なことに、彼を見ている記憶も存在する。記憶は血統に乗るものなので、血が繋がっていないと見えない。
　だがどうしてか、ゾフィアーネ大公もエシュゼオーン大公も同時に見えるのだ。最初に見たときは、条件が分からなかったので不思議には感じなかったが、何となく分かってくると、これが非常に気になる。
　他の血統から混じったとも考えられるのだが、両大公が上級士官学校に在学中の記憶も出てくる。これは奇妙だった。両大公が在学していた頃を知る人は、家系図には存在しない。マルティルディ王の息子で死亡……記憶では処刑された王太子ラスタエフルメイが血統に含まれているとしたら、記憶が見えてもおかしくはない。王太子の父親はテルロバールノル王子で、両大公と同じ年齢で同時期に入学しているからだ。
　だがこの血筋はない。近辺を遡っても、両大公の在学中を知る人物は血統には存在しないのだ。
　残念なことに三十一番目の終わりにより、多くの日記や備忘録などが紛失してしまい、日常的なことは残っていないので調べようがない。公的な物は復元されたが、私物は失われたらそれで終わりだ。仕方ないことではあるが、俺のもどかしさは募るばかり。

　そんな中、
「……え？」
　俺はとんでもない夢を見てしまったのだ。

　その為、歴史にはさほど詳しくないリディッシュ先輩に相談に乗ってもらうことにした。本来であればこの類の疑問はクレンベルセルス伯爵に尋ねるのだが……
「リディッシュ先輩、呼び出して済みません」
「用事があっても、なくても呼び出してくれ。俺もゾローデとはゆっくりと話をしたいと思っていたからな」
「そう言ってもらえると」
　リディッシュ先輩は前線基地から少し離れた居住惑星まで出かけて、お土産を買っていた。もちろん皇太子妃殿下に。
　いいのかなーと、思うのだが、ジベルボート伯爵の怒涛の口攻撃とヨルハ公爵の腕力により……拒否なんて無理だったようだ。
「大分落ち着いたな」
「あ、はい」
「ウエルダがいてくれて、良かったな」
「はい！」
　まるで他人事　――　まだ上手く認められないでいるというか、全てを受け入れているつもりだが、納得できない部分も。危機的な状況に陥ると冷静になるような感じだ。
　周囲に対して態度を変えないのは、八つ当たりしたところで、彼らが原因ではないので仕方ないということ。感受性豊かな思春期頃なら、そんなことをしたかも知れないが、そんなことをしたところで、残るのは自分に対するより一層の嫌悪感だけであることくらい分かる。
「俺に何を聞きたいと？」
　俺の葛藤は俺が時間をかけて受け入れるだけ。
　今重要なのは……
「リディッシュ先輩は、三十一番目の終わり以前の歴史について、どの程度ご存じですか？」
「……専門のバルキーニを避けるということは、皇王族関係か」
「はい」
　クレンベルセルス伯爵について。
「詳しくはないぞ」
「リディッシュ先輩、ケーリッヒリラ子爵という方をご存じですか？　栗毛色の艶やかな髪を持っていた、落ち着いた雰囲気の男性」
　ゾフィアーネ大公の記憶に頻繁に出てくる男性で、正直なところ……あくまでも俺が、勝手に思うだけなのだが、ゾフィアーネ大公の兄、ジーディヴィフォ大公と結婚したシャルトビエルフト公爵は、ケーリッヒリラ子爵という男性が好きだったように見える。
　ケーリッヒリラ子爵がリディッシュ先輩と雰囲気が似ていることと、シャルトビエルフト公爵が皇太子妃と似ていることが原因なのだろうが。
　だがソレを除外しても、なんかこう……恥ずかしくなるような、それでいて幸せな気持ちになる。残念ながらシャルトビエルフト公爵と兄のジーディヴィフォ大公が結婚してからは、そんな気持ちになることはない。否定しているのではなく、申し訳なさそうな……。
「こういう顔の男か？」
　リディッシュが端末を操作して、一人の男性の映像を映し出した。
「はい！」
　”鋭い”と言われるエヴェドリットの容姿とは程遠い、落ち着きある柔らかな顔立ちの男性。
「それなら間違いない。俺たちの祖先の弟に該当する人物だ」
　デルヴィアルス公爵家が滅び、縁戚のフレディル侯爵家から譲り受けて公爵家を復興させたとは知らなかった。
「俺たちの祖先がどうした？」
「リディッシュ先輩の祖先ではなく……俺の記憶のに”クレンベルセルス”という伯爵が現れるのです。俺の祖先であるガニュメデイーロをライフル銃で狙う男性が」
「バルキーニが受け継いだ銃の原型か」
「はい。彼と一緒にケーリッヒリラ子爵も見えたりしまして」
「ケーリッヒリラという男はフレディル侯爵家で初めて帝国上級士官学校に入学した男で、年代的には三十一番目の少々前だから、ゾローデの記憶に混じってもおかしくはない。子孫の俺にはないが、ゾローデの記憶には存在するというのが不思議だな」
　笑ったリディッシュ先輩の顔は、やっぱりケーリッヒリラ子爵という男性に似ている。
「あのですね……」
　いまはその寂寥感を含む懐かしさに浸っている場合ではない。
「どした？　ゾローデ」
「あのですね、リディッシュ先輩。貴族や皇王族にとって爵位とは、どういう物なのでしょう」
「突然だな……まあ、俺などは貴族に生まれたから、当然渡されるものだとしか認識していないが、皇王族やテルロバールノル貴族ともなれば別だろうな。前者は皇帝より下賜される栄誉あるもので、後者は帝国以前よりも受け継いだ伝統だ」
「ですよね。ですが、その……腰布、じゃなくてゾフィアーネ大公が真実を告げよと命じているような気がして……」
「なにがあった？」

