帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[209]
”ご自身の誕生日に大規模軍事演習とは。まるでエヴェドリット王のようだ”
ケシュマリスタ王国兵士のみならず、ロヴィニア王国兵士たちもそう考えながら、戦艦に搭乗し所定の位置についた。
軍服を着用し、手に鞭を持ったマルティルディが旗艦の艦橋へと現れて、指揮官席に座り足を組む。
「キーレンクレイカイムはまだかよ」
黒い手袋で覆われた右手のひらに、軽く鞭を打ちつけながら副官のザイオンレヴィに問いかける。
「あの……」
「なんだよ」
「怒らないで聞いて頂きたいのですが」
マルティルディの鞭がしなり、ザイオンレヴィの軍服の襟を裂く。
「なんだよ、早く言えよ」
マルティルディを驚かせる秘密の誕生日会――その中で最も危険な役割はなにか?
それは”今日演習がなくなりました”とマルティルディに告げる者。事情を知らないマルティルディがそれを聞いたら当然激怒する。それを一身に受け止めて周囲に被害を及ぼさないようにしなくてはならない。
「先程フィラメンティアングス公爵殿下より連絡がありまして……今日の演習は”なし”と」
その役割を振られたのがザイオンレヴィ。
言いつけられた時のザイオンレヴィの顔は死にそうであったが、元々死んでいても違和感ない儚い美貌の持ち主なので誰も気にしなかった。
『副官が報告って、妥当だろ』
『マルティルディ様の副官になるかどうか?』
『絶対に選ばれる。近くにイデールマイスラが来てるから、見せつける意味で、王国において同階級のお前を副官にする
『……』
マルティルディに怒られる上に、後々イデールマイスラに嫉妬されるという悲惨で、できることなら避けたい役割だが、キーレンクレイカイムが言った通りに演習時の副官に選ばれてしまったので、ザイオンレヴィはその役割を引き受けた。
「演習なし? どうしてだよ」
「なんでもイダ王に演習許可を貰っていなかった……」
ザイオンレヴィのマントの留め金が弾き飛ばされて、背後の壁にめり込む。
「あいつがそんなミスするはずないだろ」
マルティルディは立ち上がり、唇が触れる程顔を近づけてザイオンレヴィの目をのぞき込む。
「いや、だって、僕、そう、連絡、いえ、あの……そう言えって言われたんです! 許してください、マルティルディ様」
最後には暴露してしまったのだが、幸いマルティルディは裏に気づかなかった。
「へーあいつが、言えってねえ」
あのキーレンクレイカイムが”もうけ”なしで、自分の誕生日会のために私財を投じて時間を作ろうとしているなど、彼のことを良く知っているマルティルディには思いつきもしない考えもつかない。
「フィラメンティアングス公爵殿下が、お話あるので……主に損害とか損害とか損害の……」
「分かった」
マルティルディはザイオンレヴィから離れ、キーレンクレイカイムの旗艦に通信を入れる。画面に映し出されたロヴィニア王国軍元帥が居るはずの艦橋には副官であるファロカダしかいなかった。
「おい」
『これはアディヅレインディン公爵』
「なんのつもりだよ」
『分かりません。殿下はシェチカシュカル回廊で待っているとのことです』
「演習潰した上に、僕に足を運べっての?」
『そのようです』
「全軍待機! 行くよ、ザイオンレヴィ」
マントを両手で大きく揺らし画面のファロカダに背を向けて、黄金髪をたなびかせマルティルディは艦橋から出ていった。
―― 美しいなあ。女好きの殿下にしてみれば、どれほど怖ろしかろうと命を賭ける価値があるだろうよ
マルティルディはザイオンレヴィが操縦する移動艇で大気圏内に入ると、指定された場所に単身で垂直落下した。屋根を割り、壁を裂き、床を潰して、
「来てやったよ、キーレンクレイカイム」
キーレンクレイカイムの襟首を掴み、白骨の尾の先端を眉間に突きつけた。
「遅かったな、マルティルディ」
ウィンクをして口元を楽しそうに緩める。
「なんのつもりだよ」
「ここでは話せない内容だ。移動するぞ……あ、そうそう。今日は演習できないから撤収ってことでガルベージュスに連絡しておいた」
