皇帝が王子のなかでは最も気に入っているキーレンクレイカイムと通信で会話を楽しむことは、珍しいことではない。
『ではな、キーレンクレイカイム』
「はい。またいつでも気軽に呼び出してください」
いつもと違うのは、キーレンクレイカイムに一時的に妻を薦めたことだけ。
通信を切ったキーレンクレイカイムは、姉のイダ王に会いに行き、皇帝からの通信を再生し、結婚話を持ちかけられた旨を伝える。
「ローグ公女とシセレード公女か。お前はどちらを選ぶ?」
キーレンクレイカイムは軍事的なことには疎く、作戦などは専門の者に任せる傾向がある。その任せている者たちが”正しいことをしているのか?”を見極め、逸脱しないように見張るのもキーレンクレイカイムの仕事だが、それらを監視するのも同じような専門の軍人であったほうが良い。それが妻であれば、尚良い。
同国人でなければ、相手に遠慮をすることも手心を加えることもあまりない。
テルロバールノルのローグ公爵やエヴェドリットのシセレード公爵の娘となれば、容赦ない性格は折り紙付き。
「エルエデスを」
「新シセレードが皇帝に引き渡しを求めている娘を妻にするメリットは?」
問題を多数抱えるエルエデスよりならば、メディオンのほうが良いと考えるのは当然のことだが、良ければ”いい”というものでもない。
ある程度の面倒を乗り越えて、得るものもある。
「陛下の御心に沿うことが一番でしょう、姉上」
「それは最重要だが、陛下から直接聞かぬうちは信用できん。まだお前の推測にしか過ぎん」
「そうですね。私がエルエデスを娶る理由は、皇太子が彼女を気に入っているからです。行き場がなければ愛人にしたいと考えるくらいには」
「最近はキュルティンメリュゼ以外は近づけてはいないが……。遊ぶには仕事をしてからということか。続けろキーレンクレイカイム」
「私がエルエデスを一時的とはいえ妻にしたら、皇太子と私の溝は決して埋まりません。例え皇太子の娘を娶ったとしても。姉上としては私と皇太子が密になりすぎないほうがいいでしょう?」
イダ王はキーレンクレイカイムに軍事力を与えた。
この決定はもともと先代ロヴィニア王が決めていたことで、理由《ランカ》を聞いたイダ王も現皇帝に配慮し、異義は唱えなかった。
さほど軍事力に重きを置かない王国ではあるが、国である以上、軍隊は存在する。国を守れる軍隊というのは、国を奪えるほどの軍隊でもある。
よって王としてはあまり他者に軍隊を与えたくはないもの。与えられた者はそこでどのように立ち回るか? その手腕が問われる。
「確かにな。ただ私も皇太子とはさほど仲良くなれそうにはないが」
「そこら辺は姉上にお任せいたします」
軍隊を預けられて喜んだり、勘違いをすることはない ―― 先代ロヴィニア王は金を稼いでくれた息子をそのように評価していた。
「エルエデスを妻にした場合は、争いの火種になるぞ」
「上手く立ち回ってみせます」
キーレンクレイカイムは目を細め笑う。眼差しは鋭くはないが険呑さを隠してはいない。
「上手く……な。具体的な案は」
「決めていません。普通に言えば行き当たりばったりでしょうね」
「それは策か?」
「ですが目的はあります」
「目的?」
「私個人としては争いなど御免ですが、国軍総帥としては争いは望むところです。予算獲得のために」
ロヴィニアの軍事予算は多くはないが、最近削減案を提出する者が多い。
それらは一人の例外もなく前元帥の息がかかった者たち。もと軍を掌握していた者たちは、無駄がどこにあるのかを良く理解していた。無駄を省くことを生き甲斐にするロヴィニア王国の理念に叶っているとは言えるが。
「提出書類には不備はないが。お前は反対か?」
むろん彼らは本気で言っているのではなく、軍を弱体化させキーレンクレイカイムの権力を削ぐのが目的。
軍費も策略の材料でしかない。
弱った軍にある程度の打撃を加えて、キーレンクレイカイムには軍の統括は無理だと取り上げるのが目的。ロヴィニア王国軍の総帥というのは、王が兼任していない場合、潤沢な予算を”とれて”こそ元帥。軍費に不足があれば、それは適性がないとみなされる。
「私も軍隊を預けられていなければ反対はしませんよ」
キーレンクレイカイムは軍人ではないが、軍人が権力を握る方法は知っている。
「だろうな」
「策が通るのは仕方ありません。たしかに最近は平和な世の中で、他国に侵略されることも、大規模な賊もおりませんから」
「叔父殿は賊の用意もしているようだが」
「そうですか。軍人たちが戦い方を教えた賊ですか。さぞかし強いでしょうね」
注意深くお芝居の役者や小道具を揃えている叔父だが、開演前に舞台そのものを叩き潰されることは考えていない。
「そうだな。お前は用意された賊ではなく、シセレード軍を相手にして軍費を確保するのか」
「はい。軍が賊に勝った程度で喜んでいられても困ります。シセレード公爵軍に勝つくらいでなければ。仮にも王国軍ですよ」
生身の個体戦闘能力が劣っているのだから、せめて軍略くらいは同程度を持っていなければ、今は問題がなくとも先がどうなるのか?
