帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[159]
 ルグリラドは会場のややこしさには目もくれない。彼女はゾフィアーネの行動は慣れているので目新しさも驚きも感じない。
「どうじゃ? グレス」
「おいしです。あのね、睫のおきちゃきちゃま」
「なんじゃ、なんじゃ?」
「あのね、あのね、明日ね、遊べますか?」
「あ、明日か? 明日な。明日は偶々予定がないから、遊んでやってもよいぞ。ま、まあなどうしてもというのならばじゃがな」
「?」
 グラディウス、ルグリラドの遠回しな喜びと言い回しが理解できないで、不思議そうな顔に。”通じぬかあ……”と思っていると右側の頬に視線を感る。
 視線のは二人、デルシ=デベルシュとイレスルキュラン。前者は犬歯を露わにして噛みつきそうな笑いを浮かべ、後者は舌まで出してからかう笑い。

―― はっきりと言わねば、機会を逸する!

「あのな! 明日だな! 遊ぶぞ」
「はい!」
 ”す、素直に言うのも良いものじゃ……”思いながらも、この先も似たような受け答えしか出来ないだろう自分をルグリラドは感じていた。
「この料理、持って帰って良いぞ」
「え?」
「まだまだあるのじゃ。余ってしまいそうじゃからな?」
「いんですか! あのね、リニア小母さんとルサお兄さんとおじ様と一緒に食べていいの?」
「構わんぞ」
 料理を持たせて帰らせる事に成功した。
 ルグリラドの挨拶を終えて、グラディウスは壇上から降り、
「ジュラス、挨拶できたー……ほ、ほぇほぇ! ほぇほぇでぃ様」
 先程まで会場に居なかったマルティルディに驚きながら「気が付いたら直ぐにご挨拶を。この時は料理を食べるのも我慢してくださいね」とのルサ男爵の言葉と「うん、マルティルディ様を見たら、ご挨拶に行くんだよ。元気いっぱいでだよ。おっさんと約束してね」サウダライトの約束を思いだし、大急ぎで駆け出して直ぐに転んだ。
 地面育ちのグラディウスは、大宮殿の大理石や毛足の長い絨毯などが非常に苦手で、良く転ぶ。実際、外を歩いている時は殆ど転ぶことはない。
 ともかくグラディウスは転び、やっとの思いでマルティルディに近付き、その黄金の髪を前にして、
「今日は! ほぇほぇでぃ様!」
 夕方であることも忘れて挨拶をした。
「今日はねえ、べつに良いけど。それでさ君、僕になんか聞きたいことがあるってダグリオライゼが言ってたんだけど。なに?」
「あのね! ほぇほぇでぃ様! あのね! こ、これに、お土産入れる……入れても、持って帰っても……いい? リニア小母さんにお土産を」
 サウダライトから事情を聞いていたマルティルディは、背負った手作りリュックサックを見せながら語るグラディウスの言いたいことは理解していたし、聞いただけでなんとなく理解できた。
「いいよ。ところでその袋に入れるの?」
「中に詰める箱はいってるよ」
「ふ〜ん。それだけじゃ、足りないんじゃないの?」
「欲張ったら駄目だし、このくらいで良いってリニア小母さんも、ルサお兄さんも、おじ様も……」
「ケーリッヒが驢馬連れて迎えにくるんだよね。腰のあたりに積んで帰りなよ」
「……」
「料理はまだまだあるんだよ。僕が持って行けと言っているんだ、解ったな」
「は、はい! ほぇほぇでぃ様……」
「なんだよ」
「ありがとうございます!」
「僕に感謝するのは当然のことだ」
「はい!」
「それでグラディウス、僕の長衣の裾に輪がある」
 マルティルディは裾をひき、グラディウスの前に持って来る。
「これ?」
「そうだ、その二箇所に両腕を入れて、長衣の裾を持って僕について来い。それが仕事だ」
 マルティルディは挨拶を受けてやるため……という名目で、グラディウスを連れて歩くことにした。
「はい!」
 マルティルディは何時もならば酒が入ったグラスごと床に置かれたバケツに投げ捨てるゾフィアーネからの杯を飲み干し、
「グラスやるよ。ありがたく頂戴するんだな」
 キーレンクレイカイムに渡して歩き出した。
「御意」
 マルティルディの着衣の裾を持つことはグラディウスには不可能だが、
「うわああ。軽い〜羽みてえだああ。綺麗だなああ、葉っぱきれいだああ」
「転ばないようについて来いよ」
 グラディウスは裾を持ち上げて付いて歩いていた。
