帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[177]
 メディオンは黒い碑の前で人を待っていた。
 黒の碑とは帝星にある共同慰霊碑。帝国は領土が広大であり、また立場の問題上、直接参ることができないこともある。
 それらをまとめて悼むのが黒の碑。
 高さ六メートル、厚さ三メートル、長さ十五メートルの黒光りする《死亡者登録機》
 帝国貴族の死者全てが記録されている。
 メディオンはエヴェドリットの登録者を閲覧することができる場所に立ち、何度も手を伸ばしては引っ込めていた。
 「エルエデス」と入力すれば、生前の姿と共に死亡経緯が読み上げられる。
 直接死をみたわけではないメディオンは、区切りをつけるためにも確りと聞きたいと思いながら……いまだ聞けずにいた。
「お待たせしました」
 待ち人が来たメディオンは手を引っ込める。

―― もう少ししたら……必ず

「遅かったのう」
「お待たせして申し訳ありません、メディオン」
 メディオンの待ち人とはジーディヴィフォ大公。美しく輝かんばかりの銀髪を、相変わらず”惜しげもなく”結い上げて、踊りながら現れた。
「……」
「どうしました? メディオン」
「後ろを向いて、膝を付け」
「いいですよ」
 ジーディヴィフォ大公は笑いながらメディオンに言われた通りにすると、黒い碑に跪くような体勢になった。
 メディオンは背後に立ち、ジーディヴィフォ大公のしっかりと結われた頭に手を伸ばして、頭を乱暴に揺する。
「なんですか? メディオン」
「少し黙っておれ!」
 かなり乱暴に頭を掴み揺すり、そして髪を飾っていたものを全て取り外す。
「こっちを向け、ジーディヴィフォ」
 ジーディヴィフォ大公は立ち上がりメディオンに言われた通りに振り返る。腰のあたりまである長い前髪をかきわけ、少々「お兄さんぶった」苦笑を浮かべて。
「どうしたんですか? メディオン」
「お主はいつまで同性愛者を名乗るのじゃ?」
 先代皇帝の命により”同性愛者を装っていた”ジーディヴィフォ大公だが、命じた皇帝の突然の死去と、故皇太子の問題により、彼が戻るために必要な物が全て失われてしまった。
「……」
「元に戻る機会を失ってしまったのじゃろう?」
 昨日から今日にかけてのヨルハ公爵を囲んだ場で、ゾフィアーネ大公とエシュゼオーン大公の結婚が正式に決まったと聞き、メディオンは黙っていられなかった。
「意外と同性愛者もいいものですよ」
 ”実は異性愛者なのですよ!”と名乗って主旨替えをすれば良いだけにも思えるが、ジーディヴィフォ大公は亡き皇帝から命じられたことを、自分がしでかしたことのように有耶無耶にできる性質でもない。
「そうは見えないのじゃが」
 彼は好き勝手しているように見えるが、皇帝に対する忠誠心は本物である。今の皇帝サウダライトに対しても、死去した先代皇帝に対しても。
「そうですか? ではこれから、もっと楽しく過ごさせてもらいます」
 彼は自分の意志だけで”戻る”ことはない――
「戻る気はあるか?」
「……」
「儂と結婚せぬか? ジーディヴィフォ」
 メディオンは”そのまま”になっていた彼のことをずっと気にかけていた。
 本人が言うように辛そうではない。難なくこのまま人生を過ごすことも出来るだろうとも分かっている。
「メディオン……」
 だが事実を知るメディオンは無視できなかった。
「そうしたら、元に戻れるであろう」
「……」
「お主はこのままでも、儂よりもよほど上手に人生を送れることは分かっておる。儂が心配してやる必要などないことも、儂の自己満足じゃろうこともな……じゃが考えてみてくれ。髪を下ろしたお主は、結っているよりも美しいぞ」
 メディオンは先程彼の頭から毟り取った飾りを手渡し、仕事へと戻っていった。黒い碑の前に残されたジーディヴィフォ大公は、
「聞いていましたね、弟さん」
 隠れて聞いていた弟ゾフィアーネ大公に声をかける。
「はい聞いていました、兄さん」
 黒い碑の向こう側に居たゾフィアーネ大公が、低い垣根でも越えてくるかのように片手をついて、ひらりとジーディヴィフォ大公側に降りてきた。
