帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[173]
 グラディウスがデルシから肉を貰った翌日、ケーリッヒリラ子爵はデルシの元へ残りの代金を届けに向かった。振り込めば一瞬だが、そこは貴族や王族。手間暇をかけて代金を運び、立場が上の相手と直接会って話、ご機嫌をうかがうのも仕事の一つ。
 なので主家の王女と会う際に手ぶらなのは貴族として許されないだろう……と、
「グレス。頼みがあるんだけどいいか」
「なに? おじ様。あてしに出来ることならなんでも!」
「デルシ様にお礼状書いてくれないかな。”お肉ありがとうございます”くらいの簡単な一文でいいから」
 手作りの一筆箋に、
「綺麗な紙だあ」
「気に入ったら幾らでも作ってやるぞ」
「これ、おじ様作ったの?」
「ああ」
「おじ様すごい!」
 グラディウスからの「肉のお礼」を書いてもらい、一緒に届けることにした。

※ ※ ※ ※ ※


「追加の代金と、ルリエ・オベラからの礼状です」
「そうか」
 配下の銀行員たちに受け取るようにデルシは指示を出し、椅子から立ち上がる。紅蓮の長い髪と、赤く長いマントが大きく広がり、その一歩は攻撃を開始するかのような迫力がある。
「ケーリッヒリラ」
「はい」
「時間を作れるか?」
「用件次第では」
「よろしい。我の代わりにメディオンに会って相談を聞き、解決策を探し出せ」
「我が協力できることですか?」
「できる。昼食を共に取り、話を聞いてやれ。本来は我が聞いてやる筈だったのだが、野暮用がな。メディオンと二人きりの昼食、楽しみであったのだがな」
「野暮用の方は?」
 最近忙しくて会えないでいる友人のメディオンに会えるのはケーリッヒリラ子爵としても嬉しいのだが、この場合は”野暮用”のほうを肩代わりするべきだろうと尋ねた。
 野暮用というからには、大したことではないだろうと……。
「お前に肩代わりしてもらえるのなら任せたいところだが、よりによってミーヒアス関係だ」
「あ……」
 どんな内容かは分からなくとも、それはデルシ以外には片付けられない用事。
「お前も正妃付き側近の先輩として助言を貰うがいい、ケーリッヒリラ」
「はい」
 ケーリッヒリラ子爵は挨拶をして、そのままデルシの部下たちに、メディオンが待っている個室へと案内された。
「ディウライバン大……エディルキュレセ?」
 テーブルの側に立って待っていたメディオンは、扉が開くと同時にデルシに挨拶をしようとし、
「久しぶり、メディオン」
 やってきたのがデルシではないことに気付き、心底驚いた声をあげるものの、直ぐに立ち直り再会を喜ぶ。
「おお。久しぶりじゃな」
 案内は無言で下がり、用意されているテーブルへと近付き、来た理由を説明し、
「たった今、ディウライバン大公殿下から代理を任された。一緒に昼食を取りながら話を聞けと。大公殿下は我でも役に立てるようなことを仰っていたのだが」
「ああ! 願ってもないことじゃ」
 二人は席に着いた。
「じゃが、長い話になるが大丈夫かえ?」
 長い話になりそうなので、メディオンはデルシに昼食から午後のお茶の時間までの時間を割いてもらったのだ。
「ああ、聞いてる。午後の茶の時間までだろ? そこまで確りと付き合えるから安心してくれ」
「そうかえ。あのなあ……ルグリラド様がその……お怒りなのじゃ」
 メディオンは挨拶もそこそこに、自分がデルシの元へとやってきた理由を説明する。
「はあ……」
 癖一つなく真っ直ぐな長い黒髪と、憂いを帯びた眼差しが美しい「睫のおきちゃきちゃま」ことルグリラド。ケーリッヒリラ子爵はメディオンとは仲が良いが、彼女の主であるルグリラドのことはほとんど知らない。
 知っていることは「怒りっぽい」ことだけ。
 ケーリッヒリラ子爵の困惑した返事に、メディオンはショートカットに帽子を被っている頭を左右に何度も振りながら”違うのじゃ! 違うのじゃあ! そうではないのじゃ!”と否定しながら肯定した。
「いや、確かに! 儂等のルグリラド様はお怒りになることが多いが、今回の怒りはじゃな……マルティルディがルリエ・オベラと遊ぶ約束をしたことが原因なのじゃ」
「もしかして、先に遊ぶ約束をしていたセヒュローマドニク公爵殿下を差し置いて、アディヅレインディン公爵殿下が遊ぶ約束をしたのが?」
「そうなのじゃ! あのパーティーがあった翌日、ルグリラド様は寝不足で……楽しみにして寝られない気持ちは儂もよう解るし、キーレンクレイカイムが”後で”と言ったのも間違いではないのじゃが」
 ケーリッヒリラ子爵は遊びの最後、騎馬戦でデルシに殴られたことを思い出す。
「あ……もしかしてフィラメンティアングス公爵殿下、責められてるのか?」
 ちょっと心配したケーリッヒリラ子爵だが、すぐに「殿下ならまあ……相手が女性なら責められても楽しくやり過ごしていらっしゃることだろう」キーレンクレイカイムの特性を思い出し、心配を追いやった。ちなみにそれは正解である。
「おう。儂はルグリラド様の味方じゃが、キーレンクレイカイムもまあ……」
