帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[176]
 グラディウスにとって帝星は変わった生き物の宝庫であった。
 象と出会い、キリンと出会い、ウミガメと出会い、アルパカと出会い。グラディウスが考えたこともなかった動物が宇宙にはたくさん存在することを知ったので、自分が生き物と認識できなくても、生き物だったのだろうと解釈し、
「お肉が好きなんだね!」
 デルシの元へと向かったと聞き「あの荷物」は美味しいお肉を食べに向かったに違いないと考えた。
「そうだろね。お肉は好きだろうね」

 中に入っていたのがヨルハ公爵の娘なので、肉好きなのは正しい。何肉が好きなのかは……

「おおきいおきちゃきちゃま。ヨリュハさんのにお肉」
 グラディウスが腹を空かせた「生き物」のことを気にしていたので、サウダライトは連絡を取り、訪問許可を求めた。
 話を聞いたデルシは大声で笑い許可を与える。
「来たかグレス。これがゼフが持って来た生き物だ」
 デルシが指さした先にいたのは、眼帯とおむつだけを装着した、肋骨が浮き目回りのくまが濃い【赤子】
「……」
「ゼフにそっくりだろう」
「赤ん坊?」
「そうだ。ゼフの娘だ」
「赤ん坊!」
 グラディウスは「庇護欲をそそらない」という赤子としては致命的な問題を、絵の具で塗ったような白い肌に背負っているヨルハ公爵の娘に近寄り、優しく頬に触れる。
「……」
 赤子らしい頬の膨らみも張りもないのだが、
「かわいい!」
 グラディウスに小さいヨルハ公爵は大好評であった。
 その後、片目がないことを教えられて驚いたものの、
「そういう人がいるのは知っているよ。とうちゃんとかあちゃんが教えてくれた」
 すんなりと受け入れた。
「おおきいおきちゃきちゃま。おちびちゃんのおむつの色、黒と赤すごいね」
「たしかに目立つだろうな」
 グラディウスが言うところの”おちびちゃん”世間ではベクセスライ伯爵は、まだ誕生していない皇太子の側近候補の一人。次の皇帝は生まれた時から軍人教育を施し、軍事国家の頂点に立つに相応しい人物に育てられる予定なので、側近候補も生粋の軍人が好ましい……ということで、ベクセスライ伯爵は生後一ヶ月でエヴェドリット軍人の端に連なった。
 名前もないのにどのように軍人として登録されたのか? 貴族は生まれて直ぐに爵位を渡される。正式な叙爵ではなく、養育費などの経費を捻出するために与えられる物で、おちびちゃんはベクセスライ伯爵を賜った。
 名前はなくとも、仮であろうとも爵位があれば書類を作ることは可能。
 当人の強さは申し分なく、母親は気に食わないことがあれば直ぐに武力に訴え、父親は狂人で脅威的な強さを誇り、将来の義理の父であり母の正式な夫は、話をごちゃごちゃにするのが大好きで、エヴェドリットは細かいことには拘らないため、名前がなくても軍人登録が完了してしまった。
 軍人と言えば黒、エヴェドリットは赤。ベクセスライ伯爵が正式な軍人であることを示す色である。
 襁褓をその色にする必要はないと言われそうだが、このベクセスライ伯爵、
「お洋服は着ないの?」
「ベクセスライは服が嫌いなのだ。着せると暴れてな。襁褓は一ヶ月かけて慣らしたようだが」
 服が嫌いで着せると大暴れするのだ。
 普通の人間の生後一ヶ月なら、暴れたところで誰も解りはしないが、ヨルハ公爵の娘は凄まじく、周囲を破壊するまでに発展し、生母のバーローズ公爵が大喜びするほど。
 父のヨルハ公爵と、バーローズ公爵の正式な夫マーダドリシャ侯爵が、襁褓の重要性をベクセスライ伯爵に説いて、なんとか女の子の大事な部分を隠すことに成功した。
