帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[207]
 ガルベージュス公爵と話し合い、
「協力させていただきます」
「ありがたい」
 場所を確保してから、マルティルディに連絡を入れて、確定ではないが予定を押さえることに成功した。
「ではわたくしは、帝国軍の人員を選んでおきますので」
「頼む」
 キーレンクレイカイムはガルベージュス公爵と別れ、先に戻り仕事を始めているファロカダの元へと向かった。
「ほぼ完璧だ」
「そうですか。では本気で大演習を組みますよ」
「ああ」
 キーレンクレイカイムは演習に必要な戦艦などを用意しているファロカダの隣で、どの口座からどの程度の金額をおろすか? 計算していた。
 二国と帝国軍に支払う資産は持っているが、一つの銀行から一度におろす訳にはいかない。軍事費は当然ロヴィニアの国庫から、そしてキーレンクレイカイムの資産の多くもロヴィニアの国庫に入っている。
「あまり大きく動かすと目立つから避けたい。できれば……」
「国王から融資を受ける形にしたらどうですか?」
「無理だ。姉上が参加できる時期ならまだしも」
 イダ王は現在王国に帰っているので、今回の「ほぇほぇでぃ様をびっくりさせるお誕生日会」には参加できない。自分が参加できない会に融資してくれるほど、イダ王の国庫の紐は緩くない。
 キーレンクレイカイムは色々と自己資産を眺め、先代皇帝から貰った遺産に目を止めた。先代皇帝は資産の二割をお気に入りの王子キーレンクレイカイムに渡すように命じていた。これらは帝国管轄の銀行にあるので簡単に動かすことができる。

―― ロヴィニア資産以外のものが必要になる時もあろう ――

 生前に分与された際、シャイランサバルト帝に礼を言いつつ”そんなに無駄使いしませんよ”と返したキーレンクレイカイムだが、思わぬ場面で無駄遣いとしか取られないことに使うことになった。
「シャイランサバルト帝、ありがたく使わせていただきます」
 支払う算段をつけてから、シャイランサバルト帝の墓を参り再度感謝を述べる。

「私にはあの二人を仲良くさせてやれる力はありませんが、マルティルディには少しだけ楽しみを与えられたらと思っております。できることはほんの僅かですが」

 棺が収められている玄室の前、豪華に飾られた扉を見上げながらキーレンクレイカイムは告げた。
「それにしても陛下。陛下の玄室は私が幼い頃に育った城に良く似ておりますな……」
 玄室入り口はランカが育った城に似ていた。だがそれらはキーレンクレイカイムがランカのことを知っているので気づいただけで、もっとも目立つのは幼い頃のルベルテルセスと二人で映した写真。まだ幼かった彼を抱き椅子に座る若き日の皇帝。大きな写真は加工され入り口に大きくはめ込まれているのだ。
 皇帝シャイランサバルトとして皇太子ルベルテルセスは切り捨てたが、母エシャンテルクは息子シーレンドヴァトビアを決して見捨てることはなかった。

 キーレンクレイカイムはしばし玄室前で目を閉じる。静謐な空間で何も考えることをせず ―― 目を開いた彼は、黒の碑へと行き、そこで今まで避けていたエルエデスの最後を見た。
 まさしく血で血を洗う戦いの果てに死ぬエルエデス。回復能力が枯渇し指が切れ飛び、腕が潰れてなお諦めないその姿。
 その腕は子を抱くものではなく、キーレンクレイカイムを抱き締めるものでもない。戦うためだけに存在していた腕。
 結婚式を挙げたその日に別れ、死体と対面することすらできずに終わった関係。

「そうだ、やっと叔父を殺せたよ。厄介という程ではなかったが。途中で”これならエルエデスに殺害してもらっておけばよかった”と思うことはあった。それでも諦めず、頑張って艦隊戦らしきものでなんとか殺せたよ。私もかなり頑張ってると思わないか? エルエデス」

 黒の碑はただ静かにその言葉を受け止め、沈黙したままであった――

 夜も更けてから邸へと戻ったキーレンクレイカイムは、遅めの夕食を取ろうとしたところ、
「イレスルキュラン殿下から」
 妹から連絡が入った。キーレンクレイカイムは現時刻を見て、
「早寝しないと乳の張りが悪くなると常々言っているのに。今日はまたどうした? サウダライトと同衾する日でもないだろうに」
 基本早寝の妹にしては珍しいなと思いながら、通信画面を開かせた。
『招待客が決まったから、兄上に早めに連絡しようと』
「そうか。それにしてもお前が用事もないのに、この時間まで起きているとは珍しいな」
『じつは眠りそびれて』 
「お前がか?」
 イレスルキュランは眠っている途中で起こされても睡魔を逃がすことはない。捕らえた睡魔は確りと貪り、そして朝を迎える。
『眠れないので兄上、眠れるまで付き合ってもらえますか?』
「構わないぞ」
 キーレンクレイカイムは食事を運ばせて、イレスルキュランの話に耳を傾けた。

