君想う[096]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[147]
 死亡した死刑囚たちの死体を散乱させて、殴り合うエルエデスとヨルハ公爵。
 キーレンクレイカイムの部下のほとんどは、二人の姿をとらえることはできないが、音は遅れて届き、死体が四方に飛び散り”そこにいたのだ”とは分かる。
「ミサイルでも撃ちますか?」
 市街地戦用に装備されているミサイルで騒ぎを収めようとするファロカダだが、
「無理だろう」
 キーレンクレイカイムは許可しなかった。
「そうですか」
 どうした物か? と考えている二人とは対照的に、子爵は動き出した。
 二人が戦闘している死刑執行場へと降り、弾き飛ばされたり踏みつぶされたりしている死体を脇へと移動させる。
「ケーリッヒリラとやらは、止める気はないようだな」
「エヴェドリットなら勝負に水を差すことはしないでしょう」
 子爵の場合は「勝負に水を”差さない”」のではなく「勝負に水を”差せない”」だけのこと。死体を脇に避けているのは、二人を止められないので、できる範囲で被害の拡大を抑えるため―― 自分の気持ちの安定のためである。
 子爵は微かに見える二人の動きから、攻撃が来ない方向を割出して、死体を脇に寄せる。この死体の行く先が、死刑囚たちの食材の飼料だと知っているので尚のこと。
 ロヴィニアはいかなる損失も許さない。この小競り合いで飼料が減ったとしても、バベィラは”にやり”と笑い充分な補填をしてくれることは分かっているが、子爵の性質的に脇に避けて被害の拡大を防ぎたかった……のだが、

―― あ……

 子爵は自分がどちらかの攻撃の余波を食らって、宙に舞っていることに気付いた。それと顔の向きと体の向きが逆になっていることも。
 首が百八十度ちょっと回転し、前と後ろが逆になってしまったのだ。
 落下地点でまた巻き込まれると厄介だと、空中で体を動かして、殴り会っている二人から離れ、先程自分が築いた死体の山に落下する。
「胴体と首が別々になってましたね、殿下」
「そうだな。あのくらいじゃあ死なないだろうし、大したことにもならないだろうが」
 キーレンクレイカイムの言葉通り、子爵は死体の山から這いだす。
「首、もう治ってるよう……えええ!」
 ファロカダは後頭部と背中が同じ面を向いているので”治った”と判断したのだが、突然子爵がその首をまた回し折った。
「おかしなことをしているのか? それとも狂って参戦か?」
 キーレンクレイカイムは血を吸った栗毛の後ろ姿を見ながら、またもや首を傾げる。
「違うわい! エディルキュレセは首のつき方が悪かったから治しておるのじゃ!」
「首のつき方……か。ああ、なる程な」
 基本人造人間は回復力に優れているが、性能の差は大きい。
 子爵はエヴェドリット貴族らしく、回復能力を持つのだが、あまり性能が良くない。骨が折れて大きくずれた場合、骨と骨はくっつくが、折れた部分を残したままの状態になる。
 体から骨が突き出ているのに、突き出た箇所の骨が繋がった状態となることも珍しくはない。突きだした部分があると邪魔なので、当然切って貰うなどの外科処置が必要となる。
 このような完全復元ができない回復能力を所持している場合、「回復能力持ち」と呼ばれることはない。エルエデスのような完全回復能力で、初めてその能力を持っていると言われる。

 今子爵は首がずれていたので一度折って、正しく接ぎ直すことにしたのだ。

「幼いころから練習するそうじゃ!」
 授業の白兵戦で指があらぬ方向を向きまくった際、子爵が指を折り接ぎ直しているのを見て、メディオンは尋ねたことがあったのだ。
「……あああ! なる程な。エルエデスみたいなのは稀とは聞いたが……地味なエヴェドリットだな」
「煩い! エディルキュレセは地味ではないのじゃ!」

