偽りの花の名[19]
 背中には柔らかな絨毯の感触と、普段と変わらないクレスターク。
 ヒュリアネデキュア公爵は与えられる快感をに抗わず身を委ねていた。
 関係を持った当初は怒りを感じたものの、こう長く続くとそれらの感情もなくなる。クレスターク以外の男に抱かれることもないので比べることはできないが、自分で男を抱いている時よりも得られる快感は多い。
 焦らすこともなく無駄口を叩くこともなく、ヒュリアネデキュア公爵が登り詰めるのを止めることもない。だがクレスタークが置き去りにされることもなく、上手く同時に達する。
 生理的な喘ぎ声と指を絡め握る手。甘さはないが冷たさもない。
「クレスタ……」
 体内に放たれた精に不快感を覚えることもない。それが当たり前になって久しく。この関係が終わる時は宣言もなく唐突であろうが、悲しさを感じることはない。ただ一縷のなにかが残る。その日が待ち遠しく、また怖ろしく ―― ヒュリアネデキュア公爵にとっては。クレスタークは恐怖などは存在しないので、同じような感覚ではない。だが終わらせるのには、覚悟以外のものが必要であった。もしもそれが恐怖であるのならば、この関係は途切れることがない。

「娘とイズカニディの結婚については、警備が終わってから説明する」
 睦言をかわすような関係ではないのでヒュリアネデキュア公爵は行為が終わると、何ごともなかったかのように立ち上がり浴室へ向かい、体を洗い機動装甲搭乗用のスーツを着用して屋を出た。
 部屋にクレスタークがいるかどうかを確認することもなく。
 前線を維持するうえで必須である機動装甲。その操縦者の中でも優れている者十五名(エヴァイルシェスト)は最低二名、いつでも出撃できる準備を整えて控えている。
 いつも通と変わらぬ無表情のまま、機動装甲格納庫に隣接している監視室へ入ると、
「よお、ハンヴェル」
「クレスターク。なぜお前がいる。今の時間帯はレドルリアカインじゃろう」
 ヒュリアネデキュア公爵と同じく搭乗スーツを着用したクレスタークが、見た目からは味の想像もつかないような蛍光ピンクの大きな菓子のようなものを食べながら待機していた。
「レドルリアカインと交換した。今頃カーサーとシアと一緒に手製の探検隊の旗を振りながら、要塞内を歩いてるはずだ。俺はさっき、それを伝えるつもりでお前のところに行って、忘れたんだ」
「そうか」
 レドルリアカインとはこの二人と同じくエヴァイルシェストでNo.7。
 皇王族の大公で妻帯者。性格が非常によく、子供たちに懐かれやすい。
 彼は才能ゆえに前線基地に留めおかれている子供たちを”する必要はないと分かっているけれど”心配し、子供らしい遊びを考えては連れ出していた。
 その子供の筆頭はカーサー。だが帝国防衛の要と言われるカーサーを緊急事態が発生した場合、すぐに出撃できない場所まで連れてゆくとなると、カーサーの次に実力者であるクレスタークが詰めている必要がある。
「これ気になるか? 食ってみるか?」
 わが子には親らしいことはできないヒュリアネデキュア公爵だが、大人として他人の子供にすべきことは分かっているので、レドルリアカインの行為に関し”いつもながら感心するわい”心から称賛していた。
「なんじゃ? それは」
 前線に異変があったとしても、クレスタークがいれば持ちこたえることは可能じゃ ―― 才能だけならば付き合いの長いヒュリアネデキュア公爵も文句なくそう言える。 
「分からん。シアが作ったもののお裾分けだとさ。味は不明だが、食えない味じゃない」
「お前の食えない味じゃないが、食えた味だった試しはないがのう」
―― 不明なのに食えない味じゃないとはこれいかに?
 周囲の職務についている兵士たちは思ったが、実際菓子を見るとなぜか納得できてしまう。それ程に菓子は強烈であった。
「アルヴァの貴族王は繊細な舌の持ち主だからなあ」
「……煩いわい。アルカルターヴァをアルヴァなどと省略するな! 貴族王などと言うな。何度言ったら分かるのじゃ」
 帝国上級士官学校に入学以来、二十年間ほとんど一緒に過ごしているのだから、そろそろクレスタークに怒りを覚えることが無意味だと……ヒュリアネデキュア公爵も分かっているが、注意するのは彼がやはりテルロバールノル貴族だからである。
「で、食う? シアが良い笑顔で持って来たんだぜ。あの”にたあああ”っぷりからすると、よっぽど自信作なんだろうよ」
