帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[205]
 マルティルディの所へと向かう途中、
「おじ様はオルゼお兄さんと仲良し?」
「喧嘩したことないから、仲良し……なのかもしれない」
 グラディウスはケーリッヒリラ子爵の兄について、色々なことを聞いてきた。両親同様「兄」という存在が大好きであったグラディウスは、
「オルゼお兄さんの結婚式にいかないの?」
 他の兄弟が仲良くしているのを見るだけで幸せになれる。
「休みが取れたら……まあ」
 不仲ではないが帰ったら面倒なことになるので、できることなら避けたいケーリッヒリラ子爵は言葉を濁す。
「そっか……オルゼお兄さんのお嫁さんってどんな人?」
 どんな人かと同じ立場の者に聞かれたら実家名だけで通じるが、グラディウスにそれでは説明にならない。
「ごくごく普通の貴族だ。見た目はマルティルディ様やルグリラド様の足元にも及ばないが、それなりに綺麗で、デルシ様ほど強くはないがほどほど強く、イレスルキュラン様ほどかしこ……」
 ”イレスルキュラン様ほど賢くはないが頭は切れる”そう続けたかったのだが、グラディウスの前で『グレスよりちょっと物を知っているくらいだよ』と巨乳馬鹿を装っている王女の意志を尊重しなくてはならないので ――
「イレスルキュラン様より胸は小さいけど、大きいといえば大きい」
 王女に失礼がないように、そして極力嘘をつかないようにケーリッヒリラ子爵は頑張った。彼の兄嫁(予定)は公爵令嬢で、多くのエヴェドリット女性がそうであるように胸は「柔らかい乳」ではなく「硬く厚い胸筋」で覆われている。
「そうなんだ」
 ケーリッヒリラ子爵が語った程度では、ほどんどの人が兄嫁(予定)について漠然としか分からないのだが、グラディウスはそれで納得した。
「……グレスさえよければ、大宮殿に来た時に会ってくれるか?」
「うん!」

 兄嫁(予定)のことや、子爵の両親や祖父母について話をしながら、マルティルディの小さな執務室近くに辿り着いた。そこでケーリッヒリラ子爵は映像を手渡して、
「お届けしてきてくれ」
 グラディウスだけを送り出す。
「分かった。あてし届けてくる」
「たくさんお話してきていいからな。我のことは気にしないでくれ」
 宝石の入った箱を乗せたカートをひき、もう片手には映像を持ち、何度も振り返りながらグラディウスはマルティルディの執務室前へと辿り着いた。
 両手が塞がっていたので少し考えて、頭をぶつけてノックし、
「ほぇほぇでぃ様、あてしグラディウスです。グラディウス・オベラです」
 名乗って再び頭で二度ほどノックをした。
 扉を開けてやったマルティルディは、
「もしかして君、頭でノックしたの?」
 両手に荷物を持ったままのグラディウスを見て”まさかね”と思いながら尋ね、
「はい!」
「僕への贈り物を足元に置かなかったことは評価するよ。入りな」
 その”まさか”であったことに満足した。
「お邪魔します! ほぇほぇでぃ様!」

 大宮殿の中でも小さい部類にはいるマルティルディの執務室。グラディウスは興味深く辺りを見回し、
「……ほぇほぇでぃ様。お誕生日プレゼントです。受け取ってください」
 宝石の詰まった箱をカートに乗せたまま押し出す。人間には重くて容易に持ち上げることができない量の宝石が詰まっている箱を、マルティルディは片手で持ち上げ机の上に置き蓋を開く。
 宝石などマルティルディにとって興味の対象外 ――
「これ、あてしとオルゼお兄さんと、オラタちゃんとノーさん、そしておじ様が宝石作ってるところ映したの」
 宝石が詰まった箱の中で埋もれていた”驢馬”を取り出しながら映像を受け取る。
「これって驢馬だよね」
「はい、驢馬です! あてし驢馬がいいって言ったら、おじ様が」
「上手だね」
 驢馬を机の上に置き、映像を早送りで再生してざっと見る。
「ねえ、グレス」
「はい」
「僕も赤いハート欲しい」
「え?」
 映像を巻き戻しデルシがカッティングされたルビーを受け取っているシーンを指さす。
「これ、すっごい可愛いから僕も欲しい。赤いので大きめなハート型の宝石欲しい」
「えっと……あの、こ、こ、こんど作って持って来ます!」
「今すぐじゃなきゃ、ヤダ」
「……あてし、このきれいな石が、どこにあるのか……」
 グラディウスの困った顔を見て”ああ、楽しい”とマルティルディは笑う。だが何時もならばここから更に困らせるのだが、グラディウス相手にこれ以上は――ということで、必要な者を呼び寄せ自分の欲しいものを手に入れることにした。

《ケーリッヒリラ、いますぐ来い》

 人間には聞こえないマルティルディの声。その声は届くのではなく、突如ケーリッヒリラ子爵の耳元に現れて爆ぜ、脳内に浸食してきた。
 ケーリッヒリラ子爵も初めて経験する音に驚いたが、それで動けなくなるような男ではない。駆けつけて、
「失礼いたします」
 マルティルディの前に現れ膝を折る。
「グレス。ケーリッヒリラに説明してやって」
「あのね、おじ様。ほぇほぇでぃ様がね……」
 身振り手振りを交えて必死に語ること十分。やっとケーリッヒリラ子爵は事情を理解し、
「じゃあ我が道具を用意してくる。準備が整うまで……」
 勝手に「ここで待っててくれ」とは言えない。
「僕のところに居てもいいよ。おいでグレス。近くに最近使ってない食堂があるんだ。そこで軽く食事しよう」
「はい!」

