帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[183]
「失礼します」
 マルティルディに呼び出されていたザイオンレヴィが訪れると、明かりは消えており室内は真暗であった。
 明かりが一切なくとも、視界に不自由のないザイオンレヴィだが、目に飛び込んできた光景を理解するのには時間がかかった。
 長椅子に体を預けているマルティルディと、マルティルディの胯間に頭を預けているグラディウス。
「……」
 どうしてこんな格好で? と、事情を知らないザイオンレヴィは首を捻るばかり。
 グラディウスは眠ったあと、侍女たちが起こさぬように細心の注意を払いお下げに結って、シーツが掛けられた。
 マルティルディはガウンを羽織っただけ。
「やっと来たかい」
 マルティルディは人間には聞こえない音域で話はじめたので、
「はい」
 ザイオンレヴィも同じ音域で返事をする。
 なにをするべきか? 考えたザイオンレヴィは、マルティルディに近付きグラディウスを退けることにした。
 最高権力者の胯間を枕にするのは、誰がどう考えてもおかしい――
 ザイオンレヴィはお下げを無造作に掴み、頭を引っ張り上げようとした。もっと優しくするべきなのだろうが、顔の接地面がマルティルディの胯間なので、彼としてはグラディウスのお下げを引っぱるしかできなかったのだ。
「勝手に動かすなよ」
「申し訳ございません」
 お下げからゆっくりと手を離して、元の位置に戻す。寝息は規則正しく表情も変わらず、グラディウスが起きる気配はない。
「どうして君は勝手にグラディウスを移動させようとしたの?」
「邪魔だと思いまして」
 長椅子の側に膝をつき、銀杯で薔薇水を飲むマルティルディの問いかけに答える。
「君だけだよ。自分で思って行動に移すのは」
「……」
「グラディウスだって”やってもいいですか”って聞くよ」
 グラディウスは例外だが、マルティルディの周囲にいるザイオンレヴィ以外の者は彼女を恐れて、気を配ることもできない。
 もちろんマルティルディが気まぐれで、とるべき正しい態度が定まっていないこともあるが、とにかく誰もが機嫌をうかがい、聞いてから動く。
「あ……落ちた」
 マルティルディの胯間で幸せに寝ていたグラディウスが寝返りを打ち、頭が移動して長椅子に頭が落下した。高さがあれば驚き目覚めたかもしれないが、マルティルディの体は薄く、そして長椅子のクッションは柔らかなため、幸せな眠りが妨げられることはなかった。
 下半身が自由になったマルティルディは、グラディウスを避けるようにして足を動かし床に降ろし普通に座る。
 ザイオンレヴィの目の前におかれた足。
「さっきの胯間枕? みたいなのは、君の父親がこの子に教えたそうだよ」
「……」
 シーツをかけ直してやりながら、笑いを含んだ声で教えてやる。
 なんとなく軽く殺意を覚えたザイオンレヴィ。その不機嫌な表情と、嬉しそうな寝顔のグラディウス、二人を見比べてマルティルディは上機嫌になる。
「ねえ、ザイオンレヴィ。君もしかして、この子に嫉妬した? だから入って来て直ぐに降ろそうとしたのかい?」
 今度はザイオンレヴィが、上機嫌なマルティルディと嬉しそうな寝顔を見比べる。そして彼は沈黙する。
 マルティルディは空になった銀杯を持ち、軽く振りながら、
「君くらいだよ、僕の問いに答えないなんてね」
 銀杯が空だと――目の前に出し、注げと告げる。ザイオンレヴィは立ち上がり水を注ぎ、水差しをおいてまた膝を折り、マルティルディの爪先に口づける。

――           ――

 マルティルディが前屈みになり、黄金髪がザイオンレヴィを包み、手を伸ばして白銀の髪を一房掴み、
「君、器の小さい男だね」
 爪先にされたように口づけた。
 羞恥に髪と同じ白銀の睫を震わせ、頬が薄紅色に染まる。
「でも、僕、君のそういう所、気に入ってるよ」
 マルティルディの言葉に益々顔を赤らめて、だが掴まれ何度も口づけられる髪をそのままにしていた。

※ ※ ※ ※ ※


 ザイオンレヴィと眠っているグラディウスを移動用ソーサーに乗せ、マルティルディは再度水族館へと向かった。
 もちろんグラディウスは寝冷えしないようにパジャマを着せ毛布を被せて。マルティルディはガウンを一枚だけで、ザイオンレヴィを背もたれにしている。
「暖かくて気持ちいい」
「お洋服着られれば……」
「うるさいなあ。僕は予定が潰れてつまらないんだ、付き合えよ」
 マルティルディは風呂が終わったら花火を見せ、その後、大好きだと聞いている絵本の読み聞かせをしてしてやり、夜食に手作りの花のスープを振る舞ってやろうとしていたのだが、グラディウスの体力が追いつかなかった。
「はい……マルティルディ様、花火は無理ですが、眠っていても読み聞かせは良いと聞きました。事実ルサやリニアは寵妃殿が眠ったからと言って直ぐに読むのを止めたりはしません。どちらかというと、最後までしっかりと語ります。不思議に思ったので理由を尋ねたら、なんでも、眠っていても聞いているとか。あの二人の声でも届くのですから、マルティルディ様のお声ならば……」
 水槽の中を泳ぐ魚を眺めながら、
「君が読んで聞かせて。この子と僕に」
 振り返らず、だが手を強く握りながら”頼んだ”
「畏まりました。本を持って来ます」
 ソーサーから降り、用意されていた本十五冊を全部を抱えてザイオンレヴィは戻って来た。
「マルティルディ様、どれを」
「上から八番目」
「はい」
 残りの本は床に置き、ソーサーに乗り込み先程と同じようにマルティルディの背もたれになり、本を広げる。
 音域を変え眠っているグラディウスにも聞こえるように、そしてマルティルディの耳元で囁くように。
 明かりがなく深海のような水槽の中、熱を秘めた声が語り続け、読み終えてもそのまま。
 ザイオンレヴィはマルティルディの肩に額をおき、暗がりの中に佇む。
 側にいるのに孤独で、言いようのない寂しさを感じ、とても自分たちが惨めな気持ちに ―― 陥りそうになったのを救ったのは、グラディウスの寝顔であった。
「……そろそろ寝室の用意も出来ただろう」
「はい。戻りますか、マルティルディ様」

