帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[185]
朝食後、グラディウスはダンスの練習をする為に着換えることに。
普段着としては使用されることが少なくなったスカートだが、
「ダンスの練習するときはこうやって……綺麗だろ?」
ソシアルダンスの練習をする際、女性は専用のスカートを着用する。マルティルディが着用したのは黒で、ふくらはぎの中程までの丈のもの。シューズは7pヒール。両手を軽く広げ”くるり”と一回転すると、スカートの裾が”ふわり”と広がる。
「はい」
グラディウスも同じデザインの色違いのスカート。色は薄いピンクで、シューズもそれと同じ色。ヒールは2p。
「僕がやったように、回って見せて」
「はい」
命じられた通りにグラディウスは回った……つもりだったのだが、くるりと360度回ることができず、20度ずつ立ち止まり”よいしょ、よいしょ”と言わんばかりに回る。
グラディウスの動きに鋭角な部分はないので、動きが”かくかく”しているわけでもなく、柔らかといわれるとそうでもない。歩いている時と同じようにどすどすしている……が最も近そうだが、それともどこか違う言葉にし辛い動き。
「前途多難そうだけど、まあいいや」
「?」
髪を高い位置に一本に結い上げ、広がらぬように筒状の物で覆わせたマルティルディ。いつもは黄金髪に隠されている顎から耳の付け根にかけての輪郭と首筋、そして顔が露わになり、
「……」
見慣れているザイオンレヴィでもみとれるほど。
「ほぇほぇでぃ様お顔きれい」
「まあね」
グラディウスですら”昨日も綺麗、さっきも綺麗、でもいまも綺麗。いつも綺麗、でもいまとっても綺麗”と悩む程。
そんな美しいマルティルディと、動きが面白いグラディウス。そしてザイオンレヴィ。この三人のソシアルダンスの練習の為に、室内にはオーケストラが待機している。
彼らは一流の奏者。血筋も皇王族のみという選ばれし者たち。
だが――マルティルディが男役をつとめてグラディウスをエスコートし、白鳥が女性パートをやって見せながらの練習する光景は、厳しかった。
美しきマルティルディの横顔に見惚れ、白く優美な足に見せられ。対するグラディウスの姿。立っているだけで笑いを誘い、少し動かれただけで笑いをこらえるのが難しく、動き出すとそれは最早”試練”
ウィンナワルツを教えられている筈なのだが、なにかが違う。
彼らはプロ。踊っているとは思えない足音がフロアに響き渡り、その聞いたことのない音は彼らの本能をくすぐる。
それに、
「ぷふ……」
立場が自由なザイオンレヴィが、グラディウスの動きを見て噴き出すのを我慢する声が漏れ聞こえてくる。
自由に笑える立場が羨ましい。いいな、皇帝のご子息という立場は ―― 彼らは思いながら、必死に耐え、指を動かし、呼吸を整える。
「ごめん、ほぇほぇでぃ様」
「……」
奏者たちは”ほぇほぇでぃ様”にも免疫はない。
普通は殺されるだろう”ほぇほぇでぃ様”呼ばわりだが、
「気にするなよ。君の初めてはいつもこんなもんだろ、グレス」
マルティルディは気にしない。その分、
「あてし、頑張るよ、ほぇほぇでぃ様」
「……」
慣れぬ彼らの腹に来る。”どすどす、どすどす”とマルティルディに引きずられながら、踊れているような気分になり笑顔になるグラディウス。
踊っている人たちの動きを見て曲を調節するのだが、マルティルディの細い体の向こう側に見える不細工な笑顔。後ろ姿はと言えば、きざぎざ分け目に不格好なお下げ、そして必死に足を動かそうとして腰がもたもたと動く姿。
笑ったら二流――
語り合った訳ではないが、彼ら全員が自分にそう言い聞かせ、こみ上げる笑いと戦いながら曲を奏でる。
「最後に踊り見せてあげるね」
「はい、ほぇほぇでぃ様」
全身汗びっしょりになったグラディウスを座らせて、マルティルディがザイオンレヴィに手を差し出す。