「それでディウライバン大公殿下に相談しに来たわけか」
 ルグリラドが全身で我が儘を言い、傍系皇帝サウダライトにも散々怒鳴り付けているので、本気で遊びたいのだろうとメディオンは主の願いを叶えるべく動いていた。
「そうじゃ。ほれ、ルリエ・オベラの警備責任者はエディルキュレセじゃから、エヴェドリット王女を通したら上手くいくのではないかと思うてな」
「そういうことか……。アディヅレインディン公爵殿下とルリエ・オベラが遊ぶ日程は変えられないし、間に予定を挟むのも無理だ。公爵殿下、様々な物を作ってくるように命じられたからな」
「そうなのか」
「例のパーティーで公爵殿下が”作れ”と言ったリュックサック。いま小間使いと一緒に、どのキルト生地が良いだろう? と選んでいる。生ハムは五日工程の レシピで、一本を作って練習し二本目を献上する運び。それに我と一緒にアクセサリー造りもせねばならぬし、合間に重要な用事を……メディオンも聞いている だろうが、例の場所まで通っている。正直なところ日程はぎりぎりだ」
「マルティルディめ。合間に予定を組み込めぬようにしおって!」
 メディオンはスープスプーンを持って悔しがる。
「それはまあ……その……だがメディオン。アディヅレインディン公爵殿下も純粋に楽しみにしていらっしゃるようだから、そう怒るな」
 マルティルディはケーリッヒリラ子爵よりも年下で、メディオンと同い年。
「ん……まあ、そりゃあ解っておるのじゃ。帝国の実質的な支配者がマルティルディなのは解っておるからして、気晴らしは必要じゃろう」
 二人ともそれなりに責任のある地位にいるので、自分がマルティルディの立場にいたら、重圧が凄まじいことは容易に想像がつく。
 マルティルディが重圧を感じる性格かどうかまでは二人とも知らないが、夫であるイデールマイスラは重圧に偶に壊れかけることを知っているので、王族であろうとも重圧を感じないことはないであろうと。
 だがルグリラドもまた重圧がのし掛かっている。
 初の傍系皇帝ゆえに、後継者は由緒正しいテルロバールノル王女の子であって欲しいという周囲からの無言のプレッシャーが大きいのだ。
 王族たちに掛かる多種多様のプレッシャー。それを緩和するのが傍仕えたちの仕事である。
「”近いうち”ではなく”しっかりとした予定を組んで”と提案したらどうだ?」
「たしかに確りとした予定を組むために少々時間が掛かった……ならばルグリラド様も納得するであろうな」
「今回ルリエ・オベラはアディヅレインディン公爵殿下に用意を命じられとても喜んでいた。だから、ルリエ・オベラからセヒュローマドニク公爵殿下に頼み事をするような形も盛り込んではどうだろう?」
「頼み事か。良いじゃろうな。ルグリラド様は頼み事をされたり、頼られたりするのが大好きじゃ」
「一泊二日の予定で、一緒に食事を作るとか」
「メニューを決めるだけで一ヶ月は掛かりそうじゃ。のう、エディルキュレセ。ルリエ・オベラはハープ聞いたことはあるか?」
 帝国においてハープはテルロバールノルに属する者のみがつま弾くことを許される楽器。平民はもちろん他の貴族もおいそれと弾くことはできない。
 余程才能があった場合のみ、皇帝が弾くことを許可してやらない限りは許されない。
「ない。近くにテルロバールノル縁の者がいないからな……まさか?」
「おう! ルグリラド様にお頼みするのじゃ……駄目か?」
 ルグリラドは帝国でも五指に入るハープ奏者。
 その憂いを帯びた瞳で奏でる曲は、人々の心に染みいり揺さぶる……と言われているが、ケーリッヒリラ子爵も聞いたことはない。
 ただメディオンも相当上手く、彼女のハープを聞いて「儂よりも上手なのじゃあ」と言われていたので、噂通りなのだろうとは感じていた。
「いや、それはいい案なんだが、ルリエ・オベラはハープの存在そのものを知らない。多分見た事もないし、聞いたこともないだろう。他の楽器ならいざ知らず、ハープは一般階級では見ない代物だ。だからどう誘導するかとなると」
 グラディウスが言わされている形であってもルグリラドは怒らないであろうが、やはり本心から誘ったほうが喜びは増すもの。だがグラディウスの語彙と知識では、到底ハープに辿り着かない。
「そうか……のう、エディルキュレセ。ガルベージュスに頼めば”立入許可”は取れるかえ?」
「……陛下に頼めばいいだろう。基本ガルベージュス公爵は陛下のご決定に刃向かわない。特に”そちら”に関してはルリエ・オベラの意志が優先される。だがいいのか? セヒュローマドニク公爵殿下お嫌いじゃないか?」
 ガルベージュス公爵の許可が必要な場所、それは巴旦杏の塔。
「ルリエ・オベラが大好きなのじゃろう? 忙しい合間を縫ってまで会いに行くほど。ならばルグリラド様も興味があるじゃろうしな」
 メディオンも去年までは知らなかったのだが、マルティルディが両性具有を出産しており、ケシュマリスタ王城で育てられているとルグリラドと共に聞かさ れ、なんとも言えない気持ちになっていた所に「殺されていなかった両性具有」の存在が明かされ、ますます胸のつかえが大きくなっていた。

