帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[208]
『そちらのほうが重要だから、急いで帝星に引き返してやってもいいんだぞ。キーレンクレイカイム』
 国軍を動かすのだから、当然イダ王に連絡を入れる必要がある。
「いえいえ姉上。連絡不備で模擬戦を潰すので、姉上が帝星にいると困ります。ロヴィニア王国軍が従うべきロヴィニア王の許可をもらえなかった……という筋書きですので」
 キーレンクレイカイムは姉であるイダ王が帝星を離れているので、連絡の行き違いがあった――ことにする。
『……仕方ないな。マルティルディの機嫌を取れよ、キーレンクレイカイム』
 マルティルディを祝う気持ちは然程ないが、グラディウスが動き食事をしている姿を見たかったイダ王は参加したかったものの、来られると困るということで諦めた。
「もちろん」
『金は払ってやらんからな』
「承知しております」
『他の参加者はどうなっている?』
「イレスルキュランとルグリラドが最初から。デルシは他で仕事があるのでそれらを片付けてから。それと私とグラディウス、白鳥……じゃなくてシルバレーデ公爵にケーリッヒリラ子爵、エンディラン侯爵も。グラディウスは姉上や小間使いや男爵たちをも希望しましたが、姉上以外はちょっと可哀相だなと思いまして」
 リニアとルサ男爵には「その日はエリュシの所に行けないから、グレスの代わりに二人に行ってきてもらおう」と提案してやった。
 リュバリエリュシュスも「どこからどう見ても」ケシュマリスタ王族だが、幸いというか残念と言われるべきか、性格は穏やかなので、二人としてもマルティルディのお祝いに参加するよりは幾分気楽である。
 他にもヨルハ公爵やジベルボート伯爵の名も上がったのだがこの二人は仕事で参加することができなかった。
『サウダライトは?』
「デルシよりも遅れてきます。グラディウスはサウダライトの後ろを”もさもさ”と付いて歩いて回るのは確実。主賓はあくまでもマルティルディですから」
 ”あてし、おっさん大好き”と常々言っているグラディウス。
 その後ろをついて回る姿は、奇妙で珍妙でおかしく楽しいが、ここはやはりマルティルディに独占させるべきであろうということで、遅れて到着することになった。
『イデールマイスラは?』
「グラディウスが知らないので呼びません」
 キーレンクレイカイムもいい機会だと思う反面、初めて見るマルティルディの夫にグラディウスが興味を持ち付いて歩いたらマルティルディの機嫌を損ねるであろうと考えた。
 またイデールマイスラがいつも通りの選民意識の塊で、平民主催のお誕生日会など参加したくはないと言い、それがマルティルディの耳に入ったら……失敗を恐れては成功などできないかも知れないが、この二人の場合、最早失敗したら全面戦争しか残っていない。

 キーレンクレイカイムのこの判断、最良であったのは言うまでもない。

 もしもイデールマイスラを招いていたら、マルティルディは自分の料理を捨てたのは「こいつだよ」と、いつものように笑顔を浮かべてグラディウスに教えて……グラディウスは泣いて抗議 ―― 嫌いだ! ほぇほぇでぃ様のこと悲しませるやつなんて、大嫌いだ! ―― をしたことだろう。そうなってしまえば、最早終わりである。

『そうか。帝星近くまで来ているようだが』
 イデールマイスラは実は帝星近くまで来ていた。もちろん帝星に呼び出されてなどいないのだが、ふらふらと。
「そのようですね。帝星に入るなら入ればいいのに」
 マルティルディの誕生日を祝いたいのだが、そんな気持ちは”無い”と言い張り、だが落ち着かず。
『全くだ。なにをどうしたって、マルティルディに認められんだろうに。なに格好つけているのやら』
「それも認められないのでしょう、姉上」

