帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[214]
 どちらとも目的地を言わず、ただ反重力ソーサーを走らせる。
 風が二人の頬を撫でる。
 かなりの速度だが、二人を撫で通り抜けてゆく風はとても柔らかで温かかった。
 偶に落ちてきた葉がぶつかるが、不快さを感じることもなく、痛みもほとんど覚えることはない。
 どこへ行けと指示を出すこともなく、指示を聞きもせず。行きたい場所はなく、居たい場所はここ。ザイオンレヴィに抱きつく腕に僅かばかり力を込める。
 ザイオンレヴィは片手を外してマルティルディの両手の上にその手を乗せた。

 がさがさと硬い音をあげる輪飾りと共に――

 大宮殿にいるものしか見ることのできない内海に出た。
 ザイオンレヴィは海岸沿いで反重力ソーサーを止める。マルティルディは腰に回している腕を外そうとはしなかったので、そのままで二人は暮れゆく海を眺めた。
 落ちゆく太陽と燃えゆく海。
 光は奇跡などは起こさず海に消え、残照が空であがく。
「グリーンフラッシュ見られなかったね」
「そうですね」
 沈む一瞬に輝く緑閃光。かつては稀な現象であったが、いまは調節して見ることも可能。だがマルティルディはそれを望んでいたわけではない。
「やっぱりケシュマリスタの海だよね」
「そうですね。僕も初めてグリーンフラッシュを見たのは主星でした」
「僕と出会った日だよね」
「はい。見たものには幸せが訪れると……」
「そうだね」
 明るさは徐々に暗闇に染まり、宵の明星が輝き出す。
「帰る」
 空に現れたケシュマリスタの化身とも言われる宵の明星を見上げながら、マルティルディは移動を命じる。
「畏まりました」
「ダグリオライゼのところまで」
「はい」
 マルティルディは用意された座席に、美しく波うつ黄金髪を腕で払い除けながら腰を下ろし足を組み、ザイオンレヴィは再び操縦席に立った。
 先程まで二人の頬や肩を撫でていた風よりも冷たい――二人はそう感じた。その冷たさは陽射しがなくなったことだけが理由ではない。
 父である皇帝サウダライトの居場所を確認し、そこから ―― 謁見の間にサウダライトはいた ―― 動かないように連絡をする。
 大宮殿内も反重力ソーサーで通り抜け、謁見の間前で着陸し、早めに降りて手を差し出した。
 マルティルディはその手に軽く触れて降り、
「もういい。行け」
 反重力ソーサーを飾っていた輪飾りを千切り手に持ったままザイオンレヴィの脇を通り過ぎ、謁見の間の扉を開かせ、己の髪よりもくすむ輝きしか放てぬ黄金を敷き詰めた通路を真っ直ぐにつき進む。玉座に辿り着く前に扉は閉ざされ、ザイオンレヴィはしばしそのまま巨大な扉を見上げていた。
 いつまでもこの場に居られないと立ち上がり、謁見の間前に落ちてしまった輪飾りの破片を拾い集めてポケットにしまいこみ、反重力ソーサーを手で引くようにしてその場を去った。

