偽りの花の名[24]
ケシュマリスタ王が後宮へと行き、手に入れることが叶わない少女への思慕と、奪われる嫉妬を収めるために虐殺を眺めているとき、愛人であるシラルーロ子爵は一人、王の寝室で読書をしていた。
ケシュマリスタ王族特有の寝室、金で作られた檻と丸みを帯びた楕円系の天井が特徴的な部屋でシラルーロ子爵は待っていた。
さきに休んでいても構わない ―― 言われているものの、彼は先に休むことはない。家臣が主より……それも確かに理由だが、王が戻って来る寝室で先に休むのは怖ろしい。それが彼の本心であった。
「……」
すっかりと聞き慣れた寄せては返す波の音を聞き、読んでいた本に木製の栞を挟み閉じ、膝の上に置く。
王の寝室の入り口は一つだけ。
何時入って来ても分かるよう、彼はそこから視線を外すことはない。
床に無造作に置かれた籠には小振りの向日葵。蕾だけで茎も葉もない……それが徐々に開き出す。
無音のまま息絶えている筈の花たちが、王の意志に従い戻って来ること待っている愛人に伝える。
―― 銀髪よりも白髪に近いのだが、僅かに色が混じり仄かな茶色が光沢と相俟って和らげな髪色を作り出している。でも容姿は真逆というか、これで髪色がきつかったら、きつくない性格でも誤解されるだろうなと思う程、厳しい顔立ちの御方だ ――
ケシュマリスタ王に男の愛人がいることが判明したのは、即位してから三年が過ぎてから。それまでシラルーロ子爵は人々の注目を集めることはほとんどなかった。
王の愛人であることが噂に上るようになってからも、人々の前に姿を現すこともなく、出しゃばることもせず、だが確実に王を支えていた。
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二十年ほど前に彼は名家ではあるが困窮しているシラルーロ子爵家を継いだ。どれほど困窮していたかと言うと「奴隷が二人」これが家名持ち貴族である彼の全財産であった。
邸も領地もなく、親戚はいるが生来の気位の高さから身内に弱味を見せることを嫌い、頼ることはしなかった。
彼の実家の困窮は帝国が軍事国家であることと、戦争の激化が原因。
軍人を出せない貴族は、その分を金で補うことが義務づけられた。
平民や下級貴族たちにも課されているものだが、彼らの場合は軍役だけでも軽減され、士官学校を出るとかなりの優遇となり、帝国上級士官学校卒ともなれば ――
だが上級貴族ともなれば、ただ軍人となり軍役を務めれば良いというものではない。帝国上級士官学校を卒業して将校となるか、近衛兵、あるいは帝国騎士。この三つのうちのどれかに限定されている。シラルーロ子爵家は元々軍人の家系ではなく、帝国防衛の責務を果たすことが叶わず、それを金で補い資産は減り続け、ネディルドバードルグが当主の座を就いたとき、奴隷二人しか手元に残らなかった。
そして彼も軍人の才能はなない。
「私が働きますので」
だが彼の元に残った奴隷は財産と呼べるものであった。
一人はフォウベ、働き者の男。
「私も働きますし、家のことはお任せください」
もう一人はヌワーシュという女。こちらも働き者。
どちらも若く、産まれた時からの婚姻が定まっている間柄 ―― 上流階級の婚約は有名だが、奴隷も同じように産まれた時に婚姻相手を主が決める。奴隷の繁殖は主の仕事でもあるからだ。
この二人を売って当座の金を用意することもできたが、なにもない自分を主だと慕い、なんでもすると言い、実際日雇いで金を稼いで彼の糊口をしのいでくれた。彼は貴族であることを放棄したわけではないので、奴隷二人を養わねばならないと一念発起し、職を求めて元家庭教師であった人物を訪ねた。
資産はなかったものの、両親は彼に家庭教師を付けた。
これは後々、働く際に伝手になることを望んでのことで、家庭教師側もそれは重々承知していた。
礼儀作法などに関しては両親から徹底的に躾けられており、上級貴族として何処へでも出られるものを持っていた。それに、どれ程困窮していようとも名家の当主という身分があったため、元家庭教師の斡旋で、礼儀作法を教える教師としての職を得た。
安い二間しかないアパートを借りて奴隷二人の稼ぎと、自分の稼ぎでなんとか生活していけるようになったのが十六歳のとき。家督を継いで二年が経過していた。
奴隷二人は子爵家を継いだ御当主さまの為に奴隷を増やさねばと、半年ほど前に息子を産んだ。その子はノーツと言い、現在は後宮の実質管理者となっている。
「年が近い男の子がいい」
