君想う[093]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[144]
 当初は子爵、ヨルハ公爵、そしてジベルボート伯爵の男性三人を自分主催の歓迎式に招く予定などなかったキーレンクレイカイムだが、ピーマンとヨルハ公爵、そして子爵の出来事を聞き、急遽予定を変更して全員を招くことにした。
 男性たちを招かないのは問題にならないのか? 問われそうだが、ヨルハ公爵とエルエデスは別々に扱って当然なので、例え下心がだだ漏れであっても、誰も異義は唱えない。
 むしろ二人を同じ空間で歓待すると聞き、軍関係者たちが浮き足だった。
 この二人が暴れたら、どうやって宥めるのか? と。殺すことは大変だが無茶をすればできるが、宥めるとなるとそれ以上の技量が必要。
「姉上。義理兄上を貸してください」
 強さはさておき、頭の回転がよいイダ王の夫で皇王族出身のバーゼンウーデを借りて、適当に対処するように頼み、
「兄上。私も参加したい」
「皇太子の妃となるお前を同席させるには、少々危険過ぎるのだが」
「大丈夫ですよ。皇妃になったら危険はつき物ですから、今から慣れておくべきだと」
 イレスルキュランの希望を聞き入れ、歓迎式を開いた。
 丸テーブルに全員が座り、フルコースを楽しむというもの。
 キーレンクレイカイムの合図で乾杯をして、五人の研修生と二人の王族は会話を楽しむことになった。
 その室内は「取り敢えず強い軍人」で、ぐるりと囲んで。
 食前酒を飲みながら、キーレンクレイカイムがヨルハ公爵に、ピーマンについて尋ねる。
「ピーマンだって解って食べてたらショックは少ないんですけど。気付かずに口に入れて噛んでびっくりしてしまいました」
「それは悪かったな……どうした? ヨルハ」
 白い絵の具を塗ったような顔を顰めながら、口元を押さえるヨルハ公爵。
「思い出したら、口のなかに、ピーマンのあじ……」
 目を見開き口元を手で押さえながら震える姿は、狂う寸前そのもの。今まで人が狂う姿を見た事が無いイレスルキュランでも「これが発狂か」と即座に理解できる、まさに人が思い描いた狂気……なのだが、
「キーレンクレイカイム王子、ゼフを落ち着かせたいのだがいいか?」
「できるのか? エルエデス」
 それを落ち着かせると、エルエデスが名乗り出た。
「ああ。見た目が悪いからお前等兄妹は背を向けろ」
「気にしなくていいぞ。イレスルキュランは」
 意外な人物の申し出に興味を持ちながら答える。そして一応妹を気遣ったが、
「いいよ、どんなことをするのか見る」
 妹も兄と同じ気持ちで、好奇心を隠さず二人を見つめる。
「そうか。まあいい。ゼフ、口直しだ」
 ロヴィニアの兄妹に事細かに説明している間にヨルハ公爵が思い出したピーマンの味に「のたうつ」と言うなの破壊行為を働いては駄目だと、すぐに話を切り上げて、ヨルハ公爵の指の隙間から自分の指を口に突っ込む。
 ヨルハ公爵は口を押さえていた手でエルエデスの手首を掴み、顎を動かす。指と言えども骨が噛みきられる音は大きく、初めて音を聞いたイレスルキュランは驚き凝視しながら椅子ごと後退る。
 ヨルハ公爵はというと、次々と指を食べ、顔色は悪いままだが表情が緩み幸せそうなのだろうなと誰もが解る雰囲気を取り戻す。
 既に体は震えておらず、
「口直しになったのなら、そろそろやめろ。これから人間っぽい食材を使った食事を取るんだから」
「あ、そうだった。御免御免」
 エルエデスの手首を離し、再度食前酒に手を伸ばす。指を与えてヨルハ公爵を落ち着かせたエルエデスは、研修生以外の周囲の驚きなど気にせずに手袋を嵌め直す。
 一連の動作と、メディオンを含む他の三人が驚いていないことをに、わりと良くあることなのだろうとキーレンクレイカイムは考えながら、運ばれてきたサラダの中身にピーマンとそれに類する味の物がないことを確認してからヨルハ公爵に尋ねた。
「自分の指で口直しはできないのか?」
 子爵は自分のサラダを少々行儀悪いが底まで調べ、ピーマンが入っていないことを確認してヨルハ公爵に”食べても大丈夫”と指示を出す。
「エヴェドリットの多くは自分で自分を味わう趣味はないので」
「他人と自分は違うのか」
「はい」
 何がどのように違うのか? などについてキーレンクレイカイムは聞かなかった。”この時点”で既に理解ができないのだから、これ以上聞いても理解できないのは確実。
 ”そういう物なのだ”と受け入れるには、この程度の表層部で話を切るのが最適。それは子爵の”人間の殺人についての感情”を知ることと良く似ている。
「やっぱり女の指のほうが美味いか」
 キーレンクレイカイムは俗な話に切り替える。男なら敵であれども女の方がいいか? と。
「…………王子に言われてみると、女の子の方が好きかもしれない。でも男も食べますよ、サズラニックスとか」
「ああ〜。お前等仲良しだもんな」
「はい。王子はシク、じゃなくてケーリッヒリラ子爵のことを言っているのでしょうが…………なんだろう? シク食べようと思ったことないな。どうしてだろうね? シク、エルエデス」
 ヨルハ公爵は自分の食欲が子爵に向いていないことに気付き、先になにもついていないフォークを噛みながら首をガクガクと動かして両隣に座っている子爵とエルエデスに尋ねた。