「僕が男役。君女役ね」
「……はい」
マルティルディの手に手を重ね、二人でフロアの中心に向かう。
その後ろ姿を温い水を飲みながらグラディウスは幸せな気分で見つめていた。―― ほぇほぇでぃ様が楽しそうだ ――それはグラディウスにとって、何よりも大事なこと。
ザイオンレヴィをエスコートして、左手と右手を握り、マルティルディは右手をザイオンレヴィの腰に回して引き寄せる。
ザイオンレヴィは左手をマルティルディの肩に乗せて、二人は踊り始めた。
”くるくると回るほぇほぇでぃ様と白鳥さん”
ダンスを初めて見たグラディウスは、踊る二人に合わせて……いるつもりだが、あまり合っていないが体を揺らしていた。
音楽は最初は流れていたのだが、マルティルディの美しさに一人、二人と手が止まり最後は無音で二人は踊り続けた。
始まった場所に戻り動きを止める。
「……」
「……」
マルティルディは髪を覆っていた筒を乱暴に引っぱり外し、ザイオンレヴィに投げ渡す。
「曲が止まったことは不問にしておいてやるよ」
肩に掛かった髪を払いのけ、椅子の上で変なリズムで体を動かしているグラディウスへと近付く。
「飲み物」
「はい! ほぇほぇでぃ様!」
違う物を渡すべきなのだが、自分の飲んでいたものを弾かれたように差し出し、マルティルディも気にせずそれを受け取る。
「どうだった?」
「……」
「なんだよ? 教えてよ」
片手で猫にするかのように顎下を指で撫でる。
「……」
「あんまり言わないと、ひっぱちゃうよ」
言いながらグラディウスの頬を横にむにむにと引っぱる。
「ほぇほぇ……ほっへ、いらいれふ」
「じゃあ答えなよ」
グラディウスは頬を撫でながら俯く。
「ほぇほぇでぃ様」
「なに?」
「あてしね、馬鹿だからね」
「知ってるよ」
「きれいしか言えないの」
グラディウスの心の中で、マルティルディの美しさに対し、様々な感情が渦巻いているのだがそれを表す言葉が見つからず”きれい”としか言えない。その事が歯痒かった。
歯痒い――その言葉もグラディウスは知らない。
「……」
「いっつも”きれい”ばっかりで、ほぇほぇでぃ様にね、上手に……本当はね! もっと、違う……ほぇほぇ? いら……いれふ」
言い終える前にグラディウスはいつの間にかグラスを置いたマルティルディに両手で両頬を引っぱられていた。
「いいんだよ。君はそれでいいんだよ、グレス。僕は綺麗、それでいい」
手を離して、引っぱっていた両頬に軽くキスをする。
「ほぇ……ほぇ……」
「この世界に僕の美しさを全て語れる言葉はないけれど、語る人によっては全て語れる。君は全てを語れる数少ない人だよ、グレス」
グラディウスはいつも通り、なにを言われたのか理解はできなかったが、認めてもらえたことを感じ取り、大きな目をより見開き、
「ほぇほぇでぃ様、きれい!」
同じ言葉ばかりになるけれども、感じたこと全てを込めて伝えた。
「ありがとう。そしてこれからダンス練習するんだよ。下手でいいから、覚えたら僕と踊ろうね」
「はい! あの、誰に教えてもらえば……」
「僕が教えてあげたいところだけれど、僕は忙しいからね。そうだね君の側にいるのは……ケーリッヒリラあたりは完璧だろうけど」
「マルティルディ様、エディルキュレセには無理だと思われます」
笑撃耐性が低く、日々グラディウスの警備で「脇腹がつりそうだ」と漏らしている彼には無理だと、ザイオンレヴィは友のために意見を述べる。
「そうかい。じゃあルサ辺りかな? ルサに教えるように命じておくから、習うんだよグレス」
「はい!」
こうしてルサ男爵はグラディウスの教育にザウデード侯爵家家令の仕事、簡易護衛の為の射撃訓練に、グラディウスの淑女養育も任されることになった。
※ ※ ※ ※ ※
楽しい時間はすぐに終わってしまう ――
その言葉通り、グラディウスの一泊二日の遊びは終わりが近付いていた。
「お土産のお返しだよ」
