帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[172]
「首に手を回すって、こういう感じかなあ?」
グラディウスが眠りやすいようにと、マルティルディは手を動かし体を捻ったり。最終的にはグラディウスを乗せたまま横になり、長いマントをかけてやった。
「なんだろう。君の寝顔を観て、寝息を聞いて、暖かさを感じていると、妙に明日が楽しげな物に感じられる。意識したことないのに……」
《ここからだして! ここからだしてよ!》
「僕はあの海の底から出してもらえたけれども、自由になった訳じゃないんだ。あの頃の僕は、拘束されて世界が狭かったから、外には自由があると信じてた……あの頃のほうが幸せだったなんて……」
―― あの子、誰? ザイオンレヴィって言うのか ――
―― 殿下の夫は王子と決まっております ――
あの水牢の中にいたらイデールマイスラと結婚しなくても良かっただろうし、イデールサウセラを産むこともなくて《最後の少女》と出会うこともなく過ごせただろうけれど
―― この方が、サーヴィレイ公爵マルティルディ殿下だよ。ご挨拶させていただきなさい、ザイオンレヴィ ――
―― は、初めまして……――
ザイオンレヴィにも会えなかった。君がいなければ良かったなと思うことは多いけれど、出会えたことは否定しない。
「そんなこと、思いはしないけれどね」
マルティルディは赤子を抱いていたら、こんな感じなのかな? と思いながら、普段はあまり考えないようにしていることを考える。
逃げて考えないのではなく、考えても答えが出ないことを知っているので考えない。
「最後の少女か……あいつ、本当に良く知ってるよなあ」
三時間後――
帰るためにグラディウスを起こして部屋を出たマルティルディの背後を付いて来るグラディウスの顔は、
「……」
「どうしたんだよ、グレス」
先程の幸せな寝顔とはうって変わって、今にも泣き出しそうなものに。
「ほぇほぇでぃ様が遊びに来てくれたのに、あてし寝ちゃって遊べなかった」
「まあね。昨日から今朝にかけてダグリオライゼに付き合って夜更かししたんだから、仕方ないさ。子どもを早寝させなかったダグリオライゼに原因があるから、あとでそれなりに」
「……」
「なんだよ。そんなに残念なのかい? グレス」
「うん。とっても残念です」
「僕は良い気分で遊んだけど、君は確かに遊んでないね。それじゃあ特別だ」
「とくべつ?」
「ああ。この僕がわざわざ君のために、もう一度時間を作ってやろう。それも今度は丸一日、君と遊んでやろう。前もって連絡をいれておくから、今度は夜更かしするなよ」
「あ……」
「ただし、それなりに用意もしてもらう。あとで手紙送るよ、それらを土産として用意して持ってこいよ」
「はい!」
泣き出しそうだったグラディウスはマルティルディに”そう”言われ、理解して満面の笑みを顔に浮かべた。
「本当に不細工だね。いいけどさ」
輿に乗り帰って行くマルティルディをグラディウスは手を振見送る。白い砂が敷き詰められた道に花びらを撒きながら去ってゆくマルティルディが見えなくなった時、グラディウスは少ばかり鼻をすすった。
すっかりと元気を取り戻したグラディウスは、撒かれた花びらを回収する仕事をし、リニアと一緒に洗濯物を運ぶ仕事にも精を出した。
「お爺さん、初めまして!」
洗濯物を運んだ先はルサ男爵を育てていた”老人”の部屋。
初めて会った老人にグラディウスは大きな声で挨拶をする。
「こ、これは、これは」
「初めまして! あてしグラディウス・オベラです! グレスって呼んでね! お爺さんのお名前教えてください!」
グラディウスはタオルの束を持ちながら、先程マルティルディに「不細工」と言われた笑顔を浮かべて”老人”に尋ねた。
「あの……その……」
寵妃に声をかけられ驚いたことと、それ以外の理由で老人は上手く答えることができなかった。その場はリニアが上手く取りなし、
「今度教えてください!」
「は、はい」
洗濯物を置いて部屋を出て行った。
※ ※ ※ ※ ※
「ただいま、グレス」
「おかえりなさい! おっさん! あのね、おっさん! 今日ねほぇほぇでぃ様が来てくれたの! でもね、あてし眠くて寝ちゃったの!」
帰ってきたサウダライトに、今日一番の出来事を全身で伝える。
「そっか。うん。マルティルディ様はとてもご機嫌でいらしたよ」
ご機嫌ではいらっしゃった――のだが、遊べなかった理由の元凶であるサウダライトには厳しい。
「ごきげん!」
「うん……本当に」
幸いグラディウスを抱いてのんびりとした時間を過ごせたので、極刑は避けられたが、ざっくざっくと嫌味を言われて、気力と体力をごっそりと削られたサウダライト。
「どうしたの? おっさん」