 マルティルディは玉座の脇で待つサウダライトの元へと向かう。細く長く、芸術品のような足が、遅すぎず、だが急ぐような素振りなく、調和した速度で髪を靡かせて近付いてゆく。サウダライトは玉座の脇で膝を折り頭を垂れる。
 皇帝とそれ以外を隔てる低い段差の階段を、軽く乗り越えたマルティルディの爪先がサウダライトの視線の先に現れた。
「立てよ、ダグリオライゼ」
「畏まりました」
 サウダライトは怯えているような早さではなく、だが待たせるような緩慢な動きでもなく、いつもの彼のまま顔を上げて立ち上がった。
 固めの襟を引き裂くように鷲掴み、
「君、この僕に隠しごとしたんだね」
 顔を近づけてマルティルディはいつもの小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
 乱暴に皇帝を掴んでいる腕の反対側には、群青色の輪飾り。
「申し訳ございませんでした」
 驚かせるためにマルティルディに伝えず、グラディウスを喜ばせるためにマルティルディを驚かせたサウダライト。
 マルティルディは謝罪を聞いても表情を変えず、また許してやるどころか何も言わず、襟から手を放し、
「皇帝の私室に四王を呼び出せ」
 皇帝にしかできないこと”命じた”
 王を呼び出せるのは皇帝のみ――
「畏まりました。どうぞ、こちらへ」
 玉座から続く皇帝の私室へサウダライトが自ら扉を開き、椅子を勧める。マルティルディの体にぴったりと合う木製の背もたれがやや低めの肘付き椅子に腰を下ろして、四王がモニターに現れるのを待った。
 いま帝星に四王はおらず、突然の皇帝直々の呼び出しに驚くも、背後にマルティルディがいることをすぐに察して、彼らはモニターの前に集った。
 マルティルディは王太子でありながら、王たちがモニター越しに現れても立ち上がることをせずそのままであった。
 イダ王はその肉感的な唇を軽く舐めただけでなにも言わず、礼儀作法に煩いテルロバールノル王は不愉快な表情を浮かべるも無言を貫いた。
 実力で勝てぬエヴェドリット王はマルティルディ相手には黙し、久しぶりに会った老王に声をかけた。
「久しいな、ラウフィメフライヌ」
 マルティルディの曾祖父であり現ケシュマリスタ国王ラウフィメフライヌ。
 デルシの兄であるエヴェドリット王が即位した頃、ラウフィメフライヌは既に王であった。今よりもずっと残酷そうであり、悪辣そうであり、だがそれらを覆い隠せる美を兼ね備えた王。
 ラウフィメフライヌはケシュマリスタ王族にしては珍しく、男性を思わせる風貌を持っていた。顔その物は即位している頃から賢帝の誉れ高かったオードストレヴ帝に似て中性的なのだが、彼の内部に潜む性質の多くが雄に偏っていたこともあり、ラウフィメフライヌという王は確かに男であった。

 だが今はもう、見る影もない。

 孫であるエリュカディレイスに幽閉されていた時は悪辣な性格も往年の姿も維持できていたが、曾孫であるマルティルディが実権を握って約十年。それはラウフィメフライヌにとって百年を超えるかのような苦痛に満ちた歳月であった。
 顔右半分の皮膚は赤黒く爛れ、血管が浮き出ている。その血管も顔に元々あったものとは到底思えぬ太さがあり、顔の右半分に浮き出て、しがみついているようにも見える。
 顔ほど酷くはないが右半分の首から腰の辺りまで皮膚は、不快さと醜さを感じさせる肌に変質してしまっている。
 ラウフィメフライヌは苦痛に喘ぎながらマルティルディに殺してくれと懇願するが、三王も孫娘も答えることなかった。

「君たちに言っておくことがある」

 マルティルディのことをほとんど知らないラウフィメフライヌは気付かなかったが、他の三王とサウダライトは、マルティルディが今までの彼女とはまったく違うことに気付いていた。この場でもう一人、変化に気付いて居ない者がいる。それは自覚のないマルティルディ本人。
 いままでは強さにものを言わせ抑えつけていたが、今のマルティルディは何者も近寄ることのできない不可侵の王気をたたえていた。