「お洋服嫌いなのか。そっか。おおきいおきちゃきちゃま、おちびちゃんをおんぶしてもいい?」
「構わんが、どうやって?」
 隙あらば歯茎だけの口で噛みつき、血肉を啜る赤子故、背負うのは危険。なにより貴族や王族は負ぶわれることはない。
「この布借りていいですか?」
 グラディウスはベクセスライ伯爵が置かれている大きめなクッションの上にかけられていた布を、両手で開きながら尋ねる。
「構わんぞ……おや、来たか」
「誰が来たの?」
「イレスルキュランとルグリラドだ。二人にもベクセスライをお披露目しようと思ってな」
「じゃあ、負んぶするのもうちょっと待ちます」
 二人も”おちびちゃん”を抱っこしたいだろうと、グラディウスは少し待つことにした。
「急に呼び出しおって」
「来週、エフェと一緒に会うつもりだったんだが……」
 デルシは前もって約束もなく、二人をかなり強引に呼び出した。
「折角だから呼んでやったのだ。ありがたく思え、小娘ども」
 言いながら指さす先にいる、小さいヨルハ公爵と、同じように座り満面の笑みを浮かべてその不気味な子どもを眺めているグラディウス。
「……感謝はしてやる。グレス、なにをしておるのじゃ」
 ルグリラドは早足で、二人の元へと急ぐ。イレスルキュランはデルシを見上げて、
「ルグリラドが感謝してやるだって……それにしても瓜二つだなあ。エフェはエルエデスとイルギを足して、伯父のリスリデスで割ったみたいな顔立ちだってのに」
「そうでもないぞ。良く見ていろ、笑うとバベィラだ」
 デルシが言う通り、おちびちゃんは笑うと母親の特徴である「にたあ」あるいは「にやり」が前面に出る。
『不細工な上にその笑いとは、お主……不憫じゃのう』
 グラディウスが可愛い可愛いと言っていたので、ルグリラドは帝国語に変えて、なおかつ言葉を濁した。
 離れたところから見ていたイレスルキュランも、
「うわ……ヨルハの笑顔は貧相だったが顔に合ってたけど……これは。バベィラご満悦だろうな」
「もちろん。早くに婿を用意してやらねばと、マーダドリシャと婿作製に本腰を入れた。イレスルキュラン、お前もそろそろ皇太子候補作製に本腰を入れたらどうだ?」
「正妃が正妃に言う言葉じゃないだろう? デルシ」
「我は正妃だが、立場は正妃ではない。お前とルグリラドには期待している。早く皇太子を見せてくれ。そうでなければ、死ぬに死ねぬ」
「あと十年少しは寿命残ってるだろ。さすがに十年もかけはしない……グレス! ヨルハの子を私にも見せてくれ!」
 血色の悪い骨と皮だらけで「にたり」と笑う赤子と、どこから見ても隙無く不細工な娘と、銀髪と黒髪という対照的であり方向性の違う美しい王女二人。
「おちびちゃん!」
「それは良い呼び名だな」
 デルシは彼女から見て孫や曾孫にあたる彼女たちを目を細めて見守った。
 気持ちは非常に優しいのだが、デルシが目を細めると、若干どころではなく怖ろしい表情になってしまう。幸いグラディウスは”おちびちゃん! おちびちゃん!”と見ることはなかったが、周囲の召使いたちが見てしまい肝が冷えて寿命が縮む思いをしたが、殺気に満ちた本気のデルシを直視したわけではないので、思いをするだけで助かった。
 不健康そうな赤子を囲んで三人が楽しんでいる所に、ヨルハ公爵がやってきた。
「デルシ様! ベクセスライがこっちに……おや? セヒュローマドニク殿下、ナシャレンサイナデ殿下、それは我の娘でして近付かないほうがよろしいかと」
 二次会先でデルシから連絡をもらい「存分に楽しんでから戻って来るがいい、ゼフ」と言われて、素直に楽しんで身支度を調えて昼近くにやってきた。

