帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[179]
―― かたばみってなに? おじ様 ――
―― グレスがほぇほぇでぃ様のイヤリングにするって言った草花の名前だよ ――
―― かたばみ! おじ様詳しいんだ! ――
 植物園は稀少な物ばかりなので、監視は厳しく、ケーリッヒリラ子爵の失言も見事に記録され、
「死んだら後のことは任せたぞ、ザイオンレヴィ」
 マルティルディから呼び出しを食らった。
「エディルキュレセ、僕が代わりに謝ってくるから!」
 叱られ慣れしている白鳥がそう言い飛び出し、そして――

「ちょっと怪我しただけだから、気にしなくていいよ」
 白鳥の父親である皇帝に呼び出されて、無事(仮)を教えられた。
「はあ」
「気にしないで。そして偶に君失態をして、ザイオンレヴィを代わりに送り込んでやってくれ。怪我してるけれども大丈夫。たまに謝罪させにいかないと、マルティルディ様がお怒りになるから、よろしくね」
 失態で叱られ、失態しないことで機嫌を損ね……最高権力者に気に入られた男の悲哀というか、
「怪我大丈夫か? ザイオンレヴィ」
「わざわざ見舞いにきてくれたのか、エディルキュレセ。もう平気だよ」
「陛下から言われたのだが……」
 ケーリッヒリラ子爵が皇帝から命じられたことを伝えると、
「あ、うん。まあ平気。失態頼むよ。僕が謝るから」
 どうやら好んで瀕死になっていることを確認するはめになった。
 マルティルディの気持ちを察しているケーリッヒリラ子爵。生来の真面目さも相俟って”それならば”と手帳のカレンダーに失態スケジュールを書き込み、実行することにした

※ ※ ※ ※ ※


 マルティルディは気分で召し使いたちを殺害する。本当に気分で、先日は何ごともなくても、今日は殺すということを繰り返す。サウダライトはそれを制止することはなく、制止させることのできる唯一の存在であるデルシだが、彼女は殺害に関しては常人では理解できないほど寛容なため、帝国には誰一人として存在しない。
 本日も見た目が気に食わないという、マルティルディにとってはよくある理由で一人が殺害されかかっていた。
 特殊なシートにくるみ、血肉が飛び散らないようにして、意識を保ったまま処刑する。助けを求める声を聞いてもマルティルディの表情は変わらない。
 シートに包まれた相手はもがき続ける。
「どうやって殺そうかなあ」
 マルティルディの声に震え、その怯えにマルティルディは苛立ちを覚える。
「どうし……」

「ほぇほぇでぃ様。あてし遊びにきました! あてし、グラディウス・オベラです!」

 室外から届いたグラディウスの声に、マルティルディの殺意は一瞬にして消え去った。そこに残る怯えた憐れな物体からも興味がなくなる。
「……あ、もう来ちゃったんだ」
 室内から死の恐怖が消えた。その事はシートにくるまれ震えていた相手も、その他の召使いや処刑するために控えている者たちにも感じ取ることができた。
 死が消えた室内だが、別の緊張感が支配する。

