帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[196]
両性具有に関しては、一日や二日では語りきれない――
「ある程度のところで終わらせなくてはいけませんね」
ガルベージュス公爵は今度は自分の身の上について語ることにした。
「寿命が極端に短く五歳未満までしか生きられない両性具有は、やはりケスヴァーンターンの血が足りないのです。そしてわたくしは……わたくし自身は足りていますが、ケシュマリスタ女性以外との間に子を儲け、その子が両性具有であった場合、兄と同じく短い寿命しか用意できません。だからわたくしはケシュマリスタの女性と結婚したいと考えております」
ガルベージュス公爵が両性具有であっても長生きさせたいと考えていることに、ルグリラドは驚いた。生かされたところで辛いのではないか? そう考えたものの、家を挟んだ向かい側の巴旦杏の塔にいるリュバリエリュシュス。
彼女であり彼は……
―― グレス!
―― エリュシ様!
不細工な人間と窓越しに話すだけで幸せを感じていた。リュバリエリュシュスだけではなく、他の大勢の両性具有たちも、小さな喜びを感じ、僅かな幸せを楽しんでいたかも知れない……ルグリラドは考えた。
”生かされている”から”生きていく”に変わる可能性。
外界を知らぬ両性具有たちも同じように幸せを感じること、それが皆無ではないことを、ルグリラドは今日、知った。
「じゃから、エンディランなのかえ?」
ずっと聞きたかった質問だったが、ルグリラドは別のことを考えていた。”儂も元イネスのこと叱れぬな”
リュバリエリュシュスを殺さずにいたサウダライト。
「それは違います。偶々一目ぼれした相手がケシュマリスタ女性だっただけです」
それが発覚した時、正妃たちで悪し様に罵った。もちろんルグリラドも。
だが実際触れてみると「そういう性質なのだ」と分かっていても、殺すのは忍びない。この感情を抑え込んで殺すべきだと――ルグリラドは言える。
それはルグリラドが殺せない立場にあるから言えることでもあった。
自分の手で殺さなくてはならないとなると、見なかった振りをしてしまうだろうと。塔の中の両性具有を殺さないで済むのなら、皇帝になどなりたくはない。
「そうかえ……なあガルベージュスよ」
「はい」
命じて殺すのなら嫌だが命じられる。だが、自らの手で殺すのは ――
「儂もサウダライトのことを言えんわ。儂にはあの塔の中の両性具有は殺せぬ」
「それでよろしいのです。殺すのは軍人であるわたくしたちの仕事です」
ガルベージュス公爵は胸元の階級章に触れながら、軽く礼をする。
「そうじゃな」
微かな光に照らされているだけだが、煌びやかさを失わない階級章。ルグリラドは軍人ではないが、帝国軍人の妻になるために、帝国階級章の並びをしっかりと覚えてきた。
残念ながら嫁いだ相手は皇帝ではあったが、軍人ではなかったので、階級章を”つける”仕事は与えられることはない。
故皇太子の胸元に階級章を飾る。
―― 今にして思えば、皇太子が死んでくれてよかったわ
その時ルグリラドは、好きな男のことを思い出す……筈であった。手を伸ばし階級章に触れる。冷たく硬いその階級章を柔らかな指先で撫でながら、
「せっかく帝国軍の階級章の配列覚えてきたのに、結婚した相手が軍人ではなかったからのう……のう、ガルベージュス」
彼女は望みを零した。
「はい」
「儂は帝国軍最高司令官の妻になるために、この階級章の並びを覚えてきたのじゃが……折角覚えたのじゃから、たまにお主の階級章をつけさせてくれぬか?」
「お願いいたします。むしろわたくしから頼みたいほどです。正妃でありテルロバールノル王女であるセヒュローマドニク公爵殿下が最終確認をして下さったら、万に一つの間違いもありませんので」
「そうか」
ルグリラドは階級章から手を離し、まだ何か語りたそうなガルベージュス公爵の目をのぞき込む。
「セヒュローマドニク公爵殿下、わたくしの名前を全てご存じですか?」
「もちろん知っておる」
帝国で最も長い名前。
ロウディルヴェルンダイム=ロディルヴィレンダイス・サーフィルディレイオンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=サールデルラインザルムシュロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベルハインザクレシュラインドルエリア=エイリディアキュランドルハイザンクレアエリアドムスベルドア
だがそれは、別々のものを一つに並べたものであった。
