帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[195]
 ガルベージュス公爵の告白に、ルグリラドは自分がどこにいるのか? わからなくなった。貧血が起こったときのように、吐き気に襲われ、足元が気味悪く”ふわり”とする。
 ガルベージュス公爵に握られている自分の手に冷や汗が浮き、全身が強ばってゆくのを感じながら、
「すべて教えてくれるのかえ?」
「はい」
 ルグリラドは最後まで聞こうと覚悟を決めた。
 二人は家の裏側に出入り口の階段へと行き、ガルベージュス公爵がマントを外しそこへ敷き、並んでそれに腰掛けた。
 高い木の葉が生い茂るその隙間から見える夜空。
 草木は夜の冷たい空気にさらされ、徐々に湿り気を帯びてくる。
「わたくしが二歳の時、彼は四歳で死亡しました」
 ガルベージュス公爵は包み隠すことなく話はじめた。
「正確には兄ではありませんが、便宜上兄と呼ばせていただきます。兄はわたくしの両親にとって初めての子でした。両親は兄をとても愛し、公にはできないものの、最後まで自分たちの子として育てました。わたくしにとってもただ一人の兄です」
 ガルベージュス公爵の兄は弟とはまったく見た目が違い、両性具有らしい両性具有であった。
 いま塔の中にいるリュバリエリュシュスを幼くしたような子どもであった。
「シャイランサバルト帝は知っていたのか?」
 兄が生まれた時、シャイランサバルト帝は二人に四年だけだが育てるか? と尋ねた。
 二人が育てないというのであれば、デルシに命じ大宮殿の片隅でひっそりと、シャイランサバルト帝が慈しみ育てようと。
 まさに挫折を知らなかった二人は当初シャイランサバルト帝に預け三日おきに様子を見に行き、気付けば毎日通い、ついに二人で育てると――
 シャイランサバルト帝は「良かったな」と思いはしたが、二ヶ月手元に置いたこの両性具有が可愛くてしかたなく、デルシの提案で二人はシャイランサバルト帝の側で育てることになった。
 育てる間、母親のサディンオーゼル大公アーディランは体調不良もあり公職から一時身を引くのだが、理由を公にするわけにはいかない。
 口が固く、誰もがその地位に就くことに納得し、誰もがその地位を降りることに納得できる人物 ―― キルティレスディオ大公ミーヒアスが選ばれた。
 彼はシャイランサバルト帝が両性具有を産んだことを知る、数少ない人物でもある。兄の寿命を聞き”うまくやっておく”と、有能かつ自堕落な生活を送り、兄が死んだ時”仕事に悩殺されて忘れろよ”と、地位を押しつけて去っていった。
 キルティレスディオ大公は、いまサディンオーゼル大公とデステハ大公夫妻が、必死にイデールサウセラを育てているのを―― そんな本気で向き合わないで、体調が悪いならそのまま殺してやりゃあ良い物をよ。仕事投げ出してまで生かしてやる価値や意義があるのかよ ―― 腹立たしく感じながらも、優しく見守っていた。
「もちろんでございます。アルカルターヴァ公爵殿下もご存じですが、シャイランサバルト帝は故ルベルテルセス殿下の後、二人の子を産みました」
「……両性具有?」
 皇帝が産んだのに明記されないとなれば、両性具有しかない。
 ルグリラドはガウンの袖に整った爪を立てて震えを抑える。
「はい。最初の両性具有はリスカートーフォン帝婿との間、二人目の両性具有はアルカルターヴァ皇婿との間に」
 ケシュマリスタ系の皇君との間にシャイランサバルト帝は子を儲けなかった。
 二人も両性具有を産んだので、両性因子を大量に所持するケシュマリスタ系の夫との間に子を儲けるのは……怖ろしくてできず、皇帝の体調を考えて誰もが勧めなかった。
 シャイランサバルト帝の御代、ケシュマリスタ系の皇王族が優遇されていたのは、この夫婦関係にある。
 子どもが生まれれば「全てが良い」わけでもない。
 寝室を共にしないことで、取引が成立することもあるのだ。
「……」
