偽りの花の名[23]
 ケシュマリスタ王の後宮。男だけを集めた、収められたら二度と生きては出られない場所。
 作られた廃墟王城の地下にそれはある。巨大な四角い空間、まさに箱庭。手入れされている庭。住居となる建築物の外観は大宮殿に似せて作られていること。違いは壁も床も天井も、全て象眼細工が施されている。
 豪奢な地下宮殿、ここは罪を犯したケシュマリスタ王族を幽閉する場所。
 いまは王族は一人もいない。十六年前は男女の罪人と認定された者がひしめいていた。現ケシュマリスタ王の即位に反対する者たちが。彼らは捕らえられここに幽閉され、そして殺されていった。
 幽閉された当初の彼らは楽観していた。現ケシュマリスタ王に国の統治は不可能で、すぐに泣きついてくるであろうと。
 ”オリヴィアストトル”は泣き虫で自分では何も決められず、恐いことは嫌い。だがそれはもう消えていた。彼らをここに閉じ込めたのは”ヴァレドシーア”それは彼らが知る”オリヴィアストトル”とは違う生き物であった。
 ゲルディバーダ公爵が即位する際に邪魔する者は誰一人生かしておかないと。
「ラスカティア。今夜殺しているところ見せて」
「畏まりました」
 現在そこに収められているのは王族ではない。王族は大粛清の結果、王と王太子の二人しかいなくなってしまった。
 現在収められているのは罪人や邪魔にされた者など。
 ケシュマリスタ王が抱くこともあるが、彼はそれが生きたまま食い殺されるのを見るのを好む。
 食い殺す役割を”現在”担っているのはトシュディアヲーシュ侯爵。

 侯爵が一人で訪れる時は死体処理であり誰も恐れはしないが、王と共に来た日は凄惨な死が不条理に舞い降りる日であると、ある者は覚悟を決め、ある者は隠れ、そしてある者は――
「ノーツの調査によりますと、先日の死亡事故は殺人だったそうで」
「じゃあその犯人も殺して、ラスカティア。ここの生殺与奪は僕が握ってるってのに」
「そうですねえ、ヴァレドシーア様」
「……ノーツの報告は本当?」
「もちろん。俺も鵜呑みにはしませんよ。ま、信頼おける家奴ですよ。ネロ様が居る限りはね」
 他の者たちには知られず、この牢獄の至るところを監視し、真実のみを報告をしている者。

