帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[210]
「楽しそうだな」
 イレスルキュランは庭側ではなく、普通に入り口からやってきた。
「おっぱい様! ほぇほぇでぃ様のお誕生日会してるの!」
「そうか、そうか。では私も少し遊ばせてもらうとするか」
「どうぞ、どうぞ!」
 グラディウスは二人が椅子で寛いでいる石畳のテラスへと案内し、後ろからまた椅子と日傘を持った子爵が従う。
「王女たるものが、荷物を持って歩くなど」
「気にするな。そうか、みんなで菓子をつまんでいたのか」
 イレスルキュランは腕からぶら下げている買い物袋の中へと手を突っ込み、市販の菓子を一箱取り出し、グラディウスに手渡す。
「グレス。このロールケーキ切り分けてきてくれ」
「はい!」
 空になった手を再び緑地で白い朝顔が描かれている特注買い物袋へと入れて、タンブラーを取り出した。
「これにお茶」
「はい! 待っててください」
 椅子に腰を下ろして「私はまったく知りませんよ」といった表情で尋ねる。
「ところで、どうしてマルティルディがここに? 今日のこの時間はロヴィニア王国軍と演習だろう」
 ”よく言うよ”とマルティルディは笑いを浮かべて茶を一口飲み「公表」を伝えた。
「君のお兄さんが、王様に演習連絡しそびれてなくなっちゃった」
「それは大変だ。兄上も痛い出費だろうな」
「本当にね。君のお兄さんらしくもない失態だよね」
「女に現を抜かしていたのだろう」
「女好きでも、現を抜かすことはないんじゃないかい?」
「極上の女に骨抜きにされたに違いない」
 そんな会話をしていると、グラディウスがロールケーキを均一とは程遠く切り分けて皿に載せて運び、イレスルキュラン側のテーブルに乗せ、今度はポットを取りに急いで戻る。
「よく働くのう」
「骨惜しみしないよなあ、グレスは」
 ジュラスに入れてもらった茶の入ったポットを持ち、
「おっぱい様、お茶です」
「ありがとうな。グレスも座って食べるといいぞ。このロールケーキ、いま帝星で大評判なんだ」
 一番分厚いロールケーキを手渡されたグラディウスは、そのまま石畳に腰を下ろしてふんわりしているロールケーキを口に運ぶ。
「おいしいです」
 幸せに緩みきった笑顔と、幸せな声。グラディウスの美味しいものを食べて幸せな姿を観賞している間に、
「これでいいか」
 ケーリッヒリラ子爵はおにぎりを作っていた。子爵は一応このお誕生会に参加していることになっているので、積極的とまではいかないが、少しは絡まなくてはいけない。
 そこで子爵は会場で一口サイズのおにぎりを作ることにした。王女たちにおにぎりを献上するのは気が重いが、側で会話をするのはもっと気が重い――
 具をどうするか? 色々と考えた結果、シンプルな塩むすびとなった。デルシの領地産の高級品を貰い「人間一口用」のおにぎりを作る。
「うーむ。エディルキュレセに教えてもらい、練習したのに……儂の握りと言ったら」
「充分だとおもうぞ、メディオン」
 ”食べられなくて一人寂しい思いをさせてはならぬ!”他人が作ったものは極力口にしたくはないルグリラドの為に、彼女の信頼が厚いメディオンが、子爵に手ほどきをしてもらい一口おもすびを作ったのだ。メディオンはあまり器用ではないので丁寧に作っても良い形にはならない。
「そ、そうか?」
「気になるか?」
「ちょっと気になる。なんか儂が作ったのは歪じゃ」
「じゃあ、ちょっといいか? 我は直接触れられないから」
 子爵はメディオンの背後に回り手の甲に触れて、メディオンの手を上手く使い、少し握り直した。
「どうだ?」
「よくなったのじゃ!」
 喜んでいるメディオンと、背後から抱き締めているようにしか見えない子爵。その二人の脇でジュラスはキーレンクレイカイムに依頼されているお茶を黙ってグラスに注いでいた。
 口が悪くてなにもなくとも茶化すジュラスだが、二人が一緒にいる場面ではなにも言わない。互いに相手のことを尋ねることもない。始まることなくだが終わらず、最初から形はなかったが消えることはない――
「皿に並べるか」
 友人の幸せを願い、そして決断を尊ぶ時、誰しも真摯な態度を取る。
「おう。ルグリラド様、食べてくださるであろうか……本当はエディルキュレセのも食べて欲しいのじゃがのう」
「いやいや、メディオンがそう思ってくれるだけでいい」
 ジュラスは茶を注いだグラスを盆に乗せ、キーレンクレイカイムへと渡す。
「さてと」
「そうじゃ、キーレンクレイカイム」
「どうした? メディオン」
「費用、半額程度なら持ってやってもいいぞ。なんなら全額でも支払うぞ」
 ルグリラドは間違いなく幸せで、イデールマイスラの妻も幸せそうなのでメディオンとしては、全額支払っても惜しくはなかった。
「そう言われると心揺らぐが、まあ……」
「今度このような会の計画に携わる場合は、儂にも連絡せい。ルグリラド様とイデールマイスラ殿下、そしてその妻であり王となるマルティルディに関係しているのならば、儂は資金提供は惜しまぬのじゃ……儂はこういう楽しそうなものを企画する能力もなければ、楽しませることも出来ぬのでな。なによりマルティルディをあそこまで楽しませるのは無理じゃ」