※ ※ ※ ※ ※


 グラディウスは秘密の誕生会を成功させるべく、全身全霊を傾けて頑張っていた。もっともグラディウスはほとんどのことに全身全霊を傾けるので、珍しくもないのだが、とにかく頑張っていた。
「おじ様」
「どうした? グレス」
 グラディウスが必死に指で歪な円を描きながら、口をぱくぱくさせる。
 何を言いたいのか? ケーリッヒリラ子爵は黙って待った。
 必死に右手の人差し指一本で、円らしきものを描くが”通じていない”ことに気付き、手を止めて首を傾げ、藍色の瞳で子爵をじっと見つめ……一人弾かれたように首を動かし、そして頷き、今度は両手で宙に円を描き始めた。
 違うのは手と手がぶつかること。
「おじ様、この前、こういう飾り作ってくれた」
 子爵は指の動きをじっと見て、人差し指と親指を簡単な知恵の輪のように絡めてみせる。
「もしかして、こういう、紙のテープで作った飾りのことか?」
「うん! それ」
 以前、グラディウスを楽しませるために帝国軍が行ったお菓子祭り(ハロウィンパーティー)があり、室内を子爵が飾り付けた。
 グラディウスはお菓子作りに専念していたので、飾りには携わらなかったが、片付けには参加した。そこで”輪飾り”と言う物を知り、子爵が捨てる前にと解して、もう一度作って見せた。
「あてしも、作りたい。あれ、綺麗だった!」
 帝国上級士官学校仕込みにして、手先が器用な子爵が作ったグラデーション輪飾り。室内の装飾もトータルで任されていたので、見事な調和をみせた――
「いいと思うぞ。材料を急いで用意するから待っててくれ」
「うん! あのね……おじ様。この前教えてもらったけど、あてし、馬鹿だから、もう一回教えてくれる?」
「喜んで。我にも協力させてくれ」
「ありがとう!」
「それでな、グレス」
「なに?」
「色々な飾りを用意したい場合は、まず我に聞いてくれ」
 紙のテープは貴族しか使わず、かなり高価。それにグラディウスやサウダライトの資産で購入すると、マルティルディに筒抜けになってしまう。その点子爵は「君、そういうことするの好きだもんね」と知られているので、気取られる心配がない。
「うん!」
 子爵は大至急、紙のテープを作製している知り合いに連絡を入れて用意を頼んで、直接足を運び、飾りに使えそうな品を幾つか選び購入し、途中で硝子細工専門店の前で足を止めて牙も露わにして見入るも、直ぐに任務を思い出し引き返した。

 グラディウスは輪飾りをとても丁寧に作った。だが、あまり綺麗にはならなかった。本当に丁寧に丁寧に作ったのだが、どうしても上手く作れなかったのだ。
 グラディウスが必死に一個作る時間で、子爵は綺麗な輪飾りを五十個は作ることができた。
「これは会場の脇を飾るだけだ。メイン会場はルリエ・オベラの輪飾りで充分」
「……」
 招待客の一人であるザイオンレヴィは浮かない顔で頷く。
「どうした? ザイオンレヴィ」
「僕、贈り物用意したほうがいいかな?」
「我に聞かれてもな。ルリエ・オベラは贈り物を用意するらしいが、他の方々は手ぶらだそうだぞ」
 彼女たちはあくまでも、寵妃主催の祝いに偶々遭遇した形を取るので、贈り物はなし。参加することが重要なのであって、贈り物にはほとんど意味がない。
 なにより彼女たちは、既に王族として失礼のない品を用意し、当日贈る手配を整えている。
「そっか……でもどうしようかなあ」
 受け取るマルティルディも、贈り物の目録は既に手元にあるので、返礼の準備は済んでいた。
「アディヅレインディン公爵殿下がお好きな物を用意したらどうだ?」
 ザイオンレヴィも贈り物は用意している。
 毎年毎年、散々文句を言われるが――それでも受け取ってもらえていた。
 彼には野望があった。それはマルティルディが文句を言わずに、純粋に喜んでくれる品を贈りたいと。ザイオンレヴィが下僕でありながら、父親であるサウダライトと一線を画する部分でもあった。
「うーん……ルリエ・オベラ? はどうだろう?」
「確かにアディヅレインディン公爵殿下のお気に入りだが、ルリエ・オベラはお前の所持品じゃないだろう。むしろ既にアディヅレインディン公爵殿下の物というか、お前の贈り物には相応しくない」
「だよね……僕も手伝う」