マルティルディは部屋中に飾った、グラディウスのために作らせた宝飾品類を見せる。
「……」
「これ全部君にあげるよ、グレス」
その数にグラディウスは圧倒され、
「ほぇほぇでぃ様、ありがとうございます。こんなにたくさん……」
気が抜けたような声でお礼を言った。
「そうそう、これは全部君の物だからね。リニアとかジュラスとかに分けちゃだめだよ。彼女たちやルサやケーリッヒリラには別に用意しておいたから。それは君の家に届けさせたよ。これも僕が届けさせるから。家で見せあうといいよ」
グラディウスは大量に持っていると人に分け与えたがるので、その事を見越して全員分のプレゼントを用意させていた。
「はい!」
「それでさ、最後にね……」
マルティルディの表情を見て、用意していながらザイオンレヴィは ―― 見せるのですか。そしてばらすのですか ―― 変わらぬ表情と複雑な気持ちに嘖まれながら、二人の後をついていった。
隣の部屋に続く扉を開かせ、
「これもプレゼントだよ、グレス」
特別に用意された服を見せた。深緑と深紫がベースで、山吹色のアクセントになっている、寵妃が決定した時に用意され、
「……あ、ああ!」
試着しただけで切り裂かれ、正式には着ることのなかった服。
グラディウスは久しぶりに対面した洋服に駆け寄る。
「もう一度作らせたんだ」
「ありがとうございます! ほぇほぇでぃ様」
元に戻ったかのような服との再会に喜んでいるグラディウスの背に、マルティルディは、
―― それを切り裂くように仕組んだの僕なんだ ――
暴露して虐めてやろうとしたのだが、
「……」
喜び、自分のことをまったく疑っていないグラディウスの後ろ姿に、
「……」
「マルティルディ様?」
声を失った。
”ばらして泣かせるんだ”と笑っていたことを覚えているザイオンレヴィは、どうしたのだろう? とマルティルディの横顔を窺う。
「……」
口を開いたまま止まっているマルティルディ。声などないのに、悲鳴を上げているようにザイオンレヴィには感じられた。
―― 言って嫌われたらどうしよう……
「ほぇほぇでぃ様、ありがとうございます!」
振り返ったグラディウス。マルティルディは口を手でかくし、
「そんなにありがたがらなくて良いよ。そのくらい、僕には簡単だからさ」
声を少し変えた。
その笑顔を前に、マルティルディは一生真実を言わないことに決め、
「ほぇほぇでぃ様! ありがとうございました! また遊んでください! 白鳥さん、またあとで!」
「いいよ。気をつけて帰るんだよ、グレス」
「はい。それじゃあまた後で」
迎えの驢馬に乗ったグラディウスを見送った。何度も振り返り手を振るグラディウスが見えなくなってから、マルティルディは怒りを露わにして室内に戻り、服を裂く案を持ちかけたフォル男爵の頭を掴み、
「あああ!」
湧き出す憎悪を込めて彼を壁にぶつけた。壁と共に破壊されたフォル男爵と、先程と同じく声は聞こえないが悲鳴をあげているかのような口元。
誰もマルティルディの姿を見ることはせず、頭を下げる。
「マルティルディ様。次の予定の……」
一人ザイオンレヴィが予定を告げる。
「分かってるよ」
何ごともなかったかのようにマルティルディは仕事へと戻り、ザイオンレヴィはフォル男爵の死体を片付けザウデード館へと向かった。
※ ※ ※ ※ ※
「フォル男爵死亡ですか……毒刃を使うなとは言いませんが、毒刃の扱いは難しいものなのですよ」
一時間毎に届く大宮殿内死亡者リストにその名を見つけたガルベージュス公爵は呟く。
「エシュゼオーン大公。わたくしザウデード館に行ってきます」
「かしこまりました。ケーリッヒリラ子爵に連絡しておきます」
「お願いします」
―― やはりあなたが最後の少女だ……最後の少女よ、どうか……どうか
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.