帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[174]
 翌々日、ヨルハ公爵は上空から落下してきた。ただし中尉たちが想像していたような「垂直、もしくは空気に流される落下」ではなく、角度を持って真っ直ぐに、目標目がけて最速で。
 両手に鞄を抱え、背中にもケースを背負い、館側の庭で待っていたケーリッヒリラ子爵の元へ脇目もふらずに激突した。
「シクー!」
 ぶつかられる側のケーリッヒリラ子爵はヨルハ公爵の特性を理解して、敢えて外で待っていた。室内にいたら館の破損が甚大なものになるためだ。外で待機した場合は、ケーリッヒリラ子爵の体の破損が著しいが、それは仕方のないこと。
 体の強さが違うので受け止めようとすると、ケーリッヒリラ子爵の体は軽く真っ二つになってしまう。
 普段はできるだけ受け止めないようにするのだが、本日は受け止めないと館の基礎が壊れそうなので、体を張って止めることにした。
 ここが軍人のみが集まっている場所ならば、多少真っ二つになって大出血してもやり過ごせるだろうが、周囲は普通の召使いなので大量の出血を目撃してはまずいだろうと、ケーリッヒリラ子爵は館を少し破壊して目隠しにするべく、なるべく破損が目立たぬよう隅のほうで待機。
 突き刺さるヨルハ公爵。その勢いで館に激突するケーリッヒリラ子爵。
 轟音とともになにかが裂ける音、そして血液が周囲に飛び散る。
「ヴァレン。体拾ってきてくれ」
「御免! シク。ついつい」
 首を回しながら破壊された館から出て来たケーリッヒリラ子爵の着衣は特に裂けている部分はなかった。首回りは血だらけであったが。
「デルシ様お気に入りの子はどこ?」
「あーちょっと今仕事に出ている」
 ヨルハ公爵が空から振ってきた際の惨状を目撃させるわけにはいかないと、予定時間前に”エリュシ様に会いに行ってきてくれるか?”頼み、館から遠ざけておいた。
「そうなんだ!」
 背負っていたケースを下ろし、荷物を乗せる。
「ここに置いてもいい?」
「荷物なら我のスペースに」
「その子にもお土産があるんだ」
「そうか。じゃあ土産を渡したら荷物を移動させるとするか」
 グラディウスが帰ってくるまでの間、警備詰め所へと連れてゆき、顔と名前を教えて、
「できるだけ襲いかからないように」
「解ったよ、シク!」

―― 絶対……はないんですね

 彼らの安全を一応確保した。絶対に殺さないように……などと説明しても無駄というか、無意味というか、理解できないので、そんなことはしない。
 そして壊れた館の一角を片付け、一休みしようかと部屋へと戻り、
「熱いから気をつけろ」
「ありがとう、シク」
 温かいジンジャーミルクティーを両手で包み込むようにして飲んでいるところに、グラディウスが驢馬と共に帰ってきた。
「ただいま!」
 ヨルハ公爵は湯気を楽しみながら、その声に返事をする。
「おかえり」
 聞き慣れない「おかえり」を聞いたグラディウスは走りながら、
「ただいま! ただいま! ただいま!」
「おかえり、おかえり、おかえり」
 どこに居る、誰なのだろう? と捜す。
 扉を開けて、
「ただいま」
「おかえり」
 彼が言ったのだと理解した時、少しばかり恥ずかしそうに俯いた。
「どうしたの?」
「初めまして、あてしグレス。グラディウス・オベラ。グレスって呼んでね」
「初めまして。我はヨルハ公爵ゼフ=ゼキだよ」
「お兄さんの声ね」
「うん」
「似てないんだけどね」
「うん」
「似てた」
 グラディウスの故郷の村の誰かの喋り方に似ていたのだが、はっきりとは思い出せなかった。思い出そうとすればするほど、その「誰か」は消えて行き、残るのはヨルハ公爵だけ。
「そっか。おかえり、グレス」
「ただいま! よ、よ、ちょりゅは……よりゅさん!」
 ケーリッヒリラ子爵は聞きながらヨルハ公爵の物よりも砂糖を多目にして、
「飲むか? グレス」
「飲む!」
 グラディウスに渡した。
 丸みを帯びた器を持って向かい合い、息を吹きかけながら少しずつ飲む。
 そしてグラディウスは気づいた。ヨルハ公爵が非常に痩せて顔色が悪いことに。見た目だけならば重病人か半死人。
 死んでいると仮定すると、
「お昼ご飯! 我の大好きな肉の塊!」
 それはとても元気な死体。
 大串に通した肉の塊をじっくりと火で炙り、削ぐように切り分けて皿に豪快に盛ってゆく。
 もちろんグラディウスも同じものを食べているのだが、
「ヨリュハさんにあげる」
「どうも」
「こっちもあげるよ!」
「ども」
 この元気な半死半生病人風の生き物に、精をつけてもらわねばと、自分の皿から次々と大好きな肉を渡す。
「ヨリュハさん、たくさん食べてね」
 肉好きだったはずなのに……と思っていたケーリッヒリラ子爵と、
「ありがとうね。でもどうして?」
 あまりにも自分に肉を寄越してくるので、どうしたのだろう? と不思議に思い、フォークに肉を刺したまま、ヨルハが尋ねる。
「ヨリュハさん、病気がよくなったらいいなって」
「ああ、そういうこと。もしかして、心配してくれたのかな?」
「うん」
「優しいね。我見た目病気だけど、元気だよ」
「本当?」
「本当だよ。とっても元気」
 グラディウスからもらった肉を頬張って、皿に手を伸ばして肉を掴み、グラディウスの口の前にもっていき、
「はい、あーん」
「はい!」
 グラディウスの口に大きめの肉を放り込んだ。頬が膨らみ肉を噛む。
「……もぎもぎ?」
 頬の動きにヨルハ公爵が誰もが思い浮かぶ音を口にしながらケーリッヒリラ子爵の方を向くと、切り分けるサーベルを握った手を口にあてて笑いに耐えている姿。
 食べ終えたグラディウスは、良い笑顔を作り、
「ヨリュハさんも、おじ様も食べて! あてしが切り分けるよ」