『実は寝ようとした時に、グレスから連絡があって――』

※ ※ ※ ※ ※


 白銀で真っ直ぐな頭髪は冷たさをかんじさせる髪を梳かさせる。滑らかで指通りよく、纏まりやすい髪は侍女たちにとっても扱いやすく、口に出すことはないが好評である。
 手袋にほとんどかくされている手をマッサージさせ、爪を磨かせてマニキュアを塗らせる。大きな胸をサポートしながら締め付けず、胸の下部が汗をかくことのない下着を身につけ、機能的なパジャマを着て、睡眠工学の粋を凝らしたベッドにイレスルキュランは入った。
 シーツは温かすぎることはなく、当然冷たすぎもしない。肌触りもよく、張りも完璧。布団カバーからは好きな香りが仄かに漂う。
 しっかりと眠り明日も頑張ろう! と、目を閉じようとした時、側近の一人が通信が入ったことを伝えにきた。
 眠ろうとしている自分に伝えるとなると、かなり身分の高い相手か、兄のキーレンクレイカイムかと考えながらイレスルキュランは身を起こす。
「なんだ?」
「ケーリッヒリラ子爵から私信が。お話したいとのことです」
 だが相手は、彼女が予想していなかった人物であった。
「いかがなさいますか?」
 側近も普段であれば上級貴族程度は取り次がないのだが”勘”が働き伝えることにした。
「あの男の性質上、大至急でもない限り連絡は寄越さないだろうから」
 以前、キーレンクレイカイムの戦死した最初の妃と共に研修にやってきたケーリッヒリラ子爵。彼の性質を ―― 控え目だが、必要な事柄はしっかりと伝えてくる ―― イレスルキュランは熟知していた。
『夜分遅くに申し訳ございません』
 ベッドに身を起こし、薄手のカーディガンを羽織り画面を開かせる。公式の連絡とせずに私信にしたのは、挨拶の煩わしさを排除するため。
 イレスルキュランが早寝することを知っていながらわざわざ連絡をしてきたその理由。
「構わん。それで、どうした?」
『実は……』

