帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[202]
 イレスルキュランが「おっぱいさま」と呼ばれるようになったのは、「でかいお乳のおきちゃきちゃま」が長かったので短くした結果である。
 「いれちゃま」でも良かったのだが「おっぱい」と呼ばせると続けて上手に「様」を発音でき、それに関してグラディウスが嬉しさを感じているので「おっぱいさま」に決定した。

 ”乳男さま”と”おっぱいさま”と、グラディウスに完璧な「様」付けて呼ばれるロヴィニア王族兄妹である。

※ ※ ※ ※ ※


 グラディウスの前では「おばか」を装っているイレスルキュランだが、実際は優れた頭脳の持ち主である。勉強はもちろんできるが、問題処理能力が極めて高い。
 彼女は「時間が解決できるのであれば、自分にも解決できる」という持論の持ち主でもある。もっとも時に任せずに問題を解決してやろうと思う相手は”今まで”はいなかったが――
「一生雨降りから遠ざけても構わないだろうがな」
 大雨のあと両親を失ったのでグラディウスは今だに雨が降るのは苦手である。もうグラディウスは一生嫌いな場面に遭遇しないで生きることも可能だが、イレスルキュランは嫌い意識をうまく消してやるべきだと考えていた。
 雨を嫌いと思う気持ちが少しでも薄まれば、死んだ両親のことを思い出しても悲しくはならないであろうと彼女は考えたのだ。
「グレスは綺麗なものが好きだったな……」
 グラディウスはキラキラしたものが好きである。
「あまり複雑じゃなくて、何処にでもある物……だから自然現象か。グレスが住んでいた惑星で虹は見られたかな?」
 イレスルキュランは色々と調べグラディウスと一緒に講義を聴き終えたあと”虹を見に行かないか?”と誘った。
 騙しうちするようなことはせず、
「雨が上がってからでなくては見られないから、無理はしなくていいよ」
 雨降が降っているところに行くことを確りと説明しながら、可愛らしいレインコートとレインブーツ、鮮やかな色合いの傘を広げた。ちなみに全てイレスルキュランと色違いでお揃いである。
「あてし、雨上がりの虹みたいよ」
 グラディウスは笑い二人はでかい胸をレインコートにしまいこみ、レインブーツを履きこみ、片手に傘を持ち空いている手をつないで虹が見える丘へと歩いて向かった。
 雨も虹も制御下で、虹に関しては通常発生ではあり得ない、はっきりとした無数の虹が青空を覆うようにセットされている。
「おっぱいさま」
「なんだ?」
「あてし虹すき」
 握られているイレスルキュランの手。それがより強く握られる。その握り方は心細さを感じさせるものであった。
「私も虹は大好きだ。なにせ根元には財宝が埋まっているそうだからな」
 そんなこと有りはしないと知っている彼女だが、グラディウスが好みそうだと話題にした。
「それ、あてしも知ってる!」
 先程までの心細さを感じさせていた手のひらが、今度は喜色を伝えてくる。
 イレスルキュランは感情を読み取る力はないが、

―― 感じ取ったというよりは、感じ取らせてくれたと表現するべきだろうな

 感情を制御するような教育をされていないグラディウスからは、貴族や王族からは感じたことのない物を肌を通じて感じることができた。
「やっぱり知ってたか」
 雨の中を歩きながら、イレスルキュランが笑顔を向ける。
「うん。かあちゃんが教えてくれた」
「そうか。根元には財宝が埋まっているそうだが、グレスはどんなお宝が埋まっていると思う?」
「あてし」
 すぐに答えが返ってきたことにも驚いたが、答えその物にもイレスルキュランは驚いた。
「儂?」

 余談だがグラディウスの「あてし」は「わし」の訛りである。テルロバールノル星域の惑星に住んでいたのだから当然。ルグリラドが直そうとしたことがあったが、どう頑張っても「わっち」になるだけで……それはそれで可愛いと感じたのだが、グラディウスは「あてし」で良いだろうと思い直し以後直そうとはしなかった。必死にグラディウスが練習した「わっち」発音はルグリラドだけの秘密である。

「あてし」
 イレスルキュランの頭をテルロバールノル王族たちがぐるぐると走り回り「小うるさいな」と感じつつ、足を止めてグラディウスに詳しく説明を求めた。
 ルサ男爵が側に居なかったので、かなり苦労したが、イレスルキュランはその明晰な頭脳を全て使い話を理解した。