「今更嘘だったってメディオンに言っても信用されないよね」
「無理ですよ、兄さん。兄さんの皇帝陛下への忠誠心が紛い物ではないこと、メディオンは感じ取っていますから」
「そうだよね、弟さん」
「申し訳ありません、兄さん。あの時は……」
 メディオンに事実を伝えたのはゾフィアーネ大公。あの頃は彼も、こんな状態になるとは考えてもいなかった。
「いいんだよ……あのねえ、弟さん」
 ジーディヴィフォ大公は長い前髪で表情を隠し俯きながら視線は足元に。だが実際に見ているものは過去。
「はい、兄さん」
「私ねえ……学生時代のメディオン見てて可愛いなと思っていたよ」
「そうですねえ。恋する少女の可愛らしさで溢れていましたものね」
「今でも可愛いと思うよ」
「恋してますものねえ」
「ローグ公爵の娘であり、テルロバールノル王家縁者である人生を選んだことで、彼女はずっと恋をし続けることが出来る」
「そうですねえ」
「ずっと可愛いよね」
「そうですねえ……私たちの結婚は感情は抜きに考えるものですし、メディオンはテルロバールノル貴族として生きる道を選んだのですから、当然のことかと」
「分かっているよマルファーアリネスバルレーク。でもさ、一人で幸せに片思いさせてあげたいじゃないか」
 ジーディヴィフォ大公が同性愛者ではないと証明するためには、肉体関係のない結婚……とはいかない。結果がそこに求められる。
 本来であればジーディヴィフォ大公と結婚するはずであったエシュゼオーン大公。彼女とゾフィアーネ大公は未だ嫡子が誕生しないケシュマリスタ王太子夫婦の「ために」結婚が決められ、早急に跡取りを儲けることが《望まれている》
「ソロトーファウレゼーニスクレヌ兄さん」
「メディオンは先代陛下がフィラメンティアングス殿下にと希望していらっしゃったし……なによりマルファーアリネスバルレークの婚約者候補だったしねえ。私はメディオンのこと、ずっと妹のように見守っていくと。後継者問題絡みの政略結婚は”なんてこと”ないんだけどさ、自分のためだけに政略結婚ってのは嫌だね。私だけに利益があり、メディオンには何の利益もない。それはもう政略結婚ではない……けれども、他の言葉も見当たらない」
「その気持ち、分かりますよソロトーファウレゼーニスクレヌ兄さん。私も同じ立場になったら悩むことでしょう……メディオンは私たちよりもずっと大人なのだと」
 顔を上げて長い髪を手で払いのけ、いつもの無害そうでそうでもない皇王族の笑い顔ではなく、人を見下すケシュマリスタの嘲りを浮かべてジーディヴィフォ大公は黒い碑に向かい合う。
「メディオンが馬鹿な子だったら、結婚した後に”そんなこと考えてもみなかった!”って下らない台詞の一つや二つ吐いてくれるんだろうけどさあ。あの子馬鹿じゃないから全部分かって言ってるんだよね……余計タチが悪いよ」
 ゾフィアーネ大公はジーディヴィフォ大公の髪を掴み手で梳かす。艶やかで纏まりのよい極上の髪は、手櫛だけで行儀良くまとまってゆく。
 いつもの位置にまとめ、ジーディヴィフォ大公が持っている髪留めをつまみ取り結わえる。
「そうだね、タチが悪い。君も僕も良い子は苦手だね。あの子は君と結婚したら、誤魔化しを許さないだろう。あの子は正面から来るよ」
 飾りを一つ一つ戻してゆく。
「こんな逃げ道がないこと、初めてだよ」
「そうだね。それで君は逃げるのかい?」
「君に答える必要なんてないね」
「そうだね。でも聞きたいなあ。ねえ、答えてよ」
 ゾフィアーネ大公は髪を結い終えて、一歩下がる。
 腕を組み振り返ったジーディヴィフォ大公は”いつもの”彼に戻っていた。
「話合うよ。メディオンが意を決して言ってくれたんだ、一方的に断ることはしないよ」
「そうですね。私とエシュゼオーン大公としては大歓迎ですけれども」
「弟さんを喜ばせるためか……良い理由かもね。髪、ありがとうね」
「いえいえ。じゃあ兄さん、また」
 ジーディヴィフォ大公が立ち去ったあと、ゾフィアーネ大公が黒い碑に手を触れる。一斉に溢れ出す死者たちの映像と経歴。撮影されていれば死ぬ迄の過程も。