 もともとマルティルディは体重ではなく「総重量」と言われる程の重さを持つ。その細くて薄い体からは想像ができない程に重い。内部に棲む特殊な存在の質量もあり、その重量は軽く4トンを越す。
 人間の形状で4トンとなると動くことが難しそうだが、マルティルディ自身は特に問題はない。そのままの状態でも、備品さえ重さに耐えられるものであれば普通に生活はできる。
 また白骨の尾やその他の存在を表に出せば、問題なく生活できる。
 そのような姿に滅多にならないのは、普通に生活できることと、マルティルディが超能力をも使用できるところが大きい。
「なんだよ、転んだのかグレス」
 洋服の美しさに目を奪われ足元が覚束なかったグラディウスは、見事に転んだ。
「ごめんなさい、ほぇほぇでぃ様」
「掴まったまま転がってるといいよ」
「……! ほぇほぇでぃ様! うあああああ! すごいよお!」
 マルティルディは裾を手で払いのけるようにして、宙にグラディウスごと舞わせた。輿に乗っている時などは、少ししか重さをかけていない。気分が悪くなったら、突如重さをかけるといった事もする。
 マルティルディは自分の白骨の尾の範囲内であれば、無重力状態を作ることも、重さを軽減するように”持ち上げて”やることもできる。
「ほぇえええ! ほぇぇぇぇ!」
 今グラディウスが長衣の端を掴みながら空中でもてあそばれているのも、その力があってこそ。超能力もわからなければ、長衣の端を持ったまま宙を舞うと自らの肩に負担がかかり不可能だとか、そう言ったことの解らないグラディウスは言われた通りに掴まり、そして振り回されて喜ぶ。
「ほぇほぇえええええ」
「楽しいのかい?」
「ほぇほぇでぃ様、楽しいです!」
「僕も楽しいよ」
 お気に入りの玩具で遊んでいるマルティルディ殿下。
 誰の目にもそう映った。
 サウダライトは本当にマルティルディ様が気に入る玩具を手に入れるのが得意だとも。グラディウスの価値はそこにあるのだろうと。
「楽しかったかい? グレス」
 肩で息をしながらも長衣の裾を離さなかったグラディウスは、マルティルディの問いに笑顔で答える。
「あてし、たのしかった。初めてだ」
「だろうね。ところでさ、君のその背負ってるの。君の手作りなの?」
 腹ばい状態になっているグラディウスの背中を飾る、もっさもっさなリュックサック。
「はい、あてし作った」
「ふーん。で、僕の分は?」
 マルティルディはほんの僅か首を傾げて、至上のもつ黄金髪の輝きすら失わせるような微笑みを浮かべて”意地悪”をする。
「あ……」
 ザイオンレヴィが抗えない、彼だけではなく誰もが抗えないその微笑み。
「作っておいてくれるんだよね」
「ほぇ……ほぇほぇでぃ様、欲しいの?」
「うん」
 マルティルディが本気で欲しているのではないと《誰もが》考えるが、内心など他人には解らない。
「作る! あてし、一生懸命作るよ!」
 グラディウスがマルティルディの言葉を信じ、本気でそう思った時、
「僕に献上できるなんて、幸せだね」
 それは真実になる。
「ほぇほぇでぃ様、けんじょーってなに?」
「プレゼントするってことだよ。さあ、持ち帰る料理を選びなよ。リニアとルサは夕食抜きで待ってるだろうから、選んだらそろそろ帰るんだね」
「はい」
 本当はグラディウスはもう一時間多く滞在する予定だったのだが「おっぱいが大っきい人は馬鹿」な事件により、早々に帰されることになった。
「ケーリッヒリラに連絡。料理の折り詰めは用意できたな、これは驢馬の腰に乗せてと」
 キーレンクレイカイムはさっさと指示を出し、
「姉上」
「なんだ?」
「ルグリラドの料理を運び、そのままグラディウスの部屋に滞在したく」
「それで?」
「警備の方は姉上にお任せいたします。姉上の胸もご立派ですからなあ」
 キーレンクレイカイムは火の粉を被るのを避けるために、警備の実権を姉にさっさと手渡した。《辱めをうけた》正妃のイレスルキュランと《暴言を吐いた寵妃の主》王太子マルティルディが衝突するのだ、普通の王子である自分が残っていてもなにもできないとの判断で。
「お前は本当に賢いな、キーレンクレイカイム。パーティーを早めに切り上げることになったグラディウスを楽しませよ」
 無理難題を押しつけられたら断れなくなることを理解し、拒否できる姉に預けて去ろうとした弟に、胸の大きな姉王は笑って許可を下した。
「畏まりました」