ケシュマリスタ王が十四歳になる弟王子に、礼儀作法を教えてくれる兄役の少年を捜してくれるよう、テルロバールノル王太子クロチィルレイデに依頼した。
テルロバールノル王に依頼しなかったのは「年齢が近い者から見て、これがいい! という貴族が欲しいので。大人が選んだ者はちょっと。それに王が推薦した者に我が儘を言って困らせるのは申し訳なくて。その点、ニヴェローネス推薦なら、少しは許されるかな」それらしい理由を付けたが、ケシュマリスタ王は今は幽閉された王のことを一切信用していなかったことが最大の原因であった。
兄役なので年上 ―― この頃ケシュマリスタ王国には二歳になるエヴェドリットのエイディクレアス公爵が引き取られていたこともあり、弟役は足りていたこともある。
「四年ほどじゃ」
ニヴェローネスは年若い男……とは言っても自分よりは年上だが、若い貴族たちを面談しシラルーロ子爵を選んだ。選んだ理由はシラルーロ子爵家を再興させること。
ニヴェローネスは軍人を出せない貴族に課せられる負担金を疎んでおり、実際彼女の即位後、負担金の額は変わらなかったが条件は随分と緩和された。
もともと軍事国家、ただでさえ軍に権力が集中しているというのに、それに拍車をかけ、誰も止めなかった。それを彼女は軍人以外の者の存在を認めるべきであると、軍帝以降の軍優先に待ったをかけた。
自ら思い描いた未来を確実に手にすると決めていたニヴェローネスは、シラルーロ子爵家の再興を考えて、一度国外に出すことにしたのだ。
候補に挙げられた者たちの中で、シラルーロ子爵家が最も貧乏で、邸も領地も所持していなかったので、単身国外に出すことも、帰国後新領地を貰ってもすぐに移動できるであろうと考えて。
「王太子殿下の命、謹んでお受けいたします」
当時のシラルーロ子爵には分からなかったが、外聞の悪さを考慮してくれたのであろうとは思った。上級貴族が二間しかないアパートに住んでいるのは、王太子としては看過できない状況だろうと考えた。
「失った領地は取り戻してはやらぬが、四年務め上げたら国家に返納された領地の幾つかを下賜してやろう」
彼は許可を貰い、奴隷三人を伴って、ケシュマリスタの弟王子の元へ。
噂に聞く廃墟王城アーチバーデ。その完成された廃墟で彼は「今はもういない」人たちと出会った。
「来てくれてありがとう」
緑衣の正装で出迎えてくれたケシュマリスタ王ボリファーネスト。黄金髪は母王譲りで、真珠を思わせるまろやかな肌は父親王大公譲り。
「初めまして。あの、赤ちゃん抱っこさせてもらえるかしら? ありがとう!」
緑衣に純白の身長よりもやや長い白いマントを羽織った元皇太子にして王妃はハヴァレターシャ。両親共々エヴェドリットの血が濃いのだが、その黒髪は見事な ―― 星が瞬き輝いているかのような光沢を持つ ―― 皇帝を表す黒髪。肌は白かったが透き通るような白さではなく、硬質さを感じさせる白さであった。
この二十四歳になる国王夫妻には子供はいない。
結婚してすでに十二年が経過しているため、子供には恵まれないのではないかと、テルロバールノルでも囁かれていた。
「可愛いわねえ。フォルケン」
「そうだな。名は何と言う、答えてよいぞ。ノーツか」
これから三ヶ月後にはテルロバールノル王との婚姻が決まり、ケシュマリスタ王国を去る王妃の側近にして大親友であった帝国最強騎士フォルケンシアーノ。
褐色の肌に見た者に冷たさを感じさせる雪を思いおこさせる、やや水色味を帯びた白い髪を持つ皇女は、奴隷の赤子の頬を優しく指の腹で押し、
「柔らかいなあ」
頬を綻ばせた。
「家奴教育しよう。カイに負けないくらいの家奴系譜にするんだ」
ボリファーネスト王の一言で子爵の奴隷たちは、最高の教育を受けることになる。
「貴族といえばテルロバールノルで、家奴といえばテルロバールノルだものな。選ばれし者たちの国らしい」
その時、我が儘で気まぐれで泣き虫な王子は兄の背後に隠れ、人見知りが激しい無口なエヴェドリットの幼王子は王妃の後ろに隠れながらノーツを見上げていた。
王妃は膝を折り幼王子にノーツを見せる。
「……」
「まだ触っちゃだめよ、ドロテオ。ドロテオは自分の力を制御できていないから。赤ちゃんはとっても弱いの。ドロテオが触ったら死んじゃうから、駄目よ」
「ふあい……」
幼王子は触りたかったが我慢をした。
王と王妃が死ぬまでの二年間、
「私たちの子供にも、ネロが作法を教えてちょうだい」
「それはいい考えだね、ターシャ」
「フォルケンの子にもね」