「エルエデスが死ぬ時の映像はないんですね……まったく死に対して強欲ですよね、貴方たちは」

※ ※ ※ ※ ※


 イルギ公爵は自分の妃であった女性の夫であった王子と直接会うのは初めてであった。
 ほとんどが過去形となっている中で、来週初めて会える自分の息子だけは、過去の物ではない。
 リスリデスはいつになく大人しく、キーレンクレイカイムはいつも通り笑いながら、様々なことが決まっていく。
「良いなイルギ」
「はい、カロシニア公爵殿下」
 三年近く経って正式に帰ってくる「息子」
 彼に会うためにイルギ公爵は遺伝子の確認書類や、出生届など、数十枚に及ぶ書類にサインをしていた。
 もう会話ができると聞いている息子に”会ったらなんと話しかけたらいいだろう”と楽しみ半分、自分よりも強いと聞いているので相手にしてもらえないのではないだろうか? とも考えながら。
「イルギ」
「はい。フィラメンティアングス公爵殿下」
 名前を覚えるのが苦手であったイルギ公爵だが、何時か会う日が来るだろうと必死に覚えた公爵名。
「これから私たちは会食だが、お前はどうする?」
 言葉の端々から”来るな”と感じられたので、イルギ公爵は断ることにした。
「我は遠慮させていただきます」
「そうか」
 言外に賢さを褒めてくれたキーレンクレイカイムに頭を下げる。そうしている間にも三人は部屋を移動し、イルギ公爵が一人残された。
「……」
「イルギ公爵! お久しぶりです」
「ジベルボート伯爵!」
 旧知で息子の命の恩人の登場にイルギ公爵は急いで立ち上がり、テーブルをひっくり返した。
「ああ! インク壷!」
 ジベルボート伯爵が急いで拾い、イルギ公爵はひっくり返したテーブルを直す。
「お久しぶりです」
「本当に……世話になったね」
「お時間ありますか?」
「あるよ」
―― ジベルボート伯爵と話をさせたかったのか
 部屋を出た先で待っていたのは、ヨルハ公爵。
「ヨルハ公爵……」
「イルギ公爵。実はね……さあ、覚悟を決めるんだクレウ」
 意外な人がいたことに驚き、そして突然土下座をしたジベルボート伯爵にも驚く。
「済みません! イルギ公爵」
「ど、どうしたんだ? ジベルボート伯爵」
「じ、実は……ご子息のエフェを……音痴好きにしてしまいました!」
「え?」
 ジベルボート伯爵はエフェを抱えて逃避行をしていたのだが、その最中、されなくても良いのに父性本能を刺激されて、ついつい子守歌を聞かせてしまった。
 あの酷い声からは脱却していたものの、音痴は音痴であり……だが初めて聞いた歌声で、声だけは綺麗だったのでエフェは気に入り、その結果、重度の音痴好きになってしまった。
「本当に申し訳ありません。音痴のくせに調子こいて子守歌なんて歌うから」
「許してやってくれ! イルギ公爵。クレウに悪気はなかったんだ! キーレンクレイカイム殿下に聞いたら、幸いエフェは音痴ではないそうだ。音痴な歌声が好きなだけで」
「申し訳ありません、イルギ公爵。悪気がなかったから余計悪いんですが、とにかく悪気だけはなかったんです」
 学生時代と変わらない騒ぐ二人を前にして、
―― メルフィ。我のこの五年間の学生生活の記憶に、僅かだがお前も混ざっている……ジベルボートがかつて言っていた通り、お前も入学出来たらよかったのにな。そしたらもっと楽しかっただろう ――
 イルギ公爵はエルエデスの言葉を思い出し涙が溢れてきた。
「ぎゃああ! ごめんなさい! 土下座もう一回します!」
「本当に許してやってくれイルギ公爵! 我も一緒に謝るから!」
 イルギ公爵に謝罪するヨルハ公爵という、何とも奇妙な図。
「いや、いや。許してる、許してる……許してるから、二人に頼みがある」
「なに? なんですか? ヴァレンも頼み聞いてくれますよね!」
「うん、聞く聞く。なに?」
「エフェを帝国上級士官学校に入学させてやってくれ」

―― 君達みたいな友達ができたらいいな……

※ ※ ※ ※ ※


 十二年後――
「パパン! 可愛い息子が今週も帰ってきたよ!」
 週末、帝国上級士官学校の寮から頻繁に帰ってくるエフェと、
「おかえり」
 それを出迎えるイルギ公爵。
「パパン、これから東部遊園地に行こう!」
「突然どうし……」
「楽しいアトラクションが出来たんだ! あとは着いてからのお楽しみ! オチビチャンがみったん連れてきて待ってるんだ! 早く行かないとあの爺さん、痺れきらして暴れるからな! それはそれでいいけどさ」
 腕力では敵わないイルギ公爵は「遊園地研究会」に属する息子に引きずられる。困惑したような笑顔で。

『お前の実父は簒奪する相手じゃないだろう。簒奪ってのは、お前の母親と伯父くらい僅差でなければな。……そうだ、簒奪なんてしない良い子には、この私がお小遣いをあげよう。ロヴィニアから金を貰うのは怖いって? エヴェドリットがそんなことを恐れてどうする』

 皇王族のベリフオン公爵とロヴィニア王族のキーレンクレイカイム、そしてエヴェドリット王族のデルシに育てられたエフェは三つの特性を上手く持ち合わせていた。


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.