 ルグリラドは叔父と皇帝の間に両性具有が産まれていると聞き、愕然とした。そして……ガルベージュス公爵が言おうとしていることを夜気に晒され冷えゆく肌で感じ取ってもいた。

 イデールサウセラという両性具有が生まれた責任は、マルティルディだけが負うものではない――

「一人目は生まれてすぐに死亡し、二人目はランカと名付けられ五歳まで生きました。二人目は便宜上彼女と呼ばせていただきますが、彼女はロヴィニア王城の一角で王子と共に幸せな人生を送ったそうです。その王子はとても病弱で長生きしないと言われ……今ではすっかりと元気になられています」
「キーレンクレイカイムか」
 ルグリラドもキーレンクレイカイムが病弱だったというのは、父王から直接聞かされた ―― どうしてそんなことを聞かされるのか? と思った記憶がルグリラドに蘇り、そして理由が解った。
 キーレンクレイカイムが幼少期病弱であったのは【帝国が公式に定めた】ことだったのだ。本人が本当に病弱であったかどうかなど、関係のないこと。帝国が定めたことだから、覚えておくようにと、命じられたことだった。
「はい。フィラメンティアングス公爵殿下は彼女の隠れ蓑として誕生し、そして本来であれば彼女とともに死ぬはずでした。シャイランサバルト帝は彼女を挽くことなく、普通に送りたいと願い、先代ロヴィニア王はそれを叶えるべく殿下を殺害する予定でした。ですが殿下を愛していた彼女がシャイランサバルト帝を説き伏せ、殿下は生き延び、彼女は通常の処分となりました」
「そのランカはたしかに”彼女”と呼ぶべきじゃろうな。キーレンクレイカイムは子どもの頃から女たらしだったようじゃのう」
 会ったことも、いままで存在も知らなかった”いとこ”
 だがルグリラドには、彼女がどんな子どもであったのか思い描くことができた。
「そうですね。彼女は一度たりともシャイランサバルト帝のことを”一番好き”とは言ってくれなかったそうです。彼女の一番はいつも殿下だったそうです」
「のう、ガルベージュス」
「はい」
「キーレンクレイカイムはそのことを忘れてしまっているのかえ?」
「はい。仮死状態にされた時間が長く、記憶に障害が出たそうです。最近記憶は戻ったとのことです。どうして気づかれました?」
「あの破廉恥は、儂の大事なメディオンにいつもちょっかいを出しておったが、最近少し控え目になったからじゃ。あの破廉恥、本当にランカという……儂とメディオンの”いとこ”を気に入っておったのじゃな」
 記憶を無くしてもキーレンクレイカイムから消えなかったランカの面影。
 ルグリラドはガルベージュス公爵の顔を見つめる。自分が同じような目に遭ったら、微かにでも覚えていられるだろうか ―― そう考えて、ルグリラドは心の中で頭を振り、自らに言い聞かせる。
 この感情もろとも忘れてしまえばもっと楽になる……だからそんなことがあったら忘れてしまえと。
「はい……セヒュローマドニク公爵殿下、ここからが本題です」
「なんじゃ?」
「いま巴旦杏の塔に収められているリュバリエリュシュス殿の寿命は三十四年。わたくしの兄は四年で死亡し、シャイランサバルト帝が産んだ両性具有は生後まもなくと五歳で死亡しました。そしてイデールサウセラの寿命は三十二年。同じ両性具有ですが、随分と寿命に差があります」
「そうじゃな」
「これには両性因子が関係してきます。両性因子が”人間”にとってどのような役割を果たすのか? セヒュローマドニク公爵殿下もご存じでしょう」
「人間と人造人間、あるいは人造人間同士を融合させる役割を果たしておるのじゃろう」
 人造人間といっても様々あり、人間をベースにして作ったものもあれば、完全に一から作りあげたものもあれば、人間に人造部を継ぎ足したものもある。
 現在の帝国はありとあらゆる人造人間が存在している――
 この様々な人造人間が存在し、互いに生物として繁殖できるのは「人間をベースにしていない、一から作りあげられた人造人間・両性具有を含む因子」が仲立ちしているからなのだ。
「はい。問題はこの量にあります」
「量?」
「両性因子を大量に所持しているのはケシュマリスタ。その中でも特に第一子が大量に所持して生まれてきます」
