帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[190]
 様々な人の苦労により”一泊二日”二人きりは幕を開けた。
「睫のおきちゃきちゃま!」
「儂のことを待っておったのか? グレス」
「うん! でもおきちゃきちゃま、早く来てくれたから嬉しい」
 ルグリラド、約束の一時間半前にグラディウスの館に到着。”ルグリラド様、これ以上抑えておけぬ!”なる報告は届いている。
 よっぽど楽しみなんだろうな――というような眼差しを向けると気分を害してしまうので、ケーリッヒリラ子爵は視線を逸らして耐えた。
 警備が警備対象から視線を逸らすのは、警備としてなっていないのだが、王女の機嫌を損ねないようにするのも重要なのだ。
「…………そ、そうか? 早かったのか。儂はこの時間だと連絡を受けておった。早く来すぎてしまったのか。伝達不備か、仕方あるまい」
 気持ちがはやり、時計を読み間違ってしまった王女は、黒く美しく長い髪を両指でいじりながら、必死に言い訳をする。
「で、でんた?」
 ”伝達不備”などという言葉、グラディウスに解るはずもない。
「殿下。準備は整っておりますが」
 メディオンから連絡を受け取る前、昨日のうちにケーリッヒリラ子爵は準備を万全にしておいた。

 なんとなく、こうなることを予想していたらしい。

「用意がいいな、ケーリッヒリラ」
「ありがとうございます」
 飾り立てた驢馬車に二人を乗せ、驢馬をつけ、
「頼んだぞ。驢馬」
 声をかけて送り出だす。
「いってきます!」
 手を振るグラディウスと、その元気に手を振るグラディウスを眺めるルグリラド。笑顔など見せてなるものか! と、口元を扇で隠しているのだが、いつもは憂いを感じさせる潤む瞳が、ひたすらに優しいものになっている時点で隠しきれていない。
「……さて、行くか」
 グラディウスの視界に映らない程度距離を取り、ケーリッヒリラ子爵は武装してソーサーに乗り込み後をついていった。
 二人が無事に巴旦杏の塔に到着するまで警備するのがケーリッヒリラ子爵の仕事である。本来ならば、もっと近くで警備するのだが、それではルグリラドが本音で語れないだろうと――これもメディオンからの意見により、許可を貰い、ある程度の距離を保ち付いて行くことになった。
 襲われるようなことはない。だが予想外のことをしでかす。それがグラディウス。

 二人が乗った驢馬車。見た目はクラシカルだが、最新の技術が投入されており、震動はなく滑らかそのもの。
 敷き詰められたクッションの一つは、
「あてしカバー作ったの」
 グラディウスのお手製。ちょっと大きめで、端が余っているが、ルグリラドにしてみればそれも味の一つ。
「儂のために作ったのかえ」
「うん!」
 有名デザイナー作の布を用いたものだが、グラディウスは最初違う布を使おうとしていた。
「ほんとはね」
「なんじゃい」
「あのね」
「なんじゃ、なんじゃ」
「あのね」
「おう、なんじゃ」
 必死に話そうとするグラディウスと、会話がしたくてしかたないルグリラド。相槌もかなり激しく、気付くと顔が近付き、膝も近付いて、間にある独創的な星と月が描かれたクッションを違いの体ではさみ遭っている状態。
 他人からすると”なにを……”だが、当人同士はあまりどころか、まったく気にしていない。
「おきちゃきちゃまのお家の色のね、カバー作ろうと思ったんだけど」
「ふむふむ。それで、それでどうしたのじゃ?」
「しっぱいしたら失礼だからって」
 グラディウスは裁縫はできるが上手くはない。
 そのため、ある程度できるリニアが付いて一緒に作るのだが、リニア”が”緋色を恐がった。それはそうだ、宇宙でもっとも由緒ある色で、差し出す相手が王女では、リニアが尻込みしても仕方がない。
 ジュラスとて『ごめん……その色の布で裁縫は……』である。
「……」
―― 多少下手でも、ものすごく下手でも、いっそ悲惨な状態でも問題ない。王家の家紋入りや儂の家紋入りの布を使っても問題ないのにのう
 心の中で呟き、残念さを俯せになり全身で表す。
「ど、どうしたの! おきちゃきちゃま」
 ルグリラドが問題なくてもテルロバールノル王家家紋入りの布など、サウダライトでも『あのね、グレス。あのねえ……』言葉を濁してなかったことにする。
 それはおいそれと触れることはできない物。
「……気にせずに作ればよかったのじゃよ」
 床に敷いた座り心地の良いクッションに吸い込まれたか細い声。
「うん! あのね、睫のおきちゃきちゃまと一緒に作ると良いよって言われたの……うわっ!」
 ”がばっ!”と顔を上げ、グラディウスの両肩をつかむ。
「そうかえ! そうじゃな、そうじゃな! 準備は整っておるのかのう」
 料理は必要にかられて覚えて達人の域に達したのだが、刺繍を含む裁縫は好きで達人の域になったルグリラド。
「おっさんが用意してくれたよ。お家に運んでくれた」
―― でかした! 傍系皇帝!
 結婚して二年、初めてサウダライトはできる男だと、ルグリラドは少しばかり認めた。

”これを用意しておけば、アルカルターヴァ様もルグリラド様に怒鳴られることないかと”
”貴様にアルカルターヴァ様呼ばわれする筋合いはないのじゃ! 傍系!”