 シアとはヨルハ公爵で、クレスタークの実弟トシュディアヲーシュ侯爵の妻。見た目が骸骨に絵の具で塗った布を貼りつけたような姿で、肋が浮き骨盤もあらわ。目は大きいが落ちくぼんでいる状態で隈がひどく、唇はどれほど手入れしようともかさつき、色は白味がかった紫。恐怖の対象エヴェドリット、シアはそれに相応しい強さを所持しているが、彼女を見て人々が感じる恐怖の四割はこの独特な容姿にある。
「一口分、残しておけ」
 ヒュリアネデキュア公爵としても食べるのは構わないが、作ったシアがエヴェドリット族でもかなり上位の悪食平気家系。迂闊に試食し体が不調になり出撃できなくなっては困るので、警備が終わってから食べると告げ、出撃可能状態になっている自分の機動装甲を確認しに離れた。
「ハンヴェル、そっちの確認終わったら、俺のほうに来てくれ」
「分かった」
 すぐに出撃できることと装備兵器の確認をしてから、赤と黒と金色が鮮やかな搭乗スーツを装着し、蛍光ピンクの不可解な物体の欠片を持ち機動装甲操縦室(カーサー)で待っているクレスタークの元へと向かう。
 全長が400mを越える二足歩行が可能な兵器、機動装甲。
 その操縦室は胴体の中心やや下方のあたり存在する。そこまでの高さも200m以上あるのだがヒュリアネデキュア公爵は機体を蹴り足場にして、そこまで容易く辿り着く。
 操縦室は解放されており、
「なんの用じゃ?」
 身を滑らせて一人用の操縦室に身をねじ込んだ。
 クレスタークは機動装甲の動力を入れて、二十画面を表示させる。映像が映し出されたのは三つだけで、一つは前線の状況。もう一つにはレドルリアカイン引率の元、クレスタークが食べていた蛍光色の菓子を頬張りながら基地内を探索しているヨルハ公爵シアとオーランドリス伯爵カーサーの姿。
 そして最後の一つには、クレスターク専用の機動装甲製作所。
「なんじゃこれは。お前はこの色は使えんじゃろう。それに何じゃ? このモノグラム」
 機動装甲は胸元に搭乗帝国騎士を表す紋章が描かれる。帝国最強騎士オーランドリスは金で水仙。ヒュリアネデキュア公爵は王より許された緋色で月下美人。クレスタークの場合はやはり王から許された鮮やかな赤で本人の希望で爵位もなにも関係しない十字が描かれている。
 四つの文字で作られたモノグラムは、貴族に詳しいヒュリアネデキュア公爵だが覚えがなかった。
「知ってる。つい最近、知ったはずだ」
「……」
 クレスタークのヒントに、ある人物が思い浮かんだ。
「この頭文字は何を企んで……」
「            」
「まさか……してやられたわい……」
 名を聞き画面を見直し、ヒュリアネデキュア公爵はほぼ理解した。
「お前の大切な女傑様にも教えたから、グレスの婚姻成立するかどうか」
「協力していたのに妨害するのか? クレスターク」
「ヴァレドシーアが妨害して欲しそうだったから。帝国宰相の都合がつかなかったから、ヴァレドシーアが立ち会うことになってな。大好きなグレスが取られるのを目の前にして、暴れられても困るんで、ここは女傑様に潰していただこうと思ってな」
「なる程。じゃが今回の成立は見送られるが、回避はできぬな」
「まあ、そういうこと」
「このところ、珍しく真面目に戦争調整しているとは思ったが、この為か」
「大将殿下のご登場ってわけさ。グレスの性交渉は帝星で皇帝に直接報告の後になるだろう。帝星なら帝国宰相もいるし、お前も立ち会いできるしさ」
「お前は行かぬのか?」
「カーサーを行かせるからな。グレスも会いたいだろうし、イグニアも来るそうだから。セイニーも喜ぶだろう」
「セイニー?」
 話の流れからすると”エゼンジェリスタ”になる筈なのだが、突如現れたセイニー。
「エゼンジェリスタのこと。学校でセイニー呼ばれるようになったそうだ。あだ名付いたんじゃ! と大喜びで手紙くれたぞ」
「…………そうか」
 ヒュリアネデキュア公爵は娘のフルネームを反芻し、どうしてセイニーになったのか? 少々悩んだが、すぐに考えることをやめた。帝国上級士官学校はいつもこうであったことを、身をもって体験しているので、不可解を解することが不可能であることを彼は身をもって知っている。
「ちなみに返信に、お前と俺の学生時代のユニット名と呼び名書いて返信しておいた」
「……っ!」