「負けたらどうするつもりだ?」
「前任者が責任を負うべきでしょう。まともな軍隊を作っていなかったと、私が軍事問責会議で落とします」
軍隊というのは未来の危機に備えるものである ―― キーレンクレイカイムはそのように考えている。同時に軍隊は未来を危機に陥れてはならないとも。
彼は軍人ではないが、政治家ではあった。
「叔父殿はそれで良いが、シセレードと交戦し負けた場合の調停方法は? ガルベージュスを使うつもりか?」
「はい。彼、というよりは皇太子殿下に頼みます。殿下の虚栄心をくすぐることが出来て、良いと思うのですよ。派遣されてくるのがガルベージュス公爵であったとしても、彼の勝ちですから」
エヴェドリットほど好戦的ではないが、帝国は軍事国家。
彼らも平時には戦うことができず、絶えず策を巡らせ戦いを起こす。それに関してロヴィニアは、非常に良い相手であった。
「エルエデスに軍を貸すつもりか?」
「はい。私はいやですが、軍というのは実戦を経験しないと育たないようですので。育ててもらえる良い機会だと割り切ります。それで全滅したとしても」
「解った。メディオンでなくて良いのだな」
「それを言われると辛いですな、姉上。私はメディオンが気に入っているのですよ」
「解る」
イダ王は初めてランカの映像を見せられた時、初めて見た気がしなかった。どこかで会ったことがあるような感覚を覚え、
「でも離婚前提ですからメディオンは選びません」
メディオンと何度か会い、ランカとメディオンが似ていることに気付いた。
容姿ではなく雰囲気。テルロバールノル王家特有の性格に近いが、決して王族ではない立ち位置にいる者が取る態度。
「エルエデスならば簡単に離婚できるのだな?」
キーレンクレイカイムがどれ程遊ぼうがイダ王は容認する理由でもあった。愛人に対して情を持たないという確たる証拠。
「はい。善い女ですが、覇気があってこそ善い女。長く国内に置くには危険です」
「そうか。では私はローグ公爵にメディオンを、お前の妃候補としてロヴィニアに送るよう説得しよう」
メディオンは研修先をテルロバールノル王国にしていた。
本人はもちろんロヴィニアに行きたかったのだが、父親であるローグ公爵が許してくれなかったため、仕方なしに研修先を故国にしていた。
「お願いします」
過去にローグ公爵から打診があったので、今回の誘いは簡単に出来ると、イダ王は力強く頷く。
「他に必要なことは?」
「研修の女の相手は私がしますが、男の相手は姉上が」
「お前は私を殺すつもりか? キーレンクレイカイム」
「姉上、男好きでしょう」
「たしかに好きだが、エヴェドリットの狂人二名にケシュマリスタの美少年は好みではない」
「ゼフ=ゼキはたしかに狂人ですが、もう一人は大人しいと評判ですよ」
「その大人しいという評判は”エヴェドリットにしては”と前に付くだろう」
「それはそうですが」
「お前が引き受けたんだ、お前が最後まで面倒を見るんだな」
「はい」
こうしてキーレンクレイカイムは妃候補の二人を出迎えることになった。
※ ※ ※ ※ ※
「頑張って! ザイオンレヴィ」
故国に帰らなくて良い喜びが全身から感じられるジベルボート伯爵。
「頑張ってね! ネロム!」
本当は一緒に行きたかったよ……と、相変わらず肩が外れるほど手を振るヨルハ公爵。
「頑張れよ」
ザイオンレヴィ以外の面子を見て、視線を逸らす子爵。
