君想う[092]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[143]
「ロヴィニア流ということで」
 子爵にヨルハ公爵、そしてジベルボート伯爵はキーレンクレイカイムの副官のファロカダの下で、到着初日から普通に仕事をしていた。
 研修は卒業後、即座に軍人としての任務を遂行できるようにするための研修なので、正しい有様である。
「エルエデスとメディオンは殿下のところで?」
「はい。ロヴィニア流ですから」
 キーレンクレイカイムはロヴィニア王子らしく、女は自分の元で研修、男は副官に任せた。
「予想通りですよね! ヴァレン」
「そうだな、クレウ!」
「噂通りの御方だな」

 誰一人疑いはしていなかった。副官すら「いつも通りだ」と――

※ ※ ※ ※ ※


「なんで儂が主と一緒に海へと行かねばならぬのじゃああああ!」
 いつも通りと言われた王子は、やはりいつも通りにメディオンとエルエデスに誘いをかけていた。
「メディオンの水着姿を見たことがないからだ」
「そんなの理由になるかああ!」
「充分なるだろ」
「ならんわい! 主に肌を見られたら妊娠すると!」
「否定はしないぞ、メディオン」
「いやじゃあああ!」
 元帥の執務室から飛び出していったメディオンを見送りながら、
「これでも結構言葉を選んだんだけどな」
 鋭さを隠すのに適している垂れ目を細め、テーブルに頬杖をつき、思ってもいないことを言う。
「……嘘つけ。お前ならもっと言葉を選べるだろう」
「そうでもないさ。……で、私の妻になるか? エルエデス」
「即答のみか?」
「いいや。研修最終日までに答えを出してくれれば充分だ」
 キーレンクレイカイムは指を組み口元を隠しながら。言い終えた口元はあからさまに”誘って”いた。
「面倒事に首を突っ込むお前だとは思えんのだが」
「私は叔父を殺してもらいたいだけだ」
 正統な取引だと持ちかける。
 エルエデスは長い前髪をかき上げ、殺してもいいと返事をする。
「そんなもの、結婚しなくても引き受けてやる。我等の祖先は傭兵だ、お前等は金で全てを解決する。そうでなくとも研修中の仕事として引き受ける」
 キーレンクレイカイムは目を閉じ小首を傾げ、冗談でも言いそうな表情とは裏腹に、至極真面目な声で返す。
「殺し方に注文がある」
「どんな注文だ?」
「艦隊戦で」
「……合理的ではないだろう。お前等らしくない」
「ロヴィニア王子キーレンクレイカイムであればな。私は国軍を預かる者としてお前に依頼するんだよ、エルエデス。シセレードの超回復能力を持つ公女が叔父を殺しても、私の軍人としての評価にはならない」
「……」
「実際の指揮官は誰であれ、総指揮官が私である”戦い”が必要なのだ。エルエデスなら解ってくれるだろう?」

※ ※ ※ ※ ※


「メディオン! 無事でしたか!」
「クレウ!」
 キーレンクレイカイムと海に行きたくなどないとばかりに走りだし、逃げ出したメディオンは無機質なロヴィニアの王城にありながら、幻想的な雰囲気を作り出す紅顔の美少年ことジベルボート伯爵と遭遇した。
「お主どうしてここに?」
「自由時間になったので、散策に。みんなで一緒でも良かったんですけれども、全員違うところに行って、各自面白い場所を報告しあおうということ……どうしました? メディオン」
 ジベルボート伯爵の、楽しそうな報告を聞き、メディオンは廊下に跪く形で肩を落とす。
「楽しそうでいいのう……儂など、儂など……スケベに海に誘われて。それだけならまだしも、水着まで用意されておった」
 ジベルボート伯爵は「ロヴィニア王子ですから」としか言いようがなかったが、言ったところでどうにもならないので、同じように廊下に膝をつき肩を叩いて励ます。
「一緒に見て廻りましょう、メディオン」
「……エルエデスは大丈夫じゃろうか? 本人は”あのように”言っておったが」
 エルエデスはロヴィニアに到着する前に―― キーレンクレイカイムの妻になれるのならば、なろうと考えている ―― 明言していた。
 貴族の結婚は”駆け引き”
 エルエデスが自分で決めたことに、口を出す者はほとんどいない。
 精々ヨルハ公爵が「彼、弱いよ」と大きく瞳を開き、不思議そうに尋ねたくらい。
「心配ですが、本人の意思を尊重した場合……メディオンは戻らないほうがいいかと」
「そうなのじゃが……そうなのじゃが。エルエデス、なにもあのスケベと……」
 ジベルボート伯爵はメディオンの手を引いて立たせ、
「今日の状況を本人から聞いてから、これからの……」
 ”対策を考えましょうよ”
 そのように言おうとしたのだが、現れた王女に視線が釘付けとなり口が開いたまま、舌が硬直した。
「どうしたのじゃ? クレウ」
 振り返りジベルボート伯爵と同じものを視界に捉え、すぐに視線を降ろした。視線が降ろされた先は足元ではなく、自分の胸元。
「メディオン。久しぶりだな」
「イレスルキュラン!」
 メディオンより一歳年下の、未来の皇妃、ロヴィニア王女ナシャレンサイナデ公爵イレスルキュラン。
「お前、主と同じで胸が成長しないな」
「煩いのじゃあ! ルグリラド様の悪口を言うな!」
「胸が小さいのは悪じゃない。だから悪口ではない」
「煩い! 貴様、胸、また成長しおって!」
「そりゃそうだ。皇太子が寂しい時に、顔やあれを埋められる張りのある胸を目指して、日々手入れをしているのだから」
「顔は解るが、あれとはなんじゃあ! はっきりと言え!」