「いやいや。それでね、これを用意するようにってマルティルディ様からのご命令だよ。ジュラス、ちょっと来てくれるかな」
サウダライトはマルティルディからの手紙をジュラスに手渡す。
―― マルティルディ様……でもまあ、気分はおよろしいようで
「読むわよ、グレス」
「うん! お願いジュラス」
受け取ったジュラスは目を通し「読み聞かせるように」との指示の元、抑揚をマルティルディに似せて読み出した。
「あのさあ、イセリセ(デルシ)とフィーランティーナ(イレスルキュラン)に手作りベーコンでポトフ作って食べさせたんだってね。食べそびれたテレジェイセ(ルグリラド)がすっごく怒ってるの。でもその気持ち、僕もわかるなあ。それでさあ、僕ねえ生ハムが食べたいんだけど……」
この特徴的な文章を帝国語で認めるのは不可能。ケシュマリスタ語でこそ”この文章”となる。この調子で次々と指示が書かれ、
「……って書いてあったわ」
読み終えたジュラスにグラディウスは抱きつき、
「ジュラス、ほぇほぇでぃ様の喋り方にそっくりだった!」
”凄い、凄い”と感動する。
「あ、そう? ところで内容は分かった?」
「御免ねジュラス。あてし、全然分かんなかった」
難しい文章ではないのだが、独特の文章なので、聞くのに集中してしまい、中身をグラディウスはまったく理解できなかった。
「ルサが生ハムを一緒に作って、ケーリッヒリラとアクセサリーを作る。リニアと一緒にこの前約束したリュックサックを作る。この三つを持って二週間後に遊びに行く。解ったかな? グレス」
「解ったよ、おっさん! ありがとう! ようし! あてし頑張る!」
手紙には人間には見えないインクで書かれた文章があり、そこには「前日は早寝させるように」と書かれていた。
―― もちろんですとも、マルティルディ様
エロイことをするのが大好きなおっさんだが、マルティルディの機嫌を損ねるような真似はしない。
※ ※ ※ ※ ※
先ず取りかかったのは生ハム作り。
細かい手順などはすべてルサ男爵が覚える。必要な機材はザイオンレヴィが用意して、
「あとは肉だな」
「そうですね……」
二人は肉の到着を待った。
肉は何故かグラディウスが「おおきいおきちゃきちゃまの所に買いに行く!」と言い張り、希望は叶った。その条件として、グラディウス自身がデルシのところまで買い付けに行くことになっている。
「カロシニア公爵殿下の用意する肉とか……豚と解っていても……ねえ」
「はあ」
ザイオンレヴィが言いたいことは、ルサ男爵にも充分理解できた。普通の人間なら、エヴェドリットに肉を頼んだりしないと――。
エヴェドリット故に肉には直接関係することはないケーリッヒリラ子爵だが、ちょっとした関連する仕事を振られた。
「ケーリッヒリラ」
「はい、陛下。なんでしょう?」
アクセサリー作りの工程を簡素化し、簡単に失敗しないように作れるようにガラスに細工をしていた彼の元に、それこそ山ほどの金貨と、見るからに豪華だと解るネックレスや王冠、大きな宝石のついた指輪などが運び込まれた。
「ここにさ”いかにも財宝”を持って来たんだけど、これ上手く飾り付けてくれない? 明日あの子、デルシ様のところに肉を買いに行く予定だろ。金貨を持たせてやったら喜ぶだろうなと。ま、よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
子爵はそれらの財宝素材を見て、板を組んで周囲を鉄で囲み財宝箱を作り、上手く飾ってゆく。財宝箱は半円形の蓋も作られたが、使われることはない。
金貨を入れて、途中で指輪やネックレスなどを放り込み、また金貨を入れて蓋が閉まらぬ程の山盛りにする。開きっぱなしの蓋の方にも金貨を入れて飾る。
ケーリッヒリラは私物の鞘や柄が豪華な剣を数本持ってきて、鞘から外れないように工業用ボンドで固く留め、宝箱の飾りとして金貨に突き刺してゆく。
最後に残った宝飾品を宝箱の突起や剣にかけて飾り、部屋の明かりを調整し、財宝がもっとも輝くように見せる角度に整える。
「陛下、終わりました」
「ありがとう。それでさあ、この財宝……って剣は君の?」
「はい」
「君のことだから剣は抜けないようにしたんだろうけど、いいのかい?」
「武器全般は唸る程持っておりますので」
「それはそうだろうけどさ。それでね、ケーリッヒリラ。あとでこの金貨だけをまとめてデルシ様に届けてくれ。あの子のことだから、金貨十枚も持たないと思うんだ。金額はどうでもいいだろうけど、ねえ?」
なにが”ねえ?”なのかと思いつつ、空気が”ねえ”を肯定するべきだと歌うので同意した。
「畏まりました」
もっとも空気が同意を歌わなくても、ケーリッヒリラ子爵の性格では何も意見することはないのだが。
「グレス。ちょっとおいで」
「なに? おっさん」
サウダライトの手招きにもたもたと駆け寄ってくるグラディウス。サウダライトは扉を開き、
