帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[178]
 ケーリッヒリラ子爵はグラディウスを古代植物園に連れてきた。
「ここからほぇほぇでぃ様のイヤリングにするお花を選べばいいんだね!」
「そうだ。ここは普通植物だけだが、もう少し行った所に特別区画がある。そっち……あぶない!」
 植物園は廃墟をモチーフとしており、地面などは生命力の強い雑草が煉瓦の隙間から顔を出していたり、伸びた木々の根によって波うっていたりする。
 案の定というか、お約束通りというか、グラディウスはその煉瓦の隙間に躓き転びかける。だが幸いケーリッヒリラ子爵の迅速な動きで転ぶことは避けられた。
「おじ様、ありがとう」
「いやいや。転ばなくて良かった」
 ケーリッヒリラ子爵の警備は外敵に警戒するのではなく、グラディウス本人の行動に注意を払うことである。
 腹部に手を通されてぶら下がるようになっていたグラディウスは、躓いた煉瓦の間からあふれ出ている小さな緑と黄色い花に目が止まる。
 地面に降ろして貰い、膝をついて花を指さす。
「おじ様! あてし、これがいい!」
「え?」
 グラディウスが見つけたのは”かたばみ”
 三枚のハート型の葉が集まった複葉と、黄色い五枚の花弁が作り出す、まさに花といった感じの花。
「それ?」
 稀少な植物を多数取りそろえている古代植物園の中では、あまり顧みられることのない、雑草に近い扱いの植物。
「うん! 緑と黄色でちっちゃくて可愛くて、ほぇほぇでぃ様みたいだ」
 グラディウスにはその奇を衒わない黄色い花と、可愛らしい形の緑の葉から、マルティルディを感じとった。
「……そうか。見つかって良かった。それで、折角来たから他の植物も見ていこう」
「うん」
 違うのにしたほうがいいのでは? とケーリッヒリラ子爵は考えたのだが、別にマルティルディは美しい物を希望しているのではなく、グラディウスが楽しく作ったものを希望しているのだから、硝子に閉じ込める植物は稀少であろうがなかろうが構わないであろうと。
 グラディウスは植物園を楽しんで見て歩き、
「お庭と違うね」
 疑問に感じたことを尋ねる。
「そうだな。飾る庭じゃなくて、地球に近い形にしているから」
「地球っておじ様がくれた宇宙にあった青くて白くて丸いの?」
 まだグラディウスが本当に下働きであった頃、ケーリッヒリラ子爵が”おまけ”としてプレゼントした硝子細工の太陽系を模した球体。
「そうだ。よく覚えてるな」
 一度は壊されてしまったものの、作り手であるケーリッヒリラ子爵により修復されて歓喜し、以来飾り棚の一番いい場所に置き、頬杖をつきながら幸せそうに眺めている。
 後ろ姿はやはり”もさもさ”しているが、幸せだと一目で解る後ろ姿で、たまにサウダライトはその後姿を笑顔で見ながら一人で酒を飲んでいる。
「ルサお兄さんが教えてくれたの。地球がおっさんで、金星がほぇほぇでぃ様でね、火星おおきいおきちゃきちゃま! それで木星が睫のおきちゃきちゃまで……それで、それで、あとね……水星! ……が、でかい乳のおきちゃきちゃま! 間違ってないよね?」
 帝国では金星はケシュマリスタ、火星はエヴェドリット、木星はテルロバールノルで水星はロヴィニアを表す。もちろんグラディウスは帝星に来るまで、そのように言われていることなど知らなかった。
「正解だ。凄いじゃないか、グレス」
 それどころか、自分が住んでいるのも惑星で、惑星には一つ一つ名があるということも知らなかった。そして惑星というものも分からない。
―― グレス殿が今いるここは「惑星」と言いまして
―― 惑星? おっさんのお家の名前?
―― それは大宮殿(バゼーハイナン)でして、この惑星は帝星(ヴィーナシア)と呼ばれておりますが、惑星は……
―― ……ごめん、ルサお兄さん。あてし全然分かんないや
―― えーとそれでは、まず……
 瑠璃の館と大宮殿の関係を理解するのにも手間取ったグラディウスが、人類発祥の地は地球という名の惑星であり、王家を指し示す古代の惑星群がある……ということ、
「やったあ! この宇宙、いつか見てみたい!」
 それが宇宙に存在することを理解した。