「まさか?」
「懐妊したんだって。私たちの子とフォルケンの子、仲良くなれるわよね」
「もちろん。ああ楽しみだ」
シラルーロ子爵は幸せを見ていた。
近くでずっと、穏やかに。
だから幸せが壊れた時、彼は逃げられなかった。もう存在しない幸せを逃がすまいと、ヴァレドシーアはシラルーロ子爵に固執する。
だがそれは最初からではない。
二人が死んだ時、ヴァレドシーアはシラルーロ子爵を殺害しようとした。今では逃がすまいと必死にかき集める幸せを恐れて。
子爵はヴァレドシーアが部屋へとやって来た時、異変を感じ奴隷四人を別室り許可を出すまで何があっても出て来ないよう命じ、昨日までとはまるで別人のようになった王子と対峙し、殺されかけた。
―― 現在のヴァレドシーア様なら確実に殺せたでしょう
当時のヴァレドシーアは人を殴ったこともなければ傷つけたこともなく、人を傷つける時に逡巡する精神の持ち主でもあった。
その為に殺しそびれて部屋を出ていった。腹部を殴り手応えを感じて、口と鼻から大量の血を流している姿を見れば死んだと勘違いしてもおかしくはない。
子爵も死ぬものだとばかり思った。覚悟を決める余裕もなく、痛みと熱と得体の知れない冷たさに、考える力を奪われ意識を手放す。
だがギリギリの所で生き延びた。
「子爵さま」
フォウベが介抱してくれていたのだ。
「……」
「お叱りは受けます。殺されても良いです。でも子爵さまだけは逃げてください」
「どうなった……」
「あちらこちらで、殺され……」
子爵が意識を取り戻したのは、殴られてから五日後。
「オリヴィアストトル殿下が?」
言うことを聞こうとしない体をむりやり起こし、殴られた箇所に手をあてる。傷は治っていたものの、殴られた恐怖とともに痛みがそこには残っていた。
「違います。ロヌスレドロファ殿下が」
泣き虫であったオリヴィアストトルとは違い、泣くことすらできないほどに自信を持っていなかったエヴェドリットの王子は、殺しきる事が出来なかったヴァレドシーアとは対照的に最初から殺しきった。
幽けし月の光の如き、頼りないその姿とは裏腹に殺し続け、粛清の半分は四歳であった王子がしたこと。成人の少し強いケシュマリスタ王族傍系程度では、生まれつき桁外れに強く”グレスを守るんだ、守るんだ”目的と自信を持ったエヴェドリットの幼王子の敵ではなかった。
「グレス、グレス。グレスのお兄ちゃん、僕」
その王子も兄のエヴェドリット王に引き取られ、アーチバーデ城に残ったのは子爵だけであった。
「抱いても良いよね、ネロ」
求めているものは自分ではないことを子爵は理解していたが、拒否することはできなかった。恐かったのだ――自分を殺そうと殴った相手が。あの時は最初だから殺せなかったが、それから殺すことを覚えて、本来の才能が開花し、行き場のない感情が渦巻き残虐さで解放しながら生きる綺麗な男が。
最初のうちは抱かれているというよりは、殴り体を壊されることのほうが多く、看病してくれるフォウベとヌワーシュを悲しませてばかりであった。
その日も殴られ自分の目玉が転がっていくのを眺めながら目を閉じ、次の目覚めた時、彼は故国にいた。
「テルロバールノル王」
「四年の契約満了じゃよ」
四年前王太子であった王女は王となり、契約は満了したとシラルーロ子爵を故国へと連れ帰った。
心身の両方に深い傷を負った子爵を、テルロバールノル王は自らの領地で療養させ、一年が過ぎ傷が癒え始めたころ、
「ネロ」
療養している惑星に機動装甲が二体。
「オリヴィアストトル殿下」
一年前よりも更に美しく、狂人の度合いが増した王が子爵を迎えにやって来た。
「やっぱりここだったな」
もう一体を操縦していたのはクレスターク。テルロバールノル王の療養惑星を調べ挙げ、王に機動装甲の操縦を教えてやると言い、帝国領を抜けてここへとやって来た。
「さすがクレスターク。行こう、ネロ」
「……」
逃げるという選択肢はなかった。また死ぬという選択肢も。
「それじゃあ駄目だぜ、ヴァレドシーア。ちゃんと今までのことを謝って、今度から絶対傷つけないって言うんだ。精神は別物だろうが、肉体は傷つけないってよ。あそこに見えるのはバイゼシュディン惑星だよな、ローグ公爵家の主星。このエバタイユ砲で撃ったら跡形もなく消え去るよなあ」
王は今までのことを詫び、帰ってきてくれと子爵に抱きつき ―― そのまま連れて行かれた。
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