帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[170]
「エリュシ様! エリュシ様!」
 グラディウスは暇を見つけてはリュバリエリュシュスの元へと通っていた。驢馬に乗り、ケーリッヒリラ子爵と共に。
「……」
 ケーリッヒリラ子爵は馬に乗り、のんびりとした驢馬の歩みと並び進む。
「おじ様もエリュシ様のこと好き?」
「ああ……いや、普通というか……」
 グラディウスが聞いた”好き”は純粋な好き。反射的に答えたケーリッヒリラ子爵の好きも確かに純粋な”好き”だが、含まれる意味は大きく違う。
「? どうしたの? おじ様」
「その……好きだよ」
「良かった。エリュシ様、エリュシ様のこと好きな貴族いないって言ったけど、間違いだよね」
「あ……そうだな。好きだよ」
 林の先が明るくなる。
 その開けた場所にリュバリエリュシュスが居る。

―― ルリエ・オベラが巴旦杏の塔へと向かう際の警備についてだが…… ――

※ ※ ※ ※ ※


「何故警備が外れていたのですか?」
 グラディウスがリュバリエリュシュスと遭遇してすぐ、ケーリッヒリラ子爵は警備の総責任者でもあるガルベージュス公爵に尋ねた。
 ”巴旦杏の塔”の警備が外れることはない。部外者の立入は一切禁じられており、侵入者には容赦なく防衛システムが牙を剥き殺害する。
 グラディウスが《人間だから》と言うことも考えられない。
 巴旦杏の塔近辺は立ち入れる者が決まっており、それ以外の者は全て排除される仕組みになっているのだ。生き物全てが排除される、人も鳥も虫もすべての生物が。
 初めて案内された時、ケーリッヒリラ子爵はまさか巴旦杏の塔に向かっているとは思わなかったので疑問に思わず、まさか本当に辿り着けるとは考えもしなかった。
「疑問に思うのは当然であろうな。では答えだ。あの時、近くにアディヅレインディン公爵殿下が居たからだ」
 《アディヅレインディン公爵マルティルディ》
 完全なる生体兵器のマルティルディは存在するだけで人々に威圧感を与えるが、それは感覚だけではなく機器にも及ぶ。彼女は内側に潜むエネルギーは強大で、彼女を追尾しようとすると帝星の人々を監視するシステムがエラーを起こしてしまう。
 マルティルディを測定するとなると、恒星エネルギーを計る機器が必要で、実際彼女の居場所を知るためだけに恒星エネルギーを測定する機器が”惑星”である帝星ヴィーナシアに向けられている程。
 マルティルディという美しい容れ物の中に、容易に帝星を破壊するエネルギーが渦まいている。
 巴旦杏の塔は性質上、塔に皇帝以外の者を排除する装備が整えられている。
 警備は当然ながらこのシステムを使用して侵入者を排除しているのだが、測定ポイントに”生物としての数値を越えている”マルティルディが足を運ぶと”飛来物(巨大隕石など)”と誤認して攻撃をしかけてしまうのだ。
 もちろん攻撃を仕掛けた”塔”の方が破壊されることになってしまう。塔の破壊を防ぐためにも、マルティルディが近付いた場合警備を解く必要がある。
 これは巴旦杏の塔だけではなく、攻撃能力が備わっている施設全てに言えることで、上記のマルティルディだけを追う測定機と連動させて、彼女が向かう先のシステムを一時凍結させる。防衛システムの一時停止なので、当然ながら帝国軍の指揮下の元で。
 マルティルディが向かう先の警備が外れることは帝国軍人であれば絶対に知っている。だが、
「嘘をつかないでください」
 ケーリッヒリラ子爵は信用しなかった。
 あの時、あの場所にマルティルディが居たら絶対に気付く ―― と。
 マルティルディは機械だけで測定できるような曖昧な物ではない。巴旦杏の塔の警備を外すほど近くにいたら、軍人であるケーリッヒリラ子爵は必ず気付く自信があった。むしろマルティルディに気付かないのであったなら、警備を辞めなくてはならないと言えるほど。
「……」
「……」
「アディヅレインディン公爵殿下に命じられたのは事実だ」
「なぜ? 両性具有に関して、一つの例外も作らないのが帝国軍人としての正しい姿でしょう。相手が暫定皇太子殿下であろうとも王太子殿下であろうとも」