―― 派手でもないですけれどね。シクは美形ですけれども、なんか地味ってか落ち着いているというか

 ジベルボート伯爵が何をしているのかと言うと、一人生かされた死刑囚が逃げないよう捕獲していた。
 首を注ぎ直し、治癒を終えた子爵は死体の山から出て、また吹っ飛ばされて死刑囚入場口へと消えていった。
「エディルキュレセ!」
 メディオンが助けに行こうと、正面を突っ切ろうとしたのでキーレンクレイカイムが手首を掴んで止める。
「危ないぞ、メディオン」
「うわあ! 行かせるのじゃ! エディルキュレセの上半身と下半身が別々になっておった!」
―― たしかに切れてました……頑張ってシク!
 ジベルボート伯爵はまだ死刑囚を捕獲している。捕獲されている死刑囚は目の前の惨状に、逃げることを忘れているのだが、取り押さえているほうはそんなことは分からない。
 ”凶悪な死刑囚が逃げたら大変!”とばかりに取り押さえている。一人だけ生かされている死刑囚はたしかに凶悪だが、エルエデスやヨルハ公爵に比べればまったくと言って良いほど凶悪ではない。
「離せぇ! キーレンクレイカイム」
「危ないって、メディオン」
 メディオンは手首を離さないキーレンクレイカイムの頬を”ぺちり”と叩く。本気で殴ったらキーレンクレイカイムの首が先程の子爵と同じようになってしまう。子爵と違うのは、キーレンクレイカイムには回復能力がないので、病院沙汰になってしまうこと。
 驚きはしたものの、キーレンクレイカイムは手首を離さず、力で振り切り大怪我をさせるのはさすがにまずいとメディオンは我慢し、そして……
「…………」
「メディオン?」
「ぶあああああ! うええええん! はなしぇああああ!」
 泣き出した。
 普段は女が泣いたくらいでは驚かないキーレンクレイカイムだが、メディオンが泣き出したのには驚いた。だがそれでも彼は手首を離さなかった。そこら辺は脅威の冷静さとも言える。
「ひええええ! うああああん!」
「メディ……」
 声をかけていたキーレンクレイカイムは、影が覆い被さったことに気付いた。そして”あっ”と思う間もなく、右の頬をヨルハ公爵の拳が掠り、左の頬をエルエデスの拳が掠る。
「王子。メディオンを離すんだ」
「フィラメンティアングス。なにをしている」
 キーレンクレイカイムはメディオンから手を離し、両手を”降参”状態にあげて二人を見つめながら、何度も頷く。
「エディルキュレセ! 無事かぇ!」
 メディオンは見物席から死刑執行場へと駆け下り、入場口を目指してひた走る。
 その頃子爵は下半身を拾って、丁寧に合わせてくっつかせて、やっと立ち上がったところであった。
 メディオンが呼ぶ声に、
―― これは普通、心配している……声だろうな
 上半身と下半身が別々になっている時に迫って来る声は全て敵と見なさなければ、更なる危険に追い込まれる日々を過ごした子爵だが、メディオンの”この声”は違うだろうと判断し、急いで立ち上がり動かし辛い足を引きずり出口から顔を出した。
「エディルキュレセ!」
 まだ少々上半身と下半身の接合部分が”甘く”抱きついてきたメディオンを支えるには不十分で、そのままひっくり返り床に頭を打ちつけて、ぱっくりと子爵の頭が割れた。

「ぎゃあああ! エディルキュレセ、ごめんな……ぶあああああ!」

 通路の奧からメディオンの泣き声だけが聞こえてきた。

―― がんばって、シク!

「なにメディオン泣かせていたんだ?」
 エルエデスに責められるキーレンクレイカイムを脇で見ているファロカダは”二人が殴り合ったのが原因では……”と思ったものの、
「エルエデスの分の死刑囚も用意してからやったほうが良かったね!」
 人殺し大好きな一族に、均等に殺させなかったキーレンクレイカイムが悪いのだろうと、普通では理解し難いがそのように言い聞かせて、沈黙を保った。
 混沌としてきた見物席。
 困惑しているロヴィニア勢を前に、ジベルボート伯爵は動いた。

「皆様! 僕の歌を聞いて心を落ち着かせてください!」

 ジベルボート伯爵がもっとも焦り、混乱していた。焦った原因は―― シクの胴体が伸びてしまう! 胴長短足は貴族にとっては致命傷! ――と思ったため。
 ジベルボート伯爵、上半身と下半身が真っ二つに切れた場合、両方が復元しようとして腰の部分が伸び、結果胴長短足になると考えて焦ったのだ。

―― 普通は上半身と下半身が真っ二つに切れた時点で、致命傷な訳だが ――

 実際はそんなことはなく、あとでエルエデスに歌った理由を説明して、肩が壊れかけるほど掴まれ話を聞かされ納得した。
 ともかくこの時、ジベルボート伯爵の焦っていたため、いままでイルギ公爵やキルティレスディオ大公に習ったことを全て忘れ、以前のままの《ひどい歌声》で歌を披露した。