―― いま僕、許そうとした……駄目じゃないか、そんなことしたらグレスが……仕方ないよね

 マルティルディは白骨の尾でシートにくるまれた相手を貫き殺害し、
「片付けろ。扉開けろよ」
 グラディウスのもとへと向かう。
 室内に通されたグラディウスは、廊下に控える召使いたちの案内で、マルティルディの居る部屋を目指し、生ハムを抱えて体を揺らして、足音重く走る。
「ほぇほぇでぃ様。来ました」
「聞こえてるよ」
 邸はケシュマリスタ王城とおなじく廃墟造りだが、この邸は普通ならば外界とつながっている部分を、全て窓硝子で覆っている。
 歪んだな窓硝子から差し込んでくる、撓んだような光。
「ほぇほぇでぃ様、あてしと遊んでください」
 全てを歪めそうな光りを全身に浴び笑っている、左右均等でなければ、美しくもない、スタイルもよくない、生ハムを抱いている不格好なお下げの少女は、何を見ても目を焼かれることなどないマルティルディですら、直視し辛いほどに真直ぐで、目を逸らしたくなるほどであった。
「いいよ」
「あてしグラディウス・オベラ。グレスって呼んでね!」
「ああ、グレスって呼ぶよ。やあグレス、僕はマルティルディだよ」
 宇宙で最も気まぐれで残酷な女性は微笑み、分け目がきざきざになっているグラディウスの頭を撫でる。
「はい、ほぇほぇでぃ様」
 マルティルディを見上げるグラディウスの表情に恐怖はない。
「……」
「ほぇほぇでぃ様。あれはなんですか?」
 マルティルディの背後に見えた人々の一人が、包んだ何かを担いでいるのが見えて、疑問に思い尋ねる。
 それは先程マルティルディが殺害した人間で、もう一枚シートでくるみ運び出すところであった。
 ”片付けろ”マルティルディはそう命じた。”後で”も”グラディウスに見えないように”も付いていなかったので、彼らは命じられた通り片付けを行っていた。
 下手に考えて気を回したつもりで怒りを買うことも珍しくはないので、部下たちはマルティルディの言葉に従うことのみを遵守する。
「人」
「ひと?」
「そうだよ、人。遊んでたんだ。見せてあげるよ。シートを持って来て、僕をくるめ。顔は出してね。早くしろよ」
 マルティルディがそう言い、体に触れることを許されている部下たちがシートで同じように包み端を留める。
「こうやってさ」
 マルティルディが膝をついてゆっくりと床に腹ばいになり、体だけでずるずると進む。
「グレスと競争するために練習してたんだ。君もやるよね?」
「はい!」
 早速遊んでもらえると、グラディウスは荷物を脇に置いて、殺害するさいに血肉が周囲に飛び散らないようにするためのシートにくるまれ、手を借りて腹ばいになり、
「ほぇほぇでぃ様。あてしも……あれ? 待って、ほぇほぇでぃ様」
 マルティルディを追いかけるもまったく進めない。
 必死に追いつこうとするも、動けないグラディウスを見て、
「グレスには難しかったみたいだね。じゃあこうやって横回転するといいよ」
 造作なく体勢をかえて、マルティルディは側面回転でグラディウスの元へと戻って来る。
「ほ、ほぇほぇでぃ様! あてしやってみる!」
 努力はしたものの、結局グラディウスは自力で動くことは出来ず、マルティルディの部下たちが細心の注意を払いながら転がしてやった。
 それだけでも充分楽しいようで、
「ほぇほぇでぃ様、転がってる」
「転がってるのは君だよ。僕が追いかけるよ、グレス」
「ほぇほぇでぃ様、速い!」
 動かされただけだが汗が噴き出したグラディウスからシートを外し、
「楽しかったかい?」
 シートを引きちぎったマルティルディが聞くと、彼女が想像していた通りの答えが返ってきた。
「楽しかったです」
「それは良かった。それでさあ、僕が持ってくるように命じ……言った物、持って来た?」
 渡されたタオルで汗を拭きながら、グラディウスはまず生ハムを差し出す。
「ルサお兄さんと作りました。おおきいおきちゃきちゃまのお肉です。みんなで味見したら、美味しかった」
 召使いが持って来た水の入ったグラスをマルティルディが掴み、幸せに説明しているグラディウスから見えないようにして睨み付ける。
【温いのにしろ。この元貧乏人は冷たい水なんて飲んだことないんだよ】
 召使いは温い水を用意しに戻る。
「みんなで味見って、僕が一番じゃないのか」
「練習したの。ほぇほぇでぃ様に美味しい生ハムを作るために」
「そういうことなら許してあげようかなあ」
 グラディウスが初めて作った生ハムを食べたかった気持ちと、自分に美味しい物を届けようとして頑張ったという事実の狭間で、マルティルディは良い気分に浸っていた。
「ほぇほぇでぃ様! また違う日に、あてしと遊んでください!」
 ルサ男爵のことを話題にした時、グラディウスは会話を思い出し、忘れないうちに語らなくてはと勢い込んで頼む。
「遊び始めたばかりだってのに、もう次の約束かい? 君、けっこう欲張りだね」
「あの、あの、欲張りじゃなくて、あてし忘れて……」
「そんな顔するなよ。忘れないうちに約束ね。そうだよね、君馬鹿だからねえ。じゃあ……」
「あのね! ほぇほぇでぃ様!」
「なんだよ、突然大声で」
「あのね、今度はね、あてしだけじゃなくて、ルサお兄さんとかリニア小母さんとかジュラスとか、えっと、えっと……白鳥さんとかおじ様とかバーゼお爺さんとか、みんなで遊びたいです」
「……そういうこと。良いよ」
 