 キーレンクレイカイムがファロカダと共に準備のため立ち去ってから、グラディウスとイレスルキュランは誰を招待するか? を話し合った。
 もっとも話し合うといっても、グラディウスが知っている貴族は少なく、
「イダお姉さまはお出かけしてるのか……残念」
「そうだな。姉上も、とても残念だろう」
 知り合い全員の名が挙がり、公表されている予定を確認して大宮殿内にいるようであれば声をかける……といった状態。
 招待客のリストを作り、イレスルキュランが調整をすることになる。
「おっぱい様、ありがとう」
「こちらこそ。とても楽しいぞ」
 こうして楽しさのうちに二人は別れ、グラディウスは迎えにきてくれたケーリッヒリラ子爵と共に館へと帰り、いつものように過ごして自分の部屋として与えられている一室(館全てがグラディウスの物と言っても通じなかったので一室だけという形を取っている)へ戻り、パジャマに着替えて、明日の勉強道具を揃えようとしたところで「いりゃ……さまにお礼をいうのを忘れない」と書いたメモに気づいた。
「……」
 お礼を言いそびれたことにショックを受けたグラディウスは、メモを手に持ったまま立ち尽くす。
「グレス。そろそろ寝室……どうした?」
 寝室まで付き添うケーリッヒリラ子爵は、いつもよりも部屋から出てくるのが遅いのでノックをしてドアを開けた。するとそこには、哀しみに満ちたグラディウス。
「なにがあった?」
 ドアを開けたままグラディウスに近寄り、話しやすいようにと床に膝を折って見上げるようにして理由を尋ね……光に透けて薄いオレンジ色をしたメモ用紙に書かれた文字が見えて、大体想像はついたが最後まで話を聞くことにした。
「お礼を言いたかったの。おっさんにも、ちゃんとできるって言ったのに……あてし……勉強道具に貼りつけてた……いりゃ様に……」
 自信満々にサウダライトに”できるよ!”と言いきったこと、そして褒められたことを思い出し、グラディウスは一気に自分ではどうすることもできないほど悲しくなってしまった。
 自分の失態であることは理解しており、泣くのをぐっと堪えているのだが、そのせいで顔に力が入り過ぎ不細工さが際立ち、このままにはしておけないと誰もが感じる顔になってしまった。
 ケーリッヒリラ子爵は手元の時計で時間を確認し、イレスルキュランの就寝時間ギリギリだと分かりながら連絡を入れた。子爵からの私信にしたのは、もしも眠っていた時のことを考えてのこと。子爵からであれば取り次がなくとも問題にはならないが、グラディウスからの場合主の言いつけを守ったのにも関わらず不興を買う恐れがある。
 そのようなことにならないよう、子爵は気配りをして連絡を入れた。
 光沢のあるパジャマを着て、ベージュのカーディガンを羽織りベッドの上で通信を受けてくれたイレスルキュランに、子爵は事情を説明した。
「教材の上に貼ってたのか。それは悪いことをした。グレスを出せ」
 努力を無駄にさせてしまったな ―― イレスルキュランは軽い気持ちでグラディウスの面会を受けた。寝る前に会って話すのも楽しいであろうと。
『はい。グレス、イレスルキュラン殿下だぞ』
 呼ばれたグラディウスは駆け寄り、子爵はその姿を見届けて軽く頭を下げてから退出した。
「グレス」
 普通の人が聞けば”ロヴィニア王族がこんな優しげに話しかけるなんて裏がある!”と取られること間違いなしなほど優しい声で語りかける。
『おっぱい様……ありがとうございます』
 握り拳を作り下を向いていたグラディウスは顔を上げて、まずはお礼を述べた。そのお礼は夜遅くに会ってくれたこと。
『本当は会って直接言いたかった』
「そうか。じゃあまた今度、言ってくれ。今度は私から促す……教えるから、きっと忘れないぞ」
『うん……じゃなくて、はい! 今度会った時、あてしお礼言う!』
 ”なんと間抜けな顔なんだろう”色々なものがない交ぜになったグラディウスの顔を見て、イレスルキュランは笑うよりも……何とも言えない不安な気持ちになった。不快感のある不安ではなく、安心できる不安さ。
 感情に名をつけて、あまりにも矛盾していることに気付き、イレスルキュラン自身どうしたものかと驚く。
「もう寝る時間だろう? グレス」
 話をするのは楽しいのだが、このはっきりとしない感情を整理したいと思い、グラディウスに眠るように勧める。
『うん……あのね……ありがと』
「ん?」
『一緒に虹見てから、ちょっとだけ悲しくなくなった』
「それは良かった」
『あのね、それでね、おっぱい様……おっさんね。あてしおっさんに会えてとっても嬉しかったけど、おっぱい様さみしくなかった?』
「私は平気だが」
『そっか。でもね……とっても嬉しいけど、おっぱい様が寂しいのは嫌だから、おっさんと一緒にいてね。あてしは平気だよ』
 グラディウスがどれほどサウダライトのことを大切に思っているか。それが伝わる一言であった。グラディウスは本当に嬉しかった。この幸せな時間をイレスルキュランが譲ってくれたことに感謝すると同時に、奪ってしまったことを後悔もしていたのだ。
 サウダライトのことを嫌いだと否定するのは簡単だが、そうしたらグラディウスが悲しむ。毎回”帰れ”をしようと考えていたがそれも悲しませる。
「……ありがとう」
 誰もが幸せになることを願う少女を幸せにする方法を、イレスルキュランは知らないに等しい。

 ”またね”と挨拶をして部屋から出て、待っていてくれたリニアに飛び付き、
「おっぱい様にお礼言えたよ! リニア小母さん」
「良かったわね」
「うん!」
「ザナデウ様にもお礼しないと」
「うん! おじ様、ありがとう」
 グラディウスは寝室近くの廊下で待機していたケーリッヒリラ子爵の元へと駆け寄っていった ――

※ ※ ※ ※ ※


 グラディウスとの通信を終えたイレスルキュランは、いつもは容易に捕まえることのできる眠りを取り逃がし、ベッドに入ったまましばし過ごし ―― どうせ寝られないのならと、キーレンクレイカイムに連絡を入れたのだ。
『なんと言えばいいのでしょうかね、兄上』
「なんだろうな」
 話を聞いたキーレンクレイカイムも、答えに困った。いや答えはあるのだ「それがグラディウスだろう」だが答えが欲しいのではなく、兄妹はこの表現できない感覚を共有し戸惑い、そして各自が昇華させる。

「結婚した妹に早く寝ろとは言わないが……おやすみ、イレスルキュラン」

 キーレンクレイカイムはそう言い通信を切ったがイレスルキュランが寝られないことは分かった。自分自身も眠りそびれてしまったから。


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.