最後の種目である騎馬戦の終了後、グラディウスは昼食の支度を始めた。
　演習場の片付けはガルベージュスの配下が行い、キーレンクレイカイムはグラディウスと一緒にいる。
　デルシとイレスルキュランは用意された椅子に座る。
「運動嫌いなお前が随分と楽しんでいたな」
　デルシの言う通りイレスルキュランは運動が嫌いだった。運動そのものは嫌いではないが、競い合うことが嫌いなのだ。
　何故ならば　――　絶対に勝てないから。
「身体能力の差が大きくて、楽しくないからな。努力などで補えるレベルの差ではないからな。一人で黙々とトレーニングなら自分の身体に表れるから好きだが、負ける競技に参加する趣味はないし、わざわざ無様な動きを見せてやる気にもならない」
　デルシは親子以上に年の離れている負けず嫌いな王女の言葉に笑い、キーレンクレイカイムと共に警備のケルディナ中尉やガラード中尉に「パン食い競技」で使ったパンを分け与えているグラディウスの姿を追う。
「グラディウスは勝てずとも楽しめるようだがな」
　デルシの言葉にイレスルキュランは眉間にやや皺を寄せ目を閉じて頷いて同意する。
「確かに。その点に関しては身の程を弁えているのだろう。グラディウスは馬鹿だが愚かではない。人と競うような闘争心はないが、自らを高める向上心はある。己を進歩させるのに”内なるものだけ”で目指すことができる」
「お前もそうなれば良かろう、イレスルキュラン。お前の賢さは何の為にある？」
「私は賢くはないのだろう。精々小賢しい程度だ」
「そうか。それも良かろう」

※　※　※　※　※

「運が良かったら美味しくて、悪かったら”アレ”」
　キーレンクレイカイムの言葉に頭を下げつつ「エライもの貰ってしまったな」とケルディナ中尉は困り果てていた。
　彼らも用意段階で携わっていたので、パンが美味しいのと不味いというより”味覚に総攻撃を仕掛けてくる”ものの二種類があることを知っている。
「数は圧倒的に美味しいのが少ない」
　貰って待機所に戻り、全員の前で説明をする。
　美味しいのは昼食用にとかなりの量をグラディウスが別バスケットに移していた。その後、両方をキーレンクレイカイムが混ぜてから、
「グレス、来い」
「なに？　乳男様！」
「この余りのパン。いっつも警備してくれている者たちにあげたいか？」
「うん！　みんなこんな美味しいパン食べたら喜ぶよ！」
　グラディウスを呼び、このような提案をしたのだ。
「だが食わないわけにはな」
「まあな。よし、全員に行き渡ったな！」
　ケルディナ中尉とガラード中尉が声をあげる。
「これで半数が傷病者になったらどうする？」
「さあ……」
　上級士官学校出ではない彼らは、噂に聞く不味いパンの破壊力に戦々恐々としながらも、
「食って死にかけることはあるが！」
「食わなければ殺される！」
「軍人とは命令に従うもの」
「それがたとえどれほど不可能なものであろうとも！」
「命をかける価値があるかないかなど、我々が決めることではない」
「我等は命令に従って。さあ！」
　そうやって叱咤激励をして、全員でいただきますをして一斉に食べた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……俺は当たりだったようだ、ケルディナ」
「俺も外れではなかった、ガラード」
　ケルディナ中尉の口内に広がるのは苺ジャムの酸味と甘み。ガラード中尉の舌の上ではチーズとウィンナーが現れた。
「どういうことだ？」
「みんな、隣の奴が目を開けたまま失神していないか確認しろ！」
　見渡すと全員口元が緩み、笑顔で一口欠けたパンを見ている状態。
　確認した結果は、
「全員美味いほうだったと……」
「フィラメンティアングス公爵殿下にやられたな」
　キーレンクレイカイムは彼らの目を盗んで、不味いパンを集めた箱をいつの間にかすり替えて、彼らの前で混ぜていたのだ。
「じゃあこの残りのパンは全部極上品ってことか」
「そうなるな、ケルディナ」
「全員には均等に渡らないぞ。どうやって分ける？ガラード」
「あとでどうやって分けたかを聞かれるよな」
「そりゃ報告しなけりゃならないな」

　考えた結果、家庭がある者たちを優先した。

　キーレンクレイカイムのお遊びだが、美味いパンは分け与えても問題はないのだが、不味い方は「上級将校候補のみ」が口にできる物なので、簡単に一般兵に与えてはならないのだ。
「グラディウスは全部美味しいと思ってたようだから、そうしてみた」
　キーレンクレイカイムは手元に一個不味い方のパンを持ち肩をすくめる。
　ちなみに不味い方のパンは回収された後、ガルベージュスたちが事も無げに昼食として食べきった。彼らはどれほど不味い料理を出されようとも文句も言わず、普通に食べることができる。
　帝国軍上級将校、彼らは変わり者ばかりだが隙はない。

