偽りの花の名[06]
 定時で仕事を終えて、部下たちに明日からバルデンズが俺の代わりを務めることを伝えて、帝国史編纂室へ向かう途中三人で ―― 俺とウエルダとクレンベルセルス伯爵 ―― 夕食を取ることにした。
 いつもの食堂で……そろそろ慣れて欲しいのだが、今だに注目を集める。
 たしかに王族が現れたら……だが、俺は元々王族とは縁もゆかりもない男だから……。
「ゾローデ、また立って食べるのか?」
 未だにマント付けたまま座ることすらできない程、小さい男なんだよ。
「立たせておいてくれ、ウエルダ」
 そろそろマントの扱いも本気で覚えないといけないなとは思うが、そんな余裕が見つからない。
 汁物は立って食べるのには向かないので避け、
「ゾローデ、海老フライはどう?」
「もらう、バルデンズ」
 できる限りマントを汚さないものを。マントの前身にかかる肩の部分が気になる。
 差し出された海老フライをフォークで刺そうとしたその時だ、
「ああ。僕も海老フライ食べたい」
「キャステルオルトエーゼ」
 食堂へジベルボート伯爵がやってきた。
 近付いてきて、
「ヴィオーヴ侯爵殿下、僕その海老フライ貰ってもいいですか?」
 小首を傾げて目元を緩め、楽しげに口元を開く。
 小さくて可愛らしい口もとが、美しくまろやかな線で笑みを描く。
「ああ、いいよ」
 顔見知りの十三歳の女の子に頼まれたら、断れるはずがない。
「やった。ヴィオーヴ侯爵殿下大好き!」
 ジベルボート伯爵も一緒に夕食を取ることになった。彼女はただ海老フライを貰いに来たわけではなく、カロラティアン伯爵から言伝を預かってきた。
「引越し?」
 いま暮らしている官舎を引き払い、帝星の貴族街と大宮殿内のケシュマリスタ区画に居を構えろとのこと。
 王族が佐官用官舎に住んでいるのは、たしかにおかしいだろうな。
 大宮殿内のケシュマリスタ区画はもちろん一等地が与えられ、
「欲しい家ありますか?」
 貴族街の邸は、ケシュマリスタ所有で空いているのが幾つかあるので、好きなのを選べと。
「すぐに選ばなくてはならないのか?」
「はい。出発前に選んでください。帰ってきた時には引越は済ませておきますので」
 次から次へと……やることが溢れるな。
「あとヴィオーヴ侯爵殿下のお荷物ですが、ウエルダさんに運び出してもらうってことでいいでしょうか? 本当は僕が立候補したかったのですが、伯爵さまが”十三歳の美少女に触れて欲しくない所もあるだろう”って。大人の世界を覗くには早すぎますかね」
 カロラティアン伯爵はジベルボート伯爵の扱いが上手なのだろうな。もちろんジベルボート伯爵自身、知りながら上手に扱われているのだろうが。
「頼んでいいか? ウエルダ」
「それは構わないが」
「私も手伝うから。キャステルオルトエーゼはゾローデと一緒に主星に向かうんだよね」
「はい!」
 ジベルボート伯爵も一緒か。
 今日知り会ったばかりだが、少し心強い。そのくらい、俺は不安を感じているのかも知れない。
 食事を終えて帝国史編纂室へと行き、クレンベルセルス伯爵が前もって注文しておいてくれた作りたての本を受け取り、明日搭乗するケスヴァーンターン公爵殿下の旗艦へと運び込んで貰うための書類を書いて、そのまま今度は邸選びに。
 邸なんてどれも見事なものなんだから、どれでも良いんだが――そうも言ってられず、夜になってから邸を一つ一つ見て歩くことに。
 あの独特のケシュマリスタ建築。壁が三方しかなく一面は外に接しており、当然窓硝子もなにもない。床には丸い穴が空いていて、全室と水でつながっている……など。ケシュマリスタでも大貴族でもない限り、この造りの邸を帝星に構えることはできない。帝星の貴族街は土地が制限されているから、名門ながら普通の勢力の場合は普通の邸になる。
