帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[203]
―― 明日会ってもらえるか?

 ケーリッヒリラ子爵がこれを提案するまでに、多少の準備が必要であった

※ ※ ※ ※ ※


「……という訳で試してもよろしいでしょうか」
「いいよ」
 ケーリッヒリラ子爵はサウダライトから許可を貰い、グラディウスがどの程度の殺意で怯えるかを試させてもらった。
「こんなことはしたくはないのですが」
「まあ、仕方ないよね」
 殺意を無にできるケーリッヒリラ子爵。彼のこの能力はエヴェドリットにおいては非常に珍しい。むしろあの一族において殺意が無というのは異質で悪目立ちしてしまうのだが。――それはさておき、ケーリッヒリラ子爵がなぜそのような許可を貰ったのかというと、マルティルディに贈り物をするために名を連ねさせてもらった三人が「寵妃殿に会わせろ!」と代理人を務めたケーリッヒリラ子爵に詰め寄ってきたのだ。
 ケーリッヒリラ子爵はきっぱりと断ったのだが、その程度では引かないのが貴族である。
 三人は喚き散らして、死体も大宮殿に撒き散らし、エヴェドリットらしい迷惑をかけまくり、ザイオンレヴィに「どうにかならない?」と言われて、仕方なくケーリッヒリラ子爵が条件を提示した。その条件は

「ルリエ・オベラが恐がらないよう殺意を抑え込め」

 というもの。三人はどの程度殺意を抑えれば良いのか? を知りたいと言ってきたので、サウダライトに許可を貰い、
「本当に申し訳ございません」
「いやいや。君なら上手く殺意をコントロールできるだろう」
「我がコントロールできても、あの三人は……」
 溜息をつきながら、サウダライトにグラディウスの近くに行ってもらい、ケーリッヒリラ子爵は少し離れたところで、久しぶりに殺意を表に出した。
 館近くで囀っていた鳥たちが一斉に空へと避難し、驢馬が耳を動かす。
 そしてグラディウスは――
「おっさん……なんだろう、怖いよ」
「おいで、おいでグレス。おっさんと一緒なら大丈夫だよ」
 震えながらサウダライトに抱きついた。
 ケーリッヒリラ子爵はすぐに殺意を消し去り、頭を抱える。
「あいつら、どれ程殺意を収めても、一人でこれの倍以上だからな……会わせられるわけないだろう」
 ケーリッヒリラ子爵とその親族たちの殺意は、とげとげしく、害されるという人の本能に強く訴えかけるごく一般的なものである。
 この子爵と親族たちの四人が一斉に飛びかかっても勝てないヨルハ公爵。彼の殺意は膨大であると共に大量に狂気を含んでいる。この狂気はある種の魅力を含んでおり、普通の人間には殺意として感知されない場合も往々にしてある。
 ヨルハ公爵の”優れた狂気”を殺意として感じ取るためには、ある程度鍛えられた感覚機能が必要なのだ。

 ヨルハ公爵から人々が感じる殺意の大半は【一族を皆殺しにしたという事実】と【あの特徴的な見た目】から見ているものが勝手に作り出した、非常に人間らしい殺意である。

「……はあ」
 どうやって三人を説得しようか? やはり力で従わせるしかないな――ケーリッヒリラ子爵はグラディウスを抱き締めているサウダライトの所へと行き、少し時間を貰った。
 サウダライトの腹に必死に頭を押しつけて、必死にしがみついているグレスに”ごめんな”と内心で謝りながら。
「気にしないで行っておいで」
「あの……グレス」
「おじ様……なに?」
「まだ怖いか?」
「…………あれ? もう怖くない」
 ケーリッヒリラ子爵の殺意は純粋ゆえに、後を引くことはない。
「おじ様、行ってらっしゃい」
 だが腰が抜けてしまったので、サウダライトに抱えてもらって玄関からケーリッヒリラ子爵を見送った。

―― なぜ皇帝と寵妃に見送られなくてはならない……それも、我が犯人だというのに……

 ケーリッヒリラ子爵は大宮殿に滞在しているヨルハ公爵の元を訪れ、喜んで出迎えてくれた彼にまた胴体を真っ二つにされて騒ぎ、
「オルタフォルゼとオランジェレタ、ノースラダスタを殺すのは簡単だよ」
 普通に生きてきたグラディウスには感じ取ることのできない殺意を持つヨルハ公爵が、自信満々に答える。
「殺されてしまうのもなあ……」
「グレスってさ、デルシ様のことは恐がらないんだよね?」
「ああ。あの方の殺意はヴァレン同様、普通の人間には感じ取ることが出来ない域だからな」
「我の殺意は駄目だけど、デルシ様の殺意なら三人の殺意も包み込んでくれるんじゃない?」
「……」
 ケーリッヒリラ子爵はヨルハ公爵の意見を理解し、同意できたのだが――そうなると、一つやらなくてはならないことがある。
「駄目?」
「デルシ様に頼むのか」
 デルシに個人的に頼みに行かなくてはならなくなる。ケーリッヒリラ子爵はデルシのことは尊敬しているので、こんな身内のごたごたを持ち込みたくはない。
「我が頼むよ。提案したの我だし、デルシ様、オランジェレタとグレスが仲良くしている所、見たいと思うよ」
「ヴァレン。ありがたいが、我が直接お願いしてくる。いい案をありがとう」
 ケーリッヒリラ子爵は王族に会うのは嫌だが、だからといって他人に重要なことを任せっきりにしたりはしない。とくにヨルハ公爵は親友、だからこそ節度を持ち、自分の仕事は自分で終わらせる。
「解った! でも一緒に行ってもいいよね! 我もデルシ様に会いたいし」
「ああ」
 ヨルハ公爵もでしゃばることはなく、そしてデルシは笑い、
「立ち会ってやろう」
 付き合ってくれることを約束した。

