君想う[088]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[139]
「殿下。また夜会に招待してくださいね」
「ああ」
 エンディラン侯爵は退出する皇太子に笑顔でおねだりをした。
 男なら悪くは取れない美しい女の顔に、皇太子は挨拶代わりにエンディラン侯爵の右頬にキスをし、約束をして帰っていった。
 主催者である皇太子が退出したことで夜会は終了で、あとは二時間以内に会場から退出することになる。
 エンディラン侯爵はザイオンレヴィの手を引っ張り、
「さあ! 帰りましょう!」
 ガルベージュス公爵が来る前に早々に立ち去った。
「わ、解ったから。腕そんなに引っ張らないでくれ……」
 寄り道をせずにエンディラン侯爵を自宅に送り届けて、最終便でザイオンレヴィは寮に戻るつもりだったのだが、
「ちょっと私に付き合いなさい」
「ええー」
「なによ、その嫌そうな声は」
「だってい……なんでもないです。最後までお付き合いします」
 ”いや”と言いかけエンディラン侯爵の形相に言葉を引っ込めたザイオンレヴィは、肩を落として彼女の隣に立ち並び歩いているが、気持ちとして付いて歩くことにした。
「私だから今の発言許してあげるけど、他の女は許さないわよ。気をつけなさい」
「……はい」

―― 君も許していないと思うけど、ジュラス

 今度はさすがに心の呟きだけに留めた。
 エンディラン侯爵はなにも言わず、大宮殿のケシュマリスタ区画内の庭を歩き続ける。
「どうしたの? ジュラス」
「別に。そうそう、皇太子より貴方のほうがずっとマシね」
 夜に生きる美しきエンディラン侯爵は、夜に幽し光りの如き美しさを感じさせるようになったザイオンレヴィに無表情のまま断言した。
「そんなこと言って良いの?」
 ザイオンレヴィは足を止めてエンディラン侯爵を咎めるように尋ねる。
「良いんじゃない? 私がそう思ったんだから」
「たしかに僕のほうが皇太子殿下よりも可愛いけれども、言わないほうが良いと思うよ」
 皇太子はザイオンレヴィのような女性と間違われる容姿ではなく、見た目だけならば見事なまでにしっかりとしている大人の男性。
 エンディラン侯爵の好みじゃないんだろう……とザイオンレヴィは考えて、昔「可愛いからお婿さんにしてあげる!」と言われたことを思いだし、恥ずかしいとは思いながら答えた。
「まだ自分が可愛いつもりでいるの」
「え?」
 最近のザイオンレヴィは、ジベルボート伯爵は未だ持っている可愛らしさは失われつつあった。
「まあ、私がマシって言ったのはそれだけじゃないんだけど……。大丈夫、安心しなさい。私が皇太子になびくなんてことないし」
 ”そんなこと心配していないよ”
 ザイオンレヴィはそう言おうとしたが、何故か言うことができず、うつむき加減になって小さく頷いた。

