帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[184]
「……?」
グラディウスは額に花びらが降ってきた感触に目を開いた。
天井から舞い落ちる色とりどりの花と花びら。
「?」
天井から花が降ってくること事態、良く理解できないグラディウスは、自分の目の前にある黄金の糸も分からず、恐る恐るつまんでみる。
くつまんだ指の間で「溶けて」しまうのではないかと思うほど柔らかい物。降り注ぐ花弁がその幾つかが、金糸の隙間に入り込む。
自分がどこにいるのか? グラディウスは寝起きのまだぼんやりとしている頭を必死に働かせ、やっと自分がマルティルディの家に泊まったことを思い出した。
―― これは、ほぇほぇでぃ様の髪だ!
自分を包み込んでいる黄金の髪にうっとりとしていると、今度は髪の毛が輝き出した。グラディウスは驚き起き上がり、髪を輝かせる正体を知る。
グラディウスたちが居るのは海の上、見渡す限りの水平線。その一部が夜明けの輝きを見せ、届いた光りがマルティルディの髪を照していたのだ。
朝日の眩しい陽射しを受けたマルティルディの黄金の髪の輝きは、目もくらむ眩しさでありながら、まろやかな優しさがあった。
山間の村で生まれ育ったグラディウスは、生まれて初めて見る水平線の夜明けに驚く。本来であれば初めての美しさに感動するところだが、夜明けの美しさよりもマルティルディの日を受けて輝く黄金髪の神々しさのほうに感動してしまい、驚くだけで終わってしまった。
降り注ぐ薔薇、ガーベラ、矢車菊、ユーストマの花びら。黄色い蒲公英に様々な色と模様の朝顔、さくらに桃、オレンジに紫の秋桜。
グラディウスは立ち上がり、花びらや花を踏まないよう気をつけてマルティルディに近付いた。
「――、……」
”ほぇほぇでぃ様!”そう声をかけるつもりだったのだが、ザイオンレヴィに抱き締められ眠っているマルティルディを見て声を失った。
声をかけてはいけない、とても綺麗だ、でも――息もできなくなる程、その光景はグラディウスに衝撃を与えた。大きな藍色の瞳からは涙が溢れ出す。その涙が落ちないよう顔を手で覆いう。涙で滲む視界の中でも美しさが損なわれないマルティルディ。
グラディウスは二人を起こしてはいけないと、息が止まったまま足をもつれさせながら、部屋から出て手すりもなにもない階段最上部の広いスペースでしゃがみ込む。
「うっ……うっ……」
肩を揺らして泣きながら息を吸い込み、朝日に染まる空に語りかける。
「ほぇほぇでぃ様きれいだよ……でも悲しいよぅ……どうして」
顔をぐしゃぐしゃにして、途切れ途切れに。
部屋と階段近辺は風などは制御されており、風などは地上で過ごしやすい物と同じように設定されている。
どうしていいのか分からず肩を震わせているグラディウスを、穏やかな風が撫でた。すると髪についていた花びらが”ふわり”と舞い上がり、人間ではないと安全装置に判断され海へと落下してゆく。
グラディウスは朝日に染まり本来の色が分からない、舞った花びらに手を伸ばすも届かず、花は海へと吸い込まれていった。
「あ……かあちゃん、とうちゃん、会いたいよう……」
手で掴むことができなかった落ちてゆく花びらに、グラディウスは強烈に両親のことを思い出し、背中を丸めて泣き出す。
「あてし良い子になるから、もう一回会いたい……会いたいよぅ……」
床を濡らして泣いているグラディウスの声に、
「どーしたんだよ」
目を覚ましたマルティルディが声をかけた。グラディウスは顔を上げてマルティルディと、その後ろに立ってるザイオンレヴィを見る。
幸せそうに寝ていた二人を起こしてしまった自分に腹を立て、だが二人が一緒にいても悲しさを感じないことに安堵し、ますます激しく泣く。
あまりに泣くので”不細工だから泣くなよ”と言おうとしていたマルティルディだが、それを止めて膝を折って目線を合わせて、
「なんで泣いているの? 理由を言ってくれないと、僕でも解らないよ」
どうしようもない顔になっているグラディウスに、笑みなど浮かべず真面目な表情で尋ねた。
グラディウスは必死に泣き止もうとするが、中々止まらない。おかしな悲鳴を漏らし、鼻水をすすりながら、黙って見つめてくれているマルティルディの信頼に応え、そして返事をしようと努力して、やっと言葉を口にすることができた。
―― ほぇほぇでぃ様、きれいで、悲しかった
なぜかそれはどうしても言えず、
「ほぇほぇでぃ様、おしっこ……も、もれ……」
現実に戻ったグラディウスは、トイレに行きたいと必死の思いで告げた。
「早く言いなよ!」
マルティルディはグラディウスを担ぎ、階段を飛ぶように降りてゆく。
後ろにいたザイオンレヴィが「寝室にトイレが……」と言った頃には、海面近くの通路まで降り、陸地に向かったほうが早い状態になっていた。
若干どころではなく出遅れた”護衛”のザイオンレヴィは二人の後を追う。そして彼は、先程まで涙でぐしゃぐしゃ、悲しさに押し潰されそうであったグラディウスが笑顔になっているのに気付く。
駆けるマルティルディに担がれたグラディウスは、たなびくマルティルディの髪の中から朝日を眺めていた。
黄金の髪にも幾つかの花びらがまとわりついていたが、走り受ける風にいつまでも黄金の蔦に絡まっていることはできず後ろへと舞った。だが逆風が吹き、花びらがグラディウスのほうへと戻って来た。
グラディウスは両手を伸ばしその一枚の花びらを両手で掴むことに成功し、
―― 海もお日様も褒めてくれたような気がした!