 金星の大地を模した石畳が敷かれたテラスで、

「君、口の端にクリームついてるよ。拭いてあげる」
「ありがとうございます、ほえほぇでぃ様。あてし、こんどから気をつけます」
「要らない。君の口の端についたクリーム拭うのとっても楽しいから……反対側、君たちのどっちかにやらせてあげようか?」
「儂がやるのじゃ」
「私が!」

 褐色の肌には目立つ生クリームを口の端にたくさん付けた少女が一人。

「私でも無理だ。またグレスに計画を持ちかけられることがあったら、今度は連絡する。メディオンが資金提供してくれるのなら、もっと大がかりなこともできそうだな」
 キーレンクレイカイムは言いながら茶を届けるために歩き出し、少し遅れて子爵とメディオンも一口おにぎりを持って四人の元へとむかった。
 全員のテーブルに一口おにぎりと、
「緑茶というヤツだ。綺麗な緑だろ」
 冷たい緑茶が並べられる。
 マルティルディは口の端を上げていつものように嘲笑ったが、すぐにその表情を収めて、
「緑のお茶きれいだ。前に見たときより、ずっと綺麗だ」
 陽光を通すことでより一層輝く緑茶を興味深そうに眺めるグラディウスに視線を移した。
「まだ飲むなよ、マルティルディ」
 キーレンクレイカイムは懐から、透明な樹脂で薄くコーティングされた黄色く小さいかたばみの花を取り出して、茶の上に浮かせる。
「本当に細かいところまで気のきく男だね」
 マルティルディはグラスを持ち、少々水面を揺らす。透明な緑茶、陽光の反射、そして黄色い小さな花。―― 前に見たときより、ずっと綺麗だ ――
「”だれかさん”とは大違いだろ?」
 時間まで計算して運んできたのだとはっきりと分かる、一杯の緑茶の美しさ。
「ほんとうに」

 ”だれかさん”とはイデールマイスラのことか、それともザイオンレヴィのことか? それとも別の誰かか?

「おにぎり、美味しいですよ。ほぇほぇでぃ様」
 グラディウスでないことだけは確かである。マルティルディはおにぎりを食べ、
「ルグリラド様の分は儂が作りましたのじゃ」
「そうかえ。手間をかけたな、メディオンや」
 ルグリラドも口に運ぶ。
 平和この上ない空気で満たされる中、マルティルディが立ち上がった。
「ほぇほぇでぃ様?」
「君、ここで待ってなよ。お茶入れて持って来てあげるから」
 グラディウスは事前に緑茶を試飲させてもらい、その苦みに目をぱちぱちさせて、続いてくしゃみをして……緑茶はグラディウスには飲ませないことになっていた。
「あてし、緑のお茶は」
「分かるよ。苦くなくておにぎりに合うお茶淹れてくるから。そこで待ってるんだよ」
「はい。ほぇほぇでぃ様」
 グラディウスは言われた通り、即座にその場に腰を下ろして、マルティルディが戻ってくるのを待つ。

 頭上では輪飾りが風に揺れていた。

※ ※ ※ ※ ※


「デルシ様」
「ダグリオライゼと小倅か」
 仕事を終えたデルシと、遅れて到着するように命じられたサウダライトと、彼の護衛である息子ザイオンレヴィが、先程マルティルディたちが通り抜けた林で遭遇した。目的地が同じなので、当たり前のこととも言える。
「小倅が持っているのはカメラか?」
「はい。記念撮影しようと思いまして」
 ザイオンレヴィは色々と贈り物を考えたが、何も思い浮かばなかったので、写真を撮り薄いアルバムを作って贈ればいいかな? と考えた。
「それはいいな」
 デルシが先頭でその半歩後ろをサウダライトが付き従うように、最後に機材を背負ったザイオンレヴィばついてゆく。ケシュマリスタ出の皇太子妃が死去して以来、手付かずのままであった金星を思わせるタイルで覆われた建物はすぐそこであった――