―― 君に付き合わされる小間使いや供物や廃棄児も大変だね

 思いながらも、彼らはグラディウスのためにやってきて、先程二人で遊んだように、シートに包まれてたとしても必死に動くこともするのだろう、そしてグラディウスのように笑うのだろうと考えると、
「どうしたの? ほぇほぇでぃ様」
 グラディウスが見ても解るほど、マルティルディの表情は和らいだ。
「ん? 僕も今から楽しみだよ。でも今日は二人で全力で遊ぶんだよ。分かっているね」
「はい!」
 二個のうち一個だけに温い水を入れて運んできた召使い――だったのだが、
「ほぇほぇでぃ様も飲むの?」
「もちろん」
 グラディウスは温いほうを掴んで、
「はい! ほぇほぇでぃ様! どうぞ」
 差し出して、自分はマルティルディ用の冷えた水が入ったグラスを握り、勢いよく飲んで、かき氷を一気に食べた人間の顔になる。目蓋が固く閉じ、眉間に皺が寄り、口がすぼみ、鼻から冷たい空気が抜けて痛み、両頬はいつも通り膨らんでいる。
 グラディウスに冷たい水を渡す形になってしまった召使いは失態に恐怖したが、マルティルディは、
【下がったら許してやるよ】
 笑いながら召使いを下げて、手渡された温い水を口に含む。
「こっち温いから交換してあげるよ」
「ありが……きゅ……ございます」
 グラディウスに渡してやった。口にあった温い水を飲み、生き返ったとばかりに顔を緩めるグラディウス。唯でさえ緩んだ感じの顔が、より一層緩む。
 人間の顔はこんなにもゆるゆるとするのか? こんなにも不細工になるのか? と、思わずマルティルディは頬をつまみ引っ張る。
「ほぇほぇひぃはま?」
「君の顔って本当に不思議だよね」
「?」
「まあいいや。あ、そうだ、僕中庭で昼食作るから。キッチン用意しろ。喜ぶんだね、グレス。僕が昼食作ってあげるよ。ありがたく食べるんだよ」
「ほぇほぇ……ほっぺ、いらいれふ」
 上機嫌でグラディウスの頬をつまんでいたマルティルディは、急いで手を離して、つまんでいた手で今度は優しく撫でてやる。
「ごめんよ。ついつい力がはいっちゃった。虐めるつもりはなかったんだ? 信じてくれるかい?」
「はい!」
 最初からマルティルディがそんなことをするとは思ってもいないグラディウスは、輝く藍色の瞳に信じている気持ちを露わにして元気よく返事をする。
「……ところでさ、他の土産みせてくれるかい?」
「はい!」

