帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[213]
 王女たちが用意された”おまけ”を選んでいる間、グラディウスは遅れてやってきたサウダライトの手を引きながら再度おまけの説明をはじめた。
「平和だな。メディオン」
 カウンター席に座り、空になったティーカップをなんとなしに持ったまま、帰る準備を始めているメディオンに声をかけた。
 二人の視線の先には、
「僕が欲張りなこと知ってるだろう?」
「私だって強欲だ」
「我は欲しいものは力尽くで手に入れる」
「儂の献上せい」
 平和とは程遠い会話を続けている王女たち。その空気はとげとげしさがありながら、幸せに満ちている。
「そうじゃのう、キーレンクレイカイム」
 マルティルディの誕生日を祝って欲しいとグラディウスに誘われた時のルグリラドの表情は、家臣であるメディオンが言うのは憚られるが、ひどいものであった。
 嫋やかで憂いを帯びている目元が険しくなり、女らしい口元は非常に凛々しく。だが下手ながら真摯なグラディウスの説明を聞いているうちに、目元は優しさすらたたえた。
 メディオンにはその優しさが、グラディウスにだけに向けられたのではないことを感じ取った。他にむけられたのは誰か? メディオンは分かっているだけに答えられない。
 ルグリラドとマルティルディが仲良く……とは思わないが、啀み合わなければ、両者共々生きやすいだろうなと、
「これ、可愛いでしょ! おっさん」
「そうだね」
 その切欠を作ったグラディウスにメディオンは感謝していた。

―― お前には感謝している、メディオン

 もう居ない友人の言葉を思い出し、涙が滲む。気付かれぬよう下を向き、残りの荷物を手早くまとめる。
 キーレンクレイカイムは気付いたが声をかけはしなかった。

 サウダライトに説明を終えたグラディウスは、満面の笑みを浮かべて王女たちの所へ戻り、
「決まりましたか」
 間の抜けた、だが期待に満ちた声で尋ねた。四人は動きを止めて、結局最初に選んだ物をもらうことで決着がついた。
 キーレンクレイカイムはカウンター席から立ち上がり、ザイオンレヴィに「行く」ように無言で促す。一礼してその場を去り ―― 最後に一枚マルティルディだけを写して ―― マルティルディを送り届けるための乗り物へと急ぐ。
「帰るとするか、メディオンや」
 荷物を持ち、子爵とジュラス、そしてキーレンクレイカイムに手を軽く上げて挨拶をして、返事をする。
「畏まりました、ルグリラド様」
 帰ろうとするメディオンに、残っていた小物の一つをグラディウスは差し出した。
「めでさん。よかったら、これどうぞ」
「……くれるのかえ? ありがとうな」
 腰をかがめて目線を合わせ、帝国においては”凶暴”の代名詞とされてしまっている、ガウ=ライ顔を綻ばせて、メディオンは素直に受け取った。
「貰ってくれて、ありがとう!」
 それと以前にルグリラドの邸で世話になった三姉妹にもと小さな袋に三種類ほど小物を入れてルグリラドに託す。
 王女たるもの手に荷物など持って歩かない――のだが”受け取るくらいはよかろう”と、ルグリラドはそれを受け取り二人は帰っていった。
 気位の高さならば帝国でも一、二を争い、礼儀作法ならば間違いなく一番であろうテルロバールノル王女が手に物を持ち歩くその後ろ姿。滅多に見られるものではなく、見たところで……特になにがあるわけではないのだが、いまの後ろ姿はとても楽しげであった。
 二人を見送る形になった、
「じゃあ私は帰る」
 今日のお誕生日会の実行者の一人であるイレスルキュランと、
「我も帰るとするか」
 遅れてきたものの、最後の”おまけ”選びで楽しんだデルシも帰ると告げた。
 グラディウスは協力してくれたイレスルキュラン、仕事が終わってから急いで駆けつけてくれたデルシの二人に深々と頭を下げる。
「姉上に一つおまけをくれないか?」
 ぎざぎざな頭頂部の分け目と、艶やかさと程遠い白い髪を見ながら、ご機嫌斜めであろう姉のことを考えて、一つ妹王女らしく媚でも売っておくかと、グラディウスに頼むことにした。
「イダお姉さま、貰ってくれるかな?」
「ああ、喜んでくれるよ」
 グラディウスは手近にあった、小さな水槽のような蝋燭を喜んでイレスルキュランに手渡した。