※ ※ ※ ※ ※


 ジュラスが用意しておいたグラディウス用のブレンド茶葉(苦くない・渋みはない・温めが適性温度)が入った缶を受け取り、ティースプーンに二杯分を温めていたポットへ。
「どうぞ」
 お湯と言えるかどうか? と言われるような温い水をジュラスから受け取りポットへ注ぐ。カップは幾つか並んでおり、
「どのカップに注ごうかなあ」
 茶葉が開くまでの間に、グラディウスの身長では選べない高さに設置されている棚に用意されている、グラディウス用のカップを一つ一つ手に取りながら確認する。
「誰かを喜ばせようって思いながら選ぶのって、楽しさと不安が入り交じるもんなんだね、ロメララーララーラ」
「はい」
 紺色に太陽と月と星のイラストが描かれたセットを選び、
「君さあ。知ってたのに教えてくれなかったんだ。酷いじゃないか」
 とても楽しそうにマルティルディは聞く。その美しい笑顔を前にジュラスは頭を下げて、楽しみながら言い訳をする。
「私としては報告したかったのですが、陛下が絶対に言ってはならないと厳命したので」
 ジュラスはサウダライトの命令など、聞きはしない。
「悪いのはダグリオライゼ?」
「はい」
「僕、君のそういう所、大好き。そうだよね、グリオライゼは皇帝だもんね。命じられたら従うしかないもんね」
 笑いながらカップを温めていた湯を捨てて拭き、ポットを手に取った。カップの半分ほど注ぎ入れたとき、
「あっ」
 グラディウスが声をあげ、何ごとかと全員が注目する。グラディウスは座ったまま手を上げて、壊れた飾りが一つゆらりゆらりと落ちてきた。
 グラディウスは言われた通り座ったまま動かず、細長い長方形の紙は風に煽られてグラディウスから離れたところに落下した。

―― 最後の少女! ――

 マルティルディは胸を押さえて前屈みになり、注いでいたお茶がカップから溢れ出す。目蓋を強く閉じる。だが逃げることはできない。両性具有を産んでから繰り返し、観たくもないのに観るはめになっている”少女が落下”する姿。助けたくても助けられない”自分”。そして金星の地表に落下し少女が絶命する音。
 少女を突き落とした相手に向けられる筈であった殺意。そして眠る太陽の破壊者になれなった”自分”
 それを使って両性具有を作りあげた ――
「うああ!」
 マルティルディの叫び声にグラディウスは驚き、言いつけを守らずに駆け寄る。
「ほぇほぇでぃ様! どうしたの?」
 のぞき込んでくるグラディウスの表情が、絶望の記憶を薄れさせ押しやる。
「なんでもないよ……ああ、なんでも」
「お茶が零れたんだね」
 カップから溢れソーサーに注がれてしまった茶に、グラディウスはちょっと失敗したから声をあげたのだろうと考えて、茶を捨てて自分のエプロンで拭いて差し出す。
「はい。ほぇほぇでぃ様」
「……ありがとう。あっちに行こうか」

 マルティルディの中に甦る記憶。観ることを強要されているときのマルティルディは殺意に満ちている。だがそれは殺意だけではない。
 テラスにいたルグリラドは、
「儂はいままで圧倒的な殺意というものに遭遇したことはなかったが……凄いものじゃな」
 それに遭遇すると動けなくなるということを初めて知った。
「ああ。でも多分、あれは殺意だけじゃない。殺意だけなら私たちには感じ取れないはずだ」
 イレスルキュランは殺すことが大好きで、誰もが”純粋な殺意”だと口を揃えて表したヨルハ公爵のことを思い出した。あの時は理解できなかったが、触れてみると分かった。マルティルディの殺意は純粋ではない。

 憎しみと悔しさ、そして悲しさの入り交じった殺意に駆け出したデルシであったが、

「ほぇほぇでぃ様にお茶淹れてもらったの!」
「飲んだらまた淹れてあげ……君たちにも淹れさせてやろうか」
「…………良い気になるなよ、マルティルディ! 淹れたいに決まっておるじゃろうが!」
「もちろん」

 すっかりと消え去ったことを安堵し、グラディウスが茶を飲みおにぎりを食べ終えるまで木陰で少しばかり待つことにした。


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