―― ガルベージュスになら取られても構わないけれども……君には幸せになって欲しいなと、不実な僕は願っている

※ ※ ※ ※ ※


「殿下」
 大宮殿へと戻って来たヒレイディシャ男爵は、メディオンの様子と今は子爵と話しをしていることをイデールマイスラに報告し、
「それでは儂は別室で待機しております」
 ガルベージュス公爵と折りいった話があるので席を外せと命じられ、少しばかり離れた部屋で待つことにした。
 ガルベージュス公爵とイデールマイスラが居るのは大宮殿のテルロバールノル区画、その中の王族専用部分。
 ガルベージュス公爵はイデールマイスラがヒレイディシャ男爵と話をしている間に庭へと出て、景色を楽しむようにして辺りを歩き回っていた。
「ガルベージュス」
「どうしました? イデールマイスラ」
「お前はメディオンに何をしたのじゃ?」
 イデールマイスラの詰問にガルベージュス公爵はいつもと変わらない笑いを浮かべたまま、答えようとはしなかった。
 どれ程イデールマイスラが言葉を重ねても、ガルベージュス公爵の表情は変わらない。喋る気などないのだろうと思いながらも、イデールマイスラは詰問し続けた。
 離れて立っていたガルベージュス公爵が大股で近寄り、イデールマイスラの頭に手を置く。
「なんのつもりじゃ?」
「わたくしがメディオンにしたことは”寿命を一日分削った”だけです」
「なぜ! そんな事をしたのじゃ!」
 嘘ではないと確信したイデールマイスラが激高し、掴みかかるが頭を押さえ付けられているので襟首を掴もうと、どうすることもできない。
「他人の寿命について意見するものではありませんよ。貴方は貴方の妻がどれだけわたくしの力を欲しているか? ご存じですか」
 イデールマイスラは無言になった。
 ”今はメディオンの話をしているのであって、マルティルディのことは関係ない!”
 そう言えるイデールマイスラではない。彼は妻がなにを考えているのか解らない。いまガルベージュス公爵が言ったことが本当であるのかどうか? それを妻であるマルティルディに直接問うことも出来ない。
「わたくしの意見を信じるよりも、貴方は貴方の妻に正否を確認し、向かいあうべきではありませんか?」
「……」
「貴方がわたくしを信用するのは、わたくしが嘘を言っていないからではなく、真実を相手に問いただせないから。楽な方を取ってはいけませんよ」
「……」
「メディオンとわたくしの会話ですが、寿命にまつわる話でした。わたくしの能力はどのようなものか? ということです。真偽の程はメディオンに尋ねてみてはいかがですか? 彼女は貴方には嘘をつきません。貴方は嘘をつかない相手と話しをすることを好みますが、貴方自身はどうなのですか?」
 ガルベージュス公爵は手を離し、マントの端を持ち軽く礼をして立ち尽くしているイデールマイスラに背を向けて立ち去った。
 帰り道、夜空を見上げる。
「削るのではなく、奪い欲しい人に与えることができたのなら……言っても詮無きことですが。感情を持たない純粋な力に文句を言うべきではないのでしょうが」

※ ※ ※ ※ ※


 ザイオンレヴィも搭乗する予定であった最終便で寮に戻ったエルエデスとヨルハ公爵は、散歩をしていた子爵と、
「エルエデス。帰ってきたか!」
「ああ。予定より早く帰ることができた。メディオン、お前は今日はローグ邸に帰る予定ではなかったか?」
「色々とあったのじゃ」
「そうか」
 メディオンが丁度出迎える形になった。
「ヨルハが迎えに行ったのか」
 メディオンは、それこそ”にこにこ”と笑う。「一緒に帰ってこられてよかったな」と。邪気のない正に姫君の笑顔を前にして、エルエデスは視線を逸らす。

―― 二人で散歩していたのに邪魔して悪かったな

 後で詫びようと思いながら、
「シク。聞いて、襲撃犯はディアノランシー」
「やっぱりそうか。メディオンから特徴を聞いて、そうじゃないかと思っていた」
「シク、名探偵だ! すごいぞ! シク」
 ヨルハ公爵と話し出した子爵を見る。
「気にするな、エルエデス。折角じゃからお主等も一緒に散歩に行こう!」
「いいね」
 エルエデスはズボンのポケットに手を突っ込み、歩きながらメディオンの耳元に囁く。
「邪魔なら連れて帰るぞ」
「儂は邪魔じゃないぞ……今日の儂は良い気分なのじゃ」
「そうか」
「お主とヨルハが並んで歩く姿なぞ、ここでしか見られまい。卒業したら二度とないじゃろう。なによりお主等二人と一緒に散歩などできぬしな……あ、儂はそうじゃがお主の気持ちを尊重するぞ」
「いいや。そうだな、今だけだろうな。こうやってお前やゼフ、ケーリッヒリラと散歩などできるのは」
 後方で”明日のクラブ活動”について話をしている二人と共に、かつてザイオンレヴィがジーディヴィフォ大公に捕獲された崖の近くへとやって来て四人腰をおろして星を見る。
 四人とも特に会話することなく、夜が明けるまでそこで空を見続けていた。