 娘に興味はないが、娘に知られたくはないことはある ――

 その後警備を終えて、二人は着換えて食事をしながらエゼンジェリスタについての話をすることになった。
 搭乗スーツから着換えやってきたクレスタークは彼にしては珍しく、膝まで長さのあるシャンパンゴールド生地に銀糸で階級と役職を刺繍した、帝国騎士の中でもエヴァイルシェストだけが着用することを許された制服を崩さずに着て、普段はつけない踝まである赤いマントを羽織い、長い手足に映える黒い長剣を腰にさして。
「珍しいな」
 通された部屋はヒュリアネデキュア公爵との食事としては珍しいバイキングスタイルで、周囲には給仕が一切いない。
「お前こそ、正装でくるとは! フルコースに変える!」
「理由があってバイキングスタイルにして人払いしたんだろう?」
「まともな格好をしたお前を向かいに据えて食事が出来る機会など、この先死ぬ迄あるかどうか」
 それ程までに言われる心辺りはあるクレスタークだが、そこで ―― また着てやるよ ―― と言わないのが彼である。
「食おうぜ」
「仕方あるまい」
 二人は皿を持ち、各自で料理を皿に盛り、酒を選びグラスを持ってテーブルにつく。クレスタークに赤ワインを注いでもらいながら、
「お前はどうしてそんなにエゼンジェリスタのことを気にする?」
 しっかりとした格好でやってきた真意を尋ねる。文句の付け所のない着衣と動作は絶対に話を聞きたいという意志の現れ。
「もしかしたら、俺の義理姉さまになるかも知れないからな。でもお前は俺に義理姉さまのお父さまと呼ばれたくはないだろう」
 口元にワインを運びながら答えたクレスタークに、ヒュリアネデキュア公爵は眉間に皺を寄せて不機嫌さを露わにする。あまり表情が出ない彼がここまで表情を表に出すのは珍しい。
 上級貴族の中でも王族に近いクレスタークだ、当然ながら婚約者はいる。
 現皇帝の娘、皇太子の実妹でありながら皇位継承権を持たないリエンジェリア皇女。彼女がクレスタークの婚約者であった。
「もちろんじゃ。だがな、それは別の方法で回避できる。貴様が皇女と結婚せねば良いのじゃ。お前ほどの男が、どうしてあのような皇女と結婚せねばならぬのじゃ?」
 リエンジェリア皇女は身分が低く皇位継承権を与えるかどうか? 話合いが持たれていたところ、身分の低い男と恋仲になり中絶した過去がある。その事件により彼女は皇位継承権は与えられず、王子との婚約も破棄された。そんな彼女を救ったのがクレスターク。
「お前だって分かっているんだろう? ハンヴェル」
「分かっておる。全部帝国宰相が仕組んだということは分かっておる。あの男が、皇女の密通に気付かぬ筈がないことくらい」
「帝国宰相のアレは、グレスを皇帝にするための布陣だ。皇帝そのものではなく、皇帝の周囲から削っていく。帝国宰相らしいやり口だ」
「分かっているのに、何故?」
「皇帝も結婚させられないと漏らす皇女と婚約したことで、こうして前線でお前と二人きりで食事ができる。悪くないだろう。皇女にとってもな」
 リエンジェリア皇女もクレスタークとの結婚は望んでいない。自分が釣り合わない人間であることを皇女は理解している。ただ婚約者として存在し、クレスタークに自由を与える。それだけが彼女に出来ること。
 クレスタークが皇女に与えるものは身辺の安全。クレスタークが結婚しないことを帝国宰相はヒュリアネデキュア公爵に問い質したが、帝国宰相がクレスタークにと思い描いている結婚相手は婚約者のリエンジェリア皇女ではない。クレスタークが皇女と結婚するつもりがないことは、帝国宰相も分かっている。婚約者として邪魔だからと言って皇女を簡単に排除はしない。むしろ守らねばならない。下手な排除は帝国宰相の「治世」をも脅かす。
 前線維持に必要な男の機嫌を損ねるのは得策ではない。一切愛していない皇女故、駒として有意義に使ってくることは明白。クレスタークは皇女が殺されようともなにも感じない ―― 自らの愚かさで皇位継承権を失った皇女は、こうして守られる。
「妻と十年ちかく会っていない儂が言うのもなんじゃが、上手い方法じゃのう」
「だろ?」
「クレスターク。エゼンジェリスタの話じゃが、儂が寮に持ち込んだ縫いぐるみ、覚えているか?」
 この二人は上級士官学校の寮で同室になって以来、行動をほぼ共にしている。
「覚えてる覚えてる。昔まだ俺が思春期で荒れていたころ”縫いぐるみ抱いて寝るのか?”と本気で尋ねた品だろう」
 ローグ公爵の跡取り息子が持参した年代物の縫いぐるみ。
「教える必要もなかったので教えんかったが、あの縫いぐるみには少々……お前以外の者に話したら信じてもらえぬであろう。だが、お前は信じてくれるであろう《俺と俺よりも不可解な》途切れているのに……」