 二人を見送ったあと、ケーリッヒリラ子爵は急ぎガルベージュス公爵とザイオンレヴィに連絡を入れる。
 ガルベージュス公爵には執務室の近くにカッティング機を設置することを頼み、ザイオンレヴィには、
「最高のルビーをくれ!」
「分かった!」
 素材を懇願した。二人はそのまま仕事中のサウダライトの元に乱入し、
「どうしたんだね」
 血相を変えている二人に笑いかける。
「マルティルディ殿下がルリエ・オベラにルビーを所望しました。それも大至急」
「それは大変だ。一緒においで」
 サウダライトは二人とは違い血相を変えることはなかったが、大急ぎで皇帝が持つエヴェドリットへ下賜するために集められた血を固めたかのような赤いルビーが収められている部屋へと連れてゆき、
「宝石なら君のほうが鑑定眼あるだろうから任せるよ」
 ケーリッヒリラ子爵に任せた。
「五個くらい貰っていってもよろしいでしょうか?
「構わないよ」
 子爵は大急ぎで質の良いルビーを、いつの間にかザイオンレヴィが用意してくれたケースに、焦りつつも丁重に収めて、
「失礼します!」
 それを受け取りマルティルディとグラディウスの元へと戻っていった。

「なにがあったのか、今度聞くのが楽しみだ」

 サウダライトとしては今日”なにがあったのか?”聞きたい所だが、残念ながら本日はイレスルキュランと同衾せねばならず、グラディウスが待つ瑠璃の館に帰ることはできない。

※ ※ ※ ※ ※


 ケーリッヒリラ子爵が準備を整えている頃、グラディウスは桃のシャーベットを食べていた。
「美味しい」
「そう。良かったね」
―― 冷たい飲み物は苦手だけど、アイスとかシャーベットは大丈夫なんだ
 マルティルディは面白いなと思いながら、シャーベットを口に入れては顔を強ばらせ、そして甘さに表情を綻ばすグラディウスを眺めな楽しんでいた。
「それで君、僕の誕生日プレゼント、あいつらと一緒に作って楽しかった?」
「楽しかったです!」
「そうかい」
「ほぇほぇでぃ様、お誕生日のお祝いの時に、また別の贈り物を……」
「しないよ」
「え……」
 グラディウスはてっきり大きなお祝いをするものだとばかり思っていた。それというのも、
「どうしてお祝いすると思ったんだい?」
「だって……貴族さまは、お祝いするって、とうちゃんが言ってた。飴貰ったとき、誕生日だって」
 サウダライトが即位した際に配られた祝いの品である飴。グラディウスは父親に”即位ってなに?”と尋ね、説明してもらったのだが、まったく理解できず、父親は即位を「お誕生日だよ」と言い換えた。
 たしかに皇帝が誕生した日なので遠からずといった所である。グラディウスの亡き父親は娘が皇帝に仕えて、
「飴……ああ、即位のことか」
「お誕生日だって聞いた」
「確かにそう言えなくもないけど……でも僕誕生日祝いしないよ」
「……」
「そんな残念そうな顔しないでよ。僕、ほら、お祝いしてくれる家族がいないからさあ……シャーベット落としてるよ。口元も汚れてるし」
 食べ物で汚した口の周りを拭ってもらえるほど最高権力者に気に入られるとは思ってもいなかったので、それほど必死に説明はしなかった。
 村で生活していく分には、それで充分だろうと――
「……」
 その後、ケーリッヒリラ子爵が用意してくれた装置とルビーでハート型を作り贈り、
「ああ。気をつけて帰るんだよ、グレス」
「はい、ほぇほぇでぃ様」
 時間が来たので帰途についた。

 本日も一人寝するグラディウスは、干し草袋を抱き締めて眠りについた。

 懐かしい匂いのする干し草袋は、グラディウスに過去を思い出させる。少し離れた農場に短期で出稼ぎに言った父親。グラディウスの誕生日には帰って来られないといっていたが、帰ってきてくれた父親。その時の嬉しさ。実は母親は帰ってくることを知っていて、秘密にしていた ――

「グレス」
「……」
 幸せな夢を見ていたグラディウスは、サウダライトの声に起こされ眠い目を擦り起きる。
「っさん……あれ? 夢」
「夢じゃないよ。ただいま」
 本日サウダライトはイレスルキュランと寝所を共にして、やることをやったら「カエレ」と言われて、帰ってきたのだ。
「おっさん、おかえり……」
 明日イレスルキュランはグラディウスと勉強をするのだが、その日の朝、サウダライトと顔を合わせていたか、いないかで、グラディウスの笑顔がまるで違う。何時でも良い笑顔だが、サウダライトと一緒に眠り、朝食を取った日の笑顔は格別。
「ただいま。さ、寝ようか」
「うん」
 なので”やることやったから帰れ”と言われ、こうして深夜ながらグラディウスの元へと帰ってきて、干し草を抱き締め眠っているグラディウスを抱き締めてサウダライトは眠りについた。



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