帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[191]
「グレスや。操作パネルはどこにあるのじゃ?」
 狭い室内を案内されたあと、ルグリラドは家を管理する操作パネルの在りかを尋ねた。聞かれたグラディウスは、最初「?」という顔をしていたが、
「傍系……サウダライトが指で触れると、明かりが消えたりするものじゃ」
 説明を聞き、リビングのサウダライトの椅子の手すりに埋め込まれていたパネルを指さす。
「これのこと? おきちゃきちゃま」
「そうじゃ」
 家が小さく、とくに複雑な動きをも必要としていない室内を維持するパネルは、非常にシンプルであった。
 ルグリラドはサウダライトの椅子に座るのは嫌なので、床に膝を折った体勢で操作をする。
「なにしてるの? おきちゃきちゃま」
「ん。先ずはなあ」
 ルグリラドは虫が入ってこないように設定してから、窓や扉を全て開くように指示を出す。
「勝手に開いた!」
「そうじゃ。そして、次は音声を外に逃がすように設定し……これで外にいるアグディ、ではなくてリュバリエリュシュスが儂等の会話を聞くことができる。外に出てみるが良い」
 グラディウスは言われた通りに外に出て、
「おきちゃきちゃま! あてし外にいるよ!」
 両手を大きく振りながら声を上げる。
「儂の声、聞こえておるか?」
 ルグリラドはいつもより少し声を大きめにして答える。
「聞こえる! エリュシ様も聞こえるよね!」
「ええ」
 グラディウスのように大声を上げてはいないが、リュバリエリュシュスの声は風と共に澄んだままルグリラドの耳にも届いた。
 玄関を出て、
「儂等が室内で騒いでいる声を聞いて楽しめ、リュバリエリュシュス。グレスや、昼食を作るぞ」
 グラディウスを手招きする。
「はい、おきちゃきちゃま」
「グレス、王女様と楽しんできてね」
 グラディウスの声を遠くで聞いているだけで幸せになれるリュバリエリュシュスは、ルグリラドに感謝しながら早く行くように促す。
「はい! エリュシ様」

 室内に戻ったグラディウスは、ルグリラドと一緒に手を洗い、

「まずはお主の希望通り、ピザを焼いてやるわい」
 用意してきた土台を取り出して、グラディウスの前で華麗に球体を円へと変形させる。
「……」
 グラディウスはピザの味はもちろんだが、この土台がみるみる大きくなって行くのが大好きであった。
「ほれ」
 目の前に置かれた土台と、
「ここからは一緒に作ろうではないか」
 用意してきたソースや具材を取りだし、作ろうと勧める。
 ”まだら”にピザソースを塗り、チーズを置き、最後の仕上げにバジルを乗せて、普通のオーブンで焼く。
 本当は外に石窯を用意させようとしたルグリラドだが、外の石窯には虫が入り込んで……潔癖症の彼女には耐えられないと説明され、不本意ながら帝国製最高級オーブンで諦めた。
「何分くらいでできるのかな?」
「二十分程度じゃ」
「楽しみ」
 オーブンを覗き込みながら、グラディウスは楽しみに待っている。
「そうじゃなあ……なあ、グレスや」
 グラディウスがもっと喜ぶ顔を見たいと思ったルグリラドは、玄関の外へと視線を移す。
「はい!」
「外のあれ、その……」
 名前はしっかりと覚えているが、なかなか言うことができない彼女に、
「エリュシ様?」
 グラディウスは大きな藍色の瞳を輝かせて答える。
「そうじゃ、リュバリエリュシュスじゃ。あれにもピザを分け与えてやろうかと思うのじゃが……嫌いだと聞いたことあるか?」
 好きも嫌いもないことも、よく分かっている。
 そしてグラディウスに尋ねられたリュバリエリュシュスがどう答えるかも――
「あてし、聞いてくる!」
 部屋から元気よく出て行き”ピザ好きですか!”と聞くグラディウス。その声を聞きながら、ルグリラドは、操作パネルに用意しておくように命じておいた”皇帝直通ボタン”を押した。

※ ※ ※ ※ ※


 会議中であったサウダライトは、ルグリラドからの連絡が届いたのを見て、
「会議終了。また今度ね」
 いそいそと立ち上がる。
 先代のようにゆったりとした動きとは正反対のもの。
「ガルベージュス公爵」
「はい。陛下」
「頼みがあるんだけど」
 ガルベージュス公爵を連れて、大急ぎで部屋を出ていったサウダライトを見送った貴族たちの予想は、
「なんだと思う?」
「アディヅレインディン公爵殿下関係か、セヒュローマドニク公爵殿下関係のどちらかだろう」
 当たっていた。

 すっかりと不仲になった王女二人の仲を取り持つことが仕事のサウダライト。先代皇帝のように呼びつけて「いがみあうな。譲歩しろ、大人なのだからな」命じて間を保つようなことはできないので、
「ルグリラド様から呼び出されてね」
「お急ぎですか? 陛下」
「二十分以内に例の場所に」
「時間を優先なさいますか?」
「もちろんだ。あと、私が急いできたのを気付かれないようにしたいな」
「畏まりました」
 軽快なフットワークを武器に、低姿勢で両者に会って、とにかく機嫌を取る。

 現在サウダライトが居る場所から、グラディウスたちが居る巴旦杏の塔までは、時差で計ると約三時間。
 この距離でも二十分以内で到着できる乗り物は多数存在するが、あくまでもさりげなく、