「男王リュバリエリュシュスを生かしたまま塔から出す」

 マルティルディは足を組み直し、大きな瞳を半分にし、わざと斜めから王たちを見た。
 巴旦杏の塔に収められた両性具有を「生かしたまま」塔から出す――それには塔を閉鎖する必要があり、
「仮死状態になるのは御免だ」
 四王全員が同時に仮死状態にならねばならない。
 イダの反対にマルティルディは殊更馬鹿にした笑い声を上げて挑発してから、
「君たちの意見も協力も必要ない。君たちは僕と対等だと思っているのかい? まあその勘違いも心地良いけどね。君たちは王だから教えてあげただけだよ」
 正規の方法ではない方法でリュバリエリュシュスを連れ出すと言いきった。
 テルロバールノル王とエヴェドリット王は見当がつかなかったが、イダ王だけはマルティルディが「両性具有を出産したことにより、信じられないほど膨大な知識を有している」ことを知っていたので――ただし分かったのはそこまで。
 方法に関しては他の王たちと同じく心辺りなど一つもなかった。
「お前がそこまで言いきるからには、確実なのだろうな」
「当然だろう、ロヴィニア王」
「両性具有を塔から出す時期は?」
 マルティルディは会話しているイダから視線を外し、ラウフィメフライヌの方を向き美しく残酷に、これほど迄に絶望的な美しい笑顔はあるのだろうかと思わせる表情を浮かべて答えた。
「用意に時間がかかるから、三年から四年かかる」
 死を求めていたラウフィメフライヌが怯えだしたことで三王は、大まかに何をするのか理解した。
「分かった。確定したら教えろ。ではな、マルティルディ」
 イダ王は通信を切り、残った二人の王も同じく言い通信を一方的に切った。
 哀れなほど容姿を破壊されたラウフィメフライヌは、無駄だと分かっていながらもマルティルディに媚びた。人に甘え媚び庇護される能力に優れているケシュマリスタだが、
「ケシュマリスタ男がケシュマリスタ女に媚びてどうするの? 腹立つだけだよ。ねえオヅレチーヴァ」
 同族にはまるで効き目はない。性別が違う相手同士の場合、悪い方向に進むのみ。
「はい、マルティルディ様」
 画面から外れていた前カロラティアン伯爵の妃オヅレチーヴァが返事をし、画面に現れる。少女と大人の女性の狭間、十六、七歳ほどに見えるオヅレチーヴァ。
 マルティルディよりも色が薄く、細かく波うつ金髪をシンプルにまとめて清楚さを感じさせる。
 小振りで形の良い唇に、ケシュマリスタらしい柳眉。すっと通った鼻筋と、甘やかな白い肌。
 ラウフィメフライヌは彼女が近付くと身を強ばらせ、固定されて動かすことができない体を必死に捩り逃げようとする。
 ラウフィメフライヌのこの姿の大半は拷問によるものであり、マルティルディの命令により施しているのが、このオヅレチーヴァであった。
「君に新しい命令だよ。今より一層そいつを痛めつけるんだ。とっても骨の折れる仕事だよオヅレチーヴァ。君に出来るかい? オヅレチーヴァ」
 ラウフィメフライヌは今以上の拷問を受けることを知り、喉から細く息を吐き出し小さな悲鳴を上げ、
「マルティルディ様のお望みとあらば、このオヅレチーヴァどこまでも」
 オヅレチーヴァは歌うように答える。

 人のために作られた人造人間は、人々を生かすために様々な機能を有している。人々を治療するための薬を作る機能もその一つで、特定の臓器や幾つかの神経に負荷をかけることで多種多様な薬を体内で作り出す。

「それじゃあねえ、先ずは内臓の連結を換えるよ。君、道具持ってるよね。うん。設計図は送った。さあ、急いで繋ぎ換えるんだ。時間がないんだよ。そいつじゃない、両性具有がね。生かして塔から出すって王たちに言ったからには、生かして出すんだ。できるよね、オヅレチーヴァ期待してるよ。ラウフィメフライヌ、今までの苦痛に戻りたいほどの苦痛を味わって。そうじゃないと、僕が欲しい薬ができあがらないの」

 ラウフィメフライヌの渾身の叫び、懺悔を聞くも、興味はないと、
「通信切って、ダグリオライゼ」
「畏まりました。頑張ってね、オヅレチーヴァ」
「ええ」
 静けさを取り戻した皇帝の私室。マルティルディは目を閉じて、口元にラウフィメフライヌを前にした時とはまるで別の、さきほど誕生会でグラディウスが花のシューをもぎもぎと食べている姿を見ていた時と同じ笑みを浮かべている。
「マルティルディ様。リュバリエリュシュス様を助け出すためには、ラウフィメフライヌ王の体で作ったお薬が必要なのですか?」
 幸せな笑みを浮かべたまま、マルティルディは足を再度組み直し、両手を頭の後ろに回して頷いた。
「うん。ああそうだ。リュバリエリュシュスを巴旦杏の塔から出しても良いよね、ダグリオライゼ」
 すべてが決定してから、マルティルディは尋ね、
「もちろんでございます」

 皇帝は椅子に座るマルティルディの前で頭を下げる。


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