帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[175]
 その頃ケーリッヒリラ子爵たちは、次の会場へと移動していた。もちろん会場を用意したのはケーリッヒリラ子爵その人である。
「……ん? なんだ」
 移動している途中、ケーリッヒリラ子爵の通信機が鳴る。
「皇王族遺産管理局?」
 連絡を貰う覚えなどなかったものの、管理局番号は本物なので通信画面を開く。
「クロントフ侯爵閣下の遺言にしたがい、通信を開きます」
「ちょっと待て! なんの話だ?」

―― マロバーテ・セザニアル殺人事件へ ――

※ ※ ※ ※ ※


 デルシはシセレード公爵と夕食を取り、終わってからも話合いをしていた。
「それで良いな、シセレード」
「はい」
 デルシの仕事は先代の側近の頃とほとんど代わりはない。違うのは表だった役職から降りて皇后の座に就いたことくらいのもの。
 皇帝サウダライトには、処理し辛いことをデルシが代わりに行う。
 いまデルシがシセレード公爵と話合っていたのは、イルギ公爵の後継者について。
 イルギ公爵を父に持ち後継者に該当するエフェという子どもは、現在キーレンクレイカイムの手元にいる。
 エフェの母親エルエデスは、エフェを出産する前にキーレンクレイカイムと結婚したため、なさぬ仲の父であるキーレンクレイカイムにも権利が発生し、その権利を盾にエフェを手元に置いている。
 キーレンクレイカイムが興味を示す唯一の男児エフェ。
 彼の扱いについて、シセレード公爵とデルシは話し合い、やっと合意に辿り着いた。
「デルシ様!」
 テーブルに並べられた書類にサインするためにシセレード公爵がペンを持ったところに、サウダライトがやや混乱気味に飛び込んでくる。
「我に様付けしてどうする? 皇帝よ」
 普段は”イネスの小僧”呼ばわりのデルシだが、貴族の前では一応は気を使う。もちろん、使い過ぎることはない。デルシとサウダライトの昔からの関係を知っている者からすると、あまりに”過ぎる”と滑稽になるためだ。
「申し訳ございません」
「どうした?」
 サウダライトの後ろを付いているルサ男爵と、彼が持つケースに目をやる。
「ヨルハ公爵が娘を入れたケースを置いていったのですが、さすがヨルハ公爵とバーローズ公爵の間に産まれた娘。寝返りでケースの鍵を破壊してしまいまして、私たちでは手に負えぬと思いこちらへ運び込ませていただきました」
 デルシはルサ男爵に近付き、蓋を開く。
 そこには赤子らしくない骨が浮いている小さなヨルハ公爵がたしかに眠っていた。
「怖ろしい思いをさせたな、ルサとやら」
 デルシは小さなヨルハ公爵を摘み上げ、ルサ男爵を労った。
「いえいえ」
 ケースを運んでいたルサ男爵は怖かったが、近付いて来たデルシのほうが遥かに怖かった――感情に起伏のなかったルサ男爵に与えた強烈なエヴェドリットの印象。それがデルシ。
 無事にヨルハ公爵の娘をデルシに引き渡し、安堵したサウダライトは一人座っているシセレード公爵に気付き声をかけた。
「おや、リスリデス。元気にしているかね?」
「おお。ダグリオライゼも元気そうだな」
「シセレード、陛下への挨拶の仕方知らぬのか?」
 デルシに言われて目の前にいるのがイネス公爵ではなく、皇帝サウダライトであったことを思い出し、急いで立ち上がり膝を折る。
「申し訳ございません、デルシ様。皇帝陛下、ご無礼お許しください」
 皇帝相手でも礼をするような一族ではないが、デルシに恥をかかせるような真似は、シセレード公爵でもしない。
「あーいやいや、気にしなくていいよ。重要な話をしているところに割り込んだの私だし」
「我が預かっておく」
「お願いいたします」
 サウダライトはデルシと頭を下げたままのシセレード公爵に声をかけて、ルサ男爵を連れてグラディウスが満面の不細工な笑みを浮かべて眠って待っている館へと引き返した。

