帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[189]
 睫のおきちゃきちゃま、ことセヒュローマドニク公爵ルグリラド。
 テルロバールノル王国一の美女。マルティルディとは違う人の美の極み。
 憂いを帯びた眼差しと高貴な佇まい。
 マルティルディと言われれば美、ルグリラドと問われれば美しく気高き王女と誰もが真っ先に答える。

 マルティルディの容姿に人間らしさはないが、ルグリラドには人間の美しさがある。

 彼女は皇帝の正妃ではあるが、現時点ではイレスルキュランと共に后殿下とだけ呼ばれ、正式な称号は受け取っていない。
 テルロバールノル王家の第一王女として生を受けた時点で、いまは故人となった皇太子ルベルテルセスの皇后になることが決まっていた王女にとって、傍系皇帝の正妃で、第一親王大公が誕生したら称号が決まる――という現状は、非常に不愉快な物であった。
 第一親王大公、即ち皇太子の誕生と称号を引き替えにするよう決定したのは、サウダライトではなくマルティルディ。

 現在ルグリラドとマルティルディの間はこじれ、最悪に近い状態になっている。だがこれを取りなす人は存在しない。
 皇帝サウダライトに調停能力がないこともそうだが、二人の諍いはマルティルディに権力が集中するのを避ける効果がある。皇帝の向こう側に一極集中しかねない権力、それを分散させるのがルグリラドなのだ。
 サウダライトはマルティルディ至上主義だが、ルグリラドにも気を配らなくてはならない。上手く権力配分を調節してマルティルディが孤立しないように務める。

 皇帝の正妃は様々な仕事を担う。
 軍事国家の頂点に立たされた軍事に疎いサウダライトの代わりに皇后デルシ。イレスルキュランは後宮全般の歳出歳入を預かっている。人員はマルティルディが握っているが、そちら側はロヴィニアで牽制し合っている。
 では正妃ルグリラドの仕事はなにか?
 貴族のとりまとめ。それが彼女の仕事。軍事国家であり貴族制度を敷いている帝国。貴族を貴族しからしめるには、統制する必要がある。人は誰でも楽な方に傾くもの、それらを排除し、貴族であるように維持させることが彼女の仕事。

 統制する立場の彼女は、貴族の全てを網羅している。王族としての決まり事、皇帝の正妃となり次代皇帝を産み育てるために帝国貴族の全てをも学び、着衣の種類から色、日々かえなくてはならないカーテンの色、帝国や王国の祝日及びそれに関する式典。自らよりも下位に位置する上級貴族たちについても知り、侍従や侍女、その他召使いたちに対する教育。

 ルグリラドという厳しい規範がなければ、大宮殿は大宮殿としての偉容を保つことはできない。

 ルグリラドとマルティルディ、二人の不仲は二年前からのもの。あまりの不仲ぶりに、昔から不仲であった……と思われ気味だが、以前は不仲ではなかった。
 不仲になるほど接点がなかったのだ。
 ルグリラドにとってマルティルディは弟の妻ではあるが、彼女にとってはそれだけのこと――であるはずなのだ。
 王婿になるために実家を出て行った弟のことなど、テルロバールノル王家と皇室以外に興味のない彼女にとっては関係のないこと。
 だからいまの不仲の原因は、側近であり幼馴染みであり友人であるローグ公爵家の姫、メディオンでも解らない。そしてメディオンが訪ねない理由は……それが私的なことであると気付いたため。
 メディオン以外に知っているのは、不仲の原因を作った人物のみ。それ以外の人は誰も知らない、気付きもしていない。

「グレスが儂と遊びたいといったから遊んでやるだけであって、儂は別に……」

 彼女は素直ではない。
 王族は感情を表に出してはいけないと言われて育てられる。悲しさや喜びを人に気取られぬように、哀しみももちろんのこと。
「そうですなあ。グレスは楽しみにしておることでしょうよ」
「まあな……本当に儂と遊びたいと思っておるかのう? メディオン」
「もちろんですとも。エディルキュレセからも楽しみにして、遊べる日を指折り数えていると連絡が届いております」
「そ、そうか。それなら遊んでやらねばな」
「ええ」