「それは知っておる。両者にとって第一子であれば両性因子は桁違いに多くなるはずじゃな」
 第一子というのは、他の兄弟に比べて、必要な両性因子が一定量に到達する可能性が高く、多種多様な構成物質が安定しやすいとされている。
 だが量が増えすぎると「両性因子の顕在化」と呼ばれ――両性具有が誕生することとなってしまう。
「はい。わたくしの兄は両親にとって第一子であったので、両性具有となりました。イデールサウセラはあの二人にとって最初の子……ということもありますが、アディヅレインディン公爵は父君が両性具有ということもありますので」
「は? お主、いまなんと?」
「アディヅレインディン公爵殿下の父君エリュカディレイス王太子殿下は両性具有です」
 エリュカディレイスは事故死でもなんでもなく、両性具有の短い寿命を終えた。遺体は残り、葬儀のために手をくわえる必要がある。
 ケシュマリスタの実質的な支配者の遺体を、乱暴に扱うわけにもいかない。
 マルティルディは父親が両性具有であることを知っていたが……彼女一人ではどうすることもできず、シャイランサバルト帝に援助を求めた。
 そして送られたのはキルティレスディオ大公。大公は念には念を入れることを提案し、棺に収めるための全てを取り取り仕切り、隙を見てエリュカディレイスの遺体を別のところへと運び出す。そしていつも通り、葬儀の最後まで飲んだくれ、葬儀終了後、遺体を帝星へと運び込み”両性具有の慣わし”に従い処分した。
「…………」
 キルティレスディオ大公はそれでもエリュカディレイスのことを”王子”と呼ぶ。
「セヒュローマドニク公爵殿下、残念なことに、あなたにもわたくしにも顕在化の恐れがある両性因子を大量に所持しています。シャイランサバルト帝が産んだ二人の両性具有がそのことを物語っております」
 ガルベージュス公爵は両親がエヴェドリット系皇王族。近いところに皇帝が産んだ一人目、少し離れたところにランチェンドルティスという両性具有が存在する。
 ルグリラドは”いとこ”にあたるランカと、甥であり姪でもあるイデールサウセラがいる。
「そう……なるな」
「シャイランサバルト帝の御子がルベルテルセス殿下のみであったのは、両性具有を立て続けに二人産んだことが大きいのです」
「なあ、ガルベージュスや」
「はい」
「女は分かるのじゃ。女は自分の体で育てるから最初の子か、そうではないかを判断できるのは分かる。じゃが男はどうやって判断されるのじゃ?」
「その第一子と言われる精子は、通常のものとは違います。またフィラメンティアングス公爵に話は戻りますが、殿下の母君でわたくしの伯母にあたるサズラナシャーナ故王妃殿下の死因は両性具有を身籠もり産むことができなかったことが原因です」
「そうじゃったのか……」
「サズラナシャーナ様には既にイダ王やナシャレンサイナデ公爵殿下など、多数の王子、王女を出産なさっていました」
「そうじゃな」
「ですが両性因子を大量に含む精子はこのとき初めて作られたのです」
「女の第一子は両性因子第一子とほぼ同義語だが、男は第一子と両性因子第一子は同じではないこともあるということか?」
「はい。男性の側はいつそうなるのか? 分からないことが多いので、女性側から継承される両性因子を確実に受け継ぐために、帝国は第一子相続となっております」
 帝国は第一子相続で、男女とも継承権がある。その理由の一つが”これ”。
「ただ九割以上の確率で初めての性行為で両性因子第一子に該当する精子を作れる王家があります」
「ケスヴァーンターンか」
「その通り。故にあの王家の王太子は暫定皇太子の座を与えられるのです。なによりもわたくしが属する皇室やケスヴァーンターン以外の王家とは違い、ケスヴァーンターンの男は第一子と同程度の因子を含む精子を作り続けることができます。ですがこれは諸刃で、非常に受精しにくい精子でもあります」


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