 彼女たちがグラディウスと話をしている最中、

「今日は迷惑をかけたな、マルティルディ」
 キーレンクレイカイムとマルティルディは少しばかり離れ、輪飾りの下で互いを探りあうようにして睨み合う。
「本当にね」
 頭上で風に揺れ紙のこすれる音を聞きながら、
「楽しんでくれたか?」
 特に面白くもなんともない一日になるはずだった今日が、鮮やか忘れられない日になったことをマルティルディは素直に認めた。
「とっても楽しかったよ」
 計画を事前に知らされず驚かされることは好きではない ―― マルティルディはそうは言えなかった。
「それは良かった」
 彼女はいままでそんなことをされたことはない。
 蔑ろと驚かせは違うが、マルティルディにとって違いがなければ不興を買う。賢くなくとも、普通の者たちはそのことを理解しているので、こんなことは決してしない。
「君、馬鹿じゃないの。自分の物にならない女に、こんなに金をかけて」
 頭が切れるキーレンクレイカイムがこの計画に乗ったのは大きな賭であり、
「そうでもないさ」
「なんで?」
「自分の物にならない女だからこそ、惜しみなく金をかけられる」
「君は僕に何も望んでないってことかな?」
「楽しんでくれたのなら、それでいい」
「……君の望み通りだよ。僕は今日、楽しんだ」
 絶対に勝てる確証があったからこそ。

「ありがとうございました!」

 全身で正妃たちを見送っているグラディウスを左斜めから眺め、
「じゃあ僕も帰るね」
 マルティルディは帰途につく。
 声をかけられたグラディウスは、思いっきり頭を下げて、
「お祝いさせてくれて、ありがとうございました! ほぇほぇでぃ様!」
 元気よく大きな声で挨拶をする。
 揺れる三つ編みと、もこっとした背中。美から程遠い、ちょっとばかり馬鹿な少女。
「お祝いしてくれてありがとう」
 グラディウスは喜んでもらえたことを実感し、元気に顔を上げる。そこにはリュバリエリュシュスとよく似た、透き通り消えてしまいそうな笑顔を浮かべた美しい少女がいた。
「……」
 グラディウスは口を開けて、切なげな表情を見つめるしかできず、横からその表情を見ることになったキーレンクレイカイムも同じく。
「なんて顔してるんだよ。それとも僕がお礼を言ったこと、そんなに驚いた?」
「違うよ、ほぇほぇでぃ様……楽しかった?」
「もちろんさ。来年も期待しちゃうからね」
 そう言いグラディウスの頭を片腕で抱き締め、額にキスをし、ひらりといつものように身を翻し、ざらついた金星の大地を模した通路を歩き去ってゆく。
「来年も期待……あてし、来年もほぇほぇでぃ様のお祝いしていいのかな? おっさん」
「いいそうだよ」
 グラディウスはサウダライトに抱きつき、
「来年もお祝いしていいなんて! ほぇほぇでぃ様……」
 頭をぐりぐりと押しつけて喜びを表す。
「良かったね、グレス」
「うん! うん! あてし、嬉しい」