この三人に見送られザイオンレヴィは一緒に研修をする一団の元へと向かった。ザイオンレヴィは故国ケシュマリスタで研修を行い、同行者はイデールマイスラにヒレイディシャ男爵、そしてガルベージュス公爵。
マルティルディの側近であるエンディラン侯爵も滞在しているので、混乱は必至。
―― 帰りたくないなあ……
戦艦の艦橋で一人肩を窄めながら溜息をついていた。
そんなザイオンレヴィを見送った面々は、エルエデスと合流しロヴィニア王国へと向かう便に乗るのだが、
「儂も一緒に行くことになったのじゃ」
定員が一人増えていた。
「メディオン? テルロバールノルじゃなかったのか?」
「戦艦に乗ってから詳細を聞こう、シク」
「そうだな、ヴァレン」
全員で戦艦に乗り込み操縦を開始する。
「どうしたんだ?」
「イダ王から嫁にと打診が来たのじゃ……」
子爵と一緒にロヴィニア研修に行けるのは嬉しいが、行ける理由がメディオンにとって最悪。
「嫁って……誰の?」
「キーレンクレイカイム王子じゃあ……儂はあのスケベ嫌いなんじゃ……」
”しょんぼり”としてしまったメディオンを見て、ヨルハ公爵はエルエデスを指さす。相変わらず手袋で隠されていても骨と皮だけであるのがはっきりと解る指で。
「エルエデスも候補?」
「……らしい」
到着するまでは気付かれないだろうと考えていたエルエデスだが、ヨルハ公爵は狂っているが明察な頭脳で”なにか”を探り当てた。
「なんじゃと! 儂とお主で、あのスケベの……くっ……儂か、儂が選ばれるのか」
エルエデスは結婚しているので、第一候補がメディオンだと考えるのが普通である。
「スケベが……くぅ……スケベ……」
相手が研修に向かった先で世話になる人物で、王子でもあるので子爵は軽口を叩くわけにはいかない。
「メディオン」
「エディルキュレセ」
「その……何と言っていいか皆目分からないのだが……我慢できないことがあったら言ってくれ。我はこれでもエヴェドリット貴族。王族を一、二度くらい殴り飛ばしても誰にも咎めはされん。褒められるくらいだ」
王族に権威がないのではなく、エヴェドリット貴族の言い分がおかしいのだが、
「そうだよ、メディオン。我も殴るよ。性的じゃなくても嫌なことをされたら言うといいよ」
これがまかり通っている国なので仕方がない。
「エディルキュレセ、ヴァレン……ありがたいのじゃが、お主らがスケベを殴ったらスケベの命が。儂はスケベの命はどうでも良いが、同期の主等の将来を閉ざすような真似はさせたくない。申し出てくれたことには感謝しておるぞ。心より感謝しておるが……」
艦橋にはロヴィニア王国から派遣されてきた王国軍人たちも居るのだが、口の挟みようがないというか、否定のしようがないので黙って聞いているしかなかった。
「心配するな。我が側にいる。メディオンの尻を触ろうとしたら、手を砕いておく」
この出来事の理由を聞いていたエルエデスは、巻き添えを食らったメディオンに後で説明をしようと心に決め、同時に巻き込まれたメディオンを”色々なエロイ事態から”守ろうと決意した。
「エルエデス……一つ聞いてよいか?」
「なんだ?」
「お主の言う”手を砕く”とは、骨を粉々にするのか? それとも肉や血管込みか?」
「もちろん肉や血管込みだ」
―― メディオン。エヴェドリットとの付き合い方、解ってきましたね! 僕も負けてはいられません!
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