帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[164]
 帝国は軍事国家であり、皇帝は軍の頂点に立つ。皇帝の重要な仕事の一つとして、軍隊の視察がある。視察内容も多岐にわたり、演習もその中に含まれている。
「土だらけだ!」
 よって大宮殿には大規模演習場が当然のことながら存在している。
「なにも軍事演習場でなくても……」
「そう言うな、イレスルキュラン。デルシがお前たちを誘うように促したんだから、ここはデルシに譲っておいたほうが良い。お前は軍事演習場なんて初めて見ただろ?」
 キーレンクレイカイムは妹のイレスルキュランに説明した通り、遊ぶ場所を軍事演習場と決めた。正妃たちを上手く微調整する。《そうしろ》と命じられたわけではないのだが、
「確かにそうなんだが」
「次回お前が誘った時には、お前の好きな場所で遊べるだろ。ここは皇后をたてておけ」
「解りました、兄上」
 もはや《習性》とでも言うべき気配り。
 キーレンクレイカイムは納得してくれた妹と、機嫌の良い皇后、そして大喜びのグラディウスを見ながら ―― グラディウスがなんでも喜んでくれるタイプだから、正妃たちを調整するだけで良くて楽だ。ずっとこのままの性格でいてくれたら、いいなあ ―― グラディウスに感謝をしていた。
「ぴかぴかのスコップだ!」
「これは穴を掘るために使うのだ」
「あてし穴掘るの得意だよ!」
 ミサイルで惑星を崩壊できる時代だが、軍事演習では塹壕を掘ったりする。それも、
「我等も掘るんだよな」
「そうみたいだ……」
 ザイオンレヴィやケーリッヒリラ子爵のような士官まで。
 帝国上級士官学校は「軍事の全てを知る」ことに重きを置いているので、本当に全てを習うことになる。
「競争するとしようか。我とグラディウス、小倅とナザールで」
「……」
 ”小倅”と呼ばれたザイオンレヴィは硬直し、
「……はい」
 ”ナザール”と呼ばれたケーリッヒリラ子爵は何とか答えた。
「あてしと、おおきいおきちゃきちゃまで穴を掘るの!」
「そうだ。早く掘ったほうが……」
 デルシの視線を受けて、イレスルキュランは兄が用意していた「キラキラとした絵本」を掲げる。
「勝ったほうにはこれをプレゼントする。あとで見せてあげてもいいから、安心して穴を掘るといいぞグラディウス。そしてお前たち、帝国軍人二人がかりで一人に負けるなよ」
「……」
「……」
 無理ですという思いを込めてキーレンクレイカイムの方を二人は見た。
「私は帝国軍人ではないし、こういう時には王族の審判が必要だろ。私はいつだって中立さ」
 世渡り上手は胡散臭い笑顔を解放した。
「頑張る……か、ザイオンレヴィ」
 実際の所、ケーリッヒリラ子爵は負けても問題ではない。彼は属しているのが帝国軍で上司はガルベージュス。
 問題なのは、負けたらマルティルディを不愉快にしてしまうザイオンレヴィ。
「ああ……頼む。負けるにしても、僅差は無理だとしても……」
「……」
―― 僅差で終わらせられないなら、もう無理だろ……
 ケーリッヒリラ子爵とザイオンレヴィはスコップを持ち構え、
「用意……はじめ!」
 キーレンクレイカイムの合図で死ぬ気で地面を掘り出した。
 ちなみに「小倅」と「ナザール」だが、サウダライトですら「イネスの小僧」呼ばわりのデルシにとって、ザイオンレヴィは小倅。イネス公爵家を継いだ兄は”小”が取れて「せがれ」と呼ばれている。
 ケーリッヒリラ子爵のナザールは、父方のデルヴィアルス公爵初代ナザール・デルヴィアルスから来ている。ケーリッヒリラ子爵はこの初代と瞳の色以外はそっくりなためだ。

―― 負けたら、餅を食べさせられるかもしれない! 餅は、あの餅尽くしは!

 地面を掘り進みながら、ザイオンレヴィは餅の恐怖に怯えていた。

※ ※ ※ ※ ※


《餅、全部消費するんだよ。君が嫌いな餅を食して苦しんでいる様を見るのも一興だ。一人じゃなくても良いけど二人以上は消費の手伝いをさせちゃ駄目よ。そう、調理も何もかも。解ったね、白鳥》

 以前グラディウスからあまった餅を貰い、マルティルディに処理するように命じられたザイオンレヴィと、
「どうするべきだろうな」
 ”親友だろ!”と泣きつかれて、処理に付き合うために警備を外れたケーリッヒリラ子爵。「こんな些細な理由で警備を外れていいのか?」と思われそうだが、理由を皇帝に言い、