※ ※ ※ ※ ※


 グラディウスがもたつきながら土産を出している間に、キッチンが完成したと報告が届いた。
「昼食のあとに説明してくれるかい? さあ、僕が昼食を作ってあげるよ。生ハムも土産もグレスが持つんだよ」
 緑生い茂る庭へと出て、急いで設置されたキッチンの前に立つ。
「高い」
 足が長く腰の位置が高いマルティルディ用に作られており、グラディウスはシンクの中ものぞけない状態。
「台を持ってこい」
 またも大急ぎで用意された踏み台に乗り、シンクと蛇口を見てグラディウスは喜ぶ。
「蛇口だ」
「水道って、そんなに喜ぶものなのかい?」
「お水が出るなんて、不思議。あてしの村は井戸だったよ。欲しい時に水が出るなんて、夢のよう」
「ふーん。そうかい。まあ君は……【一生夢のような世界で生きていけばいいいよ。僕が許してあげる】グレス、バジルを摘んできて。あっちにあるから、聞いて摘んできて。この小さいバスケット一杯になるくらい。そして洗って」
 途中帝国語に変えて語ったマルティルディ。その分からない言葉に首を傾げたグラディウスだが、自分が馬鹿で理解できないのだろうといつも通りの解釈をして、渡されたグラディウスの両手のひらを合わせたサイズのバスケットを受け取る。取手にはリボンが編み込まれ、造花が飾られている。
 台から飛び降りて可愛らしいバスケットを持った腕を大きく振りながら、あさっての方向へと嬉しそうでありながら、やたらと重そうな足取りで向かうグラディウス。
 召使いたちがバジルの植えられているプランターの元へと案内する姿を眺めながら、マルティルディは生ハムを削ぎ一枚を舌に乗せる。
「ま、普通の味だよね。あの子にしちゃあ上出来だけどさ」
 お尻を突き出すようにして、バジルを摘んでいるグラディウスの後ろ姿に笑いそうになりながら、生ハムを飲み下し鍋に水を入れて火にかける。

 マルティルディはこの八年間、料理を作っていない。最後に作ったのは婿入りのためにイデールマイスラがケシュマリスタ王国に来たとき。

「君が作った生ハムと、あとはオリーブオイルとバジルと塩だけで味をつけたパスタ。アルカルターヴァの料理だよ」
 純白の皿に上品に盛られ、センスよくバジルが飾られたパスタ。
「あるきゃるあー」
 ”僕ってそんなに発音と滑舌悪いのかなあ。自信なくするなあ”宇宙を支配する声を操るマルティルディが、若干自分の声の性能に疑問を持つ程、グラディウスはアルカルターヴァを聞き取ることができなかった。
「睫が長いルグリラドの実家だよ」
「そうなんだ。ほぇほぇでぃ様、いただきます!」
「どうぞ」
 マルティルディが自分のために作ってくれた料理。それはグラディウスにとって、最高のご馳走。
 口に早く運びたいと焦る気持ちを隠さずフォークで巻き口にする。
「おいしいよ、ほぇほぇでぃ様。とってもおいしいよ」
 全体から”美味しいです”が溢れ出し、もぎもぎとパスタを頬張るグラディウスを眺めながら、マルティルディは指先に乗せているフォークを回して、とても難しい話を始めた。
「そうかい。それは良かった。僕さ、この料理、ある男のために覚えて、そいつのために作ったんだけどさ、そいつ一口も食べないで、僕の前で捨てたんだよね。それ以来、僕一回も料理作ってないんだけどさ。……本当に美味しい?」
 まだ口にパスタが残ったままのグラディウスの動きが止まる。
「十回以上練習したし、食べたら満足してもらえる出来だったと思うんだけどさ」 
 グラディウスは口に残っているパスタを急いで噛み飲み込んでから、フォークを持っている手を何故か上下に振りながら、
「とっても美味しいよ! とっても、とっても美味しいよ! 捨てられたの……も、あてしが食べたかったよぅ……」
 必死にマルティルディを慰める。
「そうだね。最初から諦めていたら、期待なんてしないで作らなければ良かったんだ。そうしたら……君が喜んで食べてくれるだけでいいよ。さ、食べてグレス」
 そう言い、自分の前にあるパスタにフォークを刺す。
 ”美味しいよ! 美味しいよ!”グラディウスは言いながら食べ続け、空になった皿を持ち、勢いよくマルティルディの前に差し出した。
「お代わりください!」
「ないよ」
「あ……」
「そんな顔するなよ、グレス。次に遊ぶときに作ってやるよ。君の分だけじゃなくて、ルサやリニアや、連れてきたやつ全員の分を。だから今日は終わり。他に料理人が作った料理があるから、それを食べなよ」
「はい……あの、ほぇほぇでぃ様」
「なんだい」
「とっても美味しかったです。あてし、また食べられるのが、とっても楽しみ」
 グラディウスの胸には、今まで知らなかった物が生まれたが、
「ありがとう、グレス。次も楽しみにしてなよ」
 マルティルディの寂しげな笑顔の前に、それを言葉にすることを諦めた。


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