 すっかりと忘れられた形となったジベルボート伯爵は、脇で聞きながら慈悲深い微笑みを貼りつけ、この時が終わるのを華麗に待った。
 ケシュマリスタ女の悪口の大渦巻きに揉まれ育った彼にとって、それは簡単なことであった。

―― 微笑ましい言い争いです。それにしてもおっぱい。そうですメディオン”あれ”とは”あれ”です……ああ、でもおっぱい。顔を赤らめるあたり、本当に知らなかったんですねメディオン。それにつけてもおっぱい。イレスル……殿下は耳年増なのかな? それとも、ロヴィニア女性の本能? ああ、おっぱい、ぱい

 廊下で叫ぶ趣味はないと、イレスルキュランが二人を部屋へと招き、ジベルボート伯爵を質問責めにしてきた。
「本当に可愛い顔をしているな。これで私の一歳上かあ……お前、女にもてないだろ? 愛玩動物として可愛がられることはあっても」
 両手で顔をしっかりと掴まれ、イレスルキュランの顔の側へと引き寄せられる。
「はい。ちなみに男性にも人気ないです」
 近すぎる顔を見るべきか? それとも視線を少し「下方」へとずらして欲求に従うべきか?
「姉上が”稚児顔がくる”と言っていたから、楽しみに写真も映像も観ないで待っていた甲斐があった」
 性的な興味ではなく、純粋な胸に対する欲求をどうするべきか? 悩み、そして――
「ありがとうございます。あ、でも僕カロラティアン伯爵の稚児じゃないです」
「そうなんだってな。胸、気になるか?」
「はい」

 ”ばれた”

 他所の国の王女、それも次の皇帝の皇妃の胸を凝視してはまずいと、ジベルボート伯爵は謝るも、
「性的に薄いといわれるケシュマリスタ男でも、やっぱり胸には興味をもつのか」
 イレスルキュランは良い気分であった。
「主ほどでかい胸を見たのは初めてであろうからな」
 メディオンのテルロバールノル王家よりも真っ平らが多い王国に生きる彼が、胸に憧れを持ち見たところでメディオンは怒りや、不快さを感じたりはしない。
 もちろん”自分の胸が小さい劣等感”も。
 同じ行動を子爵が取ったら落ち込みはするが、
「こうやって胸を揉んで、張りを与えるんだ」
「こ、こうですか?」
「男のお前が胸を揉んでも大きくはならないだろう」
 すぐに立ち直り、イレスルキュランがしている胸の体操をして努力するだろうが。
「……」
「クレウ。別に儂は胸が小さくたって! 小さくたって! 気にしておらぬから、貴様、儂の変わりに胸の張りが出る体操なぞ、覚えんでよいのじゃあ!」
「兄上は上手だぞ」
「お前の兄は駄目じゃあああ! あれは駄目じゃああ!」

※ ※ ※ ※ ※


「どうだった? ファロカダ」
 研修の初日が終わり、ファロカダは顔に赤い手の形がついているキーレンクレイカイムから報告を求められた。
 王子が顔にベタな手形を付けたのは初めてであったので、詳細を聞きたくはなったが、そこを堪えて男性三人の評価と、自分の失態を報告した。
「さすが帝国上級士官学校の生徒と言うべきでしょうね。教えれば一度で完璧です。そして次席をゾフィアーネ大公と争っているヨルハ公爵は、今まで遭遇したことのないタイプでした」
「争いの天才は、扱い辛いか?」
「私一人でヨルハ公爵を動かすのは無理です。ですが幸い、ケーリッヒリラ子爵が上手く動かしてくれるので助かっています」
「……ケーリッヒリラは然程強い男じゃないよな?」
 ”強さ”を重要視するエヴェドリットの中でも、狂人と名高く特に争いを好むヨルハ公爵が、自分よりも弱い男の指示に従っていると聞き、キーレンクレイカイムは興味を持った。
「それはまあ。ヨルハ公爵に敵う人など数えるほどいないようですから」
「そうだったな。どれ、あのバベィラが可愛がる狂人と話が合う狂人を見てみるとするか。それで、失態とはなんだ?」

「昼食の際、ヨルハ公爵にピーマンを出してしまいました。正直、私殺されると……本気で死を覚悟いたしました」

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