 とは言っても、帝星の貴族街に邸を構えられるなんて大名門貴族以外の何者でもないが。
 俺が勧められたのはどの邸もケシュマリスタの独特な造りであったが、その中でもあからさまにジベルボート伯爵が押す邸に決めた。
 なんでもできたばかりの邸で、邸その物に歴史がないので、
「皇族爵位をお持ちの方が初代の主となれば、邸にも箔が付くのです」
 俺が初代当主で箔がつくのかどうかは知らないが、ジベルボート伯爵が喜んでいるので良しとしよう。
 その邸に入って今度は調度品類のカタログを出され、眠い目を擦りながら一つ一つ選ぶ。普段は寝なくても平気なのだが、昨日から今日にかけての精神的な疲れのせいか、眠気が襲いかかり、気付くと朝になっていた。
 眠っていたのは軍の野外宿営用のマットと薄いシート。
 大邸宅には似合わない軍用品だが、俺には馴染み深いので調子がいい。
「目が覚めたか? ゾローデ」
「ウエルダ」
「軍用品、拝借してきた。よく寝られたか?」
「感謝する」
 ちなみにケシュマリスタのベッドは室内を覆い覆い尽くし、目覚めの時間近くになると天井から花びらや花が振ってくるのだそうだ。
 壁もなく、部屋は巨大な籠といった感じの作りで、海から現れる焼けつくような朝日が、室内を照らし出す――ジベルボート伯爵が説明してくれた。
 聞いただけで眠るのが怖ろしくなる寝室だ。元々俺は簡素なベッドで寝ていたので、寮の付属品のベッドの寝心地に驚いて、一年ちかく夜中に目が覚めたほど……豪華な品とは縁遠いというか貧乏人だ。
 与えられたこの邸や大宮殿内の区画の片隅に、廉価軍用品だけの部屋を作って、ひっそりと息抜きしよう。そうしよう!

 俺がそんな決意をしている間に、クレンベルセルス伯爵が自宅から連れてきてくれた使用人の皆様が、俺の身支度を調えてくれた。最終チェックはクレンベルセルス伯爵が。
 マントも新しいものになっていて ―― 二日も同じものを着用して歩く王族なんていないそうだ ―― また硬い新品を肩から下げて、いつも出勤している宇宙港へ。
「馬車……」
「はい。お迎え用の馬車です。僕の家の馬車如きですが、これで我慢してください」
 貴族街には当たり前のことだが公共の交通手段は存在しないので、馬車に乗るしかないらしい。朝食も邸で取って来たので、配属以来皆勤だった食堂に足を運ぶこともなく、まっすぐ目的地へ。
「ゾローデ、あれ」
「出迎えのアーチだな」
 港から溢れ出している、黒に少々の緑が混ざるケシュマリスタ王国軍の軍服を着用した人たち。並び方からして「偉い人出迎えアーチな配置」だ。学生時代やった記憶がある。まさかこのアーチで出迎えられることになるとは。
「俺はここで。頑張ってこいよ、ゾローデ」
「任せておけ。帰ってきた時にはウエルダがびっくりするくらい貴族になってくるから」
「そうか」
「バルデンズ、なにをするのか分からないが、後のことは任せた」
「任せておいてくれたまえ、ゾローデ」
 二人はアーチ前で、ジベルボート伯爵はいつの間にかいなくなっていた。彼女はこういう場面になれているのだろう。
 そして俺は一人、アーチへ向かって歩き出す。
 人が二人くらい通れる程の幅を開けて両側に立つ。間を通る人の頭上で軍刀をクロスさせる。重要なのはクロスさせるのだが、刃は決して交えず、数ミリのところで止めることを要求される。クロスさせる軍刀は左腰に差し右手で抜くのが決まりで、利き腕などは考慮されない。ちなみに「偉い人見送りアーチ」の場合、軍刀は右腰に差して左手で抜く。
 軍刀の抜くタイミングは通り抜ける人が二人分前にきた時。自分の体にくっつけるようにして抜かなくてはならない。
 俺は結構これが得意だった。仕事としてこれを請け負うことがあるだろうと。中を通り抜ける予定はなかったので――人生って分からないものだな。