※　※　※　※　※

「ベーコンはあてしとルサお兄さんの手作り！」
　昼食はグラディウスが作ったベーコンを使ったポトフと「しょうがいぶちきょうちょう」に使用されたパンと、手を付けられるのは後回しになるだろう魚介類のグリルとモッツラレラとトマトのサラダ。
「いいえ、私は作り方を教えただけですので」
「ポトフ作るのリニア小母さんも、ルサお兄さんも手伝ってくれたんだよ！」
「いえ、私はその……」
　リニアとルサ男爵が朝食の席に居なかったのは、キーレンクレイカイムに言われこの下準備をしていたため。野菜を洗い台所を整えてグラディウスの朝食が終わるのを待っていたのだ。提案者であるキーレンクレイカイムの牛乳雑巾事件後、リニアはグラディウスに「昼食を作ること」を伝え、二人で協力して作った。
　ルサ男爵は切ったりすることはできないので、二人が切った具材を次々と寸胴鍋に入れる作業を担当していた。
　グラディウスが調理している時間は元々身支度を調えるために用意されている時間なのだが、グラディウスは朝起きて用意をするとそれ以外のことはしないので、時間が余るなとキーレンクレイカイムが調整したものだった。
「あのね、リニア小母さん！　あのね、あてしね……」
　本来であれば弱火で煮ている最中もグラディウスが見ている所だったのだが、キーレンクレイカイムを洗わねば！　という使命感からリニアに任せてグラディウスは大急ぎで浴室へ一人で向かい、全裸になって飛び込んでいったのだ。

　その場にリニアがいたら、さすがに全裸になることは止めた。

　グラディウスたちが遊んでいる最中、リニアは言われていた通り鍋を見張り、ルサ男爵は皿やナプキン、ナイフやフォークを選び用意していた。
　魚介類のグリルとモッツラレラとトマトのサラダ、それに後から出るデザートのロールケーキやマンゴープリン、アイスクリームなどはキーレンクレイカイムが事前に発注していた。
「食べてね」
　グラディウスは皿を持ち自分でポトフを盛り、三人に手渡す。
――　よくやった、ルサ
　キーレンクレイカイムが褒めているのは選ばれた皿が、グラディウスが持ちやすく入れやすく、そして持ち運ぶ際にこぼしにくい物だったこと。
　ルサ男爵は本来ならば気を使わなくてはならない部分であるデザインや色、工房の種類などは無視して、グラディウスが気分良く給仕できることだけを念頭に選んだ。
「運ぶの上手だな、グレス」
　デルシは褒め、
「丁度よい皿だな」
　イレスルキュランも褒め、
「皿を選んだルサに感謝しておけ」
　キーレンクレイカイムが上手に取り持つ。
　最後にグラディウスは自分の分を入れてテーブルに付き、四人で昼食を取る。味付けまでグラディウスが行ったポトフは目が覚める程美味しいなどというものではないが、
「このベーコン作ったのか？　凄いな」
「うん。ルサお兄さんに教えてもらったの。ウィンナーはリニア小母さんと一緒に作ったの。破れてるのはあてし。リニア小母さんが作ったのは煮ても破れない」
「わざと煮た際に破れるようにする料理もあるからな」
「へーそうなんだ。でもあてしはそれ知らないから、失敗じゃないかな」
「自分の失敗を認められるのは良いことだ。褒めてやるぞグレス」
「あてし褒められた？」
「さっきからみんなで褒めてるぞ、グレス」
　三人とも楽しんでお代わりをした。
　そして三人の中では最も細身だが大食漢でかなりの早食いでもあるイレスルキュランが三杯目を食べようと、皿を持ち席を立つとグラディウスが、
「あのね、でかいお乳のおきちゃきちゃま……」
「なんだ？　グレス」
「あのね、お代わり我慢してもらってもいい？」
　食べないでくれと言い出した。
「どうしてだ？」
　お代わりしないと死ぬ！　というわけではないので食べない事は構わないのだが、理由は聞きたいとイレスルキュランが尋ねる。
「おっさんにも食べて欲しいから。それに！　リニア小母さんとルサお兄さん、白鳥さんやおじ様にも食べて欲しいから！　またベーコンもウィンナーも作ってポトフ作るから！　だから！」
「そうだったな。気付かなくて悪かったな。そうだよな、グレスはサウダライト大好きだもんな」
「うん。今度はもっとたくさん作るから。その時食べてくれる？」
「もちろんだ」
　そんな二人のやり取りを見てデルシが、
「キーレンクレイカイム。そろそろイネスの小僧を呼んでも良い時間だろう」
「畏まりました」
　キーレンクレイカイムにサウダライトを呼べと命じ、空になったポトフの皿にスプーンを置き、
「”大好きなおっさん”を前にしたグレスの笑顔は格別だからな」
　帆立のフライに手を伸ばした。
「そろそろデザートを運ばせましょうか？」
「そうだな」