「わたくし、本当の名はヴェルンダイム=ヴィレンダイス・オンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=ロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベル=エイリディアキュランドルと申します」
「……」
「両親は兄に普通の名前をつけておりましてね。ロウディル=ロディル・サーフィルディレイ=サールデルラインザルムシュ・ハインザクレシュラインドルエリア=ハイザンクレアエリアドムスベルドアと言いました」
「単体でも随分と長い名前じゃのう」
ルグリラドはそれ以上なにも言うことができなかった。
”口を開いたら泣いてしまいそう”そんなことが本当にあるのだな ―― 本当に悲しかったであろう大公夫妻と弟であるガルベージュス公爵。
目の前のガルベージュス公爵が泣かないから、ルグリラドも泣くわけにはいかない。
「両親はわたくしの名に兄の名前も組み提出しました。……陛下はわたくしに聞きました。これほど長い名でよいのか? と。わたくしは”はい”と返事をしました。わたくしはこの名を残したい。だから……皇帝になりたくはないのです。皇帝名を帯びて、皇帝名を歴史に残すより、わたくしは、わたくしの名で名を残したい。そうすることで、誰も知らない兄が存在する……ような気がするのです」
「それが理由じゃったら、他人には言えぬな」
「はい」
ガルベージュス公爵が立ち上がり手を差し出す。その手に掴まり立ち上がったルグリラドは裏側の入り口に手をかける。
もっと話したいこと、知りたいことはあったが、そろそろグラディウスが眠っている温かいベッドに帰らなくてはと ―― 最後に一つだけ聞き戻ろうと、振り返らずに尋ねた。
「なあ、ガルベージュスや」
声が家の壁にぶつかり、少し声の質が変わる。泣き声になりそうなので、ルグリラドは敢えて背中を向けたのだ。
「なんでしょう?」
「先代陛下はなぜお主の婚約者にエシュゼオーンを? ケシュマリスタでなくてはならないのじゃろう?」
ルグリラドの従姉妹では、条件に該当しないのではないか?
「はい。先代陛下はご存じありませんでした……これについては、またの機会に」
「そうか。ガルベージュスや……教えてくれ感謝する」
聞きたい話だったかと言われると即答できないが、聞いてよかったかと聞かれるとルグリラドは静かに頷ける。
「わたくしも誰かに兄のことを語りたかったので。聞いてくださりありがとうございます」
室内に戻ったルグリラドは、立ち尽くすこともなく、急いで寝室へと戻った。ベッドの上には、タオルケットを蹴飛ばしてしまっているグラディウス。
幸せな夢でも見ているのだろう……と思える表情。
ルグリラドはベッドに入りグラディウスに抱きついて目を閉じた。
―― ガルベージュスの兄がどうなったのか聞きそびれたのう
両性具有として挽かれ処分されたとルグリラドは、思いたくはなかった。どこかにひっそりとでもいいから埋葬されたと信じて。
「おきちゃきたま……さむい?」
抱きついてきたルグリラドに気付いたグラディウスが”のそり”と起き上がり、自分が蹴飛ばしたタオルケットを掴み引っぱる。
「いっしょ……おやすみなさい」
「ああ、お休み、グレスや」
早くグラディウスが眠ってくれるのをルグリラドは待った。溢れ出した涙に気付かれぬように必死に耐えて。
※ ※ ※ ※ ※
イデールサウセラを拒んだイデールマイスラに激怒した理由は、そんなにも長く生きられる両性具有を拒否したことにある。
その時彼の脳裏には、幼くして死んだ兄の姿が思い浮かんだ。
激怒し、イデールマイスラの妻マルティルディの希望を叶え肌を合わせる。
精神的に落ち込んでいたとはいえ、望まれるままに抱いたことは間違いであったと。
時間が冷静さを取り戻させてくれたが、したことは消えない。
ただ両性具有を拒否したことだけは、謝ることはできなかった。三十年も一緒にいられるのならば――
イデールサウセラに、兄を重ねていることを否定はしない。彼も両親も、間違いなく重ねている。
先代皇帝が兄にランカを重ねたように。間違っているなどではなく、どうすることもできないのだ。
「生きていてくれたら……五歳は早すぎますよ。分かっています、三十年の寿命があったら、五十年と言うでしょう。五十年だったら”両性具有でなかったら”と言ったでしょう。分かっています、分かっているのですが」
振り返り蔦に覆われた巴旦杏の塔と、兄の墓標にもなっている驢馬小屋を見つめ、そしてガルベージュス公爵は持ち場へと戻った。
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