偽りの花の名[18]
「上級貴族って遅くても十代半ばで結婚するものだとばかり」
 宇宙港に務める五名の兵士と、強運の持ち主ウエルダに、うっかりケシュマリスタ女の怖ろしさを忘れていたクレンベルセルス伯爵は、帝星貴族街のデルヴィアルス公爵邸へと移動して、
「まあ……それなあ」
 イズカニディ伯爵主催で、互いを知るための交流会をかねた宴が催された。
 最初は緊張していた平民たちだが、クレンベルセルス伯爵との軽快なかけ合いを見て徐々に警戒心がほぐれて、かなり普通に会話することができるようになってきた。
 それに、なによりも料理が美味い。
 美味いだけではなく、彼らの前に並べられた料理に肉類は一切ない。
 原材料の不安を解消するために元の形を残したまま、上品過ぎない味付けでテーブルに並べる。この辺りが気遣いできる、エヴェドリットには珍しい男、イズカニディ伯爵オランベルセ=オランベルジュである。

「結婚しちゃえばいいのに」
 彼らの当然の疑問に、クレンベルセルス伯爵がにやにやと、十四、五歳くらいの少年が浮かべる邪気がありながら無邪気な笑顔に、事情を知らない全員が「?」となる。
「いや、あれは毛色の違う下賤貴族を初めて見たからだろう」
「デルヴィアルス公爵家って、大王の近親者の血をも引く公爵家なんだよ。下賤だと思う?」
「大王……ゼンガルセン大王のことですか?」
 約千年ほど前に第三の反逆王と呼ばれたエヴェドリットの王がいた。
 帝国史から見ると、ほとんど反逆者さながらのエヴェドリット王たち。その中で特に反逆王と呼ばれる程の存在。帝国に生きる者たちには特に語る必要もない。
「その通りだよ、ウエルダ」
 王族の血を引いているほどの人が”下賤貴族”と言う ――
 貴族には疎い平民たちですら、心当たりがあった。全ての貴族を見下し、己が主以外の王を全て見下す貴族がいることを。
「やっぱり分かるか」
 平民たちの顔色が変わったことに気付き、イズカニディ伯爵は”そうだ”とばかりに頷く。
「リディッシュは現ローグ公爵のお孫さんの初恋の相手なんだよ」
 どれほど貴族に疎くとも、仕事をしていれば押さえておかなくてはならない貴族は存在する。軍や各省庁により基準は違うが、どの機構に属していようとも必須とされる数少ない貴族が存在する。その筆頭とも言えるのがローグ公爵家。
「えっと……」
 現ローグ公爵には孫が二人いる。
 十六歳になる長女は主家であるテルロバールノルの第三王子ヨシュディアドリフ王子と婚約中で、十四歳の次女は皇太子妃。イズカニディ伯爵がどれほど名門の上級貴族でも、この状況を覆すのは難しいのではないか? 誰でもそう考える。
「バルキーニが指しているのは次女のシュルティグランチ公爵エゼンジェリスタ、皇太子妃だな。あー断っておくが、俺はロリコンじゃないからな。……まあ隠しているもんでもないし、少しファティオラ様やカーサーも関係するから……聞くか?」
 皇太子妃と結婚するかも知れないという、不可思議な状況に全員襟を正して聞く体勢にはいった。イズカニディ伯爵は自らグラスに水を注いで喉を潤わせ、
「十一年前、俺が十六歳でエゼンジェリスタは当時三歳。いいか? ロリコンじゃないからな!」
 ロリコンではないと重ねて主張する。
「分かってるって、リディッシュ。あんまり念を押すと、皇太子殿下にまでロリコン疑惑に巻き込まれるってば」
 皇太子はイズカニディ伯爵と同い年なので「俺は!」と主張すると、一応正式な夫である皇太子がまるで望んだかのような ――
「ああ、そうだな。それで、エゼンジェリスタはテルロバールノル王女エリザベーデルニ殿下の側近として、また友人として子供の頃から一緒に過ごしていた。それでエリザベーデルニ殿下が皇族爵位を授与される際に同行して大宮殿へとやってきた」
 この時エゼンジェリスタも与えられる地位があった。それが皇太子妃の称号。
 王国には皇太子と釣り合いが取れる年齢の王女はエヴェドリットとロヴィニアに数名いたのだが、皇太子の血統に問題があり、王女を嫁がせることに難色を示した。
 正統を重んじるテルロバールノル王も皇太子の血統には問題を感じたものの、皇帝の家臣アルカルターヴァ公爵であることにも誇りを持つ彼女は、相応の地位の娘を皇太子妃として差し出すことに決めた。
「この時、滅多にソイシカ星から出ることのないファティオラ様、ゾローデが結婚するお相手も同じく皇族爵位を授与されるためにやってきていた。それともう一人、シセレード公爵の姫もオーランドリス伯爵を授与されるために居たわけだ」