※ ※ ※ ※ ※


「世話になったな、カー兵長」
「ああああ……もう研修が終わりだなんて……」
 無事に二年の外部研修が終わり、子爵はカー兵長に礼を言う。
 クロントフ侯爵は帰りたくないとばかりに、まだ机にしがみついている状態。
「いいえ。本官も学ばせていただきました。これからもより一層職務に邁進するつもりです」
「いいな〜未解決事件」
「クロントフ侯爵。カー兵長は未解決事件担当じゃないから、羨ましがっても仕方なかろう」
「はああ……未解決」
 滞在すればするだけ、クロントフ侯爵の後ろ髪が引かれすぎて毟られかねないので、子爵は彼を引っ張って警察署を後にした。
「怪我などせぬようにな」
「解決できない事件があったら! 奇妙な事件があったら、連絡くれー!」

 手間のかかる年上を引き摺りながら、カー兵長に別れを告げて立ち去った。

「事件を持ち込まれたらどうするつもりだ? クロントフ侯爵」
「それはね……」
 クロントフ侯爵の意味深な笑いに秘められたものに子爵は気付かなかった。
「それはなんだ?」
「君は本当に相手の感情を読まないんだね」
 反応の薄さにクロントフ侯爵は、驚きを隠さずに言葉にする。
「読む必要はないからな」
 そういう男だと解ってはいたのだが、ここまで徹底していると見事だと、本心より感心して。
「そうか……私が言いたいことは、私が君の親友になるのは無理だが、友人になりたい! ということだ」
「もうすっかりと友人だと思うがな」
「そう言ってもらえると嬉しいよ!」

 未解決事件の二件ほど「事件ではなく事故であった」ことを立証することに成功し、二人は無事に単位を取得することができた。

※ ※ ※ ※ ※


「フェルディラディエル公爵」
「ヒレイディシャ男爵ですか」
 研修を終えたヒレイディシャ男爵は、彼には似合わぬ無地の茶色い紙袋を持って執事の部屋を訪れた。
「少々お話をしたいのですが。よろしいじゃろうか?」
「構いませんよ」
 ヒレイディシャ男爵は勧められた椅子に腰を下ろし、出された茶を口に運んでから訪問理由である物を紙袋から取り出しテーブルに乗せた。
 それは研修で使ったピンクのアルパカの着ぐるみ。
 素材が素材なので丁寧に手洗いをして、ほつれを縫い使った”どうしようもない”着ぐるみ。
「……」
 取り出したヒレイディシャ男爵は、上手く言葉に出来ずに困っている表情を浮かべたまま無言であった。
「大切に保管しておきなさい」
 フェルディラディエル公爵は彼の質問も、欲しい答えもすぐに理解し、望む通りの答えを告げてやった。
「そ、そうですか」
「貴方はこれを見て過去を懐かしむでしょう。なにより貴方はそうすることが出来る寿命がある。懐かしむことができる程に寿命があるのなら尚のこと」
「あまり思い出したい記憶ではないのじゃが……」
「でも悩んでいるということは、嫌な記憶ではないのでしょう? そうそう、これは貴方だけの記憶ですので、死ぬ前に自分で処分なさい」
「……」
「私も持っていますよ。百年近くも昔の思い出の品を。二十代陛下と一緒に研修した時の思い出の品を」
「何をお持ちなのですか?」
「それは答えられません。あれは私と二十代陛下だけの思い出ですから」

―― ヒロフィル。それは…………余のそれはもう処分した。お前に処分させるのも心苦しく、他者には触れさせたくはなく……思い出とは斯くも扱い辛きものよ。ああ、楽しかったな。余とお前、そして皆がいた士官学校時代。あの時間がずっと続けばと……輝かしきモラトリアムであった。あの時があったからこそ、余は皇帝で在り続けられた ――

「失礼いたしました」
 ヒレイディシャ男爵は茶を飲み干し、取り出した時よりも丁寧に紙袋にしまい、深々と礼をして部屋へと戻った。

 フェルディラディエル公爵はクローゼットを開き、その隅に置かれた思い出の品を見て目を細めた。
「百年近く経った今でも、あの時のことを思い出させてくれるとは……でも、そろそろ処分しなくてはなりませんね」

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