 無事にアーチを潜り抜けると、その先にはケスヴァーンターン公爵殿下が待っていた。
「おはよう、ゾローデ。待っていたよ」
 熱く抱擁というか、苦しく捕縛されてから、俺は機上の人となり、ケシュマリスタ主星へと旅立った。

**********


 移動中に歴史もそうだが、ケシュマリスタ王国に関して学ぼうと考えていたのだが、そんな暇はなかった。
 帝星からケシュマリスタ主星までの距離は”さほど”ではない。
 もともと帝星と主星の位置はワープ装置が発達する前に定められたものだから、移動時間があまりかからない位置にある。
 その上現在はワープ装置があり、帝星と主星の間は最短ルートで結ばれる形となっている。そりゃまあ、主要航路だよな。その為、すぐに到着した。
 五日はかかったが、その間ずっと……
「少女が驢馬に乗って〜」
 ケスヴァーンターン公爵殿下のお歌を聴くことに。
 歌声は当然ながら美しい。透き通るような声というものを知ったのだが……ずっと、

「驢馬に乗った少女が会いに来てくれる。夜も少女が会いに来てくれた。毛布一枚持って。草むらで丸くなって眠る少女。少女はたくさんの人をこの静か過ぎる場所へと連れてきてくれた。優しい女性。知的な青年。月の如き青年。落ち着いた青年。そして美しき御方と。少女が大好きで、少女は誰からも愛されて、手を伸ばしても届かないけれど、少女に会えたことが嬉しい。今日も少女が驢馬に乗ってやって来てくれる」

 ……と言った意味の歌を歌い続けるのだ。タイトルは知らないが、ずっとこの歌の繰り返し。洗脳用の歌なのかもしれない。夢にまで見てしまったからな。それも歌詞にはない部分を脳が勝手に作りあげて。
「木々にリボンを巻いて目印とか……そんな感じはする歌だが」
 灰色びた驢馬に跨り、深い森の中を進む。
 囀る鳥の声を楽しみ、その先にいる美しい人に会う喜びに満ち溢れ、そして驢馬と話をする。二十五歳過ぎた大人が見るような夢ではないだろう。
 なにが一番不思議かって、驢馬に乗った少女の会いに行く相手が「きれいな人」だと思っているところだ。歌は会いに行く相手が歌っているので、当然自分のことを「きれいな人」などとは歌っていない。それなのに「美しい御方」と解釈してしまう。
 それと帝国臣民としては当然のことだがお美しい御方はケシュマリスタ容姿で再生される ―― 骨の髄まで帝国臣民である証ともいえるな。
 夢を繰り返し見て、延々と驢馬に乗った少女とかいう歌を聞かされ、俺はついにケシュマリスタの主星に辿り着いた。モニターに映し出されているのは蒼い星。惑星の表面の97%は海に覆われている。
 僅かに点在する小島と、海に浮かぶ完全人工の計算されつくした廃墟 ――
 着陸態勢に入り、王が帰航するための場所へと静かに着陸する。
「付いて来るんだよ、ゾローデ」
 ケスヴァーンターン公爵殿下……ではなくて、王国内に入ったのだから王だ、王。ケシュマリスタ王に促され俺は後ろに従った。
 宇宙船から一歩外に出ると景色よりもまず海の香りに驚く。
 俺が嗅いだことのある潮の香りとはかなり違う。惑星の大気成分や海水の成分によるものなのだろう。
 一見すると王が帰還する港とは思えないほど周囲は崩れ、目立たぬ草たちが建物の割れ目から生え成長している。人が訪れない廃墟にしか見えないのに、そこにケシュマリスタ王が降り立つと一変する。
 冷たさを感じさせる色褪せたような青空と波音。風に煽られる深い緑色のマントと黄金色の髪。ケシュマリスタが最も映える場所なのだと、誰もが納得するだろう。
「ヴァレドシーア!」
 崩れかかったようにしか見えない入り口から、ケシュマリスタ特有の性別判断はできないが、若々しい声が聞こえてくる。