―― マルティルディ側の血に問題があったのであって、サウダライト側には問題はないかと……

 直接会ってみればこの胸のつかえが取れるのではないかと。双子の弟が両性具有を儲けたという事実は、ルグリラドにもやり場のない感情をいだかせた。
「じゃあ、あっちの家に泊まってもらうか」
 両性具有に会ったところで単純に解決するとはメディオンも思わないが、良い方であれ悪い方であれ、なにかの切欠になれば良いと考えた。
「良いと思う」
「そうなると、我やメディオンは瑠璃の館待機だな。警備は全部ガルベージュス公爵任せになる」
「それが最良じゃろう」
「じゃあ具体案をまとめて、ガルベージュス公爵に提案だな。まとめるのには付き合う」
「感謝するのじゃ」
 メインの魚料理を切り分けながら、
「突然なんだが」
「なんじゃ?」
 ケーリッヒリラ子爵は突然話題を変えた。
「明後日の夕方から休み取れるか? ヴァレンが来るから何人か集めて祝いでもしようかと」
「明後日? それはまあ、急じゃな」
「今朝通信が入ったんだが、三日後にディウライバン大公殿下に会う予定があったんだが、途中で”一日早く着けば、一日早くシクに会えるとおもった”と……」
「ヴァレンらしいわ。わかった、明後日の夕方から翌日の昼まで休みを頂いてくる」
 メディオンは久しぶりに友人に会えると、顔を綻ばせた。
 食事を終えてそのまま午後のお茶の時間に突入し、日程の確認などを開始する。グラディウスは忙しいながらも公的な行事に参加することはなく予定を合わせるのは簡単だが、ルグリラドはそれ程暇ではない。
 大まかな骨子を作り、
「ありがとう! ディルキュレセ。今日中にガルベージュスに提出してくるわい!」
「協力できて良かったよ」
 二人は提供された場所を出て持ち場へと戻る。

「今年は寮祭開催されるそうじゃ」
「そうか。……休みは取れそうか? メディオン」
「おう!」
「じゃあ一緒に行ってくれるか?」
「こちらこそ、喜んで」
 二人は寮祭に行く約束をして分かれた。
 ケーリッヒリラ子爵はそのまま瑠璃の館へと向かわず、その周囲を警備している詰め所へと足を伸ばした。
「ケルディナ、ガラード中尉」
「どうなさいました、子爵閣下。わざわざこちらまでお出でいただかなくても」
「我々が出向きますのに」
 突然の上司の訪問に部隊長の二人は驚く。
「公的な仕事なら卿らを呼ぶが、今日は私的な用事でな」
「そうですか」
「実は明後日の午前中、我に来客がある。その来客、ヨルハ公爵なのだ」
 貴族爵位はそれこそ数万もあるので、余程有名でもない限り爵位だけ言われても解らないが、ヨルハ公爵の知名度は帝国でも抜群であった。
「ヨルハ公爵閣下ですか」
 みるみる表情が変わる二人の中尉に、説明は不要だな……とケーリッヒリラ子爵は用件を簡単に伝える。
「午前中は全員詰め所に入っていてくれないか?」
「あ……はあ……」
「本当は卿らを紹介してからこの館に案内する予定だったのだが、どうしても帝星到着後すぐに来たいと言いだしてな。久しぶりの帝星ということもあり、は しゃいでいる様子で……はしゃいでいるゼフの提案を断ると、言葉で言い尽くせないことになる可能性が高い。明後日の午前中、上空から落下してくるそうだ。 ガルベージュス公爵にも許可を取ったそうだ」
「あ、はい」
 ”上空から落下してくるのは良いのですが、詰め所に激突したらどうするんですか……”と思った警備員たちだが、そうなったら諦めるしかないだろうと直ぐに思いを改めた。それは別名、死の覚悟ともいう。
「子爵閣下の命令に従います」
「ありがたい。ゼフの名誉のために説明しておくと、直接会って紹介を受けると滅多なことでは殺さないから安心してくれ」

―― その”滅多”が怖いんですよ、子爵閣下

 一応部下たちの身の安全を確保して、暮れる途中の空の下、瑠璃の館へと戻ると、玄関前でグラディウスがケーリッヒリラ子爵の帰りを待っていた。
「おじ様! お帰りなさい! 今日おっさん帰ってこないから、晩ご飯みんなで食べよう!」
「そうか。待たせて悪かったな、グレス。そうだ、これデルシ様からのお返事だ」
 ”済まない”言いながら、既にこみ上げてくる笑いの行き場を求めつつ食卓についた。


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