 デルシの手のひらの上で眠っているヨルハ公爵とバーローズ公爵の娘の頬を撫でる。

「シセレード」
「はい」
「お前、この娘の名前知っているか?」
 片目が無く眼帯をつけているヨルハ公爵の子ども。強さは申し分なく、次期皇帝の側近の一人に相応しいだろうと取り寄せた《次期ヨルハ公爵》なのだが、
「いいえ。バーローズはドノヴァンとしか言っておりませんでした」
 名前があるのかどうか? 若干怪しい。
 デルシが知らないあたり、シセレード公爵は「決めてないのではないか?」と思ったものの、言う気にはなれなかった。
「やはりそうか……シセレード」
「はい」
「バベィラに聞いてくる。少しの間見張っていろ……危害は加えるなよ」
「はい」
 デルシは近くのソファーに《次期ヨルハ公爵》を置いて、通信室へと向かった。残されたシセレード公爵は書類にサインをしてしまおうと、ペンを持つが、ソファーで眠っている赤子が気になり、何度もそちらを見てしまう。
「……ちっ」
 ペンを置き眠っている《次期ヨルハ公爵》に近付き、顔をのぞき込む。
「まったくの他人で言う筋合いではないが、この顔で女とか、人生終わってるだろ」
 シセレード公爵の失礼な物言いだが、眠っている赤子には届きはしない。ただ転がり”にたあ”と笑うだけ。
「……笑い顔、バベィラそっくりで……むかつく!」
 拳を振り上げたシセレード公爵だが、ここで殴れば厄介な問題になると、行き場を失った拳を振り回してなんとか収めた。
「エフェのやつが母親に似たら、お前のこと好きになるのかもなあ……この”にたり”笑い、どうにかならんのか! 父親似でも母親似でも憎たらしい子どもだな!」
 バベィラから話を聞き終えてデルシが戻って来た時には、シセレード公爵は書類にサインを終えて、
「どうした? シセレード」
「指をしゃぶったら、なくなりました。痛みに鈍いようです」
 腹が減り無意識に指をしゃぶって、そのまま自分の指を食べていたので、シセレード公爵は仕方なくそれを止めるべく腕を押さえた。
「手間をかけたな」
 デルシは連れてきた用意しておいた乳母たちに渡す。
「食われんように気をつけろ」
 シセレード公爵は書類をまとめてデルシに差し出し、
「あれの名前はなんと?」
「まだ決まっていないそうだ」
「二ヶ月近くも経っているのに?」
「シクと一緒に決めるんだ! とゼフが言い張ったので、好きにさせるようだ」
「シクというと、フレディルの第二子でしたか」
「そうだ。ゼフはケーリッヒリラが大好きでな」
「……そのようですな。エルエデスも”仲間”として好いていました」
「お前には関係のないことだろうが、あの三人は仲が良かった」
「エルエデスには感謝して欲しいものですよ。我がいたから、帝国上級士官学校に入学して楽しい学生時代を送れたことを」
「感謝しているに決まっているであろう。お前に殺される、その瞬間感謝したに決まっているだろう」
「デルシ様」
「殺した相手を後に引くのは我等ではない」
「もちろん、承知しております」
「だが他属はそうはいかないようだ。幾ら金を積んでも、キーレンクレイカイムがエフェの権利を渡さないように」
 エルエデスが産んだイルギ公爵の子エフェを託されたのは一緒にいたジベルボート伯爵。彼女は全てをジベルボート伯爵に任せた。
 迷惑に巻き込まれるのがいやならば捨ててもいい、イルギ公爵に届けようが、シセレード公爵に引き渡そうが好きにしろと、そして名前も好きに付けろと。
 ジベルボート伯爵はエフェと名付け、まだエルエデスが存命であった頃に、キーレンクレイカイムにエフェを引き渡した。
「ロヴィニアらしくない」

―― 私の妃と次のイルギ公爵、引き替えないか ――

「我もそう思う。だがキーレンクレイカイムには別の言い分もあるようだ」
 シセレード公爵はキーレンクレイカイムの提案を受けず、そしてエルエデスは戦死した。以来、エフェが交渉の場に引き出されることはなく、膠着状態のままであった。
 金を積んだが拒否され、武力行使はデルシにより阻止され。
「どんな?」
「聞いたことはない。興味があったら聞いてみるがいい。明日キーレンクレイカイムがエフェを我に引き渡す際、お前も立ち会え」
「畏まりました……所でエフェの養育を担当しているベリフオン公爵は?」
「あれも立ち会うはずだったのだが、ゼフが帰ってきてケーリッヒリラがパーティーを開いたものだから”二次会の帝王として”などと叫んでいなくなった。明日には会えるであろう」
「……特に会いたくはないのですが」

※ ※ ※ ※ ※


「なに? まだ娘の名前決めていなかったのか!」
「シク、一緒に決めよう!」
「もっと前から言っておけ! ヴァレン」
「ほら、シク頑張って名前つけないと!」
「クレウ。そもそも我はヴァレンの娘をまだ見ていないんだぞ」
「我そっくり。瓜二つ。でもドノヴァン」
「……どのくらいお前に似てるんだ? ヴァレン」
「ミニチュア。でも笑いはバベィラ様」
「…………娘の名前なぁ……」
「頑張って、おじ様」
「おじ様言うな、白鳥」
「どうしてシクとネロムは、あの子におじ様と白鳥って呼ばれてるの?」

※ ※ ※ ※ ※


 翌朝目を覚ましたグラディウスは、まだ眠っている”おっさん”に気を遣いながらベッドから降りて、ヨルハ公爵の荷物を確認しに向かった。
「……」
 グラディウスが寝るまでは三つあった荷物だが、今は二つしかない。慌てて周囲を探しまわったものの、当然見つかるはずもなく、鼻を啜りながら。
「おっさん! おっさん! ヨリュハさんの荷物がなくなった! おっさん! どうしよう! あてし、あてしがここに置いていっていいって! おっさん!」
 泣き出す寸前の”どうしようもない”くらいに不細工な表情を前に、ちょっとばかり笑いかけたサウダライトだが、
「あのね、グレス。その荷物ね……足が生えて”てけてけ”って歩いてデルシ様のお家に行っちゃったの」
「……」
 泣き出しそうだったグラディウスの表情が一気に困惑の表情になる。
「あのね、グレス」
「あれ、生き物だったんだ! ご飯あげるの忘れてた! きっとお腹空いたんだ!」


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.