偽りの花の名[27]
 貴族王とまで言われるローグ公爵家は、血筋を保つことにも腐心しており、
「ならば皇太子妃の離婚は絶望的じゃな」
 皇太子妃エゼンジェリスタの生まれや血筋は、皇太子よりも皇室に近い。
「なんとなく、そんな気はしていたが。それにしても、お前の王リスカートーフォン公爵はさすがだな」
 デオシターフェィン伯爵は確証はなにもなかったものの、生来の勘の良さで察しはついていた。ゲルディバーダ公爵に王位を譲ると宣言しているケシュマリスタ王にテルロバールノル王が妹王女を嫁がせる理由はない。それも王の実妹ではなく、母を別にする皇帝の血に近い妹を送り込む ―― テルロバールノル王自身が退位を認めているのにも関わらず。
 他の王家ならデオシターフェィン伯爵も然程怪しまなかったが、行動が一貫しているテルロバールノル王が取る行動としては奇異に映った。
 テルロバールノル王は奇異に映ることも想定済み。要は勘の良い者たちが真実に辿り着き、勝手に納得することを見越している。吹聴されたところで問題はなく、真実に辿り着いたものはそれを胸の内に収めるのが最良であると理解できるであろうと。
「まあなあ」
 テルロバールノル王はもちろん、エヴェドリット王もそれについては知っているに違いないとデオシターフェィン伯爵は判断し ――
「エイディクレアス公爵も知っておりそうじゃがのう」
 エヴェドリット王の大事な弟エイディクレアス公爵は、子供の頃からエリザベーデルニ王女に恋をしている。女を彷彿とさせる美しい容姿の持ち主は、意外と打たれ強く、きっぱりと振られても、散々に振られてもケシュマリスタ王妃に愛を語る。
「俺の所の王は、ドロテオに好き勝手させるのが好きなだけで……エリザベーデルニ王女は強いからな」
 侯爵が目を閉じて不敵さを感じさせる笑いを浮かべるのを見た二人の心中には、同じ考えが過ぎった。ただしそれを表に出すような真似はしない。

 トシュディアヲーシュ侯爵自身が気付いていないことに触れる程、二人とも馬鹿ではない。

「そうじゃな。それはそうと、そのような事情があるのならば、皇太子妃は地位を降りるのは無理じゃろうなあ」
 逸れた話の軌道を修正するようにイルトリヒーティー大公は話題を変えた。
「そう思うか? ベルトリトメゾーレ」
「どういうことじゃ? トシュディアヲーシュ」
「エリザベーデルニ王女を皇太子から取り上げるのと、ヴァレドシーア様から取り上げるの、どちらが難しい?」
「ケシュマリスタ王じゃろうな」
 エヴェドリット王も出来ることなら親友の弟から妃を奪いたくはない。だが自分が可愛がっている弟には欲しがっている王女を与えたい。ならば間に誰かを挟み、その者に罪を被せてしまえば ―― 平素無気力な王だが、弟と親友の弟の為ならば動くことを厭わない。
「ああ。面倒なことになっているね」
 色恋沙汰で動くのは馬鹿らしいと思うデオシターフェィン伯爵だが、それらをどれ程排除しようとも必ず絡みついてくることは、政治歴史学に詳しい彼には分かっていた。