―― ルサ、よくやった。お前は凄いぞ

 ケーリッヒリラ子爵はまだ分からない会話は多数あるが、格段に話しやすくなったグラディウスと、その進歩に多大なる貢献をしているルサを讃えながら、父親のように優しく答える。
 年齢から言えば兄のように――なのだが、落ち着き過ぎて、良くて父親のように、下手したら祖父のようにと言われそうなのがケーリッヒリラ子爵という男。
「マルティルディ様にお願いしてみるんだな」
「?」
「地球も金星も火星も全部マルティルディ様の持ち物だ」
 太陽系と呼ばれていた空間は、ケシュマリスタ王領に属し、その区画は財産区とされ、立入りにはケシュマリスタ王の許可が必要となっている。
「そ、そうなんだ!」
「遊びに行った時にお願いするといい。【俺】も見せてもらったことはあるが、とっても素敵だぞ」
 学生時代、ジベルボート伯爵とザイオンレヴィに招待され、ケシュマリスタ王領へと行った際、マルティルディが彼らに見せてくれた。
 帰寮してから太陽系を見たことを知った、亡きクロントフが「いいなあ! 古典推理小説の舞台!」と騒ぎ出して、その情熱と鬱陶しさと、近々寿命が費えることが分かっていたので、マルティルディに頼み込んで彼だけを次の長期休暇に送り出してやったこともある。
 帰ってきたクロントフ侯爵の笑顔が ―― 観光地じゃないし、財産区だから持ち出しもできなくて、お土産ないんだ ―― 土産だった。
「……」
「どうした?」
「おじ様、ちょっと喋り方変わった」
「……ああ、学生時代のことを思い出してたからだろうな。学生時代は、こんな感じの喋り方だった」
「そうなんだ」
 グラディウスには縁遠い「学校」
 それがどんな物であったのか? グラディウスにははっきりと解らないが、語るケーリッヒリラ子爵の表情から、とても楽しい物であったに違いないとぼんやり感じて、ほんわりと幸せな気分になった。
「少し休憩するか」
 持参したシートを敷き、二人で腰を下ろし、機材を取り出す。
「休憩したらさっきの所に引き返して、かたばみをこのケースに入れて帰ろうな」
「かたばみってなに? おじ様」
「グレスがほぇほぇでぃ様のイヤリングにするって言った草花の名前だよ」
「かたばみ! おじ様詳しいんだ!」
「まあな。疲れただろう。飴食べるか」
 リニアが用意した飴を取り出して、グラディウスに勧める。
 両手で一個受け取ったグラディウスは、その飴を見て困った様に首を傾げて、大きな目を閉じた。
「おじ様。これ取って置いてもいい?」
「あ、ああ。好きなのか? まだいっぱいあるぞ」
 用意されたのは、下働きたちの区画で売られている中で少々高価なもの。無論、高価と言っても下働き区画内でのこと。
 グラディウスは皇王族や王族、大貴族たちが好む高級菓子が舌に合わないことが度々ある。もともと素朴な舌で、偶に市販品の菓子を食べて喜ぶような生活をしていたのだから、驕り極めた舌を満足させる味は理解できなくてもおかしくはない。
「あのね……」
 リニアがこの飴を選んだのは、以前グラディウスと話をした時に好きだと聞いていたのを覚えていたので、リストに載った際に購入しておいたのだ。
「なんだ?」
「この飴ね、あのね……エチカにね……」
 まだ両親も友達のエチカも生きていた頃、サウダライトが即位した。その際、全臣民に祝いの菓子が配られた。その時、グラディウスの村に配られたのがこの飴。
「エチカねえ、あてしの誕生日にくれたの」
 グラディウスの友人は飴を「グラディウスの年齢分」取り置き、誕生日にプレゼントしてくれたのだ。