「それは一大事だ。こっちは良いから、頑張って食べてきたまえ」

 許可を出されていた。
 エロ皇帝に《警備がいなくなると、グラディウスに……》なる下心がなかった訳ではない。だが下心しかなかった訳でもない。
 マルティルディからの命令を完遂するように、許可を出すのはサウダライトにとって何よりも重要なことであった。
 重要なので命令を変えてくれることは絶対にないのだが。
 皇帝が協力はしてくれても、助けてはくれないことを理解している二人は、餅を前に途方に暮れ……

―― 途方に暮れていたかった……

「わたくしを呼んだか! 強敵と書いて友と呼ぶ! 宿命のライバルザイオンレヴィよ! わたくしの名はガルベージュス公爵《エリア》」
 なぜか現れたガルベージュス。
「……(どうしてこんなにも悪い方向に進むんだ)」
「……(ジュラスに引き取ってもらうか? いや……そんなことをしたら……)」
 グラディウスが大喜びで食べていた餅を前に、意識が遠退く二人に、
「その餅は寵妃殿がお前たちに分け与えてくれた、幸福になるための白き柔らかな高貴なる食品だな! よし、解っているお前たちは、その白さに恐れを成して……」

 ガルベージュスの話を要約すると「餅が白いから食べるのが恐れ多くてこまってるのだろう」と。

 帝国に忠誠を尽くす、規範たる帝国軍人は何時も凄まじき勢いで突進してゆく。

「ザイオンレヴィよ、士官学校時代に負けたあの雪辱を、今此処で晴らさんと!」
「いや、あれは君が勝手に自爆しただけだろ! それに白い餅を早食い競争に使うのは、不敬? 不敬? なんじゃないのか?」
 内心「胡散臭い父親に不敬もなにも……」と思いながら、必死にガルベージュスの高貴なる軍人魂に訴えかけるザイオンレヴィ。
「安心するがいい、餅の色を純白から象牙色に変えて勝負だ!」
「エディルキュレセ!」
「諦めてくれ……いいや、諦めるしかないこと、お前がよく知ってるだろう」
 そこまでいい、ザイオンレヴィの首に腕を回して耳元で囁く。
「ここで全力を出して負けたら、二度とこの勝負は仕掛けられないはずだ」
「そ、それもそうだな」
「ああ。いままで早食いの再戦をしようとしなかったから、ここまで引っ張ってしまったんだ。これは好機だ!」
「解った。……受けて立つぞ! ガルベージュス!」
「それでこそ、わたくしの好敵手」

 それで餅をどうするか?
「餅巾着なあ」
 餅巾着にすることになり、
「あっ! 油揚げが裂けた!」
「丁寧に扱え、ザイオンレヴィよ」
「済まないガルベージュス。油揚げを用意してもらったというのに」
「さすがケーリッヒリラは器用だな」
「この程度なら余裕ですよ」
 みんなで餅を油揚げの中に入れて、
「これが水で戻された”かんぴょう”だ。これで口を結ぶことになる」
 かんぴょうで口を結ぶことに。
「なあ、エディルキュレセ。君の一族はこれ、王族の花に関係してるから食べては駄目なんじゃないのか?」
 夕顔を家紋に持つエヴェドリット王家の配下、フレディル侯爵家第二子はそう聞かれたが、
「いいや。我等の一族にそれは愚問だろ。王であろうがなんであろうが、食らいつくす。それが我等エヴェドリットにしてリスカートーフォン。無用な心配だ」
 ”そう言えば、そういう一族だったな”と思い直しザイオンレヴィは作業に戻った。
 そして鍋に豆乳鍋用のだし汁を入れて全員で並べてゆく。ぎっちりと並んだ餅巾着はその後、出汁を吸って縦に伸びて蓋が外れる程。

「ではいざ勝負!」
「いくぞ、ガルベージュス!(これで強敵呼ばわりされることもなくなる!)」

※ ※ ※ ※ ※


―― なんであの餅巾着戦で僕は勝ってしまったんだ!

 諸事情により……というか、例の前回と同じ理由でガルベージュスにザイオンレヴィは勝ってしまい、結果として「さすがわたくしの生涯の宿敵。このわたくしが二度も敗北するとは。いいや! この慢心こそがわたくしの……」誰にも止めることのできない台詞を続けるだけ続けて去っていった。
 結果を聞いたマルティルディは、
「君、餅嫌いって僕に言ってたけど、嘘だったの?」
「あの、その、必死……」
「僕が命じたから必死だったの? それともガルベージュスだから必死だったの? どっち? 両方は無しだよ」
 どちらを答えても怒りに触れることが解っていたので、馬鹿正直に「ガルベージュスだからです」そう答えて、やはり予想通りに怒りを買って、
「今度から、僕が君に対して腹立たしいと感じたら餅食べさせるから」
「はい」
 このようになってしまった。
 理由は解らないとザイオンレヴィは黙って受け入れたわけだが、真意を知ることを怠ったことでマルティルディの気持ちに辿り着けないまま ――

「何時まで掘っているつもりだ、小倅にナザール」

 ”餅で三日間三食を過ごせ、食べないということは認めない”
 ナザールことケーリッヒリラ子爵を巻き込んで、今夜から餅を消費する日が始まる。


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