 花びらを散らした黄金の寝室での初夜が、テルロバールノル王により無効とされ、二時間ほど王たちは会話を交わす。会話の内容はもちろんゾローデとゲルディバーダ公爵について。納得することもあれば、意見が食い違うこともあり ―― 居るが反対も同意もしないエヴェドリット王が仲裁しつつ。
 二人の王を客室へと案内してから、ケシュマリスタ王は後宮へと足を運んだ。赴きがある廃墟の中で、一際目立つ金属製の古めかしい扉。
 彼らの能力を最大限に生かしたもので、扉に鍵は掛けられておらず、重みが出入りを自由にさせない仕組みになっている。
「お待ちしておりました」
 トシュディアヲーシュ侯爵は片手で扉を押し開き、ケシュマリスタ王が手の込んだウルヒア織りで作られたサンダル履きの足を滑らせる。
 滑らで軽快な足音と、硬い軍靴に音。
「では広場でお待ちください」
 赤いマントをたなびかせて、トシュディアヲーシュ侯爵は本日の殺すべき者を捕らえるために牢獄内を早足で歩き出す。息を潜めて隠れようとも、頭を下げて懇願しようとも、意味のないことだと ―― 知っていながらも、彼らは恐怖に怯えながら無意味な行動を取る。
 気まぐれな王と感情の薄い公子。
「時間がないので三人でいいですよね」
「そうだね」
 トシュディアヲーシュ侯爵は殺人犯と、なんとなく捕まえた二名。右手に二人、左手に一人、足首を持ち引きずりながらケシュマリスタ王が待っている広場へ。象眼細工が施された建物の中にある空白。やや茶色味を帯びた天然石で囲われているその空間。
「食べ方にご希望は?」
 元々は象眼細工が施されていたのだが、この場での度重なる惨殺により細工が破壊され、またもっと血の色を楽しみたいとケシュマリスタ王が希望し改装された。
「特にないよ。でも人殺しは食べないで。これを注入してやって」
 トシュディアヲーシュ侯爵は頭を下げて恭しく薬を受け取り、効果のほどな興味も持たずに、犯人の体にカプセルを押し込む。
 残された二人をいつも通り、動物が餌を食べるときと同じように内臓から貪ってゆく。
 苦痛と恐怖が映し出される、光を失った瞳。吐血や鼻血と共に顔を彩る涙。それを見たところでトシュディアヲーシュ侯爵がなにかを感じることはない。
 皮膚の味が僅かに変わる調味料が少々――
 空っぽの胴体となった二人と、咆吼を上げる犯人。勃起した自らの性器をしごきながら「足りない、足りない」と苦しさを訴える。
 性的興奮をもたらす薬だったのかと、トシュディアヲーシュ侯爵は全身に爪を立てて暴れる犯人を黙って見下ろす。
「手足切って」
「快感を与えないように?」
 ここまで強い薬を投与されていれば、痛みも快感になる。だが痛みを感じさせないで切り落とすことも可能。
「もちろん」
「畏まりました」
 自分で自分の体に快感を与えられないようにするよう命じられたことを理解して、トシュディアヲーシュ侯爵は両手足をかなり短めに切った。
「よろしいでしょうか?」
「うん。帰っていいよ、ラスカティア」
「それでは失礼たします」
 過ぎたる快感に叫ぶ胴体の横に転がる手足を拾い、二つの体の空洞となった部分にそれを詰めて立ち去ろうとする。
「ねえ、クレスタークはいつ僕のところに戻ってくるのかな?」
「さあ」
「君、クレスタークのこと嫌いだもんね」
「はい」
「正直だね……でも僕は好きだよ」
「ですが嫌いなのでしょう」
 黄金髪の切れ間から覗く、大きくはっきりとしていながら華美さよりも頼りなさを感じさせる瞳が潤む。
「下がれ、ラスカティア」
 口調とは裏腹に、その表情はオリヴィアストトルであったが、ヴァレドシーアにしか会ったことのない彼には分からなかった。