―― グラディウス、誕生日おめでとう。今日から十一歳。だから十一個あげる
―― じゅういち?
―― 十よりも一つ多い
―― ……
―― そんな顔しないで。十より大きい数があるって覚えてるだけで大丈夫
―― エチカ、飴ありがとう……一緒に食べよう

 村を襲った水害で”いなくなってしまった”友人を思い出したグラディウスだが、他の人とは違い泣きそうにはならなかった。
「一個だけ、大事に持ってるといい。あとは食べような。折角リニアが用意してくれたんだから。俺も一つ貰う」
 この時ケーリッヒリラ子爵がグラディウスの考えを読んでいたら、年齢がおかしいことに気付いたのだが、グラディウスのだだ漏れの思考を読まないように細心の注意を払っていたので……無理であった。
「うん。一緒に食べよう、おじ様」

 二人は一緒に飴を含み、空を見上げ、互いに死んだ友人に思いを馳せる。

「ジュラス! かた……かた……かたばみ!」
 飴の甘さと空の青さに軽く浸ってから気を取り直し、かたばみを採取して二人は邸へと戻った。
「おかえりなさい、グレス。それをマルティルディ様のイヤリングに?」
「うん!」
「きっとマルティルディ様お喜びになるわ」
「あてし頑張る!」
 採取したかたばみを全員に見せようと邸に元気よく突進していったグラディウスと、
「ねえザナデウ」
「なんだ? ジュラス」
 機材を運びながらゆっくりと館へと戻って来たケーリッヒリラ子爵。
「なんでイヤリングなの? 指輪やネックレス、髪留め、ピアスなんかは駄目なの?」
「それな。マルティルディ様、変身もできるだろ。それもかなり大きく」
 ケーリッヒリラ子爵はマルティルディ様がどのような形になるのかを調べ、イヤリングが最適だと判断した。
「見たことはないけれども、そうらしいわね」
「変身するとき、ネックレスや指輪を外したりしないだろ? ピアスもイヤリングも然りだが」
「それはそうね」
「ってことは、指輪ははち切れるわ、ネックレスはバラバラになるわ、ピアスは体内に取り込まれて潰れるわ。その点イヤリングは止めているバネ部分の破壊だけで済みそうだから、壊れたとしても、ルリエ・オベラが一人で修理できるだろうからな」
「なるほど。結構考えてるのね」
 ジュラスが心底感心した……と、手を叩いて褒める。
「それなりに」
 あまり褒めているようには見えないのだが、ケーリッヒリラ子爵はその称賛をありがたく受け取った。

※ ※ ※ ※ ※


「あーあ。二週間後じゃなくて一週間後にしておけば良かった。この僕があと一週間も待たなくちゃいけないなんてさあ。信じられないよ、もう……」

※ ※ ※ ※ ※


 約束した日の前日、プレゼント用の生ハムを完成させ、リニアと一緒に「まるてぃるでぃ」の名前入りリュックサック(キルト生地・カラーロープ製)を完成させて、プレゼント用の箱まで手作りしてイヤリングを収め、ジュラスと一緒に作った香水をケーリッヒリラ子爵作の硝子瓶に入れ、
「ほぇほぇでぃ様と遊べる。嬉しよー」
 ベッドに早めに入ったグラディウスだが、明日が楽しみで興奮し中々寝付くことができないでいた。
「良かったね、グレス。ほら早く寝ないと」
「うん…………楽しみだよ、おっさん。今度は居眠りしないから!」
「そうだね。おっさんも信じているよ」
 グラディウスが寝不足であった場合、処罰されるのはサウダライトその人である。
「はあ……ほぇほぇでぃ様気に入ってくれるかなあ」
「グレスが一生懸命作ったんだ、お気に召すさ」
「うーん。ああ、早く明日にならないかなあ」
 その後、エンディラン侯爵が持って来た眠りを誘う香りで、やっと興奮状態も収まり眠りについた。
「いやあ、ありがとうね、ロメラ……ジュラス」
「いいえ、陛下の為ではございませんので!」
「うん、そうだね……で、なんで君までベッドに入るのかな?」
 眠ったグラディウスの隣に潜り込んでくる、ネグリジェ姿のジュラス。
「グラディウスがぐっすり眠れるように私の髪に香料を。だから隣に」
 ”邪魔しないでください”という視線を隠さないジュラスに、
「……ま、いっか。では三人で寝るとするか」
 本日だけは邪な気持ちなど一切ないサウダライトは簡単に了承して、三人で眠りについた。