※ ※ ※ ※ ※


 ルグリラドの希望を通すのに、サウダライトは色々な調整をした。マルティルディの気分をできるだけ害さず(グラディウスと二人きりで遊ぶという時点で害してしまう)イレスルキュランの機嫌を損ねず(マルティルディと同じ理由)デルシのお怒りを買わないように(前の二人と同じ理由)また、王たちの「儂の娘を第一に扱うべきじゃ」「うちの妹を優先しろ」「我の妹の恐ろしさを知ってるだろう!」と詰め寄られ……と、周囲の部下たちが”皇帝陛下って大変ですね”と本気で可哀相に思い、ついつい漏らしてしまうくらいにサウダライトは色々言われた。
 だが本人は、
「いやいや。そうでもないよ。大変だけれども、お妃様達がマルティルディ様の認めた寵妃を気に入って下さるのは嬉しい限りだ」
 大変ながら良い気分に浸っていた。
 サウダライト自身が気に入って迎えた寵妃だが、奇跡的に正妃たちにも主にも気に入られている。彼にしてみれば、これ以上ない幸せ。
 それに協力者もいた。
「姉上と妹は任せておけ」
「ご協力ありがとうございます。キーレンクレイカイム様」
「なあに、ルグリラドに遊ぶのを後日にしろと言ったのは私だ。責任の四割くらいは私にある」
 半分引き受けないところが彼らしいと言えるだろう。
「それにしても、よくイレスルキュラン様を説得できましたなあ。ロヴィニア対ロヴィニア、相当苦労なさったでしょう」
「それ程でもない」
 言いながらキーレンクレイカイムが書類を差し出す。
 そこにあったのは”乳が大きい人は馬鹿なのでルサ男爵と一緒にお勉強を”する計画書。
「一泊二日もいいが、三日に一度、継続して会えるというのは魅力的だからな」
「……」
 この書類を通したら、また騒ぎが……と心を過ぎるも、
「グレスが楽しみにしているはずだ。私はルサの様子も見たいから」
「畏まりました」
 居心地の良い空間を作ってくれるグラディウスを幸せにするために。そしてグラディウスの幸せの一端を担っているルサ男爵をもっと自由にする為に。

―― エヴェドリット王、ごめんなさい

 妹王女デルシに殴打され死相が浮かび上がるエヴェドリット王に先に詫び、
「デルシ様とグラディウスの遊びを」
 かつて自分を”皇帝陛下の妹君の子”として可愛がって下さった王女様のご機嫌を取るために、
「デルシかあ。デルシが一番まずくないか? あいつ女の子好きだぞ。知ってるだろ」
 全ての面において女性を気持ちを良くすることに、人生の半分くらいをかけている垂れ目ながら鋭い視線を持つキーレンクレイカイムと話合いを続けた。

※ ※ ※ ※ ※


「これで搬入終わりだな、ザイオンレヴィ」
「そうだねエディルキュレセ」
 巴旦杏の塔の前に建てられた、貴族からしてみると質素な建物。ここにルグリラドが泊まることになるのだが、この区画は皇帝直属の帝国軍人が管理しており、ルグリラドの配下にはここに立ち入れる者はいないので、許可されているケーリッヒリラ子爵とザイオンレヴィが代理で搬入することになった。
「警備は誰が担当するんだ? エディルキュレセ」
 寵妃のグラディウスの警備現場責任者は少佐のケーリッヒリラ子爵で充分だが、正妃の警備となると階級が足りない。
 親が皇帝の座についたことでケーリッヒリラ子爵よりも成績が悪かったが、階級が上がったザイオンレヴィでも中佐。
 正妃警備の現場責任者としては足りない。
「ガルベージュス公爵だ」
「それは完璧だなあ……まあ場所が場所だから、ガルベージュス公爵以外は無理か」
「ああ……なんだかイルトリヒーティーが警備立候補してたとか」
 イルトリヒーティー大将はデルシと同じく同性愛者の女性。
「えっと、それは……僕、なんて言えばいいのかなあ」
 帝国上級士官学校の先輩であった彼女の好みを思い出して、ザイオンレヴィは硬直する。黒髪、気位が高い、線が細め、肉体的にあまり強くない。精神力は強く、我が儘が良し。
「セヒュローマドニク公爵殿下がお好みだとかなんだとか……」
 二人が知っているということは、同期のメディオンも覚えており、ルグリラド様の貞操の危機! と警備から外すようガルベージュス公爵たちに進言し、無事通った。
「危ないよね」
「危ないから……その……なあ」

 帝国は女性だから女性の警備をつける……などと単純な配置をすると、あとで大変なことになることが往々にしてある。

「じゃあハープはガルベージュス公爵が?」
「らしい。正直なところ、我は運びたくなかったから、良かったよ」
 ルグリラドがグラディウスに「聞かせてやろう」といったハープ。そのお値段は、
「馬鹿みたいに高額なんだよね」
「馬鹿って言うな、ザイオンレヴィ。……我の個人資産では買えないくらいだ」
 それなりに勢力も財力もある上級貴族の子息に分与された資産でも、買えないくらいの金額。
「僕がいま貰っているシルバレーデ公爵の資産でも買えるかどうか。でも歴史的価値のある、芸術品なんだろう? そういうの好きだと思ったけど」
「好きだが……心臓に悪いのも事実だ」
「エディルキュレセは心臓止まったくらいじゃ死なないだろう」
「そうだがな」

 洋服が入った箱は運び込むだけで当然中身には触れず、料理用の食材が入った冷蔵庫も置いただけで中は開かず。その他、なににも触れず。
「驢馬小屋に空気清浄機は?」
「陛下がつけるなと」
「父が?」
「驢馬が自分の匂いがなくなって、落ち着かないと困るから、匂いは残しておくようにとのこと」
「そっか、動物だもんな。自分のテリトリーに匂いは必要か」

 隠した品物に気付かれぬように――サウダライト帝の勝利である。

「さてと。あとは帰ってルリエ・オベラと一緒に驢馬車を飾るか」
「僕も手伝うよ」


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