嬉しくなり頬が緩み笑顔となった。
陸地のトイレまで連れてきてもらったグラディウスは、
「ほぇほぇでぃ様、これを」
花びらをマルティルディに渡してからトイレに入る。受け取った方は、
「? いつのまにか、いつものあの子に戻ってるじゃないか」
手袋をはめていない手のひらに乗せられた薄紫の花びら。
「マルティルディ様。トイレなら寝室に……」
持っていた手袋を差し出し、意味のない忠告をするザイオンレヴィに、
「うるさいなあ」
両手で花びらを包み込み、トイレからグラディウスが戻って来るのを待った。
トイレから出てきたグラディウスに花びらを渡し、ザイオンレヴィに手袋の装着を任せる。
「それ、硝子細工にするのかい?」
返してもらった花びらを前にしたグラディウスの表情はあからさまに”気に入った”状態で、保存するのならケーリッヒリラ子爵の硝子細工が最適だろうと教えてやる。
「ん……んん……わかんないです」
「そうかい。まあいいや。それを保存容器に入れて、朝ご飯食べようよ」
グラディウスの目が覚めたら――楽しませることをマルティルディは山ほど用意していたのだが、またも予定が狂ってしまった。
だがそれに腹をたてることもなく。
―― ま、あとで虐めるしねー。どんな顔するかなあ、楽しみだなあ
「ほぇほぇでぃ様、おもち美味しいね」
「そうだね」
廃墟風の庭に置かれたベンチに並んで座り、海を見ながらつきたての餅を頬張る二人と、テーブルの脇に立ち給仕の仕事をこなすザイオンレヴィ。
「君、夜明けの水平線って見たことないと思ってさ」
二人の間に置かれているトレイに載っている餅と汁物、そして保存容器に入れられた薄紫の花びら。
「すいへいせん? むいーん」
「そう、水平線。あの海と空の間がそうだよ」
全身で餅を伸ばしながら食べていたグラディウスは、二個目を食べ終えたところで、
「ほぇほぇでぃ様」
「なんだい?」
「この花びら、海に流してもいいですか?」
グラディウスは眉間に皺を寄せ、とても悩んでいると一目で解る顔つきで、マルティルディに頼むように。
「君の物だから好きしなよ、グレス」
四個目の丸餅を食べ終えたマルティルディは保存容器を掴み、開いてやる。それを受け取り、グラディウスは注意深く、やたらと歩み遅く岸辺へとゆき、花びらを海へと流した。
「……」
その後ろ姿は変わらずもっさりと、だがいつになく寂しそうで、マルティルディは声をかけず、餅を食べもせずに戻って来るのを待った。
※ ※ ※ ※ ※
『少女が語ってくれた海』
グラディウスが元気に手を振り、
「エリュシちゃん! 海だよ!」
親王大公達も母親と同じようにリュバリエリュシュスに手を振る。
”彼女”が久しぶりに見た海は”彼”にとって初めての体験ばかり。遊び疲れて波うち際に腰を下ろしたリュバリエリュシュスは打ち上げられた薄紫色の花びらをみつけた。
砂にまみれた花びらを拾い上げる。
「ああ! それ、ずっと前に、あてしが!」
水で砂を洗い流し、
「おじ様。これネックレスにしてくれる? エリュシちゃんにプレゼントしたいんだ」
今度は手元に置くことにした。
ケーリッヒリラ子爵はリュバリエリュシュスに渡ることがないと知りながら、
「引き受けた。大急ぎで作るからな」
頼みを引き受ける。
―― 楽しみにしています……そういう謂われのある花びらなのですか。ランチェンドルティス様の一族の…… ――
紫苑の花びらを閉じ込めたネックレスが完成したのは、リュバリエリュシュスがいなくなってから。
『少女が語ってくれた海 もうこわくはなかった』
朽ちゆくリュバリエリュシュスが海岸で遊び、皆に「藍凪の少女」を歌っていた頃、美しき深海の王となるべく、ケスヴァーンターン公爵の座に就いたマルティルディがケシュマリスタ国歌を独唱していた。
※ ※ ※ ※ ※
花びらが岸から離れていったのを確認し、グラディウスは戻ろうと振り返る。
「お餅食べようよ、グレス」
「はい……」
そこには変わらぬ美しさのマルティルディと、脇に立つ給仕のザイオンレヴィ。帝国上級士官学校で従卒の実技をこなした彼だが、どうにも様になっていない。
どのくらい様になっていないかというと、グラディウスが「?」となるくらいに様になっていない。ただグラディウスにとって比較対象が『ケーリッヒリラ子爵』なので、相手が悪いというか……当然の言うべきか。
「どうしたんだい?」
「ほぇほぇでぃ様、きれい」
だがそれを伝える言葉をグラディウスは持っていなかったので、次に思ったことを正直に伝えた。
「そうかい?」
マルティルディは機嫌良く微笑み”早くお出でよ”と手招きする。
「白鳥さんもお餅食べよう!」
どすどすと剥げた石畳を踏みしめながら引き返してきたグラディウスは、純粋な善意でザイオンレヴィに餅を勧めた。
「え? あ、僕は……」
「そうだよね。君も食べなよ、ザイオンレヴィ」
「はい……」
言われて仕方なしに餅を食べようとしたザイオンレヴィの手を、
「白鳥さん、こっち!」
グラディウスがひっぱり、自分とマルティルディの間に座らせる。
好きでもない餅を曖昧な表情で食べるザイオンレヴィと、足を組み腕を背もたれに預けながらそんな彼の表情を楽しげに見つめるマルティルディ。
「……」
二人が並んでいても今朝ほど悲しくないことが、
「良い顔だね、グレス」
「うれしいです」
グラディウスは何よりも嬉しかった。
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