不機嫌さを隠さないマルティルディを連れて、キーレンクレイカイムは回廊から抜け林へと入った。
木々を隙間を抜け、
「まだ?」
「まあまあ。重要な話だから、場所を選ぶのだ」
周囲の鳥たちが恐怖を感じ逃げ出すほどの圧力を発し続けるマルティルディを連れて、やっと目的地が見える辺りに到着する。
「見えてきた」
「見えて? ……」
キーレンクレイカイムが指さした先にはグラディウス。いつもと変わらない不格好なお下げと、もったりとした尻、そして肉厚の背中。
外に面している窓が取り払われ、マルティルディから見て奧、入り口からすぐの所に小さな台所が設置されており、そこにはジュラスが立って、お湯の加減を見ている。室内にはマルティルディがみたこともない、安くて価値のない小物が所狭しと並べられていた。
林に面している部分は金星色の石が半円形状に敷かれており、その中心にマルティルディ用にあつらえたらしい椅子が置かれ、日傘も立てられていた。
いまマルティルディが立っている側の壁には「まるてぃるでぃさまおたんじょびおめでとございます」と、あきらかにグラディウスの手で書かれたプレートが掲げられ、それを輪飾りが取り囲んでいる。
「あの子、後ろむきじゃないか」
真剣な面持ちで自分の到着を待っているであろうグラディウス。
「そうだな。あっちから入って来ると思ってたかもな」
「……」
「あんまり怖い顔で入って来たら、いくらグレスでも泣くと思うぞ。グレス!」
キーレンクレイカイムの声にグラディウスが周囲を見回すが、後ろからの声であるとは気づかず……カウンターにいたジュラスが失礼ないよう腕全体で示し、グラディウスは全身で振り返り”後ろから”二人が来たことに驚き、そして――
「ほぇほぇでぃ様。お誕生日、おめでとうございます! 少しだけお祝いさせてください! あてしにお祝いをさせてください!」
両手を掲げるように開き、笑顔で駆け寄ってきた。
給仕するためにまくった腕。シンプルなデザインで淡い藤色をしているエプロンは、既に真ん中が汚れている。首もとをすっきりとさせる筈だった紺色のボウタイは、その能力を発揮することができず。
「首謀者、誰だよ」
「グレスに決まってるだろう」
「幾らかかったんだ?」
「お前ならすぐに計算できるだろう」
「できたから聞いたに決まってるだろ……馬鹿なんじゃないのか?」
「私は女には幾らでも金をかけることができる男だ。価値のある女に限りだが」
「ほぇほぇでぃ様! 乳男さま!」
駆け寄ってきたグラディウスが少し離れた位置で止まり、マルティルディを見上げる。身長差があるので、直ぐ側に立つと彼らの表情を見ることが出来ないと知ったので、こうして少し距離を取るようになった。
「……グレス」
「ほぇほえでぃ様。びっくりしてくれた? びっくりさせようと思ったの!」
「凄い驚いた。とっても驚いた。よくもこんなに僕を驚かせてくれたね」
「だ、だめ?」
「駄目なわけないだろ。それで、会場はそこかい?」
「うん! みんなも……みんな……」
ぽろりと本当のことを零したグラディウスに見えないように微笑んで、
「さて、僕の席はどこだ?」
マルティルディは聞かなかったことにして、石畳のほうへと歩き出した。
「こっち、こっち!」
マルティルディの為に用意された椅子は背もたれが緩やかで、脚を全て乗せてもまだ余裕があるような形のもの。
「向日葵に……これはアイリスか」
椅子枠組みに花を飾ることができるよう、柔らかい金属で編んだ網が被せられており、
「朝、摘んだの。みんなで」
そこに朝摘んで、特殊な溶液に通して枯れないようにしてから、グラディウスが椅子を飾った。マルティルディといえば花――その花が特殊な方法で咲かせたものであることを知らないし、誰も教えなかった。
「随分と飾ってくれたね」
「ほぇほぇでぃ様、びっくりさせたかった」
「さっきからずっとびっくりしてるよ。座っていいのかい?」
「はい! 座ってください。待っててください」
