帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[169]
 サウダライトが乗るために用意された馬は、皇帝専用の馬で当然色は白。象のガンダーラ2599世に負けず劣らず気位の高い馬で名を、
「メルヒェン4971世乗せてくれるかな」
 メルヒェンと言い、皇帝を乗せる馬としては4971代目である。
 なぜこの名前なのか? ほとんどの者が知らない。サウダライトも当然知らないが、知らないことが気にならないのでそのまま過ごして居る。
「ご安心ください、陛下。このガルベージュス公爵《ローデ》、メルヒェン4971世をしっかりと説得いたしました。もう陛下を振り落とすような真似はいたしません」
「あ、そうなの。君が説得したのならメルヒェン4971世も言うこと聞くだろうね」
 ”馬の耳に念仏”なる言葉もあるが、ガルベージュスが馬の耳元で熱く説得は、それらの言葉を否定する。
 馬とて愚かではない、ガルベージュスとその仲間達に取り囲まれて説得されたら、言うこと聞いた方が良いことくらいは理解する。理解できなかったら、残されているのは暑苦しさに発狂死するくらいだ。
 白い毛に青い眼をしたメルヒェン4971世は黄金の鞍を乗せて待っていた。
「わたくしが途中まで牽いて行きますので」
「お願いするね」
 サウダライトが馬に跨り、首を軽く叩いて、
「よろしく頼むよ、メルヒェン4971世」

(某に気安く触るな)

 気分を害した馬と共にグラディウスの待っている場所へと向かった。
「いい天気だね、ガルベージュス」
「はい、陛下」
 グラディウスたちが見えるところでガルベージュスは離れ、礼をして見送る。
 サウダライトは手綱を握り、デザートを食べさせてもらっているグラディウスへと近付く。食べさせられている経緯は、単純に「サウダライトにやっていることを、今日は私がやってやろう!」とイレスルキュランが持ちかけたから。
 イレスルキュランとデルシ=デベルシュが交互にグラディウスに生クリームがついた様々なフルーツや、プリン、生チョコレートなどを頬張らせ、その食べる様を楽しんでいた。
 キーレンクレイカイムはその権利を主張はせずに、脇から膨らむほっぺたを見て楽しむだけにしていた。
 デルシ=デベルシュの前で大きな口を開けて待っていたグラディウスに、
「グレスの”おっさん”が来たぞ」
 三人が声をかける。馬に乗ったサウダライトを見て、
「おっさんの所に行ってもいい?」
 グラディウスはデザートよりも”おっさん”を選び、二人は頷き見送ってやった。
「行ってこい」
「小僧をここまで連れてきてくれよ」
「おっさん! おっさん! おっさーん!」
 両手を広げて、先程の競技の時よりもずっと速く走り近付いてゆく、三つ編みが揺れるグラディウスの後ろ姿。
「最高の笑顔で走ってるんだろうな」
 サウダライトも笑顔で下馬し膝をついて身長を合わせて両手を広げてグラディウスを抱きとめた。
 唇の端に生クリームをつけたまま、グラディウスは頬に力を込めてすり寄せる。
 サウダライトも同じくらい力を込めて、頬擦りを返す。
「羨ましいと思うのに、同時のものすごく釈然としないのはどうしてだろう」
 イレスルキュランの言葉にキーレンクレイカイムが答える。
「イレスルキュラン、それはな……グレスに笑顔を向けてもらうためには、サウダライトにならなくてはならない。自分をサウダライトと置き換えようとすると、お前の中のサウダライトの評価が姿を現すからだ」
「要するに”羨ましいが、イネスの小僧にはなりたくはない”と言うことだな」
「……」
 グラディウスにあれほど懐いてもらいたいと思うが、懐いてもらいたくてもサウダライトにはなりたくない。
「なるほど。私がグレスのことを気に入っている気持ちと、私がサウダライトを嫌っている気持ちは、ほぼ同量ということか」
 イレスルキュランは自分の中における、グラディウスとサウダライトの比重を目の当たりにして、感慨深く頷く。
「そうだな。私もサウダライトになりたいか? と聞かれると”なりたくはない”と即答できる。皇帝という付加価値がついているのにも関わらず。あの男自体には……だが、あの男でなければグレスはあそこまで懐かない」
 遊び相手としてグラディウスのことを面白とは思うが、決して性対象にならないキーレンクレイカイムは皇帝という部分に関して触れるのみで、グラディウスを理由に成り代わりたいとは言わなかった。彼は発言で不利に陥ることを避けるだけの余裕がある。
「脇で見て、微笑ましいと思いつつ、小僧に腹を立てることを、我等も楽しんでいるのかも知れんしな」
 そしてデルシ=デベルシュは真理に近いものを語る。
 要するに三人とも、僅かな嫉妬と苛つきを含めて現状を大いに楽しんでいるのだ。
 サウダライトはメルヒェン4971世を牽き、グラディウスと手を繋ぎ三人の元へとやってきた。
「おおきいおきしゃきしゃま でかいお乳のおきしゃきしゃま 乳男さま! おっさんだよ! おっさんが来てくれたよ!」
 傍から聞いていると、なにを言っているのか? と首を傾げたくなるグラディウスの台詞だが、
「おお、良い子だ。良く連れてきたな」
「サウダライト、元気にしていたか」
 通じる人には通じているので、この場合問題にならない。
 サウダライトは三人に挨拶をして馬に乗り、
「あてし引っ張る!」
「いやいや、グレスも乗りなさい」
 馬を牽こうとしていたグラディウスに乗るよう、鞍の前側を叩いて声をかけ手を伸ばしたのだが、上手く乗せることはできなかった。
「グレス、我が乗せてやろう」
 それを見ていたデルシ=デベルシュが肩車をして、
「肩を踏んで移るがいい」
 自らの肩を踏むことを許して乗せてやった。
「ありがと、おおきいおきしゃきしゃま!」
 そう言って身を乗り出しかけて、デルシ=デベルシュの肩の土を払う。
「それではな、グレス。また遊んでくれるか」
「はい! あてしと遊んでください!」