―― 娘が危険だという認識はあるのじゃな
―― 生後二ヶ月で狂人に危険認定されるとは、まさに狂人の子は狂人か

「ヨリュハさん! 赤ん坊だったんだ!」
「うん。一晩くらいは平気なケースに入れておいたんだけど、ちょっと元気過ぎたみたい」
「教えてくれたら、あてし面倒みたのに。あてし子守りできるんだよ!」
「そうなんだ。凄いね。我よりずっと年下なのに、子守りできるんだ。我はできないから、年下のグレスも出来ないとばかり思ってた」
 ヨルハ公爵の子育てを想像して、王女二人は背筋に冷たいものが流れた。他人の子で、強さ申し分のない、見た目よろしくない赤子だが、それらを差し引いても赤子である。いくら実父であろうとも狂人の子育ては……避けるべきであろうと。
「見ててね!」
 イレスルキュランとルグリラドに断りを入れて、グラディウスはベクセスライを”おんぶ”する。ソファーに布を広げてその上に”にやあ”としている赤子らしくない赤子を乗せて、布を上手に体にまとわりつかせて、腰に回して前で縛る。
「おんぶ!」
「見事だな、グレス。いや、本当に凄いわ。へえー、布一枚でそういうこと出来るんだ。どこで覚えたんだ?」
 ”専用品”オンリーで”代用品”を使わないイレスルキュランは、背負い紐の類を使わずに負ぶったグラディウスに素直に感動した。
「子守りが得意というだけのことはあるのう。ほんにどこで覚えたのじゃ?」
 ルグリラドも背負われた物体の「にたあ」ぶりはさておき、グラディウスの想像以上にてきぱきとした動きに称賛を与える。
「へへへ。サニーねえちゃんの赤ん坊の面倒見てたんだ。サニーねえちゃん、体弱くてね、みんなで交代で負んぶしたの……」
 笑顔の喋っているグラディウスだったが、大きな藍色の瞳が潤んでくる。
 ルグリラドとイレスルキュランは顔を見合わせて”故郷のことを思い出させてしまった!”と互いに己の迂闊さを呪い、相手のうっかり加減を内心で罵りながら、泣かせまいと必死に言葉を重ねる。
「ほれ、グレス。泣くと背中のちびが泣いてしまうのじゃ」
 言いながら―― 儂は知らんがな! そんな感じがするだけじゃがな! グレスのほうが詳しいから違う言われたらどうしようかのう!――ルグリラドは焦っていた。
「そうだぞ、グレス。笑顔だ、笑顔。馬鹿は泣き顔は似合わないぞ、笑顔だ笑顔。同じく馬鹿な私も笑うから笑顔、笑顔」
 聞いていたヨルハ公爵が、
「ナシャレンサイナデ殿下が馬鹿?」
 ロヴィニア王族内で群を抜く頭脳と言われているイレスルキュランの言動に、首を傾げながら尋ねる。
「あれが馬鹿な理由はあとで説明してやる。グレスの前では馬鹿ということになっている。分かったな? ゼフ」
「はい分かりました、デルシ様」
 目を見開き首をがくがくさせながら、納得を全身で表した。
 グラディウスは体を小刻みに揺らしながら、ベクセスライの黒と赤の襁褓で包まれた尻の辺りを軽く叩く。
「グレス、上手だね」
「そお? 嬉しい」
 負ぶられているベクセスライも機嫌がよく、口は”にたり”としっぱなし。
「なんであれは笑い声が出ないのじゃ」
「さあ……でも笑い声も不気味そうじゃないか?」
「……」
「……」
「まあ”くけけけけけ”じゃろうな」
「お前とはあまり意見が合わない筈なんだが、私も”くけけけけけけ”だと思う」
「あの”にたり”笑顔で”うふふふふ”は困るわい」
「いまサウダライトの笑い声で想像しちゃったじゃないか、ルグリラド」
「……想像させるな、イレスルキュラン」
 楽しいのか、楽しくないのか分からない想像をしている二人を他所に、
「グレス」
「はい、おおきいおきちゃきちゃま」
「これからベクセスライも会わなくてはならない客が来るから、降ろしてくれるか?」
「はい」
「今度は時間を作って、グレスに思い切り背負わせるからな」
「……はい!」
「子守りが足りない時は、頼りにして呼び出すからな」
「はあい! いつでも来るよ! あてし。おちびちゃん負んぶしたいから……き、来てもいいですか!」
 グラディウスの頭を撫でながらデルシが頷く。
「ああ。我もベクセスライも楽しみに待っておるから、必ず来てくれ」
 負ぶっていた布を緩めて、上手に抱きかかえてヨルハ公爵にベクセスライを渡して、グラディウスは深々と礼をし、
「ばいばい! おちびちゃん! ヨリュハさん! おおきいおきちゃきちゃま! 睫のおきちゃきちゃま! でかいお乳のおきしゃきしゃま!」
 ケーリッヒリラ子爵と共に帰っていった。
 グラディウスが去ったあと、
「……狡いぞ! デルシ」
「グラディウスがベクセスライ目当てで、頻繁に遊びにくるだろうが!」
 二人が”羨ましがる”
「儂にも貸せい!」
「危ないですよセヒュローマドニク殿下」
「主ごと来いや! ヨルハァ!」
「幾らだ! 幾らで貸す! さあ貸し出せ! バベィラと値段交渉でいいか?」
 二人に詰め寄られて、ヨルハ公爵は呆然とした表情を浮かべ体を硬直させた。
「お前たち二人はイネスの小僧の子を孕めば、グラディウスが喜んでやってくるであろうよ。”おっさんの赤ん坊”と言って、それはそれは喜んでな」
 デルシはそう言い二人を引き離す。
「……サウダライトの子かえ」
「まあ、その……サウダライトの子なあ」
 二人とも産むのが仕事でやってきていたのだが、実際想像すると何とも言えない気持ちになる。だがグラディウスが喜ぶと思えば、やる気も出てくると言うもの。
「嫌じゃが、気合いを入れるべきじゃろうなあ。グラディウスが喜ぶのであらば」
「そうだなあ。そうか子ども出来たら、グラディウスが喜んで遊びに来るし、呼び出しもできるのかあ」
 もちろん二人とも、帝国や王家のために皇太子を産む覚悟はあったが、それ以外の楽しみがなかったもの事実。
 普通に子を産んで慈しむ……という感覚はなかったので、グラディウスがやって来て楽しめると知って新たな世界が開けたのだ。
「さあ、楽しい時間は終わりだ。……グラディウスが来ている時は、お前たちの出入りも自由だ。教えてやるから、都合が合ったら来るがいい」
 ”絶対じゃからな!””絶対だぞ!”と叫ぶ二人にお引き取り願った。
「早く皇太子を産んで欲しいものだ」
「皇太子ってグレスが産むんじゃないんですか? デルシ様」
「グラディウスは年齢的に無理であろう。親王大公は産むやも知れぬが」
「そうなんですか」


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