「この四人、出会ってすぐに仲良しになり、そのまま大宮殿探索に出た。互いに互いの所に行くと嘘をついてな。四歳、三歳の子供だが非常に頭が良かった。子供四人だけで地下迷宮に。そこでエリザベーデルニ殿下がエゼンジェリスタを助けるために仕掛けに引っ掛かる」
 この四人を身体能力で比較すると一番がエリザベーデルニで最下位がエゼンジェリスタ。
 他の二人は似たり寄ったりだが、エゼンジェリスタはこの二人にも、かなり水をあけられている。
「取り残される形となったエゼンジェリスタは”儂のことはいいので、姫様を追って下され”とファティオラ様とカーサーに頼んだ。で、あのお二人、純真だったもので”分かった!”とエゼンジェリスタを放置して助けに向かった。実際は何処に行けばいいか分からないので適当に走っただけらしいが。エリザベーデルニ殿下はナイトヒュスカ大皇陛下が助け出してくださった」
 三人共叱られるには叱られたが、ゲルディバーダ公爵を本気で叱るなどケシュマリスタ王にはできるはずもなく、イザベローネスタは叱られようが何処吹く風。エリザベーデルニはエゼンジェリスタの分も叱られると姉王に申し出て”当然じゃな”として少々の叱責を受けるだけに終わった。

「四人が迷宮に潜り込んだ日は休日で、当時学生だった俺は地下迷宮にいた。変な泣き声が聞こえてくるな、新しい仕掛けか? と、本当は他の王家が管理している迷宮に入っちゃならないんだが、そこら辺は目を瞑っておいてくれ。色々と抜けていったら、三十p四方、高さ五十数メートルある四角柱の上で膝をついて”儂は恐くなんかないんじゃ。恐くて泣いておるのではないのじゃあ”と泣いているお姫様を助け出す栄誉に預かった。心細い時に助けてくれた相手に恋するのはよくあることだろ? それで、一人泣いていたエゼンジェリスタを連れて迷宮を出て、珍しく大宮殿にいらっしゃったヒュリアネデキュア公爵の元にお送りしたのさ」

 実はエゼンジェリスタはこのとき初めて父親に直接会ったのだが、、
「初めまして父上さま……」
 抱きかかえてくれていたイズカニディ伯爵の胸元にしがみつき、降りようとしなかった。それというのもヒュリアネデキュア公爵、見た目が恐い。皇族系の黒く光沢のある長髪と切れ長の瞳。整っているが表情は皆無。
 当時十六歳のイズカニディ伯爵でも避けたい迫力の持ち主。
 ヒュリアネデキュア公爵はその姿を上から下まで見て、しがみついているエゼンジェリスタを乱暴に引き剥がし、
「本日は手数をかけた。礼を言う」
 それだけ言い娘を連れて部屋へと戻っていった。
 イズカニディ伯爵は礼に関しては流して聞いていたのだが、翌日実家の当主である母親から、
『なにやってんの、おじ様』