※ ※ ※ ※ ※


 途中でグラディウスがメルヒェン4971世の首に抱きつき”賢そうな目をしたお馬さんだね。あてしグラディウス! グラディウス・オベラ。グレスだよ! よろしく”と名乗ったことで、気分を良くして、無事に二人は館に辿り着いた。
「ジュラス! ただいま」
「お帰りなさい、グレス!」
 一仕事を終えたエンディラン侯爵が笑顔で出迎え、

(なんでここにメルヒェン4971世さまが……)

 一時期彼女の”部下”であった、瑠璃の館近辺では自由が許されている「驢馬」が心の中で後退りを。「驢馬」を見たメルヒェン4971世は驢馬の中身に気付き、

(久しいなリグライザル伯。某のこと忘れてはおるまい?)

 嘶いた。
 驢馬は震える足(気持ちのみ)で”驢馬のお部屋”へと姿を隠した。

 館に戻ったグラディウスは、一番にポケットからパンを取りだした。
「おっさん! おいしいよ」
「ポケットにパンを入れてたのか! おっさん、吃驚しちゃったよ。貰っていいの? ありがとう」
 もちろんグラディウスのポケットになにかが入っていることは気付いたが、中身がパンだということにサウダライトは気付かなかった。美味しいものを食べたから、食べさせたいと思う気持ちはサウダライトには殆ど無い。
 寝長椅子に横たわり、グラディウスから貰ったパンを千切りながら食べて、
「おいしいよ」
「よかった」
 ”おいしいよ”を繰り返し”よかった”も繰り返される。
 テーブルに乗せられたポトフの皿、そしてテーブルを囲むリニア、ルサ男爵、エンディラン侯爵、ザイオンレヴィにケーリッヒリラ子爵、そしてグラディウス。
 サウダライトの寝長椅子に腰掛をかけて、
「楽しかった」
 今日あったことを語り、その場にいたザイオンレヴィやケーリッヒリラ子爵が補足する。

 サウダライトはいつの間にか、気分よく眠っていた。

 ”皇帝が寝ている”ことに気付いたのはケーリッヒリラ子爵で、
「お疲れだろう」
 そう言葉を濁して、テーブルを片付けることにした。グラディウスは寝室に戻り、薄手のブランケット持って来てサウダライトにかける。
「あてしもここでおっさんと一緒に寝ていいかな?」
「もちろん。でも歯磨きだけはしておいで」
「うん!」
 グラディウスは歯磨きをして、すっかりと片付いた部屋に戻って来て、サウダライトにかけたブランケットを半分ほど剥がして体を滑り込ませ、端を持って勢い良く寝た……

 サウダライトは顎に衝撃を感じて目をうっすらと開けると、グラディウスの”ぎざぎざ分け目”が目の前にあり、
「大丈夫かね、グレス。頭ぶつけ……誰か! 早く来なさい!」
 顔を見ると頭をぶつけた衝撃で鼻血を流しているグラディウスが。
「お、おっさんごめんなさ、ぶつかって、おこしちゃった」
 かなりの勢いで流れ出ている。
「気にしなくていいから!」

 検査の結果、どこも負傷はしておらず、ちょっとしたショックによる出血というだけで済んだ。

「ダグリオライゼにぶつかって鼻血ねえ」
 ただ寵妃の負傷ということで、マルティルディにも連絡が行き、
「おっさんは大丈夫だよ、ほぇほぇでぃ様」
 両鼻穴に詰め物されて口で息をしているグラディウスの様子を見に直接やってきた。サウダライトのことなど全く気にしていなかったマルティルディはグラディウスの言葉に若干驚き、そして良い気分になった。
「検査結果報告受けてるから知ってるよ。ただ君の顔見たかっただけだよ」
 サウダライトは検査などしていないが”こう言ってやれば”意味はわからなくても安心するんだろうなと。
「ほえほぇでぃ様が知ってるなら大丈夫だね。あてしもほぇほぇでぃ様に会えて嬉しい」
 鼻づまり声で喜びを露わにして不細工ながらに良い笑顔をつくる。
「鼻穴に詰め物されて笑うと、一層……ま、いいか。僕は帰る、君はここで安静、黙って寝てるんだよ、グレス。ダグリオライゼ、僕を見送るよね」
「もちろんにございます」
 グラディウスはベッドの上で両手を振ってマルティルディを見送り、
「ダグリオライゼ」
「はい、マルティルディ様」
「僕さ、なんか腹立ったんだよね。あの子が悪いのは解るんだけど、なんでこんなに君に対して腹立たしいんだろうね。理由を教えて貰う気はないけれども、腹立たしいんだ」
「申し訳ございません」
「明日、謝罪千回僕に捧げろ。解った?」
「御意」
 サウダライトは”明日も謝罪せよ”と命令を受けた。

「今晩はあの子と一緒にいるんだよ、ダグリオライゼ。じゃあ僕、玉座に戻るから」


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