**********


 ウエルダが士官学校四年の時、卒業直後のゾローデが教官として赴任してきた。
「はい。俺とゾローデが初めて出会ったのは調査書類でご存じでしょうが、生徒と先生の関係でした」
 当時はゾローデ十八歳で階級は少佐相当。
 士官学校の教官としては中程の階級だが、とにかく若い。
「年が二歳しか違わない教官がやってきて、びっくりしました。おまけに顔もいいし。それで授業も楽しくて、教えるのも上手くて」
 ゾローデが連れて行かれた世界を基準に話しているとウエルダは下位軍人だが、宇宙港に務めている徴収兵士たちからすると、士官学校出の少尉ウエルダは立派な軍人である。
「士官学校の教官とはあまりに違っていてびっくりしたんですが、ゾローデ曰く”上級士官学校の教官はもっと自由だぞ”と。ゾローデは言ってたんですけど、本当にそんなに自由なんですか?」
 話を振られた准将伯爵たちは顔を見合わせてから彼らに向き直り、
「ゾローデは嘘を付けない男だ。ウエルダも分かるだろう? そんなに荒唐無稽なこと考えられる性格じゃないって」
「はい」
「卒業生の俺がいうのもおかしいが、あれ学校じゃないからな。じゃあなんだ? と聞かれると学校としか答えられないのだが。ところで、ゾローデは具体的にどんなことを?」
 在学時の教官を思い出し、普通の教官とは違うとあっさりと認めた。
「えーと。一番印象深いのは……教官の話じゃなくてもいいですか?」
「もちろん」
「ゾローデが言っていたのですが、二年に一度の寮祭でオムライス大祭があるとか」
 ”オムライス大祭”に、兵士たちが不思議そうな顔をしたので、ウエルダはゾローデから聞いた通りに説明してやった。
「学園祭の時、ゾローデが”上級ではこういった催しは二年に一度の寮祭でやるんだ。……思い出深いのは、オムライス大祭かなあ”って。聞いたことない単語だったんで食いついたら、半笑い浮かべながら”在学生をオムライスを作る人と食べる人に分けて競い合う競技。普通に作って食べるだけじゃなくて、作ったオムライスを学内に隠して完食阻止を企てたり、材料を完食すると勝ちだから、オムライスになる前の原材料を食べるために調理室を襲ったり、それを事前に察知していた作る側が籠城したり”とか。喋っているうちに思い出したらしく、半笑いが本笑いになったんですけど、本当なんです……か」
 口に手を当てて視線を左床に移動させているイズカニディ伯爵と、にこやかな笑顔で親指を立てて頷くクレンベルセルス伯爵。

―― やっぱり本当だったんだ

 嘘をつくような男ではないことは知っているが、聞いただけではにわかに信じられなかった奇祭。ウエルダが飲み込めなかったとしても、それは悪くはない。

 その後ウエルダ以下平民たちは伯爵二名から”オムライス大祭”について説明を受け未知の世界へと誘われ、酒の酔いもあり、そのまま泊まることになった。
 翌朝、身分も階級もなく、招いた客人と主として朝食をかねた昼食を取っていると、家令がイズカニディ伯爵の元へ来訪を告げた。
「閣下、シュルティグランチ公爵殿下がお見えです」

|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.