※ ※ ※ ※ ※


 マルティルディが単身で皇太子妃宮を通り抜け、皇太子宮へとつながる回廊を歩いていると進行方向から、ザイオンレヴィが駆け寄ってくる足音が聞こえたので、足を止めてその到着を待つことにした。
「マルティルディ様」
「なんだい? ザイオンレヴィ」
「お送りいたしますので、こちらへどうぞ!」
 緊張によりやや息を切らせ気味のザイオンレヴィの姿に、どうしたのかな? と興味を持ちながら、彼の後ろをついてゆく。
 人気のない皇太子宮を通り、
―― ザイオンレヴィが僕の前を歩いたのって、今が初めてのような気がする
 いつも必死に自分の後ろを付いて回っていた少年の後ろ姿を見ると、マルティルディは自分が普通の存在になったような錯覚をいだいた。
 マルティルディは帝国で先頭に立ち、見えぬ未来に最初に踏み込んでゆく存在。先人という名の過去はあっても、現在人々を導くのは自分自身。
 誰かが前を歩いて道をならしてくれることはなく、危険を探る人もいない。
 なんとなく足を止めて、離れてゆくザイオンレヴィの柔らかな月光を思わせる白銀の髪に隠されている背中を目で追う。
「どうなさいました?」
 肩越しに振り返るザイオンレヴィの横顔は、彼女が気に入った時のまま。。
「なんでもないよ!」
 マルティルディはザイオンレヴィに駆け寄った。それは彼女らしくはない――誰も彼もが彼女を待ち、彼女は焦ることはなく、誰もが彼女の後ろに従う――行動で、駆け寄られた側のザイオンレヴィは思わず驚くも、
「……」
 少女だった頃のマルティルディを思い起こさせる”なにか”を感じ、失言が多い口が上手く動かないという幸運に恵まれ、無言のまま手を差し出すことに成功した。
 マルティルディは彼の手を握り、わざと少し遅れて付いてゆく。

 彼に触れている指先から感じる喜びと戸惑いと――

「これで送ろうと」
 皇太子宮を出た所に、ザイオンレヴィは二人乗りの反重力ソーサーを用意していた。
「……なにこの、輪飾り」
 反重力ソーサーは基本素っ気ない作りなので、飾り付けて”喜んでもらおうと”したのだが、
「僕が作ったんです」
「君とダグリオライゼって親子だよね」
 父親に似て彼はかなり不器用であった。
 グラディウスと同じく丁寧に作ったのであろうが、グラディウスが作った輪飾りよりも不格好という、ある意味宇宙でも希有と言えるほど不格好な輪飾りが、反重力ソーサーを滑稽に飾り立てていた。
「え……まあ、努力はしたんです」
「分かるけど。本当に不器用だよね」
 両面群青色の輪飾りはよじれ、大きさはまちまちで、飾りつけにもセンスの欠片一つない。むしろ飾らない方が余程マシ、これに乗せるつもりなら、飾りを外せ――なのだがマルティルディは許すことができた。
「ええ。だから僕、クレウと違うクラブに入ったんですよ」
 ジベルボート伯爵がザイオンレヴィの誘わなかったのは、不器用なことをよく知っていたからである。
「人体調理部だよね?」
 ケーリッヒリラ子爵の先程までの器用な給仕、隠れての手品披露などを思い出す。
「僕、あんな細かい作業できないこと分かってたので」

―― 入試試験に器用さを要する項目があったら、この僕だって君に入学しろって言わなかったよ

「でも反重力ソーサーレースじゃ無敵だったから、不器用で良かったんじゃないの?」
 マルティルディはそう言って、ソーサーの操縦部分に乗る。
「マルティルディ様はこちらにお座りになって」
 操縦は立って行い、乗客用に座る椅子が設置されているのだが、
「立っててもいいんだろ?」
 マルティルディは立って乗りたいと言い、
「それでしたら。僕の腰に掴まることが条件になりますが」
 触れられることが苦手なザイオンレヴィは、掴まることを条件にした。
「危険だから?」
 小首を傾げて尋ねるマルティルディに、
「はい」
 そんな心配をする必要などないことを知りながら、ザイオンレヴィは頷く。
「分かった。早く僕の前に立ってよ」
 操縦席に立ったザイオンレヴィの腰に”おまけ”と”おすそわけ”が入った袋を握ったままの手を通して、やや控え目に力を入れる。
「掴まるのはこの位でいい?」
「もう少し力を入れて、体をくっつけてください」
「分かったよ、ザイオンレヴィ」
 本当に少しだけ腕に込める力を増やし、ザイオンレヴィの左肩に顎を乗せて、
「いい?」
 聞き直す。
「はい。では」
 重量のあるマルティルディが乗っているので、上昇するまで少々時間を要したが、一度浮かんでしまえばあとは移動は簡単。

―― どこに向かいますか?

 ザイオンレヴィは尋ねず、マルティルディも向かう先を言うことなく、人気のない場所を夕日が沈むまで二人無言のまま移動し続けた。


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