 連絡が届いた。―― おじ様 ―― の響きにイズカニディ伯爵の背筋は”ぞくり”とした。

「ここで随分と昔の話になるのだが、俺の実家デルヴィアルス公爵家は帝王ザロナティオンが平定した暗黒時代にほぼ全滅してな。平定後、公爵家を再興するために血縁を捜したところ、滅亡した当主から数えて六代前に、次男がフレディル侯爵家と縁付いていて、尚かつフレディル侯爵家は滅亡を免れていてそこから新当主を迎えて復興した。この次男、奇しくも俺が今名乗っているイズカニディ伯爵だったのだが、彼の二人の息子のうち、これまた次男がかつて”おじ様”と呼ばれていた。その人は二十四代皇帝の側近の一人だった」
 ウエルダは士官学校卒には珍しく、歴代皇帝と主だった側近のことは暗記している。
「ケーリッヒリラ子爵ですか?」
 二十四代皇帝の側近の三名。うち一名は有名なヨルハ公爵で、もう一人は暗黒時代ではなくとある時代に皇帝の怒りを買い取り潰された名門公爵家の出。残る一人が……だが、そのような消去法でなくとも、容姿さえ知っていれば平民でも分かる。
「見た目、落ち着き過ぎて老けてみえるだろう」
 ”やはりな”とイズカニディ伯爵が先程と同じく半眼になる。淡いブルーの右目と銀色を帯びた左目が眠たげになるその表情、彼の癖でもあった。
「いや、ただ落ち着いているので」
「彼の落ち着きぶりは凄かったらしいからね。十四歳で二十代半ばに間違えられる落ち着きっぷりだったんだ」
 ケーリッヒリラ子爵というのは見た目が老けていたのではなく、性格が老成しており、最初に誰が呼んだかは不明だが二十四代皇帝の御代では、ほとんどの者がおじ様と呼んでいた。その頃は実年齢も四十過ぎてはいたので”おじ様”だったのだが、若い頃からおじ様と呼ばれていたのは紛れもない事実であった。
「俺はケーリッヒリラ子爵の兄の血筋に該当する。ケーリッヒリラ子爵は終生独身だったのだが、晩年は一人の姫君と暮らした。その方は大公と結婚し子供には恵まれぬまま死に別れた御方でなあ、仲睦まじく、だが決して一線越えることなく、大宮殿で気の合う仲間たちと過ごして姫君を残して彼は去った。その姫君こそローグ公爵家の姫。当時は別王国の貴族が婚姻を結ぶことは無いに等しい状態。精々国を超えるのは王家のみ。貴族は同国の貴族と結婚するのが当たり前だった……という過去がある。ヒュリアネデキュア公爵はそれを覚えていて”現在ならば良かろう”と。ご自身もケシュマリスタ貴族と結婚していることもあり、許可を出された――エゼンジェリスタがどうやって閣下を説得したのか俺にはさっぱり分からないがね。まあ俺は結婚しなくてもいい三番目の子供だから、テルロバールノル王から独身で待機しているように命じられてこの年になった」

 話を聞いていたウエルダ以下平民たちは、偶に皇太子妃として式典にならぶエゼンジェリスタの姿を思い描き……皇太子ではなくイズカニディ伯爵と結婚できたらいいのにと考えた。
 責任のない立場の者だから思えることだが、
―― 帝国上級士官学校に入学したのは、皇太子妃になりたくないからなんだ
 それは真実でもあった。
「長いから俺の話はこの位で切り上げるか。次はウエルダがゾローデと出会った時の話を聞きたいな」
 イズカニディ伯爵が自分と姫君の話をしたのは、ウエルダから話を引き出すため。話やすくするためにも、自分の内側をある程度さらけ出して見せたのだ。