「確かにそうだ。子爵の言っていることは正しい」
「皇帝陛下のご命令で?」
「違う。わたくしは、そうせねばならなかったのだ。未来の為に」
「は?」
 未来などなにもない巴旦杏の塔、収められている両性具有。そこからどのような未来が広がるのか? なにより警備を外す理由になるのか? ケーリッヒリラ子爵には話が見えなかった。
「ケーリッヒリラ子爵。子爵はアディヅレインディン公爵殿下の治世が長く続くことを望むか?」
「エヴェドリット属なので、ケシュマリスタ属の統治に関してはなにも感じません」
 ケーリッヒリラ子爵は当然の答えだけを返した。
 実際の気持ちは《望むと望まないとあの方の治世が続くのは確実》
 望む望まないの域にはない、だが”なにも感じないか?” と聞かれると、そうでもないのだ。
「子爵の答えは何時も正しいな」
 上級貴族として正しい答えにガルベージュスは珍しく机に肘をつき、左手の人差し指を目尻の辺りに持ってゆき、やや首を傾げたような姿勢を取る。
「ガルベージュス公爵」
 皇帝の容姿に限りなく近い、眩い光りを放つ黒髪が流れ、平素は明るい表情に”輝いているにも関わらず”翳りを作る。
「アディヅレインディン公爵殿下は望んでいない。あの美しき幻のファライア帝は己が長き百二十年という命を疎んでおられる。あの方は望んでおられる、わたくしに命を削れと」
 マルティルディは完全なる破壊兵器であると同時に、その力をコントロールする人格であり、力の暴走を防ぐ安全装置の役割も押しつけられている。
 この巨大な破壊能力を持つ人造人間は《自殺》することができず、測定された寿命が尽きるまで、要するに”安全に撤去できる”まで生き続けることが強制される。
「……」
 ガルベージュスは全ての生体兵器の”寿命”を削ることができる。ライアスミーセ公爵の腕を永遠に破壊した能力で。
「命を削る能力を持つのはわたくしだけだ。わたくしは軍人であり、命を奪うものではあるが、それは理由なく奪うつもりなく、わたくしが納得するだけの理由がなければ奪いはしない。それがわたくしの軍人としての矜持である」
 マルティルディは寿命より早く死のうとしたら、兵器として無差別に宇宙に攻撃を仕掛けるか、このガルベージュスに兵器の機能と共に寿命も削られるしかない。
 二十一歳のマルティルディ。残り九十九年を最高権力者として過ごすしかない、孤独な太陽の破壊者。
「……」
「あの美しき幻のファライア帝の命を削る理由はない。わたくしにも、あの方にも。だがあの方は倦むであろう。わたくしの死後、倦み疲れどうなるか? 残念ながらわたくしは解らない」
 ガルベージュスはマルティルディより、ずっと早くに寿命を迎える。彼以外に寿命を削る能力を持った者が生まれ、マルティルディに従う……そんな希望をマルティルディは持っていない。現れるかどうか? 解らない相手よりも、いま此処にいる確かな存在を前にして動く。
「ルリエ・オベラと両性具有の遭遇により《理由》が生まれると?」
「わたくしにとって理由が生まれるのだ」
「閣下に?」
「あの美しき幻のファライア帝を縛る一つは【最後の少女】という”記録”だ。その”記録”から解放されるために、ルリエ・オベラは必要なのだ」
「記録……ですか?」
 記憶ではなく記録。
「そうだ、記録だ。あれは記憶ではない、記録なのだ」
 ケーリッヒリラ子爵が納得できるような答えでもなければ、理解ができるような説明でもなかったが、はぐらかしもせず正面から真摯に返答してくれていることだけは解ったので、引き下がることにした。
「解りました。マルティルディ王太子殿下については、これ以上はお聞きしません。それで、これからの警備について」
「子爵」
「はい」
「ルリエ・オベラが巴旦杏の塔へと向かう際の警備についてだが、その時だけ警備から降りないか?」
「……」
「これが”最後”の警告になるだろう。警備を降りないか? 子爵」
 ガルベージュス公爵が言いたいことを理解したケーリッヒリラ子爵は眩暈がした。そして、
「いいえ、降りません」
「そうか。もう遅かったようだな」
 ガルベージュス公爵に頭を下げてから退出した。