 デオシターフェィン伯爵とイルトリヒーティー大公は「それではな」と侯爵の元を去り、二人でこれからについて決めると部屋に篭もり、
「トシュディアヲーシュはまだ気付いておらぬのかえ?」
「気付いてないようだね。自分が同性愛者だということには」
 溜息混じりに、側近仲間である侯爵について、愚痴とも違うが話題にするとも違う、彼らにもどうしていいか分からない事態を話合う。
「あれ、本当に気付けぬのじゃなあ」
「そうだね」
 ”エリザベーデルニ王女は強いからな”と侯爵は言うものの、興味を持つことはない。
「強いおなごに興味を持てぬ時点で、自分は同性愛者だと気付けばいいものを」
 侯爵の妻であるヨルハ公爵は見た目が少々奇抜で特異で好き嫌いが激しいものだが、エリザベーデルニ王女は強くも正統派テルロバールノル容姿を持ち、憂いを帯びた目元と、知的さを感じさせる口元が非常に美しい。容姿に文句の付けようがなく強いのだから、もう少し興味を持って然るべきなのだが、侯爵にそんな気配はない。
「自分のことを一番知らないのが自分とは言うが……ラスカティアを見ていると、自分もあんな感じなのかな? 恐くなるよ」
 侯爵は立場上、強い女と出会う機会が多いのだが、まったく反応しない。身辺が綺麗といえば聞こえは良いが、
「あの年で経験ないのじゃろう?」
 二十五歳だが女性経験はない。自分が同性愛者であることに気付いていないので男性経験もない有様。
「エヴェドリットは破壊衝動で性的欲求を解消してしまうから、おかしく思われないのだろうが……」
 性行為より殺人行為を好む性質と、妻の容姿から父であるバーローズ公爵ですら不審に感じていないのだが、事実は”そう”であった。
「……」
―― 教えてやったほうがよいのでは?
 二人は偶に思うのだが、気付かないまま嫌々ながらもヨルハ公爵との間に子を儲けさせるべきであろうと口を噤んでいる。
「知ったところでラスカティアがヨルハ公爵の夫という責務から解放されるわけじゃないからねえ。ヒュリアネデキュア公爵のように遂行する必要があるだろう」
 ヒュリアネデキュア公爵が同性愛者であることは、イルトリヒーティー大公は聞かされている。他の誰でもない、テルロバールノル王の口から。
「それ、前も聞いたわい。デオシターフェィン」
 テルロバールノル王が彼に教えたのには理由がある。
『エゼンジェリスタの耳にはまだ入れるな』
 彼は防波堤役を与えられたのだ。
 ヒュリアネデキュア公爵と、公爵の母親であるローグ公爵は不仲。その原因の一つは息子である公爵が同性愛者であること。ローグ公爵は同性愛者が嫌いで、息子がそうであることを知り、次の当主の座を譲りたくはなと考えている。
『儂には無理です』
 現在十七歳のイルトリヒーティー大公。命じられときはもっと若く、彼には王の期待に応える自信はなかった。
『ローグは孫に息子の性癖については言わぬであろうよ』
『では何故』
『ローグのことを信頼していると表すと同時に、孫のことも大切に思っておると教えるためじゃ。主はこれからローグと連絡を取り、儂より命じられたことを伝えてやれ』
『……』 
『ただし、出来ないはこれきりじゃぞ、イルトリヒーティー。できるようになれ……まあローグは言わんでも他のヤツがエゼンジェリスタの耳に入れようとするじゃろうから、対応策をローグから習え』
 王からの任務を受け止めた彼はローグ公爵と連絡を取り合い、頭角を表すに至った。
 彼自身は同性愛者については”帝国には多いしのう”受け入れているが、そうではない人がいることを知ることも出来た良い機会でもあった。
 ただそれは遠くの自覚ある人たちに対してであって、近くにいる自覚のない人は違う。
「もはや出口のない迷宮だよね……クレスターク閣下が何とかしてくれるんじゃないかなあと」
 最後は優秀なお兄さまに解決してもらおう! で締めていた。
 それは解決の糸口がない話を切り上げるための決まり文句であって、本気でそのように考えているわけではない。
「そうじゃのう。一年前に前線基地へと赴いた際には、ロフイライシにからかわれて発狂しかかって帰ってきたがのう」
 優秀過ぎる兄クレスタークは、弟の性癖など昔から気付いている。
 確認したことのない二人だが、自分たちが気付いているのだから、あのクレスタークが気付いていない筈はないと確信していた。
「まあね。……仲が良い兄弟だよ」
「かなり一方的にじゃがな」
「……ラスカティア、いきなり自分の性癖に気付いたらびっくりするだろうね」
「そりゃそうじゃが、自分の性癖なのじゃから受け止めねばな。ただ相手が貴族ならばまだしも……」
「……」
 侯爵は感情が動くと白目が変色する。人間や機械では判断できないが大きな括りでの同族、上級貴族以上には彼の白目の変色が分かる。
「……」
 侯爵の白目は黒くなる。興味や感情が動かされた度合いにより色合いは変わり、灰色止まりの時もあれば、クレスタークにからかわれて漆黒になることも。

”私信なんぞ……オランベルセか。急用のようだが”
”どれ…………ゾローデの側近の側近になったそうだ”