 その酷さは非道とも言い換えることができた。

 凶悪な事件を起こした死刑囚は、絶望の果てに処刑される。彼の最後の言葉は、
「嘘だ。あんな綺麗な顔して、あの透き通る美しい声で、あの歌……あの……」
 聞いたことがあるものにしか分からぬ、完全なる絶望、何も知らぬままに死にたかったと思わせる程の絶望であった。

※ ※ ※ ※ ※


「酷い有様でしたね、殿下」
「そうだな、ファロカダ」
 一人の死刑囚を絶望に追い込んだ歌により、事態はそれなりに収拾された。
「それにしても、あの歌は酷かったです」
 エヴェドリットが巻き起こした騒ぎは酷かった。想像の範囲をたしかに越えていたが、それでもエヴェドリットだからと納得させることはできた。
「まあ……たしかに凄かったな」
 だがジベルボート伯爵の歌声は、彼らの知識や常識、心構えなどを粉々に粉砕し、彼らの精神を一時ながら迷子にさせた。
「あんな可愛い顔して、あれはないでしょう」
 ファロカダ、彼はロヴィニアの権門、ワイアルナ公爵家の第二子で、出世するためにキーレンクレイカイムを主に選び軍人の道を選んだ男。
 彼は他の国の貴族に関しても貪欲に学んでいたが、ジベルボート伯爵のことは知らなかった。
 ケシュマリスタ勢にしてみれば、あまりにも外聞が悪いので口外せず、イルギ公爵に聞く人はなく、イルギ公爵以上のキルティレスディオ大公に聞く人もおらず、なにより音痴なケシュマリスタがいるなど”思いも”寄らないように世界が教育を施している。
「ファロカダの言いたいことは分かるが、ケシュマリスタだからな。あの全ての音を支配するマルティルディ、この世の全ての音を出せる腰だけ丸出しジーディヴィフォ、五つの声を重ねることができるガニュメデイーロ、そして天使の歌声を操る酒乱キルティレスディオと、まあ……見た目と声が違っても気にするな。ちなみに死んだ父上はまだ若かった頃、キルティレスディオ大公の歌声にうっかり恋をしてしまったことがあったそうだ。あの酒乱、本当に透き通って珠のようで、汚れを知らぬ歌声を出すからな。ケシュマリスタの声には気をつけろ」
「見た目と声はいいんですが、その四名の方、音痴ではないでしょう」
「たしかに。だが音痴なケシュマリスタなんて希少種だ、遭遇できたことを喜べ」
「遭遇したくなかったのですが……声は綺麗なのに、あの音痴は」
「立ち直れ、ファロカダ」
 金でどうにもできないショックというものは、確実に存在する。ファロカダにとってそれがジベルボート伯爵の歌であった。

※ ※ ※ ※ ※


 子爵は泣き止まないメディオンと二人きりで部屋にいた。
「エヴェドリットを友人に持つと、儂の……ぶぇええ!」
 瀕死の重傷には慣れている子爵だが、怪我を心配して泣いてくれる相手は皆無なので、なんと言って泣き止ませたらいいのか分からず、割れた頭の傷跡のあたりを掻きながら、泣き止むのを待つしかできなかった。
 メディオンは一頻り泣いて、
「悩ませてしまって済まぬな」
 血まみれで困惑の表情を浮かべている子爵に気付き、泣くのを止めて詫びた。
「いや……その、心配してくれたのだろう? ありがとう。その……心配されるということに慣れていなくて。いつも済まないな」
「本当にお主等は、お主等は……」
 鼻を真っ赤にし、睫は涙で濡れたまま。言うべき言葉が見つからない子爵は、叱られるのを承知でメディオンを軽く抱き締めた。
「その……上手く言えないのだが……その」
 怪我をしないようにする、等の台詞を子爵は思いつかなかった。元々そんな台詞は存在しないので、出てこないのだ。
 子爵の腕の中でメディオンはしばし硬直し、ぼろぼろになってしまった服の端を掴む。
「怪我するなと言わぬが、これからも怪我したら心配してもいいか?」
「あ、ああ……怪我をして心配されるのは慣れんが、その……照れる物だな」
「わ、儂のほうが照れておるわい!」
 メディオンは子爵の腕から飛び出し、部屋からも飛び出していった。
 取り残された子爵は、どうしたものか? と、心配や安堵など腕に残ったメディオンの感情の残り香に戸惑いながら、また頭の傷跡を指で引掻き、少しばかり傷口が開いてしまった。
「風呂に入って……くるか」

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