ケーリッヒリラ子爵がタイミングよく証明を点灯させる。
「うあ!」
部屋に突如現れた『財宝』を前に、グラディウスは驚き、
「おっさん! おっさん! 光ってる!」
指をさして見たままを告げる。
この後サウダライトは、目の前にあるのが金貨であること、金貨はお金であること、この金貨はサウダライトのものであること、この金貨も肉の購入代金にあてること、数枚持ってデルシの所へ行くこと……を理解させる。
「わかったよ! おっさん」
理解するまでに普通の人の六倍の時間を必要とはしたものの、グラディウスは間違えずに覚えた。
「じゃあ三枚持っていくね」
「そう? もっと持っていかなくていい?」
「いいよ! あとはあてしのお金で払うから」
財宝の山の隅から金貨三枚を拾い、あとは楽しそうに光る物を見つめていた。
「ケーリッヒリラ」
「はい、陛下」
「あのさ、宝の山あのままにしておきたいんだけど。維持管理、君に頼んでいいい?」
警備の管轄だが、警備責任者が自ら直接管理する仕事ではない。
「畏まりました」
だがケーリッヒリラ子爵はディスプレイなどが好きなので、喜んで引き受けた。
「あとデルシ様に、残りの額渡してきてね。それは別に用意しておくから」
「はい」
金貨三枚を手に入れたグラディウスは、自分のお金が入っていると教えられたカードを首から下げ、自分で作ったリュックサックに金貨三枚を入れて、一人驢馬に乗り、特別に用意された《グラディウスが進む方向(矢印)》と描かれた、乱立しまくっている看板を目印にして、
「驢馬、次を右!」
(矢印がさしているのは左だよ)
「そうなんだ! 間違っちゃった! 教えてくれてありがとう! 驢馬」
デルシの宮へと向かった。
驢馬の尽力で無事に到着したグラディウスは、驢馬から降りて、相変わらずな挨拶をする。
「おおきいおきしゃきしゃま! お肉下さい! あ! 挨拶忘れた、ごめんなさい。こんにちは! あてしグレス!」
「よく挨拶できたな、グレス。まあ座れ」
自分の膝を叩いて”ここに座れ”と指示を出す。グラディウスはあまり深く考えず、父親や兄に呼ばれた時と同じように叩いた箇所に腰を下ろして、
「あてし、お肉! あてし、お肉を!」
目的の品を連呼する。
「解っておる、もう用意はできておるから安心しろグレス」
「お金です。おっさっんもお金を出してくれたの! 綺麗なお金でしょ」
リュックサックから取り出した金貨を手のひらにのせて、デルシの眼前に差し出す。
「そうだな。グレスはもう気づいたか?」
「なに?」
「金貨に描かれている、この横顔の人物は小僧……ではなく、ダグリオライゼだぞ」
「…………おっさん?」
直径5cm、厚み0.8cmの金貨。裏には金額と防犯用の細工が施され、表には皇帝の横顔が刻まれている。
「あまり似てないか?」
「う〜ん……よく分かんない」
「そうか。だが覚えておくがいい」
「はい」
デルシは金貨三枚を貰い、差し出されたカードから少々金を引き出し、用意しておいた豚の後ろ足二本をテーブルに乗せるように指示を出す。
「ところでグレス」
「はい、おおきいおきちゃきちゃま」
「どうして我の所に肉を求め……どうして我が肉を持っていると思った?」
「前におおきいおきしゃきしゃまがね、お肉たくさん持ってるって言ってたから。”ごくじょうのかもにく”美味しかったから、きっと美味しいお肉をたくさん持ってるって思ったの」
「おう、そうであったな。良く覚えていてくれたな、グレス」
頭を撫でながら褒められ、大喜びしているグラディウスにお菓子を渡して食べさせてから、
「これで落ちぬだろう」
デルシ自らが驢馬の尻に肉を縛りつける。
「ありがとうございました!」
そしてデルシはグラディウスを軽々と持ち上げて、驢馬に乗せてやった。
「グレス」
「はい!」
「エリュシもそうだが、アディヅレインディン……マルティルディのことも頼むぞ」
「? なにをですか? おおきいおきちゃきちゃま?」
「ん……一生懸命、全力でマルティルディと遊んでやってくれ」
「……? 遊んでもらうのはあてしだよ! ほぇほぇでぃ様があてしと遊んでくれるんだ!」
「そうだな。遊び終わったら、エリュシの後でいいから、なにをして遊んだか? 我にも教えてくれ」
「はい!」
グラディウスは驢馬と共に帰途についた。来るために使用した看板は、デルシとの会話中に全て帰宅用に変更されている。
「驢馬、次は左だね!」
(そうだよ)
「やったあ! 当たった!」
編み目が均一ではない不格好なお下げを揺らしながら帰って行くグラディウス。デルシは深紅の髪をかき上げながら、その後ろ姿を見送り、見えなくなってもしばし立ち尽くしていた。
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