**********


 ヒュリアネデキュア公爵は前線基地とは思えぬ豪奢な部屋で、次女の成績に目を通していた。
「……」
 次席で帝国上級士官学校を卒業した自分には似ず、努力しても中程の成績だが、彼が特になにかを感じることはない。
「失礼する」
「何用だ? サロゼリス」
 彼はテルロバールノル貴族として、前線基地でも煩雑な貴族の決まりを守らせるが、例外は数名いた。その一人がこの前線基地を預かるシセレード公爵縁の人物。
 彼と同じく黒髪で鋭い目つきなのだが、性格は普通にしている分には柔らかいせいで、優しげに見られる。
「お前が頼んでくれた、カーサーの婿候補のリストなんだが」
 手渡された画面の中心にあった名。
 イズカニディ伯爵オランベルセ=オランベルジュ。文人が並ぶリストに一人だけ紛れ込んだ軍人。
「大方、あの女がねじ込んだのであろう」
 ”あの女”とは現ローグ公爵。現ローグ公爵と次期ローグ公爵は不仲として知られている。不仲の原因は定かでないのだが、不仲であることは真実であった。
「うん、まあそうなんだけど。リストから外したほうがいいか?」
「……ふん。欲しくば遠慮するな。わざわざ聞きに来たのは、お前としても良い婿になると思ったからだろう。儂もその男はカーサーの婿には相応しいと思う。母上さまの選定眼には恐れ入るわい」
 二人とも互いを嫌い、機会があれば相手の決定を邪魔をする。
「それはそうだが……娘、可愛くないのか? 同性愛者でも娘は別ものじゃないのか?」
 ヒュリアネデキュア公爵は生まれつき同性愛者であった。
 だからといって貴族の責務を放棄するような性格でもなく、親が決めた婚約者との間に二人の娘を儲ける。大っぴらに公表している性癖ではないが、必死に隠しているわけでもない。だが殊更喚き散らさず騒がず、責務を全うし、とくに男漁りすることもないので、あまり知られていない。
 ただ家族の愛情が希薄な家で育ち、女性に愛情を持たない性質ゆえに、妻子に興味を持つこともなかった。
「年の離れた妹は可愛いじゃろうが、年の近い娘はさほど」
 サロゼリスとヒュリアネデキュア公爵は同い年で、前者の妹と後者の次女は一歳違い。前者は感情が欠落してしまっている戦いの化身の身を案じ、後者は好きにしろとばかりに放置している。
「そんなものか……イズカニディ伯爵はリストに入れておく」
「ああ」
「邪魔をした」
「いいや」
「クレスタークに比べたら、だろう?」
 扉の向こう側にある気配に苦笑いを浮かべつつ、サロゼリスは部屋を後にし、
「ああ」
 入れ違いでクレスタークが入って来る。
 部屋の主に声をかけるでもなく、許可もなく起きっぱなしにしている丈夫さを追求した、この室内には不似合いな椅子を部屋の隅から中心に移動させて、背もたれを抱くようにして座る。
「おい、ハンヴェル」
「お前は椅子にもまともに座れんのか? クレスターク」
 椅子にまともに座っていないどころか、クレスタークの格好は白いシャツに黒いズボンと手袋、それに長さ三十センチ程度の短剣を腰からぶら下げただけの、貴族としてはあるまじき格好。ヒュリアネデキュア公爵がどれ程注意しても聞きはしないことは承知しているが、彼は注意をする。今日も同じように注意しようとしたのだが、
「お前の家の嫌がらせに、カーサー巻き込むなよ。お前興味ないだろうが、サロゼリスはカーサーの母親が初恋で、かなり思い入れがあるんだよ」
 今回はその機会を逸した。
「それは知らなかった。それでお前は儂に……」
「なんでエゼンジェリスタとオランベルセを婚約させようとした? 皇太子妃にすることは、お前も王に同意していたよな《俺と俺との関係だ。隠し事はなしにしようぜ。なあ》俺には関係ないことだろうから教えてくれよ」
「気が向いたらな」
「気が向くまでここに居座る」
「好きにしろ」
 クレスタークは長く逞しい腕を伸ばし、ヒュリアネデキュア公爵の後頭部を掴んで乱暴に顔を引き寄せて口元に噛みつく。
「間に合っておるわい」
 腕でクレスタークの胸を押しながら間を広げてヒュリアネデキュア公爵は顔を背けた。
「間に合ってないだろうが」
 同性で見た目の体格も似たような二人だが、腕力では勝ち目無く、ヒュリアネデキュア公爵は机の上に引きずり上げられる。机上の古めかしい細工が眼をひく青味を帯びた黒インク液が入った壷が倒れる。
「本当に要らん……先日カーサーの件で連絡を取った際、帝国宰相に文句言われたわい。お前が結婚しないのは、儂との気安い関係も一因じゃろうと。事実だから仕方ないのじゃが、儂も常々そう思って折る。お前程の男が独身でいて良い筈なかろうが」
「お前のことだから、帝国宰相に”まずは鏡見て喋ることをお勧めするのじゃ”くらいは言っただろう」
「確かに言ったが……聞いておったのか?」
「いいや。お前と付き合い長いからな、ハンヴェル」
 歪さなどなく綺麗な笑みを浮かべているクレスタークの唇だが、禍々しさは隠しようもない。
「娘と伯爵の結婚を許した理由を聞いたら帰るか?」
「帰らんが」
「返事は分かっておったがな。離せ、脱ぐ」
 一度着用した服は二度と袖を通さない大貴族だが、服を引き裂かれるのは御免だとマントを止めているビスを外し、引き寄せられた時に倒れた椅子を直して背もたれに掛け、床に敷き詰められている毛足の長い淡いベージュ色の絨毯に胡座をかいて座り、ヒュリアネデキュア公爵は今度はカフスに指をかけた。

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