 サーベルを貸してくださいとばかりに椅子から立ち上がり――

「こうやって切るんだ」
「ありがと、おじ様」
 サーベルが長くて上手く扱えず、焼いた肉の塊にはじき返されていたので、ケーリッヒリラ子爵がサーベルを掴んだ手を握り、一緒に切り分けることに。
 用意された昼食を食べ終えてから、ヨルハ公爵は鞄の一つを開き、
「はい、お土産」
 箱を取り出し、グラディウスに手渡した。
「ありがとうございます。開けてもいい?」
「もちろん! 我の手作りお菓子だよ」
「うわああ! お菓子! お菓子!」
 グラディウスが可愛らしい飾りのついた箱を開くと、中には色とりどりの花が並べられていた。
「お花?」
「食べられる本物の花と、我が作った菓子の花が混ざってるんだ」
「どれも本物に見える!」
「我が作った菓子の花は五つ。当ててみて」

 喜んでいるグラディウスを眺めるジュラス。

「本当に成長したわよね。昔だったら、間違いなく死体菓子もってきたところでしょうに」
「まあな……作ってるのは死体を養分にして咲く花だけどな」
 二人が昔を懐かしんでいると、
「迎えにきたぞ」
 約束していたザイオンレヴィがケーリッヒリラ子爵とヨルハ公爵を迎えに来た。
「あら、来たのザイオンレヴィ……あなたな本当に変わらないわよね。悪い意味で」
「な、なんだよ、ジュラス。あとこれ館の修繕費の見積もり」
「感謝するザイオンレヴィ。ヴァレン、そろそろ行くぞ」

 グラディウスはお菓子の花を一つ見つけて口に含む。蜂蜜の甘さと、予想以上に”さくっ”とした食感にヨルハ公爵を尊敬の眼差しで見つめた。
「美味しいよ、ヨリュハさん」
「そう言ってもらえるとうれしいよ。今日は出かけるけど、明日は一緒に遊ぼうね、グレス」
「うん!」
 ヨルハ公爵は部屋に置きっぱなしにしていた荷物を持ち、ケーリッヒリラ子爵がいるスペースに移動させようとしたのだが、
「明日も来るなら、ここでいいよ! ここに置いていきなよ!」
 グラディウスの言葉に甘えて、荷物をリビングにおいて出かけることにした。
「じゃあ、また明日」
「出かけてくる」
「行ってらっしゃい! おじ様! 白鳥さん、ヨリュハさん!」
 ジュラスと共に三人を見送ったグラディウスは、
「ジュラスは一緒に行かなくていいの? ヨリュハさんとお友達なんでしょ?」
「私はいいのよ、グレス」
「そうなの?」
「今日の集まりは、同じ学校に行ってた人たちの集まりなの。私はヴァレンとは知り合いだけど、同級生じゃないから」
「同級生?」
「同じ学年にいた……一緒に学校に入った……ああ、解らないか。そうねえ、例えばグレスとリニアは同じ頃に大宮殿に来たから同期。同級生に近いものよ」
「へえー教えてくれてありがとう、ジュラス。そっかあ、おじ様、学校行ってたのかあ。お勉強できたんだ」
「あれで結構賢いのよ、ぎりぎりだったけど」
「ぎりぎり?」
「気にしないで、グレス。さあ、私と一緒に香水作りましょう」
「うん」
 在学時の成績。
 ヨルハ公爵、最終順位第三位。二位のゾフィアーネ大公に腰布の差で負ける。
 ケーリッヒリラ子爵、最終順位百八十三番。ボーダーラインを行き来する六年間
 シルバレーデ公爵、最終順位百八十五番。成績、及び生命がボーダーラインを行き来する六年間。