「かつて帝国には、クレンベルセルス伯爵位は存在しませんでした」

　何度も何度も再生される　――　としか言いようがない、その映像。
「なに？　どういう事だ、ゾローデ」
「あのですね……ライフルを持ち”スナイパー”と自身を呼ぶ、カイトファラルグ伯爵クレンベルセルスという皇王族はいました。皇王族の名前は皇王族爵位と重複することはありませんよね」
　貴族庁に出生届を出すと、名前が爵位と重なっていないか？　他王国言語発音に変わっても大丈夫かを確認されてから受理されるので、他王家の爵位とも被ることはないだろう。
「なっ……じゃあ、あの銃は？」
　記憶の中で、ゾフィアーネ大公がジーディヴィフォ大公とケーリッヒリラ子爵と共に、銃に刻み込むのだ”伯爵　クレンベルセルス　スナイパー”と。
　刻んだ理由は、スナイパー・カイトファラルグ伯爵が、あの栄誉ある腰布の端を見事に撃ち抜いた。その功績を非公式に讃えるために、銃にその名を刻んだわけだが……。
「ガニュメデイーロが身に付ける腰布は、皇帝陛下より賜ったものであり、撃ち抜いたり撃ち抜かれたりしてはいけない物なのでしょう？」
「そうだ」
　リディッシュ先輩が半眼になって口も半開きになってきた。
「なので身内だけで祝おうということになったらしく。その際に正式名を刻むわけにはいかないので”伯爵　クレンベルセルス　スナイパー”刻んだのだそうです」
「あーケーリッヒリラは器用な男だったから……そういうこともあったかも知れないな」
「カイトファラルグ伯爵は大いに喜んでいらっしゃいました」
　それが巡り巡って、こうなったわけだ。
「三十一番目の終わり前迄は、記録に残さずとも私的なものだと分かったが、三十二番目の始まり移行は、それらを手掛かりとして記録を復元したから……」
「黙っていたほうがいいでしょうか」
　俺も今更クレンベルセルス伯爵に「実はカイトファラルグ伯爵が正しいんだよ！」と言う気はない。ただ俺にはなくとも、その先どうなるのかが不明だ。
「……俺に喋ったのは、理由があるんだろう？　ゾローデ」
「はい。俺が喋らないのは良いのですが、この記憶このまま継承されたら、誰かが口外する可能性もあります。それらを考えて、リディッシュ先輩に相談に乗ってもらおうかと」
　俺はこの記憶継承がどのような状況で行われているのか？　今ひとつ分からない。
　だがクレンベルセルス伯爵が言っていた通り「ケシュマリスタにそれらの物質が多い」となると、俺とゲルディバーダ公爵殿下の間に産まれた子に、この記憶が継承される可能性は極めて高い。
「そうだな。バルキーニに言う気にはなれんし……問題、先送りにしていいか？」
「え？」
「ゾローデが心配しているのは、記憶が子供に継承されることだろう？」
「はい」
「記憶を部分的に消す能力を持っている者も存在する。彼らの力を使えば、カイトファラルグ伯爵部分を消すことは可能だ」
「じゃあ、俺の記憶を」
　リディッシュ先輩は首を振る。
「許可が下りない」
「どうしてですか？」
「ゾローデが持つ記憶は、帝国において失われた時代のもので、非常に稀少なんだ。だから下手に一部分を消し、齟齬が出たら折角の記憶が台無しになってしまう。事実、帝国では今まで誰もカイトファラルグ伯爵について、名を出す者はいなかった」
「そうですか」
「ゾローデの記憶は原本に該当するから、消去許可は下りないだろう。俺たちは人間よりも記憶が強固で、特に過去の記憶は記憶消去という能力を用いない限り消えない。許可を出せるのは皇帝陛下のみだが……王太子殿下は絶対に許可しないだろうから無理だな。あの方は、かなりの歴史好きだ。お前の中に古き記憶が戻ったと聞いたら、全部聞きたがるはずだ。その際に話してみても良いかもしれない。あの人なら悪いようにはしないだろう」

――　まさか悪戯が未来で正式名称になるとは。思いもしなかったよ

「……」
　帰還の途についた戦艦で眠っていると、こんな事を言われた。過去の記憶が未来でまるで人格をもったかのように。
　これは調和の象徴と同じ現象？　それとも違うのか？
「もしもし、ゾフィアーネ大公閣下ですか」
　問いかけに答えてくれることはなく……。どういう事なんだろう？