 そして翌日、
「ほぇほぇでぃ様のところに遊びに行ってくるから!」
 準備を整えたグラディウスは【一泊二日ほぇほぇでぃ様と一緒】の旅に出た。ルサ男爵が運転する車に乗り込んだ”楽しみ”が溢れ出しているグラディウスを見送った面々は、
「正直なところ、丸一日マルティルディ殿下と二人きりで過ごすのは、楽しいというより……」
 自分の身に置き換えて、何とも言えない気持ちになる。
「言いたい事は解るよ、エディルキュレセ」
 普通の人は”怖さ”しか感じないのだが、グラディウスは本当に楽しみにして出かけていった。
「……大丈夫か?」
「さあ……夜には来るよう言いつかっているから、その時様子を……」
「マルティルディ殿下のご機嫌を損ねることはない……ないのかな?」
 半日以上マルティルディの機嫌を損ねないのは難しい。
「僕に聞かないでくれ、エディルキュレセ。僕ほどマルティルディ様を怒らせている男はいないのだから」
 身をもってその事を知っているザイオンレヴィがしみじみと、声に哀愁すら漂わせて自己申告する。
「そうだな……」

 ケーリッヒリラ子爵に言える言葉は、それ以外なかった。

 遊びに向かった自分のことを心配している人がいることなど知らないグラディウスは、到着した車から、大地を踏みつけるように飛び降りる。
 ルサ男爵は運転席から降り、生ハムの塊を手渡した。
「ルサお兄さん。あてし行ってくる!」
 抱くように受け取ったグラディウスは、今日明日マルティルディと遊んでもらえると、何時も以上に喜びが体から溢れており、それは感情が薄いルサ男爵にもしっかりと伝わっていた。
「あ、はい。……あの」
「なに?」
「いいえ、なんでもありません。マルティルディ王太子殿下もお待ちでしょう。楽しんできてくださいね」
「うん! みんなと一緒じゃないのがちょっと残念だけど」
「…………私はよくわかりませんが”次”の約束をしてきたらどうでしょうか? その際、グレス殿が”みんなも一緒”と言えば、もしかしたらマルティルディ王太子殿下が叶えてくださるやも知れません」
「教えてくれてありがとう! あてし頼んでくる! 行ってくるね、ルサお兄さん。ほぇほぇでぃ様、ほぇほぇでぃ様。あてし来ました! 遊んでください!」

 土産を持ってマルティルディが待つ館へ歩いてゆくグラディウスをルサ男爵は見送る。歩き方も何もかも、洗練から程遠いグラディウスの後ろ姿。
「アディヅレインディン公爵殿下と遊ぶ……ですか」
 車に乗り込み館に帰る道すがら、ルサ男爵は考える。
 マルティルディと本心から遊びたいか? と聞かれたら、彼は戸惑うが《遊びたい》と答えることができる。
 身分違いであることを忘れたわけではなく、マルティルディが恐ろしい相手であることを失念しているのでもない。ルサ男爵に《なにかをしたいという気持ち》を芽生えさせたのはグラディウス。彼の感情はグラディウスと共にある。だからグラディウスが望めば、それに自身の感情はすぐに染まり、グラディウスの考えと同じになる。だから彼は心の底から《遊びたい》と答えることができるのだ。

「ほぇほぇでぃ様。あてし遊びにきました! あてし、グラディウス・オベラです!」


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