「おきちゃきちゃま、手芸うまいって聞いた」
「誰にじゃ?」
「ほぇほぇでぃ様」
「……」
「どしたの?」
 美しい眉を寄せて、眉間に皺を作り、口はへの字。感情を表さないように育てられ、いままで貴族たちにそのように接してきたルグリラドの面影はどこにもない。

「まさか、テルロバールノル王女殿下の百面相を見ることになるとは」

 距離を保ちながら付いていっているケーリッヒリラ子爵は、驢馬車にセットした盗聴器的なもので会話を聞きながら、肉眼でその有様を確認して……ルグリラドと同じように、眉間に皺を寄せてへの字の口になっていた。

 余談だが左右の瞳の色が違うと聴覚が若干劣る――人間にはその傾向が見られる者がおり、人間を元にして作られた左右の瞳の色が違う人造人間もその特性を持っている。
 人間とは比べものにならない視覚を誇るが、聴覚は人間より優れているが視覚ほどではない。視覚を10とすれば聴覚は5から6程度の性能。
 それ故に集音器や盗聴器のような機器、また読唇術などがいまだに必要とされている。
 帝国初期の頃は、左右が違わなかったので聴覚は普通であったが、両目の色を変えることに執着し、結果”発達していた”聴覚は退化した。
 だが偶に先祖返りのような者もいる。その数は圧倒的に少なく、左右の瞳の色が違って聴覚が優れているものは、帝国史でも稀。

 軍妃ジオは五感が並外れていた。
 彼女が戦闘に特化した人造人間たちと戦い勝利できた理由は、その優れた聴覚にあるのではないか? と、未だに研究している者もいる。
 それほど、人造人間の聴覚は瞳のために犠牲になっていた。

 二人の乗った驢馬車は無事に巴旦杏の塔に辿り着き”賢い”驢馬は足を止めて、
「おきちゃきちゃま、待っててね」
 グラディウスは練習した通り、後部を開いて降り、ルグリラドに手を差し伸べる。
「どうぞ、降りてくださいま……まし? ませ?」
 後部を開く時の乱暴さと喧しさ、飛び降りて体勢を崩し冷や冷やさせられ”すっと”ではなく、指が全部開いた状態で勢いよく差し出される手。
 ルグリラドはグラディウスよりも大きいがほっそりとしている手を乗せようとしてふと止まる。
「どしたの?」
「ちょっと待つのじゃ」
「はい」
 褐色のごつごつとしつつ、むちむちしている手に直接触りたいと手袋を脱ぎ捨て、手のひらを乗せる。
「おきちゃきちゃまの手、きれい!」
「それはそうじゃ。儂の手はきれいでなくてはならんのじゃよ」
 洋服の裾を持ち、締まった足首を僅かに晒すような状態で驢馬車を降りた。

「グレス」

 蔦で覆われた円錐の塔の中から聞こえて来た、喜びを含んだ声。
 緑の葉の向こう側に現れたケシュマリスタ。
―― ……
 ルグリラドは絶句する。塔の中にはマルティルディの叔母であり叔父がいると聞いており、実際”そう”であった。
 だが塔の中の両性具有と、最近弟のイデールマイスラに打ち明けられた、いずれこの塔に入る存在しない甥であり姪は”エリュシ”と似ても似つかない。

 ルグリラドはイデールマイスラがマルティルディとその子を拒絶した理由を理解してしまった。

―― あれは儂と弟に似ておる……この両性具有とは違う

 それは気付いてはならない事実であり、隠さなくてはならない真実。
 ルグリラドも存在しない弟の子の映像を見て、気付いていたのだ。気付いてはいけないと目を瞑り背をむけて――だが、彼女は現実に向かい合うことにした。彼女は皇帝の正妃であり、次の皇帝を産むことを希望されている一人。
 悩める時間は少ない。だから彼女は覚悟を決めた。
 彼女はイデールマイスラよりも強い……と彼女は決して言わないだろう。彼女はまだ杞憂に縋ることができる。
 現実が目の前にない限り。

 だがここに、現実を突きつける存在が現れた――リュバリエリュシュスである。

「エリュシ様! おきちゃきちゃま、エリュシ様……本当の名前はもっと長いけど、あてし覚えられなかった。エリュシ様、教えてあげて!」
 彼らの確執など知らないグラディウスは名乗ることを勧める。
「あ、あの……あのね、グレス」
 リュバリエリュシュスはかつてランチェンドルティスから教えられたことを思い出し、言葉に詰まる。自分を睨むように見ている「人間」に気後れし、恐怖し……。
「塔の中の」
「は、はい」
「儂に名乗ることを許してやる。名乗れや」

 だがグラディウスが連れてきた人間は、優しかった。

「リュバリエリュシュスと申します」
「そうか……お主、姪とあまり似ておらぬのお」


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.