 足音と共に現れたのは、ガウン調の服を着たシュスターク帝。
 星を散りばめた夜空の如き光沢を持つ黒髪。右が蒼で左が緑の瞳。すっと引かれた眉。どことなく鋭角的な印象を与える容姿。
 着ていらっしゃるガウン調の服は踝まである裾から脇腹の辺りまで、大きな白百合が一つ描かれている。こんなにも皇帝色と言われる白を多用した服を着ている皇帝以外の人を見たことはない。
 そしてまた皇帝色がよく似合っている。
「ただいま、グレス」
 皇帝だと言われなくとも、無言のまま現れただけで、俺を含めた帝国の者たちは一斉に頭を下げる。本物の皇帝……目を背けていたが認めるか。
 エルタバゼール陛下は良くて上級貴族だ。俺ごときが失礼極まりないが、皇帝らしさがない。”らしさ”がどんなものなのか? 勿論伝えることはできないし、俺が物心ついた頃にはエルタバゼール陛下が即位していたので他の皇帝のことなど知らないのだが ―― ゲルディバーダ公爵殿下は皇帝だ。
 現在、映像にしか存在しない皇帝がここに。あの奴隷皇后を迎えたシュスターク帝と瓜二つの皇帝がここに存在している。
「おみやげは? ねえ、おみやげ!」
 抱きかかえられたゲルディバーダ公爵殿下はケシュマリスタ王の髪の毛を弄りながら、楽しそうに話しかけられた。
「どうした? いつもはそんなにおみやげ欲しがらないのに」
 ふと思ったのだが、このお二人が結婚したら丸く収まるんじゃないのか?
 一般階級は叔父と姪の結婚は禁止だが、貴族クラスになると異母兄弟や叔父伯母、姪甥など普通に結婚できる。
 ……あーもしかして、ケシュマリスタ同士から子供が生まれづらくなるのか?
「すっごい素敵なおみやげがあるって聞いたの!」
「誰にだい?」
「ネロに」
 ネロ……さま? たしかその御方は、ケシュマリスタ王の愛人の中でも別格の御仁だと。ジベルボート伯爵から教えてもらった。
 いや俺もケシュマリスタ王が重用し最も長く続いている男性の愛人の存在も名前も知っているが、さすがに愛称までは知らない。それをジベルボート伯爵がさりげなく教えてくれた。
 シラルーロ子爵ネディルドバードルグ閣下。
 略したらネロになりそうではあるが、貴族の名前なんて略したりしないのが普通。だから同じ名前が増えたといって、ケシュマリスタ王の「ヴァレドシーア」といった愛称がつくわけで。おまけにシラルーロ子爵はテルロバールノル貴族。名前を略したりされるのは、許せない性質のような気がするのだが……。
「ネロがおみやげって言ったの?」
 気にしないでおこう。俺が何を考えたところで変わりはしないし、ケシュマリスタ王の愛人に会うこともないだろうから。なんでもケシュマリスタ王はシラルーロ子爵のことを偏愛していると……カロラティアン伯爵が言っていたので。
 絶対に近付かないほうがいいな。
「違う。”貴方にとってかけがえのない贈り物となることでしょう”って。おみやげでしょ、おみやげ!」
 到着した時から漠然とした不安を感じていたのだが……俺のこと説明してない? 一切の説明がないまま俺、ここにいるってこと?
「はいはい。これゾローデ、グレスへのプレゼント」
 ヴァレドシーア様はゲルディバーダ公爵殿下を俺の目の前に降ろした。
「? え? これ?」
 ゲルディバーダ公爵殿下が驚いた顔をして俺を指さす。
「グレスのお婿さん。書類も提出してきたから正式な王婿だよ。仲良くしてあげてね」
「……」
 俺から口を開くわけにもいかないし……それ以前に、ゲルディバーダ公爵殿下が崩れ落ちて大泣きしてしまいました――
 俺の居たたまれなさと、ケシュマリスタ王に対するこの気持ち! 誰か分かってくれ!

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