―― おっさん、ちょっとグレスの顔を見に来たんだ ――

 という態度で現れる必要があるので……軍用機に乗り最速スピードで巴旦杏の塔へと向かい、グラディウスには見えない位置で機体は垂直上昇、サウダライトはガルベージュス公爵に抱えられて斜めに落下し、近くの森へと降りる。
「お戻りになる際は、落下の逆を行います」
「……」
 垂直降下してくる軍用機に、ガルベージュス公爵に抱えられて垂直に飛び、機体に搭乗することになる。
 ハッチが開かれ、大昔のスペースシャトルでもしないような垂直上昇する機体から、
「それでは、陛下」
 ガルベージュス公爵の小脇に抱えられ、風圧で舞う自分の金髪に目隠しされながら、サウダライトは斜め落下した。
「ご安心ください。このガルベージュス公爵《エリア》」

―― が、絶対無事に地上にお届けします! ――

 という予定だったのだが、名前を言い終える前に地上に到着してしまった。
「不徳の致すところです」
「いやいや。ありがとう」
 彼の名前が長いのは仕方のないことで、彼が名前を言い続けるのは何時ものこと。なにが不徳の致すところなのか、サウダライトには訳が解らないが、否定すると名前以上に時間をかけて説明されそうなので打ち切り、
「御髪を直させていただきます」
 飛び降りて乱れた髪を直してもらい、
「君の髪って凄いね。あの高さから飛び降りても、一切乱れないんだね」
「軍人仕様です」
「さすがだねえ」
「お洋服も直させていただきます」
 少し崩れた服を直してもらった。
「頼むよ」
 グラディウスだけに会うのなら”よれよれ”でも問題はないが、ルグリラドが居るところに、乱れた格好で出向く度胸はサウダライトにはない。
「整いました」
「それじゃあ、行ってくるね」
「お待ちしております、陛下」
 頭を下げるガルベージュス公爵に見送られ、サウダライトは早足で巴旦杏の塔へと近付き、二度深呼吸をする。
 庭のテーブルには焼き上がったピザ。リュバリエリュシュスにルグリラドが作ったピザがいかに美味しいのかを、稚拙で同じ単語の繰り返しながら必死に語るグラディウス。
「グレス」
「……っ! おっさん?」
「いい匂いがしたから、おっさん、来ちゃった」
「……」

 サウダライトが来た時の嬉しそうな顔――

 大きな瞳は閉じられ、目が線のようになり、口がぱっかりと開いて、顎がやや上向き。幸せに緩みきった顔という言葉が相応しい。
「おきちゃきちゃ。おっさんにあてしのピザ一切れ、あげてもいいですか?」
 その表情に抗えるものなどなかった。
「お主にはもう一枚焼いてやるから、気にするなグレス。傍……サウダライトや、近くにこい」
 結婚して二年。”近寄るな!”と罵られる日々を送ってきたサウダライト、今日初めて”近くに寄れ”と命じられた。
―― ルグリラド様に罵られるのは、気にならないというか、まあ……ねえ

 皇帝サウダライト。元大貴族ダグリオライゼ。主に罵られ続けた男は、美しく気位高く、身分も高い女性に罵られるのは日常であり、若干褒美でもある。

「サウダライト。ピザを一切れ、あれ……ではなく、エリュシに渡せ」
 ”エリュシ”と呼んで欲しいというグラディウスの希望を聞き入れて、ルグリラドは愛称で呼んでやった。
「ありがとう、おきちゃきちゃま……」
 ”良かったねグレス”硬い頭髪で覆われている頭を”ぽんぽん”と撫でて、ピザを一枚手に乗せる。
「畏まりました」
 そしてリュバリエリュシュスに手渡した。
「熱いから気をつけてください」
「は……はい」
 温かい食べ物を知らないリュバリエリュシュスは、緊張の面持ちで手を差し出し、熱いピザを受け取る。
 その熱さに落としかけたが”いけない!”と片手を袖で隠してその上に乗せ直した。
 こんなにも熱いものを食べて大丈夫なのだろうか? 不安を感じた物の、
「みんなで一緒に食べよう!」
「そうじゃのう」
 グラディウスが”熱い、熱い”と言いながらピザを持ち、自分に向かって笑っていたので、不安は小さくなっていった。

「いただきます!」

 グラディウスと、それに遅れてルグリラド、
「どうぞ」
「私も頂かせてもらいます」
「ありがたく、食え」
 サウダライトの挨拶。
「あ、あの……いただきます」
 断絶された場所にいるのに、外側と繋がっているような感覚。それらは小さくなっていた不安を完全に消し去った。
「熱いから気をつけい……と注意してやっても主には分からんか。グレスや、あれに、エリュシにピザの食べ方を見せてやれ」
 息を吹きかけ、
「あふ……あち、あち……」
 あまり見本にならない食べ方をするグラディウス。伸びたチーズが顎まで垂れ下がり、
「あちっ!」
 それを指でつまみ、ルグリラドが取ってやる。
「気つけい……とまあ、分かったかえ?」
 そしてピザを手にし、息を吹きかけ自分で作ったピザをほおばる。
「見てないで、早う食わぬか。冷めたらまずくなる」
「あ、そうなんですか。申し訳ございません」

 リュバリエリュシュスは貰ったピザ二口で満腹になってしまったが、嬉しそうに食べるグラディウスにつられてもう一口、ルグリラドにもつられてもう一口食べ、サウダライトに感謝をした。


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