**********


 夜の宴の任を終え、同期と主の寝室へと戻って来たトシュディアヲーシュ侯爵は、しばらく二人を見守っていた。波音を聞きながら、僅かに鼻腔に残る血の香りを嗅ぎながら、なにごともおこならない ―― 筈であったが、突如ゲルディバーダ公爵が起き上がり、ベッドから降りて侯爵のほうへとやってきた。
「ファティオラ様どうなさ……」
 ゲルディバーダ公爵は問いかけに真珠で飾られた純白のかぼちゃパンツを脱ぎ、全裸となって廊下へと出ていった。事情を理解した侯爵は、ベッドの上に取り残された、似合ってるとは言えないが、似合ってないとは主の意向に盾突くことになるので言えない ―― エヴェドリットは主に盾突く生き物だが、全てに反対意見を唱えるわけではない。むしろ戦いとは無関係なことには歯向かわず、流されることが多い ―― 
「トイレだ。気にすんな」
 ゾローデのかぼちゃパンツ姿は、どうでもいいので軽く流される。
「はい」
 いまだ事情を知らないゾローデにそう言い、ゲルディバーダ公爵の後を追った。
 寝室から二部屋離れた、朽ちた窓枠しか座る場所のない部屋の前で、召使いたちが服の入った箱を持ち膝を折って頭を下げている。
「入りますよ」
 下着や靴下、マントに上着……別々の箱に乗せられている着衣を一つの箱に乱暴にまとめて、
「ラスカティアか」
「来ました」
「部屋に入ってもいいぞ」
「失礼いたします」
 許可を得て入室した。ゲルディバーダ公爵やはり朽ちた窓枠に腰を下ろし、ヒビの入った窓硝子に額を押しつけるようにして外を見つめてた。
「ティ……」
「”俺”のことはファティオラで通せ」
「畏まりました。で、どうしたら服を着てくださいますか? ”ファティオラ様”」
 侯爵は箱を投げ捨てるように床へと置き、ゲルディバーダ公爵へと近付き、爪先前で膝を折り頭を下げる。
「お前はゾローデのこと詳しいよな。お前が誰かに興味を持つなんて取っても珍しいことだ。いいや違うな、君が自分よりも弱い相手に興味を持ち、また興味を持ちながら殺していないのは珍しい。理由はなんだ?」
 朽ちた窓枠から身を躍らせて床に降りたゲルディバーダ公爵は、両手で侯爵の頬を掴み自分の顔を見るように持ち上げる。
「ゾローデには兄がおりましてね。異母兄で正妻の息子で同い年。あいつが優秀になる原動力だったそうです。兄嫌いというところに興味を持ちました」
「それで?」
「でもあいつは兄に勝ったんですよ。全てにおいて。そして今、完全勝利した。あなたの婿になったことで」
「ゾローデのこと、嫌いになったのか?」
「……さあ。嫌いと言えばファティオラ様は喜びながら腹を立てるでしょうから、答えたくありませんね」
 ゲルディバーダ公爵は手を離し、侯爵の背中側へと回り、床に広がる赤いマントに腰を下ろして、侯爵の背中に上半身の重みを預ける。
「そんなことないさ ―― 俺はなあ。でもお前はゾローデのこと、僕よりも詳しいんだよね」
「そりゃまあ。でも今の貴方が欲しい答えは知りませんが……あいつは男と関係を持ったことはありあません」
「そうなのか?」
「あいつのヤツは寮で男と同室でしたからね。どちらも同性愛の気がないということで」
「女と同室じゃなくて良かった。女なら同室者を殺している……男は嫌いか」
「興味を持ったことがないと」
 重みを感じる背中をずらし、ゲルディバーダ公爵の腰に腕を通して立ち上がる。
「服を着てお戻りください。ゾローデは今のことについて、詮索などしませんよ」
「それはそれで、つまらんな」
「あいつにそれを求め……ご機嫌斜めですね。俺のほうがあいつのこと知っているのが気に入りませんか?」
「分かっているのに聞くのか?」
「俺としては嫌われても構いはしませんが」
「俺はお前のこと、嫌いたくないね」
 服を着せるようにと長く細い腕を持ち上げる。星々に負けぬ光沢を持つ肌を傷つけぬようラスカティアは袖を上手に通す。
「それは嬉しいことです」
「兄といえば、エスケンパロフィレーゼは?」
 エスケンパロフィレーゼは現ジベルボート伯爵の兄。見た目は瓜二つの彼は、後宮で殺されずに四年の歳月を過ごすことを強要されていた。
「元気ですよ。さきほど後宮に行ってきまして、声かけられました」
「なぜ? あ、パンツは自分ではくぞ。初初しい人妻だからな!」
 先程まで履いていたかぼちゃパンツではなく、体にフィットするボクサータイプのパンツを元気よく、先程と同じようにお尻を突き出して元気よく上げる。
「うい……ひとづ……いえいえ、なんでもございません。言われたのは”妹のこと嫌いなのだろう? 私を当主にしたら、あいつが居なくなる”とのこと。キャスの兄が当主になるためには、キャスが死ななければ無理でして……ばかばかしい」
 エスケンパロフィレーゼは侯爵に「キャスの殺害」を持ちかけたのだが、
「キャス、肉体的には弱いからな」
 侯爵は「弱い相手に対しては極端に」感情が薄い彼にしては珍しく、惜しみない蔑みの眼差しをむけ、無言で答えてやった。
「ええ。負けたんだから大人しくしていればいいものを。ところで、ファティオラ様、口調が変わってます。ファティオラを通したいのなら、もう少し努力してください」
「うそっ!」
「嘘ついてどうするんですか。ゾローデ、詮索はしませんが気付きますよ。むしろ普通の人なら絶対気付きますから」
「今まで誰も指摘しなかったぞ!」
「する必要ないからに決まってるじゃないですか」

 ゲルディバーダ公爵が悔しそうに下唇をかみ目蓋を”ぎゅぅ”としている姿を見て、侯爵は ―― あれ? こんなに子供っぽかったか? ティファティフォン様 ―― 思ったが、触れないで急ぎ服を着せて靴も履かせ、背中を押しながらゾローデの元へと連れていった。

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