 ケーリッヒリラ子爵が親族相手に色々と準備をしている頃、先程の恐怖から立ち直ったグラディウスが、
「驢馬、干し草!」
 館の一室に積まれている干し草を、驢馬のもとへと運んできた。
 ”上質な干し草だね”と頭を押しつけて話しかけようとした驢馬だが、背後に大量の干し草を抱えなんとも胡散臭い笑顔を浮かべたサウダライトを見つけて、

―― なにやってるんだ? ダグリオライゼ。お前皇帝だろ……というか、そのエロくさ……さ……

 話しかけることをやめ、後日グラディウスが一人でやって来た時に礼を言うことにした。グラディウスは干し草を積み、
「また明日、エリュシ様のところに行こうね!」
 サウダライトと共に驢馬の部屋を去っていった。

※ ※ ※ ※ ※


 サウダライトはまたもや元同じ立場であったケシュマリスタ貴族たちに囲まれ責められていた。
「どうしてエヴェドリット貴族に渡した」
 皇帝であるサウダライトを囲み責めることのできる貴族――彼らは己の名でマルティルディに贈り物をすることができる。だが彼らに仕えているが、単体ではマルティルディに近付くことのできない貴族たちがいる。その配下に贈り物をできるよう連名相手を見つけてやるのも《上級貴族》である。
「彼、頑張ってくれてるからさ」
「だがなあ」
「色々と文句を言いたいの、解るけどさあ。彼ってデルシ様の覚えも良いし、デルシ様が可愛がっているヨルハ公爵とも仲いいから。ほら、私、デルシ様のご機嫌も取らないといけないから、ねえ」
 サウダライトは「あはははは」と笑いながら彼らの話を受け流す。だがその程度に元の知り合いは流されない――
「ダグリ……サウダライト」
 取り囲んでいたが口を開いていなかったカロラティアン伯爵が、どうしても我慢できなくなって部屋の隅にあるものについて尋ねた。
「なんだい? サルヴェチュローゼン。それにしても君にサウダライト呼ばれると、気持ち悪いね」
「ははは、気持ちが悪いと言われると、余計に呼びたくなるな」
「オヅレチーヴァにそっくりだね」
「それはそうだ。そうでなければ生き延びられん。それはともかく……あの部屋の隅にある干し草はなんだ?」
 サウダライトが彼らと話しをしている部屋の隅には、高く積み上げられた干し草があった。
「ん? ああ、あれね。干し草」
「干し草なのは解るが……げっ!」
 ケシュマリスタの大貴族、中年にも差し掛かろうとしている副王らしからぬ声を上げたカロラティアン伯爵。彼らがみたものは、干し草を散らして現れた、肌の露出が眩しい青年。
「私のこと呼びましたね! カロラティアン伯爵!」

―― 出た! 皇帝の露出狂

 正装したガニュメデイーロ、即ち腰布一枚の美しき青年ゾフィアーネ大公が現れたのだ。手には最高の酒を持ち、細工が輝くトレイにシンプルながら上質なグラスが乗っている。残念なのはどれも干し草まみれであること。
 だが ガニュメデイーロはそんな事は一切気にせず、干し草入りのグラスにブランデーを注ぎサウダライトに差し出す。
 受け取らないと後が色々と面倒なのでサウダライトは、干し草がゆらめくグラスを受け取った。
「ケーリッヒリラ子爵は私の同期! 彼は私の同期! 同期!」
 ケシュマリスタ貴族たちは、ヤバイ者を喚びだしてしまったと後悔したが時は既に遅し。干し草からもう一体、
「わたくしの名はガルベージュス公爵《エリア》」
 名前がやたらと長い男が現れた。
 こんなにもアクが強いのに、どうして隠れていられたのだろう――彼らの潜伏技術に感心”したかった”のだが、アクの強さに全てがかき消されてしまった。
 どの王国の者たちも、皇王族の才能には感心《したい》のだが、感心する前に、彼らの暑苦しさが全面に押し出され、感心する前に「”これ”を引き取って下くださいませ、後生ですから陛下」となってしまうのだ。
 先代皇帝は”これ”をある程度は引き取ってくれていたが、サウダライトの手に負えない。
 ちなみに元々は”これ”と”ケシュマリスタ貴族”はそれ程顔を合わせることはなかったのだが、皇帝がケシュマリスタ貴族上がりとなったことで【ケシュマリスタ貴族が】頻繁に皇帝に会いにくるようになった為、皇王族と顔を合わせる回数が増えて、自業自得的に彼らと接する機会が増え精神を消耗してゆくことになる――

 喧しい彼らを見ながら”そう言えば、あのエヴェドリット貴族はこいつ等と一緒に学生生活……下手に触らんほうが良いようだな”と、ケーリッヒリラ子爵は酷い勘違いをされることになったが、当人は知らない。

 サウダライトはグラスに浮いている干し草を眺め『干し草!』喜んでいたグラディウスのことを思い出し、なんとなく楽しくなってその酒を飲み干した。

 その時グラディウスはと言うと――

「おおきいおきちゃきちゃま、ぐえ、ぐえ、グエ」
 おじ様と親族、そしてデルシの前で、必死に言いたい言葉を探しながら”ぐえ、ぐえ”と叫んでいた。


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