「……あれ、興味持ったよね」
 イズカニディ伯爵の時点で白目の色に変化があり、
「……興味、持っておったのう」
 彼が側近になった相手を確認したとき、完全に色が変わった。
 平民出の少尉に侯爵を興奮させるような強さがあるとは考え辛く、経歴からも変わったものは見えてこない。となれば一つ、容姿に興味を持ったことになる。
「どう考えても迷惑だよな」
 言葉にはしなかったものの”キャスに付きまとわれているほうがよっぽどマシだ”とのデオシターフェィン伯爵の気持ちを、
「迷惑じゃろうなあ……じゃが、こればかりは手をこまねいている訳にはいくまい」
 イルトリヒーティー大公もしっかりと感じ、全面的に同意した。
 ジベルボート伯爵は間違っても平民出の少尉を殺すことはないが、侯爵は間違わなくても殺す可能性が高い。侯爵の場合は興味を持った時点で”殺してみようかな”そのように考える傾向がある。
「だよね。ベルトリトメゾーレ、イズカニディ伯爵と連絡とれる?」
「おう、取れるぞ。……トシュディアヲーシュが侯ヴィオーヴと共に出立してからにしよう」
「そうだね」
―― 頑張れ、キャス! ウエルダ君の人生は君の頑張りにかかってる
―― 頑張るのじゃ、キャス! これに関してはお主に全面協力するゆえにな
 二人は無辜の民を守るべく、その盾となる少女と、彼女と上手く連携できるであろうイズカニディ伯爵へと連絡を取ることを決めた。

「キャス、頑張ってね。ラスカティアはまあ……元気で」
「ジベルボートや、頑張るのじゃぞう。トシュディアヲーシュは適度にな」

**********


「……分かりました。連絡ありがとうございます」
 ゾローデたち一行を見送ったデオシターフェィン伯爵とイルトリヒーティー大公はすぐにでも連絡を……入れるつもりだったのだが、ゲルディバーダ公爵がとある事情で大荒れとなり、その解決策を練り、急いでケシュマリスタ王へと連絡をいれたりと忙しく ――
 それでもゾローデたちが到着するより前に連絡を取ることができた。
 イルトリヒーティー大公はエゼンジェリスタの関係でイズカニディ伯爵とは顔見知りだった為、取り次ぎも上手くいった。
『ジベルボートの補佐、頼みますぞ』
 通信を切ってからイズカニディ伯爵はソファーに体を預け、宙をあてどなく眺めた。
 イルトリヒーティー大公が知っているように、イズカニディ伯爵も彼のことを知っている。嘘を言うような人物ではないことも。
「アーシュが……そんな気はしてたが」
 イズカニディ伯爵、伊達に侯爵と四年間同じ空間で生活していた訳ではない。自分を見る目に色が付いていたことくらいは気付いていた。イズカニディ伯爵は当初、自分の強さに興味があるのだろうと考えていた。
 自惚れでもなんでもなくイズカニディ伯爵は強い。同族同士、隠れて殺し合いにちかい殴り合いでもしたいのだろうと。侯爵に声をかけられたらお相手しようと考えており、実際に声をかけられたことはあった。
 殴り合いなのではなく自領地に招待するというお誘いが。
 同族同士、断る理由もなかったので付いていった先で……何ごともなかった。殴り合いも、殺し合いも。だが白目の色が濃い灰色になったまま。

 人には触れて欲しくはない性癖というものがあるのだ ―― 自分がロリコンかもしれないと悩んでいるイズカニディ伯爵は、他人の性癖に触れる勇気はなかった。

 平民出の少尉、ウエルダを守ることにイズカニディ伯爵も異論はない。彼をジベルボート伯爵から守るだけではなく、侯爵からも守らなくてはならないとは予想外ではあったが。
「キャスが側近で良かったというべきか」
 ジベルボート伯爵は親友ヨルハ公爵を大切にしない侯爵のことを嫌い、攻撃を仕掛けている。そのジベルボート伯爵の行動をゲルディバーダ公爵が容認している。侯爵はどれほど攻撃されてもジベルボート伯爵には決定打を与えられないということでもある。
「アーシュが近付いたらキャスが過剰反応するだろうから……」
 本来であれば諫める立場のイズカニディ伯爵だが、この場合は煽り立てつつジベルボート伯爵を守るしかないと。
「無理だってアーシュ。少尉は185cmの好青年だよ。213cmの凶悪面した大男を抱く趣味はないって」