※ ※ ※ ※ ※


「エリュシ様、エリュシ様! こんにちは! あてし今日も来ちゃった!」
「グレス、来てくれてありがとう」
「エリュシ様!」
 塔の中で喜び笑うリュバリエリュシュス。ケーリッヒリラ子爵は何時もグラディウスの後ろにいて、寄った分け目の頭越しにリュバリエリュシュスを見る。
 グラディウスに笑顔で話しかけるリュバリエリュシュスをずっと、ずっと。その美しさを前にして、恋に落ちるのは容易かった。

 ある雨の夜。
 その日、サウダライトがグラディウスの館にいた。グラディウスは両親を大雨による水害で失っていることもあり、雨の夜を嫌い寂しさが募る。
 窓から外を見ているグラディウスに、
「陛下があちらの部屋でお待ちですよ」
「おじ様」
 探しにきたケーリッヒリラ子爵が声をかけた。いつもくっついて離れないグラディウスが、人気のない部屋で一人で外を見ていることを不思議に思いながら。
「……」
「どうしました?」
「あのね……エリュシ様、寂しくないかなーって」
 葉を叩き付ける雨の音。ガス塔に照らされる雨粒。
「じゃあグレスの代わりに我がエリュシ様の所にいってこようか?」
「おじ様?」
「一晩お側にいればいいんだろ? 雨を弾く洋服もあるから大丈夫だぞ」
 グラディウスは純粋に喜ぶ。
「いいの?」
「我も……エリュシ様のことが心配だからな」
「おじ様! ありがとう! そうだよね、おじ様もエリュシ様のこと!」
「ああ」

―― どれ程に美しい心の持ち主であろうかと、触れることを恐れる男が届かぬ手を伸ばしたくなる程に ――

 許可を出したサウダライトの表情に諦めがあった。
「好きにしたまえ。……グレス、おじ様にお任せしようね」
 ”人を狂わす美しさ”それは性格など関係無く、ただ容姿だけで人を狂わせてしまう。
「うん。でも今度はあてしが!」
 元々触れることも近付くこともできぬ相手。見ることしかできない存在。
「その時はおっさんも一緒にね」
「うん! おじ様、エリュシ様によろしく!」

 巴旦杏の塔へと向かい雨粒に打たれる蔦の葉を見上げる。

「……だれ?」
 雨音に消えるような小さな声で尋ねながら、リュバリエリュシュスが外を見ることができる唯一の窓へとやって来た。
「あなたは」
 柔らかく広がるアイボリーの締め付けのない質素な服と、あらゆる者を狂わせる黄金の髪。
「ルリエ・オベラ……グレスがリュバリエリュシュス様のことを心配しておりまして。代わりと言ってはなんですが、我がお側に」
 一人聞く雨音に寂しさを募らせていたリュバリエリュシュスは、
「あの、お言葉に甘えていいですか?」
「我でできることでしたら、なんでも命じてください」
「この窓の傍で寝てもいいでしょうか? あなたが見えるところで」
 四年ぶりに甘えた。リスカートーフォン属のケーリッヒリラ子爵に、自分を育ててくれたランチェンドルティスを重ねて。
 普段のリュバリエリュシュスの寝顔がどんなものか? ケーリッヒリラ子爵には解らないが、今の寝顔は幸せに満ちていた。
 近づけるだけ塔に近付き、気配をはっきりとさせて傍にいる。

―― これ程近くにいるのに届かないな……美しく……なあ、ザイオンレヴィ。届かないな


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.