マルティルディが腰を降ろすとグラディウスはジュラスの元へと駆け出し、そしてティーポットとカップと菓子を載せた大きめな盆を注意深く運んできて、マルティルディが座っている椅子に取り付ける。
菓子はグラディウスが焼いたしっとりクッキーの間にフルーツを混ぜ込んだ生クリームを挟んだもの。
「お茶はいかがですかぁー」
「もらうに決まってるだろ」
マルティルディは足を大きく組み直し、頭の後ろに手を置いて寛ぐ姿勢になった。
練習に練習を重ねたグラディウスがお茶を淹れ終えて、マルティルディが二個目の菓子を口に運んでいると、
「奇遇じゃな」
側近を一人だけ連れたルグリラドがやって来た。
「奇遇って、ここ【皇太子妃の間じゃないか】」
腰を下ろして周囲を見回し、マルティルディは以前ここに良く来ていたことを思い出した。マルティルディの叔母であり皇太子妃であったキュルティンメリュゼ。彼女の元へとやってきてケシュマリスタらしく接した物であった。
だが室内はあの時とまったく雰囲気が違い、最初はマルティルディでも分からなかった。そして皇太子妃の住居区画に規律をなによりも重んじるルグリラドが迷い込むことなど考えられない。
「あの、ほぇほぇでぃ様のお誕生日をしているのです。あの……」
お誘いの言葉なども習ってきたグラディウスだが、多すぎて覚えられず状態。
「儂は一人で散歩しておったのじゃ。こうして通りかかったのも何かの縁じゃ。どれで、貴様の誕生日を祝ってやろうではないか」
椅子と日傘を持った子爵がやって来て、マルティルディの椅子一つ分間をあけて設置し、ジュラスの元へと帰る。
子爵は一応、誕生会に参加してはいる――護衛兼設備担当として。
そしてルグリラドの側近であるメディオンが「ルグリラド様がお一人で庭で過ごすために」用意したバスケットを開き、
「へえ、このバスケット、テーブルに変形するんだ」
「そうじゃ」
テーブルへと変えてルグリラドの隣に置いて、子爵と同じくジュラスの元へと向かった。
ルグリラドのバスケットの中には、一人で散歩して休憩するにしては多すぎる菓子と、茶を飲むためのコップ。ただし、湯もなければポットも入っていない。そして木陰で読書を楽しむ……にしてはブックカバーの図柄が白朝顔。
「お茶、いかがですかー」
「貰うぞ」
「僕もお代わり」
グラディウスは笑みを浮かべ、ソーサーに茶を零しながら必死に注いだ。
ルグリラドは作ってきた菓子を一瞬グラディウスに”最初”に勧めかけたか、ここはマルティルディの誕生日を祝う場ということを思い出し、自作の菓子を手に持ち眉間に皺を寄せて、
「食え、食わんかあ」
勧めた。あまり勧めているような素振りでもなく、態度でもなく、声でもなければ表情でもなく。子爵たちと一緒にいるキーレンクレイカイムが笑いを噛み殺したが、ルグリラドとしては最大限に譲歩した誘いであった。
「あのさー君ってさあー。でも……綺麗だね」
ルグリラドが作ってきたのはシュー皮を横に真っ二つに切り、上下にバターとオリーブオイルを塗り、そこに野菜を挟んで間にクリームチーズ。そのクリームチーズを花を飾る為用のオアシス代わりにして、色とりどりの食用花を刺して飾った物である。
「美しいだけではない、味も良いのじゃ!」
「それ、自分で言っちゃうあたりが君だよね。まあ、いいや。頂くよ」
花で飾られたシューを食べるマルティルディ。
「お主、ほんに花を食べる姿が似合うのう。明かに人間の姿ではないが」
「まあね……イデールマイスラが君と同じような性格なら、もう少しましだったと思う」
ポットに茶を追加するためにグラディウスが離れた間、マルティルディは何となく語ってみた。
「そうかえ。儂は弟の性格を知らんので、なんとも言えぬがな」
「知らなくていいよ」
「そうかえ。ほれ、もっと食え」
花のシューを手に取り、二個目を勧めるルグリラドの眉間には皺もなくなっていた。
「ところで、そのとびきり大きいシューはあの子用?」
「もちろんじゃ。もぎもぎさせるのじゃ」
「うわ。すごい楽しみ」
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