帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[160]
 危険区域から早々に脱出したキーレンクレイカイムとグラディウスを迎えにきたケーリッヒリラ子爵と驢馬。
「驢馬。ごちそういっぱい貰ったから驢馬にもたくさんあげるから!」
 グラディウスは迎えにきてくれた驢馬の首を抱き締めながらぺちぺちと叩いて、労いつつお裾分けの約束をした。
 大量の荷物を持っているキーレンクレイカイムからケーリッヒリラ子爵が受け取り、驢馬の腰に固定したのだが、
「これは驢馬の腰に乗せるわけにはいかない」
 渡さないものがあった。
 料理の「格」によっては、驢馬の腰につけるわけにはいかないものがある。
 そうだろうと受け取ろうとしたのだがキーレンクレイカイムに拒否された。拒否した理由はケーリッヒリラ子爵が警備担当者なので、手に物を持たせるわけにはいかないからだ。
「手持ちですか。では我が……」
「こいつはセヒュローマドニク公爵殿下お手製の料理だ。粗相があったら、後々面倒だぞ。それに何事かがあった場合、お前の両手が空いている方がいいだろう。私は襲撃には機敏に対応できんからな」
 王国軍の総帥としては甚だ不適切な台詞だが、キーレンクレイカイムの声には卑下も誇張も揶揄もなかった。
 実際身体能力ではキーレンクレイカイムはケーリッヒリラ子爵には敵わない。彼がこの瞬間本気で自分を殺そうとしたら、瞬殺されることも解っている。
 ただ、そういった身体能力が桁外れの相手を部下として率いることもある立場ゆえ、恐れはしない。
「それは……ではお願いいたします。警備のほうはお任せください」
「なあに、私のことは気にするな。お前はグレスさえ守れば良い。私は一目散に逃げるから安心しろ。レイピアを抜いたり銃を構えて応援したりはしないから」
 ”たしかにそれが最適ですが、我にはなんとも返事はできません……”際どいことを言われつつ、適度に言葉を誤魔化してグラディウスを抱き上げ驢馬の背に座らせる。
 こうして三人は散歩がてら帰途についた。
 館に戻ると玄関前の階段を下りたところで、ルサ男爵とリニアが待っていた。それを見たグラディウスは驢馬から降りて駆け出す。
「驢馬に乗って走っていったほうが早いんじゃないのか」
「そうですが」
 大事なリュックサックを後ろ手に押さえながら必死に走り、
「ただいま! リニア小母さん! ルサお兄さん! ご馳走たくさん貰ってきたの! 晩ご飯にしよう! お待たせ! お待たせしたよ!」
 二人の出迎えを喜んだ。
 グラディウスは着換えて、庭に繋いだ驢馬にお裾分けそして、キーレンクレイカイムまで一緒にテーブルを囲み、
「警備で食べてなかったからな」
「でかい乳男さまも食べてね。リニア小母さん、これ美味しいよ!」
 夕食が始まった。
 料理が美味しいのは当然だが、キーレンクレイカイムの会話も上手い。食事の邪魔にならない話題を、煩くないように、だが退屈させずに語り、自分の腹も満たす。
 寂しげな表情が多いリニアですら、思わず声をだして笑ってしまうほど。同時に物事をあまり理解できないグラディウスも、同じ話を聞きその楽しさが伝わるくらいに噛み砕かれている。
 声の通りも良ければ、表情も人を小馬鹿にするような物ではなく、手振りと普段ならば使わない”効果音”まで交えて。
 同じく席に付くように命じられ、聞きながら食事をしていたケーリッヒリラ子爵も、警備を忘れて話に聞き入っていた自分に、
「閣下、シルバレーデ公爵閣下が」
 呼び出しの声を聞き気付き驚いたくらいであった。席を外して”直ぐに戻る”と訪れたザイオンレヴィから会場での出来事を聞き、
「そう言う理由で一時間早まったのか……えっと、御愁傷様だなライアスミーセ公爵」
「ま、まあな。アランもさあ……なにしてるんだか……なあ」
 二人とも言葉を濁した。
「それにしても残念だな。いまフィラメンティアングス公爵殿下が、お話をして下さっている。これがまあ、巧みでな。ロヴィニア王族の話術、それも裏がなく楽しませるのに徹した会話というのは噂に違わず素晴らしい。是非ともお前にも聞かせたかった」
「そうか、それは残念だ。裏やら毒気やら下心がない会話というのは……ロヴィニアだけではなく、僕たちもあまりしないからな」
「たしかに……だがこの館にいるときは、かなりの確率で毒も裏もない会話しかしていないような気がする」
「言われてみればマルティルディ様も、この館ではさほどだ。さて後ろ髪を引かれるが、もう戻るよ。フィラメンティアングス公爵殿下には無礼のお詫びをしておいてくれ」
 本来ならば此処まで来たのだから、ザイオンレヴィ本人が挨拶する必要があるのだが、せっかくグラディウスが楽しく聞きながら食事をしているのを邪魔しないほうが良いだろうと気を利かせた。
「そうだな。フィラメンティアングス公爵殿下ならば、そのあたりの機微は理解してくださるだろうし、お許しくださるだろう。……まあ、じゃあ……頑張ってこい、ザイオンレヴィ」
「あ、うん。うん……頑張って来る」
 会場に戻りたくない空気を隠さないザイオンレヴィに、目蓋を閉じて手を頭より低い位置に上げて送りだす。
「あ、そうだ。陛下は?」
「父上は何時も通り、マルティルディ様のご不在の御座に千度の礼を捧げてる」
「ご無事でなによりだ」
 マルティルディに吹っ飛ばされたり、踏みつけられたりしていないどころか、優しい処罰である。
「まあね」
 ちなみにサウダライトが謝罪している理由は、問題を起こしたのが帝国臣民だからである。皇帝は全ての臣民の失敗をマルティルディに償わなくてはならないのだ。

 マルティルディは宇宙そのものに位置付けられている

 ケーリッヒリラ子爵がザイオンレヴィに説明した通り、キーレンクレイカイムの会話は年齢も男女も問わずに聞いていて楽しいものだった。
 話題のそのものは女性が楽しめるほうに若干傾いているのだが、それは本来グラディウスを楽しませるための会話なので当然のこと。
 その楽しさはルサ男爵にも伝わっていたのだが、ルサ男爵の心中は複雑だった。聞いていて楽しく、リニアの笑顔を見ることができるのも楽しいのだが、その笑顔が零れるのがキーレンクレイカイムの話術というのが心に引っ掛かっていた。
 既存の言葉で表現すれば「嫉妬」の一言で片付けられてしまうものだが、その嫉妬は二十半ばのルサ男爵が持つには幼すぎるものだ。十代半ばの子供が持つ程度のもの。だがそれが彼のなかで生まれたことが成長であり問題なのだが、彼自身も気付いてはいない。

 貴族は長時間の食事の場合、身支度などを調えるために休憩時間を取る。グラディウスも一度休憩を取らせることにした。
「ルサ」
 ケーリッヒリラ子爵から報告を受けたキーレンクレイカイムは、ルサ男爵に声をかけた。
「フィラメンティアングス公爵殿下」
 声を掛けられるなどとは思ってもいなかったルサ男爵は驚くが、その驚きなど気にせずに持って来たグラスを手渡しし”ついて来い”と手で合図したのだが……、
「これは”ついて来い”という合図だ」
「気付かずに申し訳ございませんでした」
 ルサ男爵は気付かなかった。
 窓から外へと出て、外回廊の柱に背を預け、
「喋ることができないうちは、嫉妬しても仕方ない」
「……」
 ルサ男爵に”感情”を説明してやった。
「喋らなくても良い。お前は話すことが苦手だろうからな。私たちは無口を美徳とはしなからな。お前があのリニアという下級貴族を気に入っていることは解った。過去になにか合ったようであまり笑ったりしない女なのだろうが。あの女はいいとして、お前のことだが嫉妬自体は褒めようにも褒められん。まあ今の状態であれば、マルティルディ……”さま”と付けておこうか、マルティルディ”さま”はお前を殺さないようにしてくれるだろうが、とにかく供物が持つ感情ではない。だが生きてゆくなら、それは必要だろう。度が過ぎぬ限り ―― なる注意書きが付くがな」
「……」
「私は女が好きだが、感情を読むことに関しては男の方が多い。お前は聞いたことがないかもしれないが《女の敵は女》という言葉がある。それと同じように私には《男の敵は男》だと言う言葉が存在する。女を手に入れようと思えば、その女を手に入れる以上に男の動向を気にする必要がある。手に入れようとしない女との会話であっても周囲は見る」
「私はフィラメンティアングス公爵殿下の敵になれるような男ではありません」
「そうでもない。お前のような男は操りやすいから、首謀者にはなれずとも凶器にはなれる。私はこれからもグレスの元へと足を運び、機嫌を伺うだろう。グレスに気に入られれば、私は仕事がしやすい。そしてグレスに近付くことは、あの小間使リニアいにも近付くことになる。先程の様子を見ると、グレスはリニアが笑うことを喜んでいた。よって私はこれからもリニアを楽しませるだろう、それがグレスに気に入られる手段である以上。その都度お前が負の感情を渦巻かせていては、私は困るのだ。誰かがお前の感情に気付き、私を害しようとしたら……お前は足が速いそうだな、愛妾から聞いたよ」
「……」
「そしてこの館の警備の一人はお前の銃を教えている顔馴染みだな。そうだ、私は単身でこの館に足を運ぶと、身体能力で劣る私はお前たちに殺される可能性もあるということだ。私がリニアに対し、なんの感情も持っていないことを説明しお前は理解することもできるだろうが、”感情”というものは”理解では”納得しない。そういう”もの”なのだ。さてこういう場合私はどうすると思う?」
「お金……ですか?」
 ロヴィニアに対する模範的な回答。ルサ男爵にはそれ以外思い浮かばなかった。
「そうだ。だがお前に金は無意味だ、それも知っている。だがお前には感情がある、だから欲求もあるはずだ。さあ、なにか望みを言うがいい。金で解決できることなら叶えてやろう。それを叶えられたお前は私に対し、僅かながらの恩義を感じる。恩を感じぬ人間もいるが、お前のように感情はあれど空白が多い者には、ここから感情を埋め込んでゆくことができる。そう私の望むようにお前の思考を操れる」
 ルサ男爵は勢いに飲み込まれた。
「操るといったのは言葉が悪かったかもしれないな。恩を受けたら恩を返す、それがこの世界では忠誠であったり身の安全であったり便宜であったりと様々な種類がある。グレスと一緒にいる人生では解らない世界の駆け引きだ。それも少しは知る必要があるだろう。感情を持ち、世界の利害の中心近くに存在することになってしまったお前はな」
 完全にキーレンクレイカイムの手に落ちていた。
「これが希望なのかどうかわかりませんが……私が男爵の部屋に居た頃、全てを取り仕切っていてくれた老人を……」
 ―― どうしたいのだろう? ―― 最後の一つに辿り着けず、ルサは沈黙する。
「自由にしたいのか? それとも再度仕えさせたいのか? 殺したいのか? この三つのうちのどれかなら、私の力で叶えてやれるぞ」
「……では、もう一度仕えてくれるのなら……是非とも……」
「解った。手配を整えておこう。だから嫉妬するなとは言わんが、私はお前にとって頭脳になり金にもなる。無条件で頭を下げろとは命じぬが、些細ながら望みは叶えてやる。だから私に頭を下げろ。いいな」
 押さえつけるにも様々な方法がある。
 キーレンクレイカイムは基本願いを叶えてやって、柔らかく押さえつける。図に乗らせずに、それでいて柔らかに。だが拒絶するときは絶対に譲らず。
「はい」
「お前は先に戻っていろ。連絡を入れてから私は戻る。私が戻るまでお前が”間”をもたせてみろ」
「あ……あの……」
「取り敢えず喋らねば始まらない。なんでも失敗して覚えるものだ、話し方もしかりだ。お前は幼少期にそれをしなかったから、いまこの年で失敗するしかなかろう。一人前に嫉妬はしているのだ、それ以外のことも一人前にする必要もある。練習相手にも恵まているのだから、リニアもグレスも笑わない」
 キーレンクレイカイムの言葉に頭を下げて部屋へと戻るルサ男爵。その後ろ姿に自分と同年代でありながら、子供のような嫉妬とも呼べないような甘く苦い感情を持った彼を少しだけ羨ましくも感じた。
 姿を見送り、柱の影に回って外灯近くにいる男に声を掛ける。
「さてと……聞いてたな、ガルベージュス」
「はい、キーレンクレイカイム」
「手配を頼む。給与などの必要経費は私が持つ」
「了承しました。陛下にはわたくしから報告させていただきます」
「マルティルディには私から直接言う」
「お嫌そうですな。アディヅレインディン公爵にもわたくしが報告しましょうか?」
「だがお前が行くと話がこじれそうだ。私はマルティルディと話したいとは思わないが、話す機会を設けられるのは”ありがたい”姉上や現皇帝はご機嫌伺いを簡単に受けてくれるが、あの王太子殿下はそうはいかぬ。不興を買うのは嫌だが、他者の噂で勝手に売りつけられているのはもっと嫌でな。確認するためには、やはり近付く必要がある」
「それでよろしいのでしたら。ところで、ゾフィアーネが今宵の宴にお邪魔したとのことで」
「今日マルティルディはご機嫌でな、酒杯を空けてグラスを私に下賜したよ」
「ゾフィアーネも喜びます」
「まあな。私は公人アディヅレインディン公爵は苦手だ。そして私人のマルティルディも好きではないが、楽しそうな表情をしている女はどれも愛おしいよ。ところで此処まで足を運んだのは、ゾフィアーネのことだけじゃないだろう?」
「はい。正妃と申しますか、ディウライバン大公殿下より”明日はグレスと演習場で遊ぶ”と。場所は確保しておきましたが、遊び道具の用意もありますので、こうやってうかがいに参りました」
「デルシ=デベルシュは、なにをして遊ぶと?」
「聞いてはおりません。キーレンクレイカイムは明日一緒に遊ぶそうですね」
 遊びを考えておかなければ、明日は軍人式の遊びという名の訓練になってしまう……と、ガルベージュスは告げに来たのだ。
 もちろん軍人の訓練でもグラディウスは楽しむだろうが、
「解った。私が全ての段取りを決めておく。道具の用意は明日の朝食後でも良いな?」
 一つ二つは遊びを用意しておく必要があるだろうと。
 ガルベージュスも幾らでも思いつくのだが、それがグラディウスを「楽しませる」かどうかは、直接会話したことのないガルベージュスには判断がつかないと言いに来たのだ。
「はい。なんでも用意いたしますよ」
 それだけ告げ、顔を横に向けて地面に視線をガルベージュスは落とした。その陰影があまりにもイデールマイスラに似ていて、キーレンクレイカイムは思わず息を飲んだ。
 同じ顔なのだからおかしいことではないのだが、イデールマイスラとガルベージュスをそっくりだと今まで感じたことのなかったキーレンクレイカイムにとっては驚きだった。
「……ガルベージュス」
「お答えできることならなんでも」
 キーレンクレイカイムの声の調子で、疑問があると判断したガルベージュスは向き直り真っ直ぐに見つめる。
 答えると言いながらその眼差しは、質問を受けるようなものではなかった。
 普通の物ならば引くであろうその眼差し。
「なぜお前はマルティルディの出産前後にアーチバーデ城に滞在していたんだ? 親子で仲良く過ごしたかった、なんて答えはなしだ」
 キーレンクレイカイムは生来の不適さで無視しして、渦巻く様々な憶測と、その底に渦巻く生々しい存在を尋ねた。
「キーレンクレイカイムはイダ王から聞いたのでしょう。アディヅレインディン公爵がその時両性具有を産んだと」
「それは聞いた。だがお前が滞在する理由はない」
「不甲斐ないわたくしの友が呼びました。立ち会いたくなどないと」
「イデールマイスラならそう言うだろうな」
「理由は多々ありました。アディヅレインディン公爵が両性具有を身籠もった、父親は自分であるという事実。そしてアディヅレインディン公爵が出産時に死ぬかも知れないという恐怖。不甲斐ないわたくしの友は殿下を愛しています」
「そうだろうな。夫選考の時にそれは感じた」
「不甲斐ないわたくしの友は両性具有が成長するにつれて《双子の姉》であるルグリラド殿に似ていることに、自らにも両性具有の因子があるのではないかと恐怖しました。それと同時に、両性具有の因子が自らにありアディヅレインディン公爵を孕ませたことに暗き喜びを覚えました」
「……自らの子だと信じられるからか?」
「そうです」
「マルティルディが浮気しているなど聞いたこともない。ザイオンレヴィが愛人だという噂も立ったが、あれは違うな。感情ではなく肉体という点では一切の触れ合いがない」
「ザイオンレヴィは一度だけ、たった一度だけ、二人の寝室に控えたことがあります。暴れるアディヅレインディン公爵を押さえるように現陛下に命じられ。……両性具有イデールサウセラはその時の子なのです」
「……」
「あの時アディヅレインディン公爵が見ていたのはザイオンレヴィでした。アディヅレインディン公爵は肉体という面では浮気はしていません。生まれた子も確かにイデールマイスラの子です。ですがイデールサウセラはアディヅレインディン公爵にとって」

―― ザイオンレヴィが傍にいて触れていた時に身籠もった、この宇宙の全てを受け継がせたかった子 ――

 キーレンクレイカイムは頭を振り、すべてを打ち切った。
「話が長くなったな。自分から聞いておきながら無礼だが、部屋に戻りたいので、この話はここで終わりにしてもらいたい。私から聞くことは二度とないだろう」
「わかりました。それでは」
 

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