―― 動きの一つ一つがおかしい……

 椅子を直させたイレスルキュランは、奇怪に動くヨルハ公爵を「初めて見た」という表情を隠さずに見つめていた。

 ちなみに室内の警備は、先程から第一級警戒態勢に入っている。

 両手でフォークを掴みながら、もしゃもしゃと食べ続け、すっかりと”フォークであった物”に変えてしまっているヨルハ公爵。
「ゼフ、お前がケーリッヒリラを食いたいと思わない理由は分からないが、言われてみれば我も食いたいと思ったことはない」
「不思議だよね! エルエデス」
「お主等から見れば、エディルキュレセは強くはないからではないのか? 儂はずっとそう思っておったのじゃが」
「僕もそうだと思ってました! 違うんですか?」
 食事を前にして相応しくはない会話が続くが、そんなことを気にする者はおらず。
「食われたくはない理由は分かるが、食いたくない理由は……なあ、ゼフ」
 フォークを食べ終え指をしゃぶりそうになっていたヨルハ公爵の両腕を一本ずつ、両側に座っている二人がつかむ。
「そうだね、エルエデス」
「え? お主等、エディルキュレセには食われたくないのかえ」
「どうしたなんだ?」
 内容はおかしいが、興味がある! とイレスルキュランがエヴェドリット勢に答えろとばかりに身を乗り出して尋ねる。
 三人は顔を見合わせ、
「ここはお前が答えるべきだろう、ケーリッヒリラ」
「シクが説明するべきだよ!」
「解った」
 当事者である子爵が答えることになった。
 子爵としては王女に受け答えなどはしたくはなかったのだが、研修だと割り切り説明をすることに。
「この場合の前提は切った肉体を食べることではなく、先程のヨルハのように直接噛み千切ることを指しています」
「…………理解した。話を続けろ」
 初めて聞いた”前提”にイレスルキュランは驚いたものの、明晰な頭脳ですぐに飲み込む。
「我が実家はエヴェドリットでも特に分解酵素の優れている一族でして」
「何家だ?」
「フレディル侯爵家です」
「聞いたことはないが、後で調べておくが……唾液に含まれる酵素が、超回復能力を阻害するということか」
 ”直接噛みつく”という前提を考慮し、口内になにか特殊な物が存在するイレスルキュランは考えた。
「はい。直接噛みつかれるのを同族は嫌います」
「ふーん。バーローズやシセレードが嫌うくらいだ、相当な物なんだろうな」
「唾液に含まれている程度の量なら然程ですが、特殊脾臓から分泌される分解酵素を含む体内粘液は超回復能力をかなり阻害します」
「何パーセント?」
「各種個体の能力によって違うので一概には言えません」
「お前、ケーリッヒリラの体内粘液分解酵素で、エルエデスの超回復能力を何パーセント阻害できる?」
「我は体内分解粘液では……精々40%が良い所でしょうかね。なあ。エルエデス」
 エルエデスの超回復能力を40%阻害できる――数値だけならば。だが実際は内臓に直接取り込まない限り無理で、子爵の戦闘能力ではエルエデスは捉えられないため”これ”事態は、何の脅威にもならない。
「そうだな。思えば我やゼフがお前を食いたくはないのは、お前を食うと分解粘液などで内臓が爛れるからだ」
「そんなに爛れるものなのかえ?」
 料理は次々と運ばれ、メインディッシュの魚料理が運ばれてきた。
「人間が濃硫酸を10リットル一気飲みした時よりも酷いだろうな。人間ならばそのまま死ねるが、我等はそう簡単には死なぬから、内側から溶けつつ苦しむだろうよ」
「でも血液とかには含まれていないんですよね? シク」
「お分かりいただけたでしょうか? ナシャレンサイナデ公爵」
「ああ、解った」
 イレスルキュランの返事を聞いてから、
「そうだ。含まれてはいないな、クレウ」
「でもそんなに強い分解酵素持ちってことは、対抗する物質も体内にあるんですよね」
 ジベルボート伯爵の質問にも子爵が答える。
 話してばかりの子爵の料理は一向に減っていないが、質問は尽きることがない。
「血液には分解粘液酵素の中和物質が流れている。中和物質は血液と同じように骨髄で作られているとのことだ。あまり意識したことはないがな」
「持って生まれた体質だからな。我も然程気にしたことはない。それはそうと、ナシャレンサイナデ、こいつ、ケーリッヒリラが属する一族の過去映像を見るときは気をつけるといい。サラ・フレディル、またの名を「裂ける女」だ」
 知らないで見て良い物ではないと教え、その脇でヨルハ公爵は子爵がメインディッシュに手をつけるのを、ナイフとフォークを両手に持ち、初対面の相手には不気味としか映らない笑顔で待っていた。
 ”待っていなくてもいいのに” ”いや、一緒に食べたいんだよ、シク”などとやり取りをして魚にナイフを入れる。
「裂けるとは具体的に、どう裂けるのだ?」
「口から子宮までばっくりと開く。取り込まれたら一巻の終わりと言うヤツだ。手のひらも凄まじく手の腹も甲も口を持つのはもちろん、爪と指の間にも口があるような姿だ。食われたら面倒な女だったそうだ」
「内臓も開くのか?」
「もちろん」
「それは見るのが楽しみだ。ところで、フレディル侯爵家というのはエヴェドリットとしては有名なのか?」
「有名だ。我の祖先もゼフの祖先も”噛みつかれて”酷い目にあったそうだ」
 エルエデスの答えを聞き、エヴェドリットらしからぬ顔立ちの子爵を見て、
「ふーん。こんなに大人しそうな顔をして、暴れると凄いのか」
 メディオンとジベルボート伯爵は互いに顔を見て微笑み、