―― 子供の頃はそんなこと、考えたこともなかったなあ


 子爵の部屋で部屋の主とザイオンレヴィが輪飾りを作っていた頃、
「あてしの説明で分かった?」
「分かったよ、グレス。とっても上手だった。おっさんも作れそう」
 サウダライトはグラディウスから輪飾りの作り方を習い、一緒に作り始めた。
「ほぇほぇでぃ様。ほぇほぇでぃ様」
 嬉しさを隠さずに輪飾りを作るグラディウスと、手元の黄色の輪飾りを交互に見ながら、

―― 嘘をつかせていただきます、マルティルディ様

 忠実なる下僕でありながら、その日まで何食わぬ顔をして過ごすことを決意した。そして同時に、
「これを作ったら、一緒にベッドルームに行こうね。今日はおっさん、グレスの胸をたくさん吸いたいな」
 隠れて肉欲に耽ることに。
「うん! いいよ。待っててね、あと二つ作ったら、あてし裸になるから」
 普段であれば、このままソファーに押し倒すところだが、マルティルディの誕生日飾りの前でコトに至るほど愚かではなかった。もちろん途中で悪戯をすることもない。

―― いつもなら、ここら辺で指を入れてかき混ぜて胸揉むところだけどねえ

※ ※ ※ ※ ※


 そのマルティルディはと言うと、
「アディヅレインディン公爵殿下、わたくしのことをお呼びと」
 周囲の騒ぎにまったく気づいていない――筈などない。
「何をしようとしてるんだい? ガルベージュス」
 マルティルディの感覚は研ぎ澄まされている。
「イデールマイスラに会ってやってくれませんか?」
「嫌だね」
「貴方の誕生日を祝うことを許してやって欲しいのですが」
「絶対にヤダ」
 頑なな拒絶を声に乗せて、突きかえす。
「駄目ですか」
「ああ、絶対に嫌だ」
「……仕方ありません。ではイデールマイスラに」
「なんだよ、まだ何かしたいのかよ」
「はい。イデールマイスラに演習で艦隊指揮をさせてやっていただけませんか?」
「それもヤダ」
「そうですか」
 夫と同じ姿ながら、全く違う雰囲気の男は声を出さずに口元と肩だけで笑い、
「最後の提案なのですが」
 食い下がる。
「嫌だよ」
「ルリエ・オベラのことなのですが」
「……あの子がどうしたの?」
「飛行船で遊覧はどうでしょう。街の明かりを制限して、巴旦杏の塔にも近寄れるように取り計らいますよ」
 ガルベージュス公爵が立体映像を映し出し、運行計画を指し示す。
「僕、嫌だって言っちゃったんだけど」
「そうですね」
 マルティルディは飛行船の映像に触れながら、
「最初にこれを提示して、取引材料にしたら良かったのに」
 どうして最後にコレをだしたのか? 真意を尋ねた。
「取引材料にならないからです。わたくしはイデールマイスラの友ですが、彼はルリエ・オベラと引き替えになるほどの価値があるとは思っておりません」
 ―― 貴方にとって ―― それは言わなかった。
「……今日僕、嫌って言ったけど、明日になったら前言撤回するかもね。僕、気まぐれだから」

 ガルベージュス公爵は深々と礼をしてマルティルディの前を辞した。

「これで気づかれずに済むでしょう……さてと、イデールマイスラにはそろそろ頑張ってもらわねば」

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