 侯爵が抱く方であれば、イズカニディ伯爵は遊びにいった時点で逃れられなかった――

「リディッシュ」
 少女の声に驚き背筋を正して入り口に首を回す。
「エゼンジェリスタ……あの、聞いてたか?」
「なにをじゃ?」
「あの……下らない独り言を呟いていたので。聞かれたら恥ずかしいなと」
「本当に何も聞いておらぬから、気にするでないぞ」
 エゼンジェリスタは上級士官学校の制服 ―― 灰色のスラックスと、スラックスよりも白味が強い灰色のダブルの詰め襟のフロックコート。ボタンは黒で、くすんだ金で縁取りされている。ちなみに丈は膝まで ―― を着用し、首から学生証を下げた姿での訪問。
 いつもドレス姿でやってくるエゼンジェリスタの制服姿に、イズカニディ伯爵は彼女の成長をまざまざと感じた。制服姿を見るのは初めてではないのだが、自宅で制服姿の彼女を見たのは初めてのこと。
「そ、そうか。よかった」
 彼女が制服で訪れたのは、今日は特別に外出許可を取ってやってきた為。普段は休日に訪れているのだが、遠征に出発する日は平日で、授業が行われている時間ゆえ見送ることができない。その前に、どうしても……と、エゼンジェリスタは授業を終えると急いで帝星のイズカニディ伯爵の元へとやってきたのだ。
「リディッシュ。頼みがあるのじゃ」
「なんだ?」
「准将の格好したリディッシュが見たいのじゃが」
 イズカニディ伯爵は准将だが軍人の仕事はほとんどしていないため、軍服を着用することはない。
「わかった。待っていてくれ」
 エゼンジェリスタを残し別室へと行き、黒地に灰色と銀で彩られた制服を着る。
 鏡を見ながら階級章の歪みがないかどうかを確認し、マントを羽織ってエゼンジェリスタが待つ部屋へと戻った。
「どうだ?」
「格好いいのじゃ……うん、格好いいのじゃあ……」
 イズカニディ伯爵の肩辺りから下がる宝飾品の一つである金房を掴み、エゼンジェリスタは俯く。そんな彼女の肩に手を置き、
「大丈夫だ。心配しないでくれ」
「うん」
 柔らかな榛色の髪に唇を落とす。
「本当は出立するのを見送りたかった」
 柱の上で泣いていたときは、片腕にすっぽりと収まる程。成長した体は腕一本には収まらないがまだ小さく頼りなく、守りたいと思わせる。本当は強く、守る必要などないほどに賢くもなった少女だが、俯いているエゼンジェリスタはイズカニディ伯爵にとって、守りたい人であった。
「気持ちだけで充分だよ」
 エゼンジェリスタは涙を浮かばせた顔を上げ、イズカニディ伯爵は上半身を丸めて顔を近づける。

『イズカニディ伯爵』

「ぶああああ! どうした、クレンベルセルス伯爵。なにがあった!」
 悲しくも甘やかな空気を一瞬にして飛ばしたクレンベルセルス伯爵。
 側近同士は緊急連絡を取り合う必要があるので、強制的に回線が開くよう通信機を設定する。そのコードをつかいクレンベルセルス伯爵は通信を開き、二人は急いで離れ……クレンベルセルス伯爵は見たが何も言わなかった。
『ゾローデ、帰国が三日遅れるって。だから遠征出立も三日遅れる』
「え?」
『イヴルドーレンシュに寄ってくるんだってさ』
「そうか」
『邪魔して御免。じゃあねえ』
 何時も通り右手の親指を立てて、星が零れそうな笑顔を作り、用件は済んだとばかりに通信を切ったクレンベルセルス伯爵。
「……」
「……」
 出発が三日遅れるとなると、休日に出立となり見送ることができる。
「あの……」
「リディッシュ! 儂、お菓子作ってきた! 遠征中に食え! それではな! 儂は、儂は見送りになんて恥ずかしくて行けないのじゃあ。見送るなんて、見送るなんて……うおおおお!」
 持ってきた菓子が入った箱を押しつけて、耳までまっ赤にしてエゼンジェリスタは走って邸を出ていった。
「う、うん……そうだな」
 誰もいなくなった部屋で立ち尽くし、大分遅れてイズカニディ伯爵は虚空に返事を返した。

prologue − 偽りの花の名【終】



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