―― シクは暴れたりしないって言っちゃ駄目ですよね
―― 当たり前じゃ。エヴェドリット貴族の沽券と、エディルキュレセの人生に関わることじゃからな

 何も言わないことを無言のうちに誓いあった。
「随分と大人しいと聞いたが」
 ワイングラスを片手に話を聞いていたキーレンクレイカイムが”どの程度だ?”と、グラスを眺めながら尋ねる。
「王子。シクは大人しいですよ。でも良く言うじゃないですか”普段怒らない人ほど、怒った時は怖ろしい”って。シクが本気になったら……ねえ、エルエデス」
「ゼフの言う通りだろうな。エヴェドリットには少ないが憤懣が蓄積して爆発する珍しいタイプだ。小出しに怒るタイプではない分、どうなるのかは未知数だ。怒りながら罠仕掛けそうだがな」

 子爵はもちろん無言。内心では ―― いや、怒ることはないとは言わないが、そんな怖ろしいことをしでかす真似はしないと……自分では思っているし、しでかす機会などないだろうと―― 一人で言い訳をしていた。
 否定をしなかったのは、ここで変な否定をしてはエヴェドリット貴族として問題になるためだ。

※ ※ ※ ※ ※


「兄上、大人しそうな男でしたけれども」
 食事が終わり兄妹は姉王が来るのを待っていた。
 イダ王も研修生のことは気になっている。爵位継承問題を抱えていたり、素で狂人であったり、粗略に扱うと王家が乗り込んでくる姫君だったり、ケシュマリスタの謀略副王の子飼いであったりと、さすが帝国上級士官学校の生徒と言わんばかりの面子である。

 ちなみに子爵はまったく問題視されてはおらず、気にされてもいない。

「大人しい筈だ。陛下がナザールにヒューが入ったような男だと言っていたからな」
 毎日報告を聞く必要はないが、三日に一度は聞いておかなければ問題が起こり対処が後手になった場合危険だろうと。
「ナザールにヒュー? なんですかそれは」
「ナザールはあいつの見た目のことで、ヒューは性格のことを指す。父方の実家がデルヴィアルス公爵家で、それなりに有名」
 弟であるキーレンクレイカイムの実力は信用しているが、ロヴィニアの常識が当てはまらないのが研修生たちである。
 将来的にこの常識に当てはまらない者たちとやり合わなければならないのだが、最初は手助けしてやるくらいの優しさは持っている。
 ロヴィニアらしからぬ優しさ。「あいつら、どうにかならんのか……ああ、ならんのだなバーゼンウーデのように」それは、イダ王自ら直面した経験。
「へえ〜。じゃあヨルハ公爵の見た目も過去にいるのですかね?」
「あれは初めてだそうだ。あの骨と皮だけの体と血色の悪さでありながら、白兵戦能力ならエヴェドリット随一で、あの化け物戦闘集団の中でも群を抜く天才と称賛されるそうだ。まさに見た目ではないの典型だろう」
 ヨルハ公爵は帝国上級士官学校に入学し、天才たちと戦ったことにより、より一層強さが増し、まさに”磨きがかかった戦闘の天才”となり、デルシが「狂った時に止めてやるのが困難になってきました」と皇帝に漏らすほどになっていた。
「本当に強いんですか? あれで。私の胸ではじき飛ばせそうですけど」
 自らの胸の下方に手を置き”ぷるんぷるん”と揺する。
「それならはじき飛ばせるだろう、イレスルキュラン。あれも男だ、胸は嫌いではなさそうだ。事実お前の胸を見て驚いていたしな」
「弾いてみよう!」

 ナシャレンサイナデ公爵イレスルキュラン。恐れを知らぬおっぱいを持った若き王女。

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