 グラディウスは幼い頃、母親と共に虹を見た。母親は根元に宝があると教えた。そこまではイレスルキュランも知るところだが、その先が少々違った。
 グラディウスの母親は虹の根元にある宝は、知っている宝だと教えた。見知らぬ財宝ではなく、自分の大切なものであると。その時見ていた虹の根元には父親がいるはずだとグラディウスに言い、
「ここも虹の根元だって言って、かあちゃんあてしのおでこにキスしてくれた」
 グラディウスは自分の宝物だと告げた。
「なるほど。いいお母さんだな」
「…………うん!」
 二人は繋いでいる手を大きく振り、少し雨に打たれながらも丘を目指した。グラディウスの住んでいる館がよく見える丘の頂上に立つ。
「虹の根元にある宝は人だけではなく物でもいい。一つだけではなく、たくさんあったほうがいい……というわけか」
「うん!」
「なるほどな」
 話を聞き終えたイレスルキュランは、両親に愛されて育ったと言う言葉がこれほど似合う娘もいないだろうと感じた。雨は止み、そろそろ虹が発生する頃合い。
「あそこはグレスがいる邸だ。あそこにはグラディウスの宝物がたくさんあるから、いっぱい虹が出てきたぞ」
 グラディウスの住んで居る館から虹が現れるよう配置している。
「リニア小母さん! ルサお兄さん! パーゼお爺さん! おじ様! ジュラス!」
 虹を数えながら大切な人の名を、
「おじ様が作ってくれた宇宙!」
 生まれて初めて手に入れた大切なものを、その無数の虹を見ながら、グラディウスは色々な人の名を大きな声で叫んだ。
「グレスは宝物がたくさんでいいな」
「うん! おっぱいさまの宝物は!」
「まずは此処に一つ」
 グラディウスの母親がしたように、額にキスをする。
「あてしもおっぱいさま、大好きだよ! ここも虹の根元だよ!」
「ああ」
 財宝など眠っていない、雨に濡れた草が広がるだけの丘。そこに立つ自分が宝と言われて、非常に気分が良かった。
―― 昔から王女として財宝だとは言われたが……
 健康で頭脳明晰。正妃としてやっていける王女としてその価値を認められていたイレスルキュラン。当人も明確な基準があって呼ばれることに不満も疑問もなかった。むしろ無いほうが信用ならないと思う……だが、
「漠然としているのも良い物だな」
 グラディウスは自分をそう言った価値観では見ずに、だが大切だと言ってくれたことを嬉しく感じた。
「ばくじぇん?」
 グラディウスの”大好き!”は間違いなく基準は低く、すぐに”好き!”と言って貰える。
「基準が低いほうが優れている……というべきだよな」
 逆に基準が高いのは”嫌い”
「?」
 普通の人間とは基準が逆なのだなあ……と実感しながら、
「なんでもない、なんでもない。グレス、あっちはエリュシが居る方角だぞ」
 間違いなくグラディウスの宝の一つであるリュバリエリュシュスが居る場所を指し示す。ここからは見えないので正しい方角を指し示してやる必要はないこと、間違った方角を指してもグラディウスは信用することも解っているが、
「お空が虹だらけだ。エリュシさまああ!」
 イレスルキュランは嘘をつかなかった。
 風が吹き雨露が残る草が一斉に揺れ、その雫を落とす。
「ちなみにあっちにサウダライト」
「あてし、おっさん大好き!」
「そうだろうな。だから虹が架かってるんだろう」
「おっさんー! 大好きー!」
 無数の虹を見て、大切だった母親の言葉をイレスルキュランに伝えることができ、褒められて――グラディウスは雨が少しだけ平気になった。
 二人は虹が消えるまで丘に立ち、消えたのを確認して傘を持ち緩やかな斜面を「滑り」落ち、
「足滑ったー」
 怪我をせずに滑り落ちてから笑いあい、館へと帰った。

 グラディウスの母親が言った虹の根元の話には様々な矛盾もあるが、それをあげつらうほどイレスルキュランも馬鹿ではない。あの話でもっとも重要なのは母親にとってグラディウスは宝だと教えること。

 イレスルキュランと共に館へと戻ったグラディウスは、ケーリッヒリラ子爵から貰った硝子玉の「宇宙」を取り出し見せる。
「これあてしの宝物」
「グレス、これ好きだもんな」
 警備で近くにいるケーリッヒリラ子爵に駆け寄り、
「おじ様、ありがとう」
「そんなに気に入って貰えて嬉しいよ」
 何度も言ったお礼を”また”する。
「職人冥利に尽きるな」
「はい」
 イレスルキュランにまで言われ、子爵は頭をかきながら笑った。

―― 相変わらず殺気を隠すのが上手い男だ。殺気を隠す力は、私たちが嘘をつく能力に匹敵するよな

 グラディウスの雨嫌いを少しだけ直してくれたイレスルキュランは帰り、ルサ男爵とリニアは外食。サウダライトは貴族達と会食で、この日のグラディウスの夕食はケーリッヒリラ子爵とパーゼの三人となった。
 ルサ男爵とリニアの外食は、
「ルサ。外部に良い講習会がある、行ってこい」
 と、勉強を習いに来ている頭脳明晰な王女から命じられ、リニアを伴い参加した……までは良かったのだが、そのまま帰宅した所、キーレンクレイカイムに、
「わざわざ付いてきてくれた女性と食事すらしないで帰るとか、おまえおかしいぞ」
 そのように注意され、最低でも食事をしてから帰って来るように命じられた。
 グラディウスの小間使いとしての仕事があると困り果てたが、サウダライトからも、
「あ、うん。付いていてくれるのはありがたいけど、偶には息抜きしないと疲れちゃうからねえ。そのくらいはしてきなさい。うんうん、私もほら息抜きが必要な立場だからさ」
 言われてしまっては、拒否しようがない。
 話を聞いた子爵がレストランを予約してくれたことは、説明する必要もないことであろう。

 ちなみに息抜きが必要な、グラディウスの大切な宝ことサウダライトはというと、玉座に座りながら元同僚の貴族たちと話をしていた。
「つい最近まで貴族だったから、ストレスで胃から腸から心臓まで穴が空きそう」

―― ”空きそう”なだけで、絶対に空かないだろ、お前は

 優雅に適当に過ごして居た。

 それで夕食中のグラディウスは、
「お誕生日?」
「そうなんだ」
 子爵からマルティルディの誕生日があることを聞き、
「一緒に贈り物をしたいと言っている相手がいるから……我の兄と従兄なのだが、明日会ってもらえるか?」
「うん! いいよ。おじ様の兄ちゃんってどんな人?」
 楽しい食事を終えた。

 グラディウスは”おじ様の兄と従兄”に会えることを楽しみにしながら、マルティルディに何を贈ればいいのだろうか? と悩みつつ干し草が詰まった袋を抱いて眠りについた。


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