 側にいても、触れ合っていても、思いが同じであっても孤独。どうしてなのか? 二人とも知らない。二人とも知っている。

※ ※ ※ ※ ※


 マルティルディの寝室は海の上にある。厚みを持った楕円形で、上部と下部が黄金で、寝室部分の壁は透明。海面から訳二十五メートルの所に浮いており、陸地からは階段でつながっている。
 ザイオンレヴィはズボンが五分丈の総フリルのパジャマを着たグラディウスを抱いて、ネグリジェを着たマルティルディの後ろを付いて歩いていた。
「君のほうがグラディウスよりそのパジャマ似合うね」
「……そ、そうですか」
 ザイオンレヴィもパジャマに着替えていた。それもグラディウスと同じデザインの物。
 唯一違うのはズボン丈が五分ではなく七分であること。
「七分丈っていうより、八分丈になっちゃってる感じだけどさ」
「申し訳ございません、足が短くて」

 もちろんマルティルディは知っていてやっている。

 そんなことを言われながら寝室へと入る。楕円形の寝室は全てがベッドになっており、どこに寝ても安全なのだが、
「寵妃殿はやはり真ん中に?」
「そりゃそうだろう。目、覚ました時に透明の壁にへばりついて、下を見たら海じゃあ、この子意味分からなくて泣くだろ」
「そうですね」
 すやすやと眠り続けるグラディウスを置き、
「何時に起きますか?」
「七時」
「畏まりました」
 今度は目覚めた時に”咲いた”花が落ちてくるように枯死の力を込めて歌う。
 天井には星を線で繋いだ星座絵が描かれており、その上に蕾が詰め込まれている。
「朝見ても、喜ぶかなあ」
 星座が大好きだとジュラスから聞き、わざわざ新しい天井絵を設えさせていたのだ。
「それはまあ、なんでも喜ぶ人ですから」
 歌い終えたザイオンレヴィの答えに、
「君って意外とグラディウスに冷たいよね」
 マルティルディがからかいの声をかける。彼が素っ気ない理由は、

「君くらいだよ、僕の問いに答えないなんてね」
 銀杯が空だと――目の前に出し、注げと告げる。ザイオンレヴィは立ち上がり水を注ぎ、水差しをおいてまた膝を折り、マルティルディの爪先に口づける。

――           ――

 マルティルディが前屈みになり、黄金髪がザイオンレヴィを包み、手を伸ばして白銀の髪を一房掴み、
「君、器の小さい男だね」
 爪先にされたように口づけた。


 マルティルディは”伝えられた”ので楽しくて仕方がない。
「マルティルディ様」
「さてと、寝よう。僕さ、この子の隣に寝たいんだけど、僕って寝相悪いじゃない? この子、潰ちゃうと死んじゃうからさ、君、僕を抱き締めて寝て」
「……」
「なんだよ、その顔」
「あの、僕がその、間に入ります」
「ええー。僕この子の隣がいいんだよ。それに君、父親の寵妃の隣に寝たいの? 君そういう趣味あるの? そうだとしてもロメララーララーラで充分だよね」
「マルティルディ様! ……分かりました」
「君くらいだよ、僕の命令に文句つけるやつは……あ、もう一人いたね。君の宿命のライバル、ガルベージュス」
 ザイオンレヴィは大きく頭を振り否定する。
「まあ、いいや。寝よう。君もお休み、グラディウス」
 マルティルディはグラディウスの頬にキスをしてから横になる。
 ザイオンレヴィはブランケットを掛けてから、言われた通り、マルティルディの頭に手を通し、もう片手を背中に回す。
「こうやって寝るの久しぶりだよね」
「はい」
「……なんか話せよ」
「はい。あの……マルティルディ様、その寵妃殿のことグレスって呼びたくないんですか?」
「うん。本当は呼びたくない。でもこの子、そうやって呼ぶと喜ぶから、仕方なく呼んでやってる。愛称付けただけで喜ぶなんて、あの両性具有に先を越されて悔しい。でもこの子、喜ぶんだもん」
「その気持ち、分かります」
「?」
「ほぇほぇでぃしゃま、って呼ばれて喜ばれていらっしゃいますから。僕も……」
「僕は君に”ほぇほぇでぃしゃま”って呼ばれても嬉しくないよ。君が僕の名を呼ばなくて、誰が呼ぶんだよ。いつか僕はケシュマリスタ王としか呼ばれなくなる。違うか?」
「違います」
「なんで?」
「許していただけるのでしたら、何時までも僕はマルティルディ様と」
「……許すっていうか、君が僕をケシュマリスタ王って呼ぶことを許可しなければ良いんだね」
「それはその……公式の場くらい」

 二人は夜が更けるまで、話をしていた。


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