※ ※ ※ ※ ※


「あれ? 君残ってたの? ジュラス」
 警備のケーリッヒリラ子爵と息子がヨルハ公爵歓迎のパーティーに参加したので、てっきりジュラスも参加したのだろうと考え、見張りが少ないから「今夜は……」という思いで帰ってきたサウダライトは、彼らしくなく表情にありありと”残念”が浮かんだ。
「ええ、もちろん。どうしました? へ・い・か。そんな残念そうなお顔しないでください」
「いや、まあ……まあ、いいか」
「おっさん、お帰り。今日、ヨリュハさんが遊びに来てくれたの」
「ヨルハ公爵だね。彼とならグレスも直ぐに仲良くなれただろう」
「うん! それでね、これがヨリュハさんの荷物。ここに置いていっていいよ! ってあてしが言ったの! いいよね、おっさん!」
「もちろん」

 食事を終え、ヨルハ公爵が作ってきてくれた菓子を楽しみ、グラディウスは少し早めの眠りについた。
 眠るまでグラディウスの隣について、寝息を聞いてからベッドから降りて、サウダライトは一人酒を楽しむ。

―― 今日は彼がいないから、好きなだけ手酌ができていいねえ

 皇帝に手酌を許さない男ゾフィアーネ大公も本日、ヨルハ公爵に会いに大宮殿から出ている。予定は狂ったものの、一人酒を楽しむサウダライト。
 そこへ、珍しい訪問者がやってきた。
「陛下、お時間を頂きたいのですが」
「なんだい? ルサ」
 ルサ男爵である。顔を合わせる回数は多いが、彼がやってきて話をしたがるのは珍しい。
「寵妃殿のことではないのですが」
「うん、うん」
 気にしないで部屋へ入ってきなさい――サウダライトは手招きをする。ルサ男爵は一人ではなくリニアと”老人”を伴いリビングへと入り、膝を折って話を始めた。
「この老人のことでして」
「なんか不便でもあるのかな?」
「名前がないそうでして。どのように処理したらいいでしょう」
 ルサ男爵を育てた老人は、名前もなにもない。
「ああ、そうか! 君、名前ないんだもんね。そう言えば、そうだった。君、なにか名乗りたい名前とかある?」
「い、いいえ」
「そうか、そうだよね。じゃあ私が用意するね。モストルヴリバイン、フォーディゲ……」
「陛下、その名前なのですが、寵妃殿が呼びやすい名前にしていただけると嬉しいのですが」
「それは大事だったね。バーゼでどうだい?」
「ありがとうございます」
「あの子が話しかけたら、気軽に話をしてやってね。ちょっと解り辛いだろうけど、辛抱強く聞いてやってくれ。いいね、バーゼ」
「御意」
 バーゼという名を貰った老人が床に額をこすりつけるようにして頭を下げたとき、室内に異音が響いた。
「……いまのなに?」
 音がしたのはどこか? と、誰もが周囲を探し、その正体はすぐに突き止められた。ヨルハ公爵が背負ってきたケースである。どうも内側から鍵を壊されたらしく、近くに外れた部品が転がっている。
「これは、なんだ?」
 ケースに近付こうとするサウダライトに、
「陛下、よろしいでしょうか」
「いいよ。なにか知ってるの?」
 一人だけ、その特殊なケースが”なんなのか”知っているバーゼが口を開いた。
「あのケースは乳児を運ぶためのケースです」
「乳児って……一般的に一歳未満くらいかな?」
「はい」
 養育を老人のような立場の者が担当する”男爵”はこのケースに入れられ渡される。
「あのケース、あの子はヨルハ公爵のものだって言ってたよね、リニア」
「はい」
「普通あのケースって乳児が寝返りを打つくらいで、鍵壊れるの?」
 サウダライトは覚悟を決めて蓋を”そっと”開く。そこには”おむつ”と眼帯を着けた、小さくなったヨルハ公爵としか言いようのない生き物が寝ていた。
「私は聞いたことありません。なによりそのケースは乳児を大人しくさせて運ぶためのものでして……あまり動かないはずです。あとは体調管理を万全にする際にも使われるそうですが……ですが、基本乳児用ですから。あの……男爵たちの身体機能では、このようなことは起きませんが、ヨルハ公爵のお子様ともなれば、その常識は当てはまらないのでは」
「そうだよね。当然そうだよね……ルサ」
 注意深く蓋を閉めて、
「はい」
「注意深くそのケースを持って、私に付いてきてくれるかな」
「畏まりました」
 ケースを持たせて、大急ぎで、だが衝撃を与えぬよう静かにデルシの元へと急いだ。


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