 その頃グラディウスはジュラスとフェルガーデと共に、持ち帰る料理を選び箱に詰めていた。
「リニア小母さん、喜んでくれるかなあ」
 笑顔が見られるだろうか? と、やや不安になりながらも。
「大丈夫よ。グレスが美味しいと思ったものを持って帰ると間違いなから」
「うん。ジュラスは夜まで帰って来ないんだよね」
「ええ。ちょっと仕事もできちゃったから。御免ね」
「お仕事頑張ってね、ジュラス」
「よお、グレス」
「でかい乳男さま!」
「ジュラスの代わりに私が一緒に帰ってやろう。帰ったら食事して話をしよう」
「でかい乳男さま! 遊びに来てくれるの?」
「おお。明日も遊びたいなあ。正妃たちに私も混ぜてくれるかい?」
「うん!」
 そつがない男キーレンクレイカイムは、さっさと明日のお楽しみに混ざる約束までとりつけた。
 遊んでくれる人が増えたと喜んでいるグラディウスを、少し離れた位置から見ているマルティルディ。その右斜め後ろには、
「面倒になったな。どうしてくれるの? アラン」
 顔色を失っているアランが立っていた。
「わ、私は……」
「胸が大きい人なんて、山ほどいるんだよねえ。君の意図ではなかったにしろ、君はたしかに胸が大きいから馬鹿って言ったんだろ? 言ったよなあ、あの子馬鹿だから嘘つけないんだよねえ。本当に馬鹿なんだよ。馬鹿相手に嫌味は通じないってこと、学べて良かったねえ。それが活かせるかどうかは知らないけど」
 壇上からマルティルディを小馬鹿にするような視線を投げつけるイレスルキュランに、何時もならば腹立たしいと感じるが、今日は面白いと受けてたつ。
「ほぇほぇでぃ様!」
「詰め終わったのかい?」
「はい! あのね、ほぇほぇでぃ様」
「なんだい?」
「ほぇほぇでぃ様も明日みんなと一緒に遊びませんか?」
「無理」
「そっかー残念だ」
「残念って思うのは君だけだと思うけどさ」
「?」
「君、この僕に遊んで欲しいわけ。仕方ないな、近いうちに時間を作ってやるよ。ありがたく思え」
「ほぇほぇでぃ様」
「なんて馬鹿な顔してんだよ。本当に君の笑顔は、不細工で馬鹿だけど君らしい」

 キーレンクレイカイムは正妃たちの元へと向かい、全員に帰ることと明日遊ぶことを伝えて歩いた。個別にはデルシ=デベルシュには「姉王と妹正妃のことを適度なところで収めるように」妹のイレスルキュランには「マルティルディと一緒にはしゃぎすぎるなよ、明日グレスと遊ぶんだろ」そしてルグリラドには「料理食べてるグレスを撮影しておく」と。
 そうやって料理を持ち壇上を降りて、マルティルディの元へと向かい、先程渡されたガニュメデイーロの杯に対する感謝と、
「サウダライト帝とライアスミーセ公爵にこちらに来るよう連絡しておきました」
「小回りが利くね」
「”それ”で世の中渡ってますから」
 マルティルディの手間を省いておいたことを告げて、

「じゃあ、明日ね! おきちゃきちゃま! ほぇほぇでぃ様もばいばい! 先に帰ってるから、ジュラス」

 グラディウスを連れて会場をあとにした。
「さ、ケーリッヒリラと驢馬が待ってるところまで、このでかい乳男と